目を覚ますと真っ白な空間にいたが、詐欺には決して屈しない
ひねくれたローファンタジーの世界。
目を覚ますと、そこは真っ白な空間であった。
そして目前には、頭に輪っかのようなものが付いているブロンド美人のナースが一名いる。
よく見てみると羽のようなものも付いているので、これは天使……のコスプレでもしているのだろうか。どちらにせよ、おかしな人物である。警戒しなくてはならない。
「根倉様で間違いなかったでしょうか?」
はい、と答えそうになったのを辛うじて堪えた。危ない危ない、危うく個人情報を自分から露呈するところであった。警戒すると誓った直後にこれだ。油断も隙も無い女だ。
しかし、どうして名前を知っているのだろう。そもそも、ここはどこなのか。この女の目的はなんだろう?色々な疑問が噴出してくるが、どうせロクでもないことに違いない。
というわけで、私は返答の代わりに「お前には騙されないぞ」という思いを込めて、キッと睨み付けた。碧眼のナースはきょとんとするばかりだ。
「私の声が、聞こえていますでしょうか」
誰が聞いてやるもんか。私は両手を耳に押し当てた。ついでに目も閉じて、屈みこんだ。
そして口からアー、アーと誤魔化しの叫び声を上げる。
これで完璧だ。あの女も観念したことだろう。私は他の人間とは違うのだ。簡単に篭絡されるような、そんなバカな輩達とは一味も二味も違うのだ……
さあ、さっさといなくなってしまえ。
「あの、現実から逃避したところで、状況は何一つ変わりませんから。さっさと進めさせてもらっていいですか?」
それは不思議な感覚だった。目を閉じているのに、ナースの姿がくっきりと見えている。耳を塞ぎ、叫び声を上げているのに、ナースの声はしっかりと鼓膜へと伝わっているのだ。
なんだこれは。何かのまやかしか。
ええい、騙されてなるものか。こんなのが何だというのだ。私は決して屈したりしないぞ。
私は立ち上がった。そして一目散にナースとは逆方向へと走っていった。勿論、目を閉じたまま、耳は塞いだままであるので、逃げた先がどうなっているのかは知らない。あの天使もどきさえいなければ何処でも良いという思いでひたすらに走り続けた。
数分は走っただろうか。ふいに疲れがやってきた。三十代の事務職のおっさんにとって、ランニングは過酷なものであったか。胸もわき腹も身体の節々も悲鳴を上げ、スクリーム・オーケストラを開催していた。
もういいか。もう大丈夫だろうと思い、身体の思うままに前のめりになると、頬に柔らかな感触が。
何もない真っ白な世界で、このような感触を持つものと言ったら……
嫌な予感がしたと同時に、声が聞こえた。
私はそれを思い切り突き飛ばした。その後は、思い切り泣いた。
・
「根倉 友孝様。年齢は33。現在はドブロク部品工場に勤務でよろしかったですね?」
返答の代わりに、力なく首を縦に振る。
やってしまった。この私が、この私としたことが、取り返しのつかない失態を犯してしまったのだ。
女の身体に触れてしまった。よりにもよってあんな場所を、思い切り……ああ、もう終わりだ。おしまいだ。
何百万の慰謝料をふんだくる気なのだろうか。それとも、一生をかけて骨までしゃぶりつくす気か。
「貴方の人生は、あまりに幸運が少なすぎた。そうは思いませんでしたか?」
ああ。その通りだ。今この時をもって、少ない幸運もすべて散ってしまったのだから。
もう私には不幸しか残されていないのだ。目前の女に貢ぐだけ貢いで、最期はごみのように捨てられて、カラスに亡骸をついばまれるが運命なのだ。
どうしてこう、私というやつは、いつも失敗ばかりなのか。悔やむに悔やみきれない……
「神は仰っています。貴方に苦難ある人生を与えてしまったこと。それに対しては、償いをしなければならないと」
ああ、最悪だ。
この女、宗教絡みときている。宗教絡みでろくなものがあった試しがない。
私は幸運の壺を売りつけたスーツ姿のセールスマンを思い出した。あの時も、よく似た台詞を言っていた気がする。台詞を聞いた母も父も、狂人のような目の輝きを見せていたっけ。
結局幸運なんて来なかったし、その時の借金を返すために無理をしたのが原因で、父は死の病に侵された。病床で「償いが足りなかった」やら何やらをぶつくさ呟いていたのを聞いた時は、背筋が凍る思いだった。
「そこで根倉様。あなたに『転生』の機会を与えようと思います」
もう騙されてたまるか。
「ごめんなさい。私、無神論者なので」
「どこか話が噛みあっていませんね。私の話は理解できていますか」
屈してたまるか、屈してたまるか、屈してたまるか。
「黙れ、親殺し!!」
・・
「錯乱状態になるお気持ちは分かりますが……前世のことは忘れた方が宜しいかと」
事もあろうに「忘れろ」と来た。
父が死んだ時、「魂を浄化させる札」を売りつけてきたセールスマンの記憶が蘇ってくる。
そいつは嬉々として語った。「死は悲しいことではなく、魂の昇華をする為のステップ。だから、残された者は別れを惜しまず、今を生きるべきだ」と。
最低だ、こいつは人間の屑だとすら思った。こんな奴がのうのうと生きている世界が憎たらしくなった。今覚えている気持ちもそれに近いものだ。
あの時は言えなかった問いを出してみる。
「前世も駄目なら、今も駄目なのではないですか」
女の顔色が変わった。どうやら獲物が喰いついたと勘違いをしたらしい。
「心配は要りません。転生神が、貴方に素晴らしい能力を授けてくださります」
「その転生神とやらは、一体どういった理由でそんなことを?」
「先程も言いました通り、幸薄い人生を送らせてしまった、言わばお詫びですよ」
「どれだけお布施すれば、よろしいのですか」
「お布施など必要ありませんよ。無料です。もちろん能力は一生消えることはありませんから、ご安心を」
話が見えない。そんな慈善活動のようなこともしているのか。
かたや犯罪、かたや慈善。
まるでブラックな大企業のようなことをしている。
「こちら側としては願ったり叶ったりのように見えますが、能力を得た人に対して、何か希望などはありますか」
「希望という程ではありませんが、能力を得たからには、大義を果たしてもらいたいとは思いますね」
なるほど。分かったぞ。
この女の……いや正確に言えば、この女の背後にいる宗教団体の目的が。
言葉巧みに人の行動を誘導し、神の存在を感じさせる。そして突然「真っ白な世界」「天使」という異常な光景を見せることで、正常な判断を出来なくさせる。その状態で「神が能力を授けるので大義を果たせ」と言われれば、自分があたかも神に選ばれた人物で、大いなる力に従って生きていくことが正しいかのように錯覚してしまう。
一回錯覚してしまえば、そいつらは信者同然。何をするにも躊躇いがなくなるという寸法だ。
規模こそは大掛かりではあるが、やっていることは俗に言うSF商法というやつだ。何と言うことはない、ただの詐欺である。
私は不敵な笑みを浮かべた。正体さえ分かってしまえば、身構える必要もない。
「ようやく理解してくださったようですね」
ああ、その通りだ。
お前達はやはり敵だ。
・・・
「それでは会いに行きましょうか。転生神の元へ」
この提案には、ほう、と思った。
まさか、肉親を死へと追い込んだ悪徳宗教。その親玉に自ら会わせてくれるとは。
私のことを見くびっているのか。それとも信者に出来たと思い込んでいるのか……
どちらにせよ、都合が良い。こいつらに目に物見せてやろうじゃないか。
自分の首に巻きついているロープを見つめて、私は一計を案じた。
天使のコスプレをするナースの真似をする信者が、指をパチンと鳴らすと、真っ白な空間に突然黒い扉が現れた。信者が扉を開くと、そこには真っ黒な闇が広がるばかりだ。
ほう。最近の宗教施設は凝った演出をするようになったものだな。
真っ暗な一本道をしばらく歩くと、再び扉が見えた。
なぜ、何も見えないはずなのに、扉の存在を認識できるのかは、相も変わらず謎だ。
かなりの技術力、そして財力を持った宗教団体と言えよう。
「ここから先は、貴方一人でお入りください」
ブロンズヘアの美女はそう言ったのを最後に、全く消えてなくなってしまった。
私は周囲を探してみたが、隠し扉のようなものを見つけることはできなかった。
扉の先に何があるのか、私は知らない。猛獣がいたとしてもおかしくはない。
だが、もう恐怖は感じてはいない。ここが宗教団体のアジトという以上、逃げることはできないのだと知っているし、敵と戦う覚悟を決めることも出来た。
取っ手に手をかけ、思い切り押す。
「やあ、ボクは転生神。キミに……」
自分のことを「転生神」と名乗る男は、そう言いかけて言葉を失った。
それはそうだろう。信者になったはずの人間が、こうして血眼になって、突っ込んできているのだから。
四十代の肥満体型。なるほどなるほど、新興宗教の教祖にふさわしいな。
殺されるのにも、ふさわしいな。
そのままの勢いで、思い切り体当たりをかました。後ろに倒れ込む男。
私はそいつに馬乗りになると、自分の首に巻きついていたロープをほどき、男の首に巻き付ける。
あとは思い切り両腕を引っ張るだけでいい。力の限り。男の息の根が止まるまで。
神を気取る男の顔が徐々に赤みを増していくのがわかる。大丈夫、心配しなくてもいい。すぐに赤みはなくなり、直に青くなっていくさ……あの時の母のようにな!!
「ま……て……」
なんて苦しそうな顔をしているのだろう。
きっと未練はたらたらだろうな。それにこんなに苦しい死に方をするんだろうから、化けて出てきたっておかしくはないか。
だが、怨霊になったとしても、「浄化の札」で清めてやるから問題はないよなあ?
・・・・
「転生神!!」
異常を感じて、転生神の間にやってきたが、すでに遅過ぎた。
ぴくりとも動かない主と、その顔を土足で踏みつけ高笑いする男がいるだけだった。口から涎を垂らし、恍惚の表情を浮かべている。首元の黒ずんだ痣が、悪魔の刻印のように見えた。
こちらの視線に気づいたのか、悪魔が笑いを止めた。
「もう心配はいらないよ。悪の教祖は滅んだ」
一体、何を言っているのだろう。
転生神の間に迎える時も思っていたが、まるでこの男とは会話が通じない。
呼びかけたと同時に逃げ出したり、突然「親殺し」と叫んだり、「お布施はいくら出せばいい」と質問してきたり……
「さあ、外に出よう。自首をしなければ」
男はふらふらとした足取りで進むが、身体の麻痺の為か上手く前進できていない。あれ、あれれ、と不思議がっている。
数分かけて端まで辿り着いた男は、壁に手を付いて、こんなことを言い始めた。
「君もそんな『飾り』なんて取ってしまいなさい」
その台詞を聞いて、私はハッとした。
この男、自分が死んだことに気付いていないのか。
首元に付いている痣……索条痕からして、この男は首吊り自殺とばかり思っていた。
だからこそ、出会った瞬間には死因は伝えなかったし、伝える必要がないと思っていた。
だが、もし違うとしたら。自殺ではなく、他殺だとしたら。しかも本人の自覚していない間に行われていたことだとしたら。
「おーい」
いや、待て。だとしてもおかしい。
使者の私は無理だが、転生神は彼の死の一部始終、もっと言うならば、前世に何があったかを見ることが可能だったと聞いている。
その情報を私に伝えてくれさえすれば、いくらでも彼を納得させることは出来た。
何故伝えなかった。
何故……
動かないでいる私を不審に思ったのか、男はこう言った。
「どうしたのかね。そんなちゃっちい針金なんて、取ってしまいなさいと、言っているんだが」