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第六章「重なる軌跡」 四

 森が騒がしい。

 樹々の枝葉が擦れる音に、レオアリスは眼を覚ました。


 夜はすっかり明けて、辺りには朝の陽射しを含んだ薄い靄が漂っている。焚き火の向こうに眼を向ければ、昨日の二人連れの眠っている姿が見えた。

 手を上げて目蓋をこする。


(ああ――夢かと思った)


 そう思った時、また森の中から物音が聞こえ、レオアリスはそのまま起き上がった。先ほどよりも近くだ。

 草を踏む音。枝葉が擦れて立てる音。


(誰か来る)


 幼い頃から森の中で過ごしてきたレオアリスには、この気配は動物達ではない事がはっきりと感じられた。

 人の足音や、息遣いだ。それも、一人や二人ではない。


 こんな森の中で何があるのかと顔を巡らせた時、がさりと右側で落ち葉を踏む音がして、木立の間から一人の男が姿を現した。

 鎖帷子に皮の胸当て、手甲、腰に帯びた剣――

 フォアの街で見かけた事のある、正規軍の軍装だ。


 まだ残っていた眠気が吹っ飛び、レオアリスはさっと身を固くした。


(ぐ、軍? なんでこんなとこに――)


「貴様は」


 兵が声を上げかけた時、火の消えた焚き火の向こうで、寝ぼけ眼のアナスタシアが「ふにゃぁ」 と起き上がる。

 目元を手で擦りながら、木の横に立つ兵士に気付いて、紅い瞳をぼんやりと注いだ。


 アナスタシアと眼が合った一呼吸の後、兵は慌てふためいた様子で背後を振り返り、高く呼子を鳴らした。

 朝靄を切るように、呼子の音が響く。


「は、発見しました! ここです!」


 ひと呼吸の後、辺りから答えるような呼子の音が返った。

 ぼーっとしていたはずのアナスタシアが「しまった!」と叫んで立ち上がる。


(しまった?)


 レオアリスはアナスタシアと正規兵とを見比べた。


「え、何が……」

「アーシア、起きろっ軍だ!」


 訳の分からないままその様子を見つめているレオアリスを余所に、アナスタシアはアーシアの手を取って引っ張り上げるように起すと、突如として走り出した。今まで寝ぼけていたとは思えない素早さだ。

 走りながらレオアリスを振り返る。


「逃げろ!」

「え?」

「いいからお前も来い!」


 有無を言わさぬ響きにレオアリスは慌てて荷物を引っ掴み、アナスタシア達の後を追って森の中を駆け出した。


「追え!」


 背後からばらばらと複数の足音が追って来るのが判る。走りながら後ろを振り返ると、見えただけでも五、六人の正規兵が樹々の間から姿を現し、何かを叫びながら走ってくる。

 森の奥からも更に気配を感じて、少なくとも十人はいるのではないかと思われた。


「な、何が」


 どうなってるんだと問いかける暇も無い。アナスタシアとアーシアは振り返りもせずに、レオアリスの少し先を一目散に走り続けている。

 顔や身体に打ちかかる小枝を払いのけながら、レオアリスは暫くの間訳も判らずにただ走っていたが、ふと我に返った。


(……何で俺が逃げなきゃいけないんだ?)


 どうやら追われているのはアナスタシア達のようなのだ。

 アナスタシア達とは昨日会ったばかりで、別にレオアリス自身が何か軍に追われるような事をした覚えは無い。

 そう思って足を止めかけた時、ふいに振り返ったアナスタシアが叫んだ。


「伏せろ!」

「へ?」


 声の勢いに押され、レオアリスは地面に飛び込むように身を伏せた。

 瞬間、それまで身体があった空間を、紅蓮の炎が走る。


「……!」


 地面に転がったまま振り返ったレオアリスの目の前で、兵達の行く手を遮るように突如として炎の壁が立ち上がった。


 ぎょっと息を飲み――その炎を見た事がある事に気付く。

 あれは、あの夜の――


「ぼけっとすんな! 走るぞ!」


 炎の向こう側からは、兵達の慌てふためく声が切れ切れに聞こえてくる。


(何なんだ――)


「ほらぁっ!」


 ぐいと腕を掴んで引き起され、アナスタシアに半ば引き摺られるようにして、レオアリスは再び走り出した。






 正規兵達は突如として目の前を塞いだ炎の壁に、たたらを踏んで立ち止まった。

 炎は高熱を放ち、兵士達が近づこうとするのを邪魔している。

 だがそれは、樹々に燃え広がる様子のない、奇妙な炎でもあった。


 間違いない。

 熱を避けるように後退りながら、兵士達は興奮した顔を見合わせた。


「炎帝公――」


 アスタロト公爵家に受け継がれる、特異な能力だ。


「どうした! 何だこの炎は!?」


 後から駆け付けた大柄な男へ、手前にいた兵士が振り返る。

 彼等はアナスタシア捜索の為に選ばれた精鋭部隊であり、通常の小隊の半数の五十名ほどが、昨夜から森に入っていた。

 彼等以外にも、他に三つの特殊小隊が、別方面から探索を行っているところだ。


「ワッツ少将、間違いありません、公女であらせられます。ただ、どういう訳か、我々をお避けになられているようです」


 報告を受け、隊を預かる少将ワッツは、まだ衰えない炎の壁に岩のような顔をしかめた。剃り上げたごつい頭を一つ撫でる。


「困った……」


 嬢ちゃんだ、と口走りそうになり、ワッツは厚い唇をへの字に引いた。


「やはり、黒竜の事をご存知なのでは?」


 もしそうなら、と兵士達の顔に期待の色が差すのを、ワッツは複雑な面持ちで眺める。

 ワッツにしても、公女の炎ならば黒竜を倒す事も可能なのではないかと、密かな期待がある。


(だが命令は公女の保護だと、はっきり言ったからな)


 上層部は公女の炎を以てしても、黒竜を倒せないと考えているようなのだ。

 それは、まるで打つ手がないと言う事ではないか。


(――冗談じゃねぇなぁ)


 だがそんな事を間違っても部下に言う訳にもいかない。精鋭として腕を買われて集められたとはいえ、彼等がこの森を動き回る事を不安に思っていない訳ではない。


「とにかく、引き続きお探ししろ。それから、ヨーンス、貴様は戻り公女の発見をウィンスター大将へ報告し、指示を仰げ。森に散っている部隊を現在地の周囲三里内に集中させたい。可能であれば中隊の派遣を願い出ろ」

「は」

「術士が出てくれりゃ尚いい。――公女の一大事だとか言って、ちょっと膨らましとけ」


 上官の言葉に苦笑しながらもヨーンスが回れ右して立ち去ると、一番最初にアナスタシア達を発見した兵士がワッツに近寄った。


「少将、公女ですが、他にも少年がおりました」

「例の従者だろ?」

「いえ、従者は特徴通りの青い髪の少年がいたのですが、それ以外にもう一人です」


 ワッツは顔に似合わず綺麗な緑の瞳を、考え込むように細めた。


「フォアから飛竜で飛んだってガキか? それとも全く別の関連か? 特徴は?」

「そこまでは――黒髪で、公女と同じような年頃とまでしか、見て取れませんでした」

「……全く、ガキは」


 家でおとなしくしていて貰いたいなあ、と言い掛けて、再びワッツは口を引き結んだ。

 この性格のお陰で彼は、際立った剣の腕と統率力を持ちながら、入隊十年、未だ西方六軍辺りで少将に留まっているのだ。


(こんな危険な任務やらされるしよぉ。ったく)


 同期の調子のいい者の中には、もう王都の第一軍に在籍している者もいた。

 序列はどうでもいいにしろ、王都でのんべんだらりと仕事できるのは羨ましいところだ。

 まあ彼自身の処遇はとにかく、ここで下手な事を言って部下の士気を敢えて下げる事もない。


「ま、本気で公女は黒竜を倒そうと考えてるのかもしれねぇな。そしたら俺達は万々歳だ。何てったって炎帝公だ」


 ワッツの口調に微妙な顔をしながらも、兵士達はそれぞれ頷いた。


「まあ一番は、公女を軍が保護した上で、軍と共に黒竜を倒す事だ。何も戦力を分散する事は無いからな」


 そう言うと、漸く治まりかけてきた炎の壁を眺めた。


「そう遠くへは行けないだろう。正午を目処に確保しよう。それで長居は無用だ。早く森を出て、褒賞の酒でもかっ食らおうぜ」


 何もワッツも、面倒だとか危険だとか、それだけを考えている訳ではない。

 あまり騒げば――黒竜を刺激する。


(この炎――不味いかもしれねぇな)


 気配に気付いたとしたら、黒竜が出てくるのに後どれだけ時間があるだろう、とワッツはそれを考えていた。











 幾つもの悲鳴を飲み込み、静けさを取り戻した闇の中で満ち足りたように身を横たえていた竜は、微かな気配に瞳を開けた。


『炎』


 それは意識の片隅を、羽毛のように撫でた。


 がしゅ


 あぎとから呼吸が押し出され、牙を擦って独特の音を立てる。


『まだ、我が眷属を荒らすか』


 だがその気配は、黒竜の好奇心も揺らした。


 せっかく起きて久々に出た地上は、つまらない所だった。

 一眠りする前は、もっと戦乱に満ちていたはずだが、すっかり静かになってしまった。

 あの炎。微かだが、それなりの力を感じた。


 がしゅ


 岩壁を擦るような音が闇に響く。それは次第に間隔を短くし、重なり合うように響いた。

 笑い声だ。


 深い闇の中で、黒竜は嗤っていた。










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