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第六章「重なる軌跡」 七

 二人の姿が木立の間に隠れてから暫くして、レオアリスは結局黒竜が何なのか聞いていなかった事に気が付いた。

 彼等がこの森に来た理由も、何で軍に追われていたのかも、あの炎が何なのかも、全く答えてもらっていない。


「――何にも判らなかったな……」


 判ったのは、名前くらいなものだ。

 寄りかかっていた樹の幹から身体を起し、彼等の歩いていった木立の向こうを透かし見る。

 戻ってくる「かもしれない」という仮定付きの相手をぼうっと待っているのは妙な状況でもあるが、戻って来ないだろうと切り上げる気にはならなかった。


 しかし待っている間にするべき事も無く、レオアリスは再び二つの巻物を紐解いた。

 実戦で使えるようになるには、完璧に術式と法陣を覚え込まなくてはいけない。

 どの法術にも定型はあり、定型の言葉の組み合わせ的な要素は強いのだが、一つ組み違えても発動しなかったりするから、暗記は重要なのだ。


(風切り――)


 その名の通り、風を刃のように使い、相手を切り裂く術だ。

 口の中で歌うように節をつけて術式を呟く。指先で空中に小さく法陣をなぞり、それを何度か繰り返して覚え込ませていく。


 何度目かに繰り返した時、術式と法陣がぴたりと重なった。

 いきなり法陣が空中にくっきり輝いたかと思うと、その面から風が巻き上がった。鋭い笛のような音とともに、正面にあった樹の枝を切り裂いて消える。


 僅かに二、三本の枝を落としただけだったが、地面に落ちた枝の切り口は、鋭利な断面を見せている。

 レオアリスは漆黒の瞳を輝かせた。


「すごい――」


 思った以上だ。レオアリスが手許に描いた法陣は、拳の大きさほどしかない。だがこの術は、法陣の大きさによって、威力は自在に変えられる。

 もう一つの雷撃は術式が長い。この風切りの法術の方が実戦の時は使いやすいだろう。


(もう少し――)


 先程より大きな法陣を描きかけ、レオアリスは手を止めた。

 二人が戻ってくるかもしれないとしたら、さすがに危ないと思ったのだ。

 再び樹の幹に寄りかかって、空を見上げる。枝葉の間から覗く断片的な空では、時間は正確にはつかめない。


(あと、――四半刻無いかな……)


 練習している間にだいぶ時間は経ったはずだが、二人が戻ってくる気配はまだ無かった。

 あと四半刻もしたら、もうレオアリスは立ち上がって、歩き出すだろう。

 竜を探し、何とかその宝玉を手に入れて、王都へ行く。

 この広い森、それから王都で、また彼等と出会う事があるかもしれなかったが、その可能性は低いように思えた。

 おそらくもう、お互いの道が重なる事も無いに違いない。


 樹の幹に寄りかかったまま、レオアリスは再び巻物を広げ、今度は雷撃の術式を繰り返し口ずさみ始めた。

 時折視線を空へ投げる。

 もう、一刻は過ぎただろうか。

 まだだろうか。


(法陣、効いたのかもな)


 それならもう、この場を離れてもいいのではないか。


(――意外と、上手くいくもんだ)


 青い空の断片は、時刻を伝えない。

 ただ、風が樹々を揺する騒めきは、もう何度となく聞いている。


(そろそろ――)


 樹の幹から背中を離す。

 その時、がさりと、落ち葉を踏む音が聞こえた。


 レオアリスははっとして顔を上げ、立ち上がった。

 右手の樹々の向こうから、誰かが近付いてくる。


 だが、樹の陰から姿を現わしたのは、見も知らぬ男だった。レオアリスの瞳が見開かれる。


「軍――」


 朝に遭遇したのと同じいでたちの正規兵だ。

 驚いて兵士を見つめ、それからまず思い浮かべたのは、やはりアナスタシア達の事だった。

 正規兵がもうここまで来ているという事は。


(まさか、捕まったんじゃ……)


 法陣の効果があって戻って来ないのであればいいが、捕まって、来れないんだとしたら。

 レオアリスは視線だけをそっとずらして、自分の立っている場所を確認した。足元は樹の根があちこちに盛り上がっていて走り難いが、それは相手も同じだ。


 幸い兵士が出てきたのは、アナスタシア達が向かった方向とはほぼ逆でもある。一度森に紛れてやり過ごし、それからカイに二人を探してもらえばいい。

 レオアリスは自分でもそうと目的を自覚しないままに、二人を探して知らせるか、或いは既に捕まっていた場合は助け出す事を考えていた。


「おい、貴様」


 兵士は詰問するような厳しい声を出し、一歩近付いた。


「今朝、公女と一緒にいたというのはお前か」


 レオアリスはどう答えるべきか迷った後、兵士の言葉に気付いて瞳を見開く。


(――公女?)


 誰の事を――アナスタシアの事を言っているのだろうか。だがここは深い森の中だ。

 状況からして、全く違う相手を指して言っているとは考え難い。

 兵士はレオアリスの戸惑いなど気にも止めず、もう二、三歩近寄ってから、また足を止めた。その手が腰に佩いた剣の柄にかかっている。


「素直に質問に答えろ」


 レオアリスよりも五、六歳くらい年上の若い兵士は、黙り込んだレオアリスに苛立ったように鋭く問いかける。


「……公女って?」


 とにかく、今は知らない振りをするべきだ。

 二人が何故追われているのか、公女というのが何なのか、取りあえず色々な疑問を後回しにして、レオアリスは注意深く兵士に視線を向けた。


「何言ってるのか、良く判らないんだけど」


 あまり上手くはないな、と自分でも思った。いかにも怪しい。

 だが兵士の反応は、レオアリスの予想と全く違ったものだった。


「では、レオアリスというのはお前の名か?」


 ぎょっとして、レオアリスは兵士を凝視した。


「――え?」

「お前の名かと聞いている。年齢は十四、黒髪、黒目」


 兵士は手にした紙を読み上げながら、一々確認するようにレオアリスに視線を投げる。

 驚きを漸く押し殺して、レオアリスは兵士を睨み付けた。


「そんなヤツ、腐るほど居る――」

「出身は北方の辺境、術士――」

「……」


 一体何故兵士の口からそんな事が出てくるのか、全く判らない。

 ただ、それが間違いなく自分を差している事だけは判った。


(何で俺なんだ――? それよりも、何で名前――)


 まさか、本当にアナスタシア達が捕まったのだろうか。けれど、言ってしまえば彼等が軍から追われている事とレオアリス自身は関係がない。

 それとも、アーシアの具合が悪くなって、彼等がレオアリスを呼んでくれと言ったのか。

 兵士は黙り込んだレオアリスの様子をじっと見つめ、確信したように頷いた。


「間違いないな」


 兵士にとっては、初めからその事が目的だったかのようだ。


(やっぱり、アーシアの)


 レオアリスが口を開こうとした時、背後で人の気配がした。

 振り返る暇もなく、いきなり後ろから延びた手が、腕の下から両肩をがっちりと抱え込んだ。


「な――」


 自分を押さえている腕の手甲と背中に当たる固い金属の感覚で、姿が見えなくてもやはり正規兵なのだと判る。


「い――いきなり何なんだ! 離せよ!」


 がさりと周囲が揺れて、レオアリスは口をつぐんだ。

 下草を揺らし、更に数名の正規兵が木立の間から姿を見せる。いつの間にかぐるりと囲まれていた。

 数えられただけで、八名の兵士達が、全く愛想の無い口元を引き結んだ顔で、それぞれレオアリスに視線を注いでいる。

 手には抜き身の剣が提げられていて、その白々とした輝きにぎょっと息を飲んだ。


 爪先が浮きそうな状態で押えられていて逃げる事は出来なかったが、もし逃げ出したとしても無駄だと、そう言われている気がする。


(威し――)


 いや、本気だったら?

 それほど、彼等の顔は徹底して無表情だった。

 状況は先日の野盗達との時に似ていたが、油断など微塵も感じられないばかりではなく、レオアリスに対して何ひとつ個人的な感想も抱いていなさそうな所が、全く付け入る隙を感じさせない。

 これが軍というものかと、レオアリスは息を詰めた。


 最初に現れた兵士が、持っていた紙を畳んで懐にしまった。


「よし、確保だな。連行しろ」


(れ、連行!?)


 物々しい響きに、レオアリスはその兵士を睨み付けた。


「おいっ、何なんだよ! アーシアの事じゃないのか?」


 正規兵達はレオアリスの問い掛けに全く反応を示さず、また森の中に入っていく。あの兵士も、くるりと踵を返した。


「ちょっ……ちょっと待てって! 説明くらいしろよ! 大体連行なんて、俺は何も」


 尚も食い下がろうとした時、いきなり身体が浮き上がった。


「うわ」

「大人しくしていろ。用があるだけだ」


 レオアリスを押えていた兵士は短くそう言うと、有無を言わさず、袋でも抱えるようにして肩の上に担ぎ上げた。


「用!? いや、だからアーシアの事なら、そう言ってくれれば」

「アーシア? 何の話だ」


 話が噛み合っていない時の、まさにあの口調で問い返され、レオアリスは続く言葉を失った。


「何のって――」


(アーシアの事じゃ、ない?)


 では、二人が捕まって、レオアリスを呼んだ訳ではないのだろうか。

 考えてみれば、アーシアの為に呼ばれるのであれば、もう少し友好的でも、いや、その前に説明があっても良さそうだ。

 けれどそれ以外に、軍がレオアリスに用がある、その理由が全く判らない。


 呆然としているレオアリスを担いだまま、兵士は無言で森の中を歩き出した。

 


 





 アナスタシアは黙ったまま歩いていたが、暫くして足を止めた。後ろからアーシアが小走りに近寄る。


「――どう、アーシア」


 気分は? と尋ねて、アーシアの額の髪を掻き上げて瞳を覗き込む。

 視線が合う前に、アーシアはよろりとよろめいて、その場にふらふらとしゃがみ込んだ。


「あの、ちょっと、気分が悪くなってきましたっ」


 実際は法陣は良く効いているようで、歩くのに何ら問題はなく、気分も街中と同じようにいい。

 だが、作戦決行だ。


「――」


 アナスタシアが黙っているので、さすがにわざとらしかったかと、アーシアは俯いたまま冷や汗を浮かべた。


「あ、あの、やっぱり戻って、もっと別の遣り方を考えてもらいたいんですが……」


 おそるおそる視線を上げると、アナスタシアはしゃがみ込み、アーシアと眼を合わせた。


「――アーシア」


 深紅の瞳をじっと向けられ、脈拍が上昇していく。


「えーっと、も、戻って――」


 ぱん、と軽く両頬をたたき、アナスタシアはそのまま両手でアーシアの顔を引き寄せた。


「ホントに、気分が悪いんだな?」


 視線を逸らすに逸らせず、アーシアは口篭りながらも、何とか辛そうな顔を造る。


「う、嘘とかじゃありません。やっぱり、このままずっと行ったら、倒れちゃうかも〜」


 嘘などついた事のないアーシアは、口調もかなり怪しくなっている。

 アナスタシアはじいっと見つめていて、アーシアはじりじり小さくなった。


 やっぱり駄目か、と思ったとき、アナスタシアはこくりと頷いた。


「――判った、戻ろう」


 アーシアの手を引いて立ち上がり、それから細めた眼をアーシアに向ける。ちょっと怒ったような瞳だ。


「けど、アーシアの為に戻るんだからな。不良品だったって文句言うのと、また別の術使ってもらったら、それだけだからな」

「は、はい。すみません、僕のせいで」

「……じゃ、戻ろ」


 くるりと向きを変え、アナスタシアはちょっと乱暴な足どりで、来た道を戻っていく。

 アーシアの頬に堪えるような笑みが浮かぶ。


「――はい!」


 元気に答えすぎてぱっと口元を押さえ、それからアーシアもアナスタシアの後を追った。


(まだ居てくれるかな)


 それが一番気に掛かる所だ。

 ただ、レオアリスと別れてから、まだ半刻も経っていない。多分、彼は約束どおり居てくれるに違いない。


(そうしたら、何とかもう少しお話して……)


 ふと先を行くアナスタシアが足を止めた。

 そのまま、じっと周りの音に耳を澄ますように瞳を伏せている。


「アナスタシア様……?」


 訝しそうにアーシアが首を傾げた時、遠くで微かに女の声がした。

 一瞬途切れ、またすぐに、今度はもう少しはっきりと聞こえた。


「声――」


 次第にそれは澄んだ歌うような声に変わって樹々の間から湧き上がり、こだまして、波のように寄せてくる。


「何、でしょう……」

「――」


 アーシアは不思議そうに辺りへ首をめぐらせたが、アナスタシアにはそれが何なのか、はっきりと判った。

 レオアリスが術を行った時に、唱えていたのと似ている――


「詠唱だ」


 声は次々と、アナスタシア達を取り巻くように響く。


「詠唱? 一体」


 アナスタシアに近付こうとして、アーシアは目の前の森が歪んだように感じて足を止めた。

 抗い難い眠気が肌から忍び込むように、全身を捉えている。


(これ……)


 ぐらりと上体を揺らし、アーシアがアナスタシアの足元に倒れる。


「アーシアっ」


 顔を覗き込み軽くはたいた。

 だがアーシアが目を開ける気配はない。

 アーシアの身体を抱きかかえ、アナスタシアは木立の奥をぐるりと睨みつけた。どこにも、歌い手の姿は見つからない。

 詠唱だけが、まるで大勢に取り囲まれているように、周り中から響いてくる。

 今では頭を下から引かれるような、強い眠気がアナスタシアを捉えていた。


「この……」


 紅の瞳を怒りに閃かせ、アナスタシアは右手を上げた。

 掌の上に、炎がぽつりと灯る。


 だが、次第に声は深く重なり、灯った炎は蝋燭の火のように頼りなく揺らいだ。


 目の前がぐるりと一周するのだけを感じて――アナスタシアはそのままアーシアの上に倒れ込んだ。









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