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第七章「それぞれの意志」 四

 ワッツは天幕から出てきたレオアリスの顔をじっと眺めた。


(何の話をしてたんだか)


 ウィンスターには悟られていたように、ワッツは立ち去らずその場で待機して――有体に言えば聞き耳を立てていた。時折、レオアリスの声はくぐもって聞こえたが、それでも話の内容までは聞き取る事ができなかった。


 レオアリスは考え込むように視線を落とし、若い頬を張り詰めている。


「ほら、お前の荷物だ。一応中確認しな」


 レオアリスは袋を受け取り、中を探ると、一番最初に鎖の切れた飾りを取り出した。

 簡単に掌に包み込める大きさだ。薄く延ばした銀の板の真ん中に、陽の光を弾く青い透明な石が嵌め込まれている。

 光にかざさなければそれと気付かないが、石の奥に、二本の剣が交差するように浮き彫りにされていた。


(――剣……)


 その模様があるのは知っていたが、物心ついた時には既に身に付けていたもので、今までそれに意味があると思った事など無かった。

 祖父のカイルからずっと身に付けているように言われていた事もあるが、単なるお守りのようなものだと思っていた。


「剣……」

「剣か? ほれ」


 レオアリスはぎくりと顔を上げた。

 だがワッツが言うのはレオアリスの剣の事で、手にしていたそれを差し出した。


「ああ――」


 何故かほっとした様子でレオアリスは剣の鞘を掴み――そのまま手を止めてじっと剣を見つめた。


 剣。

 村の剣は造りが甘いせいなのか、いつもすぐに折れた。


 ハモンドから譲り受けた剣。

 あの時折れたのは、岩に当たったからだ――


 簡単に、折れて――


 どくん、と身体の奥で鼓動が響いた。

 何かが、自分の中で繋がろうとしている。

 それはどこか、レオアリスを脅かすような感覚だった。


「……おい、手ぇ離すぞ」


 まだ反対から鞘を握ったままのワッツが、訝しそうに眉を上げる。

 ワッツが手を離しても、剣はしっかりレオアリスの手に握られていて落ちる事はなかったが、レオアリスはまだ剣に視線を注いだままだ。


「すり替えたりはしてねぇよ」


 そう言ったが眼を上げもしない。ワッツは肩を竦め、それからレオアリスの背中を軽く押して歩き出した。

 




 

 ちらちらと、ワッツは隣を歩くレオアリスの顔――ワッツからは頭のてっぺんが見えるような感じだったが――を気にしていた。

 ワッツにしてみれば仕事ではあるものの、十四歳という、言ってしまえばまだ子供の域を脱しきっていない相手を拘束した事自体、気持ちの良いものではない。


 レオアリスがウィンスターと面会をした後は特に、事情が判らないまでも、胸の中がすっきりしなかった。

 彼が先程までとは違う、思い悩んだ様子をしているからだ。


「まあ、なんだ」


 ワッツはごほんと咳払いし、それからレオアリスの肩に手を置いてゆさゆさ揺すった。さすがにレオアリスも驚いて顔を上げる。


「何?」

「いやまあ、お前もちょっと運は悪いけどよ」

「運?」

「確かにあんな美少女滅多にいねぇよ。ありゃ誰だってぽーっとならぁな」

「――はぁ?」

「まあけど、女は一人だけじゃねぇ。王都にいきゃあ、パリっとした艶のある女が沢山いるぜ」


 この男は何を言っているのかと、レオアリスの瞳が呆れて細められる。

 大体レオアリスの年代でそういう女が好みとは到底思えないが、ワッツは気にせず豪快に笑った。


「失恋の一つや二つ、気にすんなよ!」

「――あんた何言ってんだ?」

「だから、大将殿から釘差されたんだろ?」

「――何の?」


 レオアリスは眉をしかめた。だがワッツは、口元に笑みを残したまま、レオアリスが気付かない程度に声音を低くした。


「違うのかい。てっきりその話かと思ったぜ」

「まさか。そんな話でガキを呼べるくらい軍は暇なのか? 違うよ、そうじゃなくて――。

――あんたは、知らないのか……」


 それとなく聞き出そうとしたものの、そうはっきりと言われてしまいワッツは言葉を濁した。


「知らねぇ……まあそうだが」


 決まりの悪さにつるりと頭を撫で、顔をしかめる。それから、結局自分にはまどろっこしいやり方は向かないというように胸を張った。


「知らねぇから気になってよ。何話してだんだ?」


 ただレオアリスはワッツが知らない事自体は、さほど気になっていない様子だ。

 というよりは、彼はどこかほっとしたように、ワッツには見えた。


「俺も、正直何を言われたのか、よく判らないんだ。――でもまあ、判んないからもう用無しみたいだけどな」

「――」


 ワッツは足を止め、池のほとりに先ほどレオアリスを連れて来た部下の姿を認め、声を張り上げた。


「おい、クーガー! 二人ばかし集めてこのガキ送ってやんな。森の外までがっちりだ」


 クーガーと呼ばれた若い兵士は頷き、すぐにそこにいた兵士二人を連れて、ワッツの方へ近寄ってくる。

 それを横目で見ながら、ワッツは口を閉ざして近づいてくる兵士達を気にしているレオアリスに、少し早口に告げた。


「言っとくが用無しって訳じゃねぇ。無事送り返すのも俺達の役目だって事――」

「ワッツ少将……」


 横合いから遠慮がちな声がかかり、ワッツは振り返ってすぐ右手にいた兵士達を眺めた。


「何だ?」

「その、我々は、今後どのように行動するのでありますか」


 周りにいた他の兵士も、釣られるようにワッツに顔を向ける。

「ああ――。まあすぐ指示が出る。それまでおとなしく待ってろ」

「しかし、……リンデール中将は引き上げてしまいました。黒竜は」


 彼等は、正規軍法術部隊のリンデールが来た以上、彼女が黒竜を抑えるものだと思っていたのだ。

 いや、口には出さないが、アナスタシアに――「炎帝公」に対する期待が、兵士達には確実にあった。

 そのアナスタシアが引き上げてしまったとあれば、不安は無理からぬ事だ。

 上層部の判断もあったとはいえ、アナスタシアを送り返したワッツとしては後ろめたさも感じたが、さすがにそう言う訳にもいかない。

 まして上からの指示で、など、最も無責任な発言だ。


「安心しろや。まさか一斉に突っ込めなんて言われやしねぇからよ。予定では順次エスクロートに引き上げて、それから司令部の作戦待ちだ」


 引き上げ、という言葉を聞いて、兵士達の上に漸く安心感が流れた。

 視界の隅で、こっそり隣の相手の胸を叩きあって喜ぶ姿まで見え、ワッツは心の中で溜息をついた。


「まだ森に散ってる奴等もいる。もう少し待ってろ」


 もう一度そう言うと、レオアリスを手招いて再び歩き出した。


「全く……精鋭部隊がこれかよ。黒竜なんざ本当に勘弁してもらいたいぜ」


 ワッツは首筋をやたら擦りながら口の中で呟いている。レオアリスは少し早足に横に並んで、その顔を見上げた。


「――あんたは、恐くないのか?」

「ああ? やなガキだなぁ」


 眉をしかめ、それから後ろのクーガー達に聞こえないように声を潜めた。


「……恐ェに決まってんだろう。どこの世界に黒竜見て喜ぶ奴がいるんだ。正直役じゃなきゃ逃げてぇな」


 脱走で軍法会議にかけられる方がまだましだ、とおどけたが、その声はどことなく硬い響きを持っていて、ワッツは鼻に皺を寄せ肩を竦めてみせた。


「ま、今そんな事言ったって始まらねぇ。要はどうやって奴を無事やり過ごすかだ。戦うなんて選択肢は、まずねぇんだからな」


 レオアリスは束の間、足元の下草に視線を落とした。

 緑色の鮮やかな草が敷き詰められ、所々に小指の先ほどの小さな白い花を散らしている。

 春だな、と思った。

 この森は生命に満ち溢れた季節を迎えているのに――鳥の声も獣の気配もない。

 黒竜がいる為に。


 “救え”


 カトゥシュの森は、その事を嘆いているのか。

 レオアリスは思い切ったように顔を上げた。


「ワッツ少将、だっけ。……剣士って知ってる?」

「剣士? 何で剣士だ?」

「――何となく」


 ワッツは訝しそうに眉を上げた。


「軍にいて知らねぇヤツはいねぇな。腕を剣に変化させて戦う、――いわゆる戦闘種ってヤツだ」


 その知識は、レオアリスも同じだ。この世界には様々な種族があり、戦闘種とは戦いに長けた種族をひと括りにして呼んだものだ。

 剣士はその中でも、最も高い戦闘能力を持つとして、――恐れられる。

 またの呼び名を『殺戮者』 『戦う為だけに生まれる種』

 それは少なからず揶揄を込めた呼び名だが、どれもレオアリスには想像もつかない。


「一人で一小隊抑えるぐらい戦闘能力は高いらしいが、俺は会った事も見た事もない。まず数が少ないからな。で?」

「いや、剣士なら何とかなるのかなって……黒竜だけど」

「そんなこったろうと思ったぜ」


 ワッツは太い腕を胸の前に組み、レオアリスを見下ろした。


「確かに相手にするにゃ恐ぇよ。一人で百を抑えるなんざ、普通考えられねぇからな。けど、言っちまえばそこまでだ。いくら剣士ったって、たった一人で黒竜を倒せる程とは思えねぇ」


 ワッツは一度息を止め、「剣士は想定範囲だが、黒竜は想定外なんだよ」と、そう言った。


「範疇を超えてる」

「風竜を倒したっていう、その剣士はどうなんだ?」

「大戦の剣士を連れて来いってか? どこにいるかも判らねぇのに? 大体大戦以来名前も聞かねぇ。死んだって話もある」


 ワッツはあくまでも一つの話としてそう言ったのだが、レオアリスは何となく――がっかりした。


「……そうか……」


 ワッツはそれを、レオアリスなりの期待だと思ったようだ。


「そう残念がるなよ。ま、いねぇよりいた方がいいのは確かだな。黒竜なんて化物相手じゃ、何にだって縋りてぇよ。けど軍にゃ剣士はいねぇし――まあもしかしたら名のある奴を呼ぶかもしれねぇなぁ」


 縋りたい。

 それほど軍も切羽詰まっているのだろうか。

 レオアリスにあんな話を持ちかける程に。


『この国を救えるとしても?』


 ふと先ほどのウィンスターの言葉が頭を過った。

 国を救う? いくら無謀でも、そんな言葉を現実として捉える程、レオアリスも世界を知らない訳ではない。

 この旅で知った事――それは、自分は自分で思う以上に、ちっぽけだという事だ。


 それを知った上でなお、宝玉を得る為に竜に挑もうとは思っても、国を救おうなどとは思えない。

 国を救う英雄の物語は幾つも書かれていて、レオアリスも読んだ事がある。けれどそれはあくまでも物語で、現実に置き換えられる訳ではない。

 その力が自分に有るか無いかという以前に、想像が及ばないのだ。

 それは誰でも、「さあ国を救ってください」と言われたら、同じように感じるだろう。


 ただ、今、この森にいる兵士達は、同じ時間、同じ目線に存在する相手だった。

 彼等は恐がっている。


 ワッツは草地の外れで足を止めると、レオアリスを振り返った。


「さてと、お前とはここでお別れだ。この三人はまあ精鋭だし、一日もありゃ森を抜けられる。街道へ出たら、このカトゥシュには暫く近づくな」


 ワッツは部下の三人の名前――クーガー、チェンバー、ウェインと次々呼び、「森を抜けたらついでに状況報告で、エスクロートに戻れ」と背中を叩いた。

 彼等の顔にも、安堵の色が灯る。

 促され、レオアリスは三人の間に挟まれるようにして、立ち並ぶ樹々の間へと再び入り込んだ。

 少し歩いてから振り返れば、樹々の間からは、戻っていくワッツの姿と、池のほとりで思い思いに休んでいる兵士達の姿が見える。


「――」


 ここの兵士達――彼等は無事に、帰れるのだろうか?

 もしレオアリスがアナスタシアやウィンスターの言う通りに、剣士だったとして。


(だったとしてって言ったって、さっぱり判らねぇ)


『可能性の問題だ』


(そんな事、俺じゃなくたって皆同じだ)


 可能性だけでその気になっても、現実には上手くはいかないだろう。

 それでもなお、僅かにでも可能性があるのなら。

 黒竜を倒し、国を、森を、ここにいる彼等を助けられる可能性が、僅かでもあるなら――

 剣士とか、術士とか、そんな事全て関係なく。


 レオアリスは黒竜と、対峙すべきなのだろうか――?









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