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第三章「炎舞う」 一

 村を出てからまず立ち寄ったのは、先日買い出しに訪れたカレッサという街だ。

 村を出て、暗く白い雪の中を黙々と独り歩いていると、あっという間に後悔が押し寄せてきて、深く埋もれてしまいそうな気がした。

 戻りたがる足を叱咤し、それを考えないようにするためにレオアリスは出来るだけ早く、見慣れた景色を見ないように前だけを向いて、とにかく歩いた。


 おかげで大分時間を短縮できたが、カレッサに着いた頃にはすっかり疲れ切っていて、取るものも取り敢えず宿の一番安い雑居部屋に入ると、部屋の隅で身を丸めて眠り込んだ。


 堅い木の床にただ藁と布を敷いただけの寝床は、朝になると身体の節々に多大な苦痛を強いたが、疲れ切った身体の方が大きく、朝の光で目が覚めた時は大分すっきりしていた。

 強ばった背中を伸ばし肩を回しながら起き上がり、レオアリスは辺りを見渡した。申し訳程度に付けられた窓からは、晴れた空が見える。


 朝食も摂らずに宿を引き払った後、レオアリスは裏通りの「クラリエッタの店」へ足を向けた。来る道すがら、先ずは情報が必要だと考えていて、一番に思い当たったのがあの女店主の店だったからだ。

 表通りよりも古い石造りの建物が並ぶ筋を二本過ぎたところに、彼女の店はある。まだ朝も早く店は開いていないかと思ったが、クラリエッタは丁度店の前を掃いていたところだった。

 早い時刻の意外な来客に、クラリエッタは驚いて立派な眉を上げた。


「おやまあセトんとこの坊やじゃないか。どうしたんだい、買い忘れか、急な仕事でも入ったのかい」


 レオアリスは一瞬何と返事をしようかと迷ったが、女店主は何を感じ取ったのかじっとレオアリスを見つめると扉を開けた。


「まあ入んなよ。全く、客なら良かったのにねぇ」


 表通りの一段高い建物に陽を遮られているせいか、この通りの店には朝陽の入るのも遅いようで、店内は夜明け前のように薄暗い。


 クラリエッタは扉の脇に置かれていた燭台にふっと息を吹き掛けた。

 ぽんぽんぽん、と軽快な音を立てて、店内のあちこちに置かれた燭台が次々火を灯していく。店内がふわりと明るくなった。レオアリスは入り口に立ったまま感心してそれを眺めた。


「すげえ」


 いとも容易くやってのけるが、詠唱も何もないという事は、あらかじめ術を組み込んでいるのだ。火の加減も灯す順序も発動要件も、子細に組み込む必要があるはずだ。何より派手に爆発させるのは意外と簡単だが、細く火を灯すのは難しい。レオアリスは……苦手だ。


 彼女も昔は高名な術士として活躍していたのだと、セトから聞いた事がある。クラリエッタはそんなレオアリスの感心をせせら笑って、樽のような身体で器用に、ごちゃごちゃと商品の積み上がった店を奥に進んだ。


「何、遊びみたいなもんさ。こんな程度で感心してて、竜から宝玉が取れるのかい?」


 用件を言う前に目的を指摘されて、レオアリスはぐっと喉を詰まらせた。


「……何とかするさ。とにかく御前試合に出たいんだ」


 クラリエッタは大仰に首を竦める。彼女がそれをすると顎が埋まってしまい、まるで首が判らなくなるのだが、その仕草の滑稽さも打ち消すほどの背筋の寒くなる響きが、彼女の声にはあった。


「馬鹿だね。みんな御前試合が最大の目的みたいに言うけど、本当に厳しいのは竜から宝玉を取る事だ。御前試合にゃ、あんな化け物は出ないよ」


 クラリエッタの低い声と光る眼に、レオアリスは唾を飲み込んだ。


「竜の事を教えて欲しいんだ。巣とか能力とか、弱点とか」

「じい様達に聞きゃいいじゃないか」


 レオアリスの顔に浮かんだ表情にクラリエッタはにんまり笑った。


「ふん、黙って出てきたね」


 図星を突かれて押し黙り漆黒の瞳を泳がせる姿を眺めて、クラリエッタは深々と溜息を吐いた。


「悪いこた言わない、おとなしくじい様達のとこにお帰り。王都なんてそんなにいいもんじゃないよ。故郷が、一番幸せだ」

「――」


 判っている。良く判っているからこそ、今さら引き返したくはなかった。


 駄目だと思ったらころっと諦めて、また祖父達に養ってもらうのか。

 それではあまりに身勝手で、情けない。


「何でもいいんだ。少しでも情報が欲しい」

「若い内は勘違いもするもんだ。道を引き返すのは恥ずかしい事じゃない」

「そんなんじゃない。――王都に、行きたいんだ」


 クラリエッタはじっとレオアリスの瞳を見つめた。


 クラリエッタに見えるのは、己の力を識らず夢に期待を膨らませる、若い者が持ちがちな、無謀で――真摯な瞳だ。


 おそらく何が何でも止めるべきなのだろうと、クラリエッタは思った。

 いつからこんな瞳をしていたのかは知らないが、何故村の者達は閉じ込めてでも止めなかったのだろうか。

 無謀な若者を待つのは、死という暗い淵だ。


 そう思いながら、何故かクラリエッタは反対の事を口にしていた。


「いいかい、竜は深い洞窟や廃坑に好んで棲む」


 その言葉には自分でも驚いたが、後悔よりも、期待が強かった。


(お前、何を根拠に期待してんだい?)


 この少年の村の者達が何かを隠す様子が脳裏に浮かぶ。それだろうかと、クラリエッタはほんの少しだけ考えた。


「竜は別に西の森だけにいるんじゃない。だが今回の指定はカトゥシュだったね。多分今あそこには、そんなでかいヤツはいないんだろう。前の大戦で、西の風竜は空位になったからね」


 一応その辺の配慮はしているはずさ、とクラリエッタは笑った。安心していいのか悪いのか、判らない笑いだ。しかも伝説上の竜の名を持ち出されて、たじろがない者はいないだろう。

 続く言葉もまた厳しい。


「だからって軽く考えちゃいけない。まだ百年そこそこの若い竜でさえ、手練が数人で隊を組んだって危険なんだ。下手な剣なんかかすり傷にもなりゃしないよ。それに、奴等は同族意識が強い」


 一旦言葉を切り、レオアリスの顔をじっと見つめる。レオアリスはもう既に、自分が深く暗い洞窟にいるような錯覚に襲われた。


 鋸のように並んだ牙の間から荒々しく押し出される呼吸が、背後の闇から聞こえてくる。


「今回みたいに大勢入って荒らし過ぎたら、下手すりゃ――」


 クラリエッタは、一度恐れるように息を止めた。


「大物が来るよ」


 ぞくりと、背筋を氷が伝わり、レオアリスは跳ねるように周囲を見渡した。

 少し暗いが、そこはクラリエッタの埃の被った店の中だ。


 クラリエッタは重い身体を揺すって向きを変え、卓の左にある棚を開けると、二段目の棚から一本の巻物を取り出した。積もった埃をふぅっと払う。


「いいかい、あんたにこれをやろう。強い眠りの術さね。ただ法陣を間違えちゃいけないし、術式もうんと長い。だが大気系の術だからあんたには丁度いいし、効き目は折り紙付きだ」

「でもそんな金は」

「いらないよ。こいつを渡す事で、あたしはあんたを死に追い立てようとしてるんだからね」


 クラリエッタは笑いもせずに低く告げると、レオアリスに巻物を手渡した。

 レオアリスは手にした巻物にじっと視線を落とした。海老茶色の煤けた紙の、頼りないほど細い巻物だ。

 軽い筈のそれが、ずっしりと重量を持って感じられる。掌が汗ばんでくるのが判った。


 クラリエッタの小さな瞳が、火を灯したようにギラギラと燃える。闇に光る、竜の両眼だ。


 囁くような、怯えるような、それでいて有無を言わせない強い響きの声だった。


「もし、これが効かない相手に遭っちまったら、悪い事は言わない。すぐに、すぐにだよ、迷ってる暇はない。一瞬も考えずに、背中を向けて逃げるんだ」



 


 

 竜は恐ろしい生き物だと、レオアリスはただ漠然と思っていた。書物での知識はあった。確かに竜の宝玉は御前試合に出る為の資格程度で、重要なのは試合そのものだと軽んじていたところはある。

 しかし今、クラリエッタの言葉はレオアリスの頭の中で周り続け、曖昧にあった自信を掴んでぐらぐらと揺さ振っている。


 閉ざされた店の扉を振り返り、レオアリスはふとそれがもう開かないのではないかと思った。


 背中に背負った袋がずっしりと重い。そして一昨日の夜あれほど頼もしく思えた剣は、今はやけに軽く感じられた。

 ぶるんと一度頭を振る。


(…あんなの、脅しみたいなもんだ)


 レオアリスに自重を促すために、クラリエッタは敢えて強く大げさに告げたのだ。だから警告は警告として活かせばいい。

 竜から宝玉を取らない事には、何も始まらないのだ。


 そう自分に言い聞かせ、レオアリスは沈黙する扉の前を離れた。






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