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寝坊

 稽古に夢中になっていたジャンは、視界の隅にちらちらと揺れる光を見とめ、動きを止めた。

 稽古を始めたときはまだ明るかったはずの周囲がいつしか真っ暗な闇に包まれていたことを、今更のように知る。


 ゆっくりと自分に近づいてくるその光は、どうやら誰かが手にしている角灯の明かりのようだとわかる。


 こめかみを伝った汗が、ぽたぽたと地面に滴り落ちた。

 ジャンは剣を片手で持ち、空いているほうの腕で額をぬぐった。


 どれくらいの時間が経過したのか――。


 ジャンは空を見上げ、そこに輝く星の位置から、もうすっかり夕飯の時刻を過ぎていることに気づく。


「まずいっ」


 夕飯時の給仕は騎士見習いの仕事なのだ。

 それまでの空いた時間に少しだけ練習をするつもりだったのだが、没頭してこんな時間になってしまった。


 剣を鞘に収め、慌てて訓練場を出ると、ちょうど灯りを持った人物と鉢合わせる形になった。


「ソフィ!?」

「お疲れさま、ジャン」


 角灯を持ったソフィが、にこりと笑って言う。


「なんでこんな時間にこんな場所に? まさか、また城を抜け出すつもりじゃあ……」 


 ジャンの頭を嫌な考えが過る。


「それも魅力的だけど、残念ながら違うわ」


 ソフィの返答にひとまず安堵したものの、疑問はまだ解決していない。

 再度訊きだそうと口を開いたところで、ジャンは自分には時間がなかったことを思い出す。


「ならいいけど。テオさまに心配かけるようなことはするなよ!」


 それだけ言い置き、駆け出そうとした。

 けれど「待って」と呼び止められ、足を止める。


「なんだよ?」

「ジャンを迎えに来たの」

「え?」


「なんでこんな時間にこんな場所にいるのか――って訊いたでしょ? その答えよ。夕食の給仕なら心配しないで。ジャンはわたしに頼まれておつかいに行ったことになってるから、話を合わせてね。テオ兄さまは了承済みだから安心して。あと、これ。夕飯に間に合わなかったでしょう? お腹が空いてるかなと思って」


 ソフィが手に持った籠を軽く上げて見せた。


「俺のために?」


 ソフィが自分のために何故そこまでしてくれるのかがわからない。


「そう。パンにその辺にあるものを適当に挟んだだけなんだけど、結構美味しいのよ」

「ありがたいけど、でもなんでなんだ? どうして俺のためにそんなことをしてくれる?」

「なんでって……」


 にこにこと笑みを浮かべながら話していたソフィが、困ったような表情を浮かべ首を傾げた。


「それに、どうして俺がここにいるってわかったんだ?」


「親方のところから帰ってきたら、練習しているジャンの姿が見えたのよ。ほら、わたし、いつも脇門を使うから。それで、しばらくジャンの様子を見ていたんだけど、すごく集中しているみたいだったから、途中でやめるのはもったいないなって思ったの」


「もったいない?」

「せっかく集中できているときに邪魔が入ると、ふうって力が抜けてしまわない? なんだか、自分だけの世界から現実世界に戻ってきちゃったみたいな……」


 ソフィの話は、ジャンにはとてもよくわかった。

 確かに、剣や槍の練習をしているときに、そういうことはよくある。


「ああ、わかるな。色々とありがとう。助かった」


 感謝の気持ちをこめて礼を告げると、ソフィは満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔があまりにも無防備だったので、ジャンはどきりとする。


「どういたしまして。さあ、どこか、座れるところにいきましょう。実はわたしも夕飯はまだなの。一緒に食べてもいい?」


 ジャンには断ることなどできなかった。

 なにより、ソフィの笑顔をもっと長く見ていられるのだと思うと嬉しかった。


 けれど家族以外の女性とふたりだけで食事をするなど初めてのことで、ジャンの表情は知らず緊張のためにこわばってしまうのだった。  


―――


「こらあっ! 遅ぇぞ! 仕事をなめてんのか! そんなんならとっととやめちまえ!」


 ソフィが工房に踏み込むなり、親方の怒声が飛んできた。


「すみませんっ!」


 その場でソフィは深々と頭を下げた。


「今度遅刻したら許さねえぞ! おら、とっとと支度しやがれ」

「はいっ!」


 歯切れの良い返事をして、ソフィはすぐに動き始めた。

 工房内の掃除、工房の前の通りの掃除から始め、陳列台の上に商品を並べ、作業に必要な物の準備をする。

 それからようやく、細工にとりかかることができるのだ。


 手際よく掃除をしながら、ソフィは反省する。

 昨夜、ジャンと別れて部屋に戻ったあと、ソフィは胸のどきどきがなかなかおさまらなかった。


 布団に入って目を閉じてからも、ジャンが一心不乱に剣を振るその姿が瞼の裏に浮かんできてなかなか眠れず、ようやく寝入ったのはたぶんかなり遅い時間だったと思う。

 そのためか、今朝はめずらしく寝坊してしまったのだ。


 ジャンの姿を見て、せっかくがんばろうという気持ちになっていたのに、遅刻していては話にならない。


 ソフィは気持ちを改めて、仕事に集中することにした。

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