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第六章「重なる軌跡」 六

 樹の根元に寝転がって、それから、レオアリスはこの先どうすべきなのかを考えていた。

 視線は今描いたばかりの法陣に向けられている。

 今の法術は、どうもこれ以上使うのはまずそうだ。またあの状態に陥ったら、次もアナスタシアが上手く引っ張り出してくれるとは限らない。


(カイに探してもらうのが一番だな。ちっちゃいのがちょっと不安だけど)


 レオアリスに追い付くまでにも、大分時間がかかっている。多分休み休み来たんだろうなぁ、とその様子を想像して可笑しくなった。

 その奥にあるのは、祖父カイルの想いだ。その事にじわりと胸が熱くなる。


(絶対に、竜の宝玉を取って、王都に行くんだ)


 レオアリスは弾みをつけて起き上がった。


「よし――状況を整理しよう」


 二度に渡って施した法術は、一応は成功したと言っていいだろう。会話はできた。それが端的なものでしかないのは、レオアリスの力不足だ。

 昨日と今日の術の共通点は判っている。

 カトゥシュは竜という単語に強く反応した。


 だが昨日は全く反応を返さず沈黙したのに比べ、今日のカトゥシュは、何かを伝えようとしていた。

 竜に関する、何かだ。

 レオアリスは漆黒の瞳に鋭い光を浮かべ、口元に手を当ててじっと考え込んだ。


(あいつ――アナスタシアは、竜って言ってなかったっけ)


 黒竜の気が、二人を分けている、と。

 分けているというのが何を指すのかも気に掛かったが、それよりやはり、黒竜という言葉が強く疑問を投げかける。


(黒竜――?)


 レオアリスもその名は知っている。いわゆる四竜のうちのひとつだ。

 幼い頃、祖父に寝物語に語ってもらった事がある。その翼の広さ、牙の鋭さ、吐く息の恐ろしさ。

 怖くて、朝まで祖父の傍を離れなかった。


 瞳を上げれば、森の中は木漏れ日に満ちている。お伽話を語っても、恐怖を呼び起こすには足りない。

 カトゥシュの言う竜。

 アナスタシアの言う黒竜。


 カトゥシュが見せた、幻影の竜。


 同じものを指しているとしたら――


(――まさか、ここに黒竜がいるのか?)


 そんなはずは、とレオアリスは背後の森を振り返った。視線の先を、ただ風だけが抜けていく。


 誰もいないそこに、レオアリスはいつかのクラリエッタの姿を見る。


『今、カトゥシュにはそう厄介なのはいないんだろう。その位は王都も考えてるはずさ』


 クラリエッタはそう言ったし、レオアリスだってまさか、いくら王の御前試合とはいえ黒竜などから宝玉を持って来いなどと、そんな不可能に近い条件を出すとは思えない。

 レオアリスに御前試合の事を教えてくれたハモンドも、相手が黒竜だとは一言も言っていなかった。

 ただ――


『あんまり荒らすと、大物が来るよ』


 闇の中から現れた、巨大なあぎと。耳をつん裂く咆哮――


「――」


 手を口元に当てる。いつの間にか、指先が少し冷えていた。


 “救え”


 カトゥシュが言おうとしていた事は。

 強く吹きぬけた一陣の風に、森が身を揺する。


「森を」


 “森を、救え”


「……そんな」


 どうやって。一番最初に感じたのは、それだ。

 一般的な竜相手にさえ苦戦するどころではないと思っているのに、黒竜が事実だとしたら、レオアリスにはできる事など思い付かない。

 あんなものはお伽噺で、そもそも出逢う事などあるはずが無い。

 じっと森が騒めく音に耳を傾ける。だが森は言葉を伝えては来なかった。

 しん、と静かな――風に揺れる樹々の騒めき以外は、鳥の鳴き声すら聞こえない……


「鳥の……」


 はっとして、レオアリスは半分腰を浮かせて、周囲の緑を見回した。

 考えてみれば、この森に入ってからずっと、鳥の声を聞いていない気がする。

 小動物や獣の姿も見た記憶が無い。

 じわり、と鳩尾の辺りの温度が下がった。

 この森に、生き物の気配はない。


 息を詰め、ゆっくりとまた、レオアリスは座り込んだ。


「――」


 袋を引き寄せ、その底から二つの巻物を取り出す。

 おそらくセトが用意してくれたものと、クラリエッタから貰ったもの。

 セトの巻物を開くと、そこに記されていたのは二つ、「風切り」と「雷撃」の法術だった。前からレオアリスが欲しがっていた術だ。


(これ、触媒が要らないんだ……)


 二つとも宙空に法陣を描くものだ。雷撃は少し術式が長いが、風切りは法陣さえ描ききれば、その時点で発動するようだった。

 レオアリスは巻物の上に屈み込むようにして、文字を一つひとつ、丁寧に読み込んでいく。その表情は真剣そのものだ。


(これで、どのくらい通用する……?)


 まさか黒竜と対峙するなど、本気で考えている訳ではないが、どうしても思考はそこへと吸い寄せられる。


(距離さえ取れば――)


 次にクラリエッタから貰った巻物を開き、しばらく読んでから、レオアリスはうっと詰まって眼を丸くした。


「何だこりゃ……すげぇでかい」


 地面に五つの印を打ち法陣を形成するもので、術式も長く何より――、法陣が、恐ろしく大きい。この法陣を敷くのには、走り回らなくては無理だ。

 しかも、対象物を陣内に囲い込む必要がある。時間が必要なばかりか、それ相応の広さも必要たった。

 竜が棲む洞窟でなど、物理的に使いどころがないだろう。


「おいおーい」


 クラリエッタのどっしりした顔を思い浮かべ、レオアリスは引き攣った笑いを洩らした。


「あり得ねぇだろ……」


 お前には無理だ、というある種の揶揄なのかと、穿った見方をしたくなるほどだ。


「どうしたんですか?」


 不意に声をかけられてびくっと飛び上がり、レオアリスは振り返った。起き上がっていたアーシアが驚いて青い瞳を見開く。


「す、すみません、いきなり」


「あ、ああ――いや。目が覚めたんだな、良かった」


 アーシアはレオアリスの前に座ると、すっかり顔色を取り戻した頭をぺこっと下げた。


「すみません、ご迷惑をおかけしました。……あの、アナスタシア様は……?」

「今、水を汲みに……」


 とたんにアーシアは慌てて立ち上がった。


「僕代わって来ます!」


 駆け出そうとしたアーシアの腕を、レオアリスが咄嗟に掴んで引き止める。


「ちょっと待てって。お前はまだ動くべきじゃないだろ? カイが一緒だから、すぐ戻って来るって」


 レオアリスは落ち着かせるようにゆっくり言った。


「それにあいつが自分で行くって言ったんだから」

「――」


 アーシアは唇を噛み締めて辛そうに黙り込み、レオアリスは二人の関係に思い至って、アナスタシアを行かせた事を後悔し始めた。

 もちろんアナスタシアはアーシアが目を覚ましていても、彼には行かせなかっただろうとは思う。


「……悪い。やっぱ俺が行けば良かったな」


 考えてみればアナスタシアは女で、しかもこんな深い森の中だ。

 それに、黒竜が、もし本当にいるなら


(……まずいかも)


 俄かに不安になってレオアリスも立ち上がった。


「ちょっと行ってくる」

「あ、いえ、貴方にそんな事していただく訳には行きません。本来僕の役目なんですから」


 逆に今度はアーシアが慌てて、レオアリスを押し留める。


「だからお前はまだ休んでた方がいいだろ。一応俺、様子見てろって頼まれてるし」

「僕はもうすっかり――」


 言い掛けて、アーシアは呼吸が再び楽になっている事に気付いて、足元に視線を落とした。

 レオアリスのすぐ横の法陣を見つけて、それを何の為に敷いたのか気付いたのだろう、また深く頭を下げる。


「すみません。貴方にも、本当にご迷惑をお掛けしたんですね」

「い、いいって! 別に大したことじゃない」


 あんまり丁寧に頭を下げられては適わないと、レオアリスは慌てたように手を振った。


「却って術の練習になったくらいだし。……探索の法陣が回復に効くなんて、思ってもみなかったけど。とにかく、もう少し休んでろよ」


 アーシアは少し迷ってから、素直に座った。自分が動いたらまた迷惑を掛けると、彼がそう思っているのがありありと見て取れる。

 俯いているアーシアの前で、レオアリスは困って黒髪をくしゃくしゃと混ぜた。

 重苦しい状況に、気まずさが先に立つ。


「えーっと」



 何かもう少し気を変えさせようと思い、そう言えば何故アーシアが倒れて、何故法陣を敷いたら回復するのか、疑問のままだったと思い出した。

 それを尋ねると、アーシアは少し言いにくそうに瞳を瞬かせた。


「すみません、――こんなにご迷惑を掛けて、きちんとお話しておかないと駄目ですよね」


(しまった)


 また重い話っぽい、とレオアリスは止める為に片手を上げかけた。


「別に、無理には」

「僕は――、自分では養分を摂取できないんです」


 今度は、レオアリスが瞳をしばたたかせる。


「え?」

「食事を摂るとか……生まれつき、そういう機能が無いんです」

「――食事を?」


 アーシアの言葉はすぐには飲み込めない内容だったが、思い返してみれば、昨日の晩アーシアは、何も食べなかった。

 アナスタシアに遠慮したのかと思っていたが――


 アーシアは畏まるように背筋を伸ばして座り、はにかんだ弱い笑みを浮かべる。


「他から生命の力を注いで貰わないと、僕は生きられないんです。だから、アナスタシア様は、僕にいつも、あの方の力を分けてくださって」

「――」

「ただ、この森の中は、他と少し違っていて……」


 アーシアとアナスタシアを遮断するような力があるのだ、とアーシアは言葉を続ける。

 アーシア自身を包み込んでしまい、アナスタシアからの力が届かないのだと。


「えーっと……それって、黒竜がいる事が、関係あるのか?」


 今一つ理解しきれないながらも、レオアリスは聞いた事を繋ぎ合わせようと首を捻った。

 アーシアは黒竜の名がレオアリスの口から出た事に驚いた顔をしたが、すぐに頷いてみせた。


「そうです。黒竜がいるから。だから黒竜の気配が強いと力が遮られて――

多分この法陣がある事で森の気配が強くなるから、アナスタシア様の力が届くんだと思います。だから本当に助かりました、ありがとうございます」


「――な、なるほど……」


 と頷いてはみたが、やはりレオアリスにはいまいち判らない。言葉の意味は判るが、現実的に掴み難いといったところだ。

 あまり個人の事に口を挟むのは止めようと思ったが、一つだけ、無視のできない重大な問題点がある事に気付き、レオアリスは顔を上げた。

 盛り上がった樹の根の間に描いた法陣を指差す。


「でも、この法陣、持ち歩けないぜ」


 そんな理由があるなら、この場所から離れたら、またアーシアは動けなくなってしまうのではないかと、そう思ったのだ。

 残念ながら予想に違わず、アーシアは困った顔になってレオアリスを見返した。


「――そ、そうですね……どうしよう……」

「――うん」


 レオアリスには計り知れない事が、世間には多い。

 それはともかく、どうすればいいものかとレオアリスも腕を組んで眉を寄せた。

 何とか力になれればとは思う。自分の術が効いたのだと言われれば尚更だ。


 二人はしばらく唸りつつ、真剣な顔で考え込んだ。森の樹々の間で少年が二人向かい合い、眉根を寄せているのは不思議な光景だ。


 あ、とレオアリスは腕を解いて顔を上げた。


「――紙と書くもの持ってる?」

「え?」

「いや、もしかしたら、紙に法陣書いて持ってれば、少しは代わりになるんじゃないかと思ってさ。本当はやっぱ地面に書くんだけど――法陣を予め巻物に書いておくってやり方もあるし」


 その場合、術式を唱えながら巻物を広げて術を発動させるのだ。アーシアは自分の身の回りを見回した。


「紙も筆記具も――。あ、布なら持ってます。これ」


 持ってきた大きな鞄を引き寄せ、中から銀色の鍋を取り出し、本当に鍋が出てきた事に感心しているレオアリスの前に、アーシアは小さな布を広げて見せた。


「これ、鍋拭きなんですけど」

「――ホントに鍋持ってきたんだな……」


 森の中に銀色に輝く鍋。違和感だ。

 だがアーシアは嬉しそうにはんなりと笑った。


「はい。アナスタシア様に美味しいものを食べていただこうと思って。僕、料理は得意なんです」

「……で、材料は忘れたのか……」

「あ、そ、それは、すごく急いでいて」

「あー、いや、別にいいけど。……それより、布か。布でもいいかな」


 アーシアが恥ずかしそうに畏まるのを片手で制し、それからレオアリスはアーシアが広げた布を手に取った。


「大丈夫ですか?」

「うん。草の汁を煮出して、それで描こう。鍋もあるし」


 レオアリスは辺りを見回した。

 色の濃い草はこの辺りには無いが、探せば森の中にはいくらでもあるだろうし、無ければ別に色が濃くなくても構わない。


「じゃあ俺、アナスタシア迎えに行くついでに、草と枝探してくる」


 そう言ってアーシアがまた止める前にと素早く歩き出し、木立に踏み込んだとたん、目の前に黒い塊が飛び込んで来た。

 視界が塞がれて、思わず後ずさる。


「何」


 ピィ! と高い声が響き、黒い塊はレオアリスの肩に乗った。


「カイ、お前か」


 ほっと安堵しかけたところに、厳しい声がかかった。


「お前、アーシア置いてどこに行くつもりだ? 見てろって言っただろっ」


 アナスタシアが少し離れた所に立っていて、レオアリスをきっと睨み付けている。


「――」


 無事戻って良かった、と思う半面、アナスタシアの口調にむっと口を引き結ぶ。


「捜し物」


 すり抜けようとしたレオアリスの腕を掴んで、アナスタシアは無理矢理押し戻した。


「お前だってまだふらふらだろ! 休んでろ!」


 地面に座らせ、立ちはだかる。


「――お前なぁ」


 唖然として見上げ文句を言い掛けたレオアリスの前に、アナスタシアはずいと水の入った革袋を差し出した。


「ほら、水。他にも何か要るなら私がまた探してきてやる」

「別に俺はもう」

「アナスタシア様」

「アーシア! 良かったぁ! 気分は? 良くなった?」


 アナスタシアはぱぁっと顔を輝かせ、革袋をどさりと置くとアーシアに駆け寄り、彼をぎゅっと抱き締めて頬をすり寄せた。


「大丈夫です。すみません、ご心配おかけして」

「私が悪いんだから、アーシアが謝る必要ない」


 アナスタシアは何度も首を振り、アーシアの髪を撫でる。

 今までの気の強い口調は影を潜めていて、隣で眺めていたレオアリスはほっとすると同時に、何となく、あんまり見ていると悪いような気分になった。


「とにかく、俺はちょっと草を探してくるから、待つ気があったらここに居ろよ」


 革袋から鍋に水を空けると、またそれを持って立ち上がる。


「あ、僕が」

「どこ行くんだ」


 同時に問われて、これ以上何か言われる前に、レオアリスは両方に答えた。


「アーシアは座ってろ。それで、俺が何を取りに行くかは、アーシアから聞いてくれ」


 そう言うと、レオアリスは二人が顔を見合わせている間にその場を離れた。




 

 


 茎の色の濃い草を適当に摘みながら、カイに導かれて出た場所は、一面に広い池が広がっていた。

 前方の低い岩場から早瀬が流れ込み、一度この池に溜まってから再び小川になって森の奥に続いているようだ。

 岩場のずっと向こうは緑がなだらかな斜面になって、ゆっくりと登っている。森の中にいた時は樹々に遮られて気付かなかったが、この先は低い丘になっているようだった。


 足元の池を覗き込むと水は綺麗に澄んで、陽光が水草の生えた水底を照らしている。

 吹き抜ける風が水面にさざ波を立てて、レオアリスの足元の草を揺らしていた。


「お前、いいところ見つけたなぁ」


 カイの頭を軽く撫ぜて屈み込み、レオアリスは手を浸し、一口水を掬いあげて飲んだ。冷たい水が乾いていた喉を潤し、生き返ったような気分になる。

 辺りを見回し、ここに移った方がゆっくり休めるかもしれないと思いながら、革袋に水を汲んだ。

 もし布に法陣を描く事で代用になるのなら、その方がいいだろう。


(――まあ、戻ってまだ居るとは限らないか)


 それに道行きを共にしようと決めた訳でもないし、レオアリスの目的と彼等の目的は違うものだとも思う。

 それとも、もしかして彼等も御前試合に出るつもりで来たのだろうか。


(そんな感じはしないよな……。何の為に、あいつ等はここに来たんだ?)


 黒竜がどうのと言ってはいたが、まさかアナスタシアが黒竜を倒すつもりでこの森に来たとは想像も付かず、レオアリスは背後の森を振り返った。

 他人の事を言える立場でもないが、それでもレオアリスは彼等より、世間並の経験はあるように思える。

 あそこまではっきりと、どこかの裕福な家の娘とその従者と判る、ちょっと浮世離れした相手より。

 しかし。


(――裕福な家の娘って、要はお嬢様ってヤツだよな。……普通軍に追われるか?)


 良く考えれば考えるほど、良く判らない。

 レオアリスはとにかく、戻って彼等がまだ居たら、その時に尋ねる事に決めた。

 ついでに久々に水浴びをして身も心もさっぱりしてから、レオアリスは再び袋を持って来た道を引き返した。

 



 

 レオアリスが戻ると二人はまだそこに座っていて、それが少し意外でもあった。

 アナスタシアは敏感にレオアリスの表情に気付いて唇を尖らせる。


「何だよ、変な顔して。待ってたら悪いか?」


 意外な所で鋭いな、とレオアリスは感心を覚えたが、一方でアナスタシアは、やはり今の状況は待つべきなのかどうか、レオアリスが戻ってくる直前まで迷っていた。

 ただ、お互いの顔を見て、何となくほっとしているのは確かだった。互いに口にも出さず、明確に自覚しているかは判らない。


「いや、だって俺を待たなきゃいけない理由もないだろ? 法陣の事はあるかもしれないけど」

「法陣の為だけに待ってた訳じゃないぞ。私はそんな薄情じゃない」


 アナスタシアはむっと頬を膨らませ、顔を反らした。


「お前には聞きたい事もあるし」

「俺に? 何を?」


 座り込み、焚き火の用意をしながら、レオアリスはアナスタシアを見返す。手ごろな窪みに枝を敷いて鍋を載せ、摘んできた草の根を入れて火に掛けて、

――唐突に掛けられた言葉に、ぴたりと手を止めた。


「お前は多分、あれだよ。剣士」


 アナスタシアはかなり自信たっぷりに告げたのだが、レオアリスはきょとんとしている。

 レオアリスを手伝っていたアーシアもまた、驚いた顔をアナスタシアに向けた。


「剣士? 何が?」


 少しは慌てるとか反応があるかと思っていたアナスタシアは、ちょっとひるんでレオアリスとアーシアを見た。


「何がって、だから、お前が」

「はぁ?」


 レオアリスに眉をしかめられ、アナスタシアは少し声を小さくした。


「そんなこと、言われたことない?」

「全然」

「……聞いたことは?」

「全く」


 無い、とレオアリスはきっぱり首を振った。


「俺、術士だもん」


 アナスタシアは一度まじまじとレオアリスを眺め、それから不満そうな声を上げた。


「ええー! 絶対そうだと思ったのに! てゆーかそうだろ?!」

「んなこと言われても」


 レオアリスにしてみれば、全く覚えがない事だ。


「だって剣士ってあれだろ。腕が剣になってる種族。ほら、俺の腕」


 両腕をひょいと前に出しひっくり返すようにアナスタシアに見せ、レオアリスは自分でもそれを覗き込む仕草をした。

 どうみても普通の腕だ。

 まだ少し筋肉は付ききっていないながらも、アナスタシアやアーシアよりもしっかりとしている。

 アナスタシアは顔を寄せ、じいっと食い入るように見つめた。


「何もないぜ」

「――でもぉ」


 レオアリスは腕を引き、アナスタシアはまだ不満そうに頬を膨らませた。

 一番納得の行く考えだと思っていたのだ。

 実際にアナスタシアは剣士を見た事もなかったから、何がどうだとは上手く言えないが、あの身を切る感覚には、それ以外に思いつかないほどぴったりと当てはまる。


「じゃあ、お前なんなの?」


 一方でレオアリスにしてみれば、何なのと適当に問われても答えようがない。


「知らねぇよ」

「知らないって」


 尚も食い下がるアナスタシアを余所に、レオアリスは草の煮出し具合を見ると、鍋を火から下ろした。


「筆はないけど、冷めれば指でも描けるから」


 土を被せて火を消して、それからレオアリスはアナスタシアに向き直った。


「俺の事ばかり聞くけど、お前等は何なんだ?」

「何って?」


 アナスタシアはまだ恨みがましく、上目遣いにレオアリスを見上げる。


「どこから来たのかとか、何しにカトゥシュに来たのかとか……何で黒竜の事を知ってるのかとか」


 色々疑問は多いが、まずその三つをレオアリスは挙げた。


「私が来たところ? 王都」


 アナスタシアはあっさりと答えた。

 一度口の中で繰り返してから、レオアリスは瞳を見開いた。


「王都――」


 その言葉に、心臓が高鳴る。レオアリスの様子に不思議そうに首を傾け、それからアナスタシアはパン、と細い指を合わせた。


「ははあーん、レオアリス、お前もしかして、王都を見たことないだろ」

「――ないよっ」


 アナスタシアは何故か満足そうににっこり笑った。


「田舎もーん」

「アナスタシア様」


 アーシアが服の裾を引っ張って咎めるが、アナスタシアは妙に嬉しそうな顔で、腕を組んで顎をついと上げる。


「王都はすごいんだから。お前一人で行ったら、迷子になって野垂れ死ぬんだぞ」


 むっと眉を顰めていたにも関わらず、レオアリスは思わず声を潜めた。


「――そんなに広いのか?」

「当たり前じゃん! お前なんて蟻だ蟻」

「……黒森より?」


 レオアリスはちょっと弱腰になって、想像出来る範囲で一番広いものを上げた。


 一方アナスタシアにしても、黒森は広大で恐ろしい印象の場所だ。絶対一人でなんて行きたくない。

 内心かなり怯んではいたが、ただ、ここで負ける訳には行かなかいと思った。何にかは知らないが。


「ばぁっかお前、黒森なんて全然だ。これだから田舎モンはやだね!」


 つんと顎を反らしたが、アーシアにはアナスタシアの心中が手に取るように判って、こっそり苦笑を洩らす。


「私なんか、王都で育ったんだもんねー。ほれ、何でも聞いてみ? アナスタシアお姉さんが教えてあげるから」

「何だそりゃ」


 レオアリスはいまいましそうに眉をしかめて横を向きかけたが、ふと真剣な表情を浮かべた。


「じゃあもしかして――、王に会った事があるのか?」


 アナスタシアはえ? と思わず見つめ返し、「随分でかいこと聞くなぁ」と呟く。


「無いの?」

「……見た事ならあるけど」


 実際には、アナスタシアは何度か王とも対面している。だがそれをどこまで言うべきか判らず、でも会った事は無いとは言いたくなくて曖昧に言葉を濁したが、レオアリスは驚きに瞳を見開いた。


 そこに強い憧れの色を見て、アナスタシアは不思議さすら覚えた。

 眩しさすら感じるほどの、こんなに強い憧れを宿す瞳には、一体どんな理由があるのだろう。


 アナスタシアの疑問をよそに、レオアリスは憧れを宿した瞳を、森の奥に向けている。

 まるでそこに、王本人を見るようだ。


「どんな人なんだ?」

「どんなって……王は王だよ」


 アナスタシアの答えが聞こえているのか、レオアリスは夢の続きのようにその言葉を口にした。


「俺は、王に仕えたい」


 自分の言葉の響きにはっと我に返り、二人が驚いた顔で自分を見つめている様子に、レオアリスは照れ臭そうに顔を反らした。


「いや、まあ……先ずは王都で仕事を手に入れられるかって話だけど、一度くらい会ってみたいっていうか……」

「そんな簡単に会えるもんか」

「……そりゃ、そうだよな」


 余りに残念そうな様子に、アナスタシアは思わず「会わせてやろうか」と言い掛けて、ぐっと飲み込んだ。

 レオアリスはそれには気付かずに、自分に確認するように言葉を続ける。


「まずは、王都で御前試合に出るんだ」

「御前試合――? えっと、来月やるやつ?」

「うん。だから、ここに来た」


 そうか、もう来月か、とレオアリスはしみじみと呟いた。レオアリスが御前試合というものがある事を知ってから、既に二十日近くが経った事になる。

 早いようでも、随分と時間が経ったようでもあり、自然と深く息が洩れる。


「だからここにって、どういうこと?」


 アナスタシアは首を傾げてレオアリスを眺めた。御前試合自体は知っていたものの、いちいちその仕組みを知る必要の無いアナスタシアは、出場資格が要る事すら知らない。


「竜の宝玉をまず、手に入れて、王都に持っていかなくちゃいけない。その指定の場所が、ここ」


 レオアリスは足元――カトゥシュを指差してみせた。

 アナスタシアはあんぐりと口を開けた後、


「……竜の、宝玉?」


 驚いた顔で、アーシアの顔を覗き込んだ。


「アーシア、そんなんあるの?」


 水を向けられたアーシアは傍らにちょこんと正座したまま、真面目な顔できっぱりと告げた。


「あるというか、よく言われるのは手に持っているとかそういうことですけど――、

実際は持っていませんよ」


「――えええ!??」


 今度はレオアリスが驚いて腰を浮かしかける。せっかく感慨に耽っていたのに、そんな事は寝耳に水だ。


「持ってない? 嘘――嘘だろ!?」

「持ってません」


 アーシアは穏やかにはっきり頷いた。レオアリスががくりと両手を付く。


 脳裏に、今までの旅が走馬灯のように駆け巡った。


(――な、何の為に)


 自分はここまで来たのだろう。これまでの道程は全て――


(無駄?!)


「えええ??!」


 余りに衝撃を受けているレオアリスの姿を見て、アーシアは慌てて手を振った。


「あの、無い訳じゃないんです、すみません」

「え?」

「通説とは違うだけで、宝玉は有ります。宝玉って言うのは、竜が吐き出す息が凝ったものなんです。丸い玉でもなくて、大抵ごつごつした岩みたいなものですね。ただ、綺麗な結晶になると聞いています」


 レオアリスはその説明を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。

 そういえば、あのハモンドという男が、竜の息が掛かっていなければいけないと、そんな事を言っていた気がする。


「――良かったぁ……」


 肩の力が抜け、背後の樹の幹に凭れ掛かる。


「あるならいいや……」


 物事が正確に伝わらない事など、いくらでもある。


「良くありません」

「え?」


 またきっぱりと否定してしまってから、アーシアは気まずそうに続けた。

 レオアリスはまだ何かあるのかと言いたげに、恐々とアーシアを凝視している。


「だって、宝玉を取るには、竜の息を、つまりは彼等が口から吐く炎であったり、風であったり、そういう竜の最大の武器と向き合わなくちゃならないんですから」


 レオアリスの顔が、見る見る暗くなっていく。


「――」


 とすると。

 レオアリスは自分がどんな方法を取ろうと思っていたのか、改めて考えを巡らせた。


 一番は、クラリエッタから貰った眠りの法術が上手く効く事。ただ、先ほどかなりの空間が必要だと判ったばかりだ。

 ふたつ目は、雷撃などでせめて気絶させて、その間に取る事。

 みっつ目は――


(最後の最後になったら、寝てる間に取ろうと思ってたのに!)


 多少情けないが、要は、竜の吐く息と正面から渡り合う気は、さらさら無かった。


「――お……落ちてないかな?」


 最後の甘い希望に対し、アーシアは容赦なく首を振った。


「無理です。竜の宝玉って長時間空気に晒していると、溶けちゃいますから」


 何でそんなにご丁寧なんだ! と叫びたい気持ちをぐっと堪えて、一度深呼吸をした後、レオアリスは顔を上げた。


「つまり、どうしたって正面切ってやるしかないんだな?」

「だから資格として成立するんだと思います」


 何だかアーシアは申し訳なさそうだが、それを言われてしまうとぐうの音も出ない。

 密閉できる革袋とかが要りますよ、とアーシアはレオアリスの持っていた水の袋を指差して見せる。


「――」

「もう、アーシア。そんな落ち込ませるようなことばっか言うなよ」


 と言いながらもアナスタシアは笑い出しそうな顔で、腕を組んで考え込んだレオアリスの肩をぽんぽんと叩いた。


「何とかなるって。ほら、宝玉取りさえすれば、後は勝ったも同然だろ? 竜の宝玉取る方が、御前試合よりずっと大変じゃん」


 それは前にも、クラリエッタに言われた覚えがある。


(……そうだよな)


 意外なアナスタシアの励ましに、レオアリスはほんの少し気分が軽くなった。


「何とかなるよな」


(前向きに――)


「や、でも良く考えてみりゃ、試合に出る奴はみんな竜の宝玉取って来てんだよねー」


 アナスタシアは愛らしく首をかしげた。


「やっぱ厳しいかも?」

「――」

「多分ものすごーくゴッツイ奴とかたくさん出るんだぞ〜。お前、何かなぁ。弱そうだし」

「――」


 明るく可愛らしい口調で話してはいるが、言葉の内容には容赦が無い。


「取り柄っていったら……術? でも、あんな無防備なの、術使った瞬間に殴り倒されて終了だろ?」


 レオアリスの脳裏に、先日の野盗の時の嫌な失敗が甦る。


「――」

「それにさぁ」

「――お前、励ます気はあるのか?」


 低ーい声に、アナスタシアははっと気付いて誤魔化すように笑った。


「あるってば。すっごい。要はさぁ、気合いだよ!」


(――適当……)


 レオアリスの瞳が疑わしそうに細められる。


「ほ、ほら、第一、王は御前試合は、見るんじゃない? 御前って言うくらいだし。王に会えるぞ」


 だから頑張れ! と背中をパンと叩き、アナスタシアは笑みを顔を一杯に広げた。

 それからふと思い付いて、はい、と真っ直ぐ手を挙げる。


「何なら私が持ってきてやろうか」


 どうせ黒竜を倒すのだから、その間に宝玉の一つや二つ出るだろうと思ったのだ。


「アーシアを助けてくれた礼」


 それはとてもいい考えに思えた。多分レオアリスよりもずっと、アナスタシアの方が竜とやり合うには分があるように思える。

 アナスタシアが竜の宝玉を手に入れて――それで、一緒に王都に行けばいい。

 レオアリスが全く王都を知らないのなら、アナスタシアが案内してあげるのだ。


(――王都を)


 その思い付きのような考えが、きらきらと頭の中で輝く。とてもいい考えに思えた。

 誰かを案内して回るなんて、わくわくする。

 アナスタシアは両手を組んで、口元に当てた。


「それっていいよね。そしたら」

「断る」


 予想もしなかった厳しい響きに、アナスタシアは口をつぐんだ。レオアリスは瞳に怒ったような光を刷いている。


「他人に貰って、何の意味があるんだ」

「でも」

「そんな事したら、ここに来た意味なんてなくなるだろ」


 言い方を間違ってしまったのだと、アナスタシアは慌てて言葉を継いだ。


「でも、じゃあ一緒に」

「いらねぇ! 余計な事すんな!」


 きつい響きに、レオアリスは自分でもはっとして口元を押さえた。

 だが既に言葉は飛び出してしまった後で、三人とも身体を強張らせている。


「――ごめん」


 すっかり萎れたアナスタシアの姿に、レオアリスは気まずくなって視線を泳がせた。


「その、言い過ぎた。でも――気持ちは有難いけど、俺自身の事だから」


 口を閉ざせば森はしんと静まり返り、こんな時に少しくらいあってもいい鳥の囀りも、相変わらず聞こえてこない。

 それが示すものをぼんやりと考えながら、落ちた沈黙を振り切るように、レオアリスは努めて口調を切り替えた。


「とにかく、もう冷めたし、法陣を描こう。ここを動くなら必要だろ」


 鍋の中の薄紫の湯はすっかり温くなっている。何となく、今の状態のようだと感じながら、レオアリスは広げた布に法陣を描いた。それをアーシアへと差し出す。


「ほら。効くといいよな」

「あ、有難うございます。きっと効きます」


 アーシアはお辞儀をして受け取り、服の内側にしまった。

 同時に、もう全ての用が済んでしまった時のような、まだそれほど親しくない者達の間の独特な、ぎこちない空気が流れる。

 その事が更に、互いに会ってからまだ一日も経っていないと気付かされ、彼等からきっかけを奪っていた。


 出会いも唐突だったが、別れはもっと唐突だ。

 誰が言った訳でもなかったが、三人とも、何となくここまでなのだろうと考えていた。

 繋がっていた糸が、ぷつんと切れたような感じだ。


「あ、じゃあ……」


 レオアリスは視線を微妙に逸らしつつ、二人に向き直った。


「効かなかったりとかあったら言ってくれ。って言っても、言いようもないかもしれないけど」

「いえ――」

「アーシア、行こう」


 アナスタシアは立ち上がり、アーシアを促した。一度レオアリスと眼を合わせる。


「じゃあ」


 また、と言うべきなのか、さよならと言うべきなのか、どちらも相応しくないように思えて、アナスタシアはそのまま口を閉ざして歩き出した。

 落ち葉を踏む音が、静かな森に妙に大きく聞こえる。


「アーシア」


 アナスタシアは一度足を止めて、まだ躊躇うようにレオアリスの前に立っているアーシアを呼んだ。


「あ、はい」


 追いかけようとして、アーシアはまた立ち止まった。

 今このまま別れてしまうのは、すごく勿体ない気がしたからだ。

 ほんの短い間ではあったものの、アーシアから見ていて、アナスタシアは怒ったりふてくされたりしながらも、どこか楽しそうに見えた。


 せっかくの出逢いをこれで終わりにしてしまうのは勿体ない。何かいい方法はないだろうか。

 ごく自然に、またやりなおせるような――

 ふと服の内側の布に思い至って、アーシアは心の中で手を打った。


(そうだ)


「あの、ちょっと図々しいんですけど、お願いしていいですか」


 自分の荷物を手に取りかけていたレオアリスは、手を止めてアーシアを振り返った。


「何?」

「この法陣が効くかどうか、確かめたいんです。僕達が先に行って、多分ここを離れたらそれほど時間も掛からずに効果が判りますから、その間ここで待っていて欲しいんです」


 そうは言ってもレオアリスにも都合がある。断られるかとも思ったが、レオアリスは少し考えてから、あっさり頷いた。


「――まぁ、いいけど。効かなかったら俺も術士としてちょっと納得行かないし」

「じゃあ、一刻。すみません、一刻して戻ってこなかったら、もういいですから」

「一刻ね。判った」

「アーシア!」

「はい、今」


 まあでも効くといいよな、というレオアリスにとにかく礼を言って、アーシアはアナスタシアを追いかけた。


 アナスタシアはレオアリスと何を話していたのかと訝しむような顔をしていたが、アーシアは彼女ににこりと笑いかけただけだ。

 レオアリスは待っていると約束してくれた。

 だから、効かなかったとか言って、途中で戻って来ればいいのだ。


「アナスタシア様、行きましょう」









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