代償
「結婚のお話、お受けしようと思うの」
ソフィが決断したのは、怪我をしてから一ヶ月が過ぎたころだった。
右腕はまだ動かないままだ。
もしかしたら、一生このままかもしれない。
「なんだって!? 結婚? いったいいつの間に?」
テオが驚きに目を丸くする。
「実は、意識が戻ってすぐに、サラに代筆してもらってクルトさまにお手紙をお送りしたの。怪我のことも説明して、おつきあいできないとはっきりお伝えしたわ」
「そんな……。俺にはなにも言わなかったじゃないか」
「ごめんなさい。でも、これでいっそすっきりしたと思っているところに、求婚のお手紙が届いたの。クルトさまはわたしの怪我のことを知っても、それでも構わないと言ってくださっているの。わたしの全てを受け入れてくださると。わたしには、もうお断りする理由がないわ」
「ちょ、ちょっと待て、ソフィ」
「どうしたの、テオ兄さま?」
ソフィの声を遮るテオの顔に、焦りの色が浮かんでいる。
「あー、クルトは七歳のころからドルートレット伯のご子息の傍にいて、騎士になってからもハルバーヌ領にはほとんど戻って来ていない。俺が彼と知り合ったのもあちらで騎士見習いをしているときだったしな。俺も最近会っていない。もちろん、ソフィだってまだきちんと会ったことはないよな?」
「ええ、でも近日中には城に戻られるそうよ。そのときには、わたしに会いに来てくださるとお手紙に書いてあったわ」
「近日中だと!? なんだってそんなに急なんだ」
テオが小さく舌打ちをする。
「なにか不都合なことでもあった?」
ソフィには何故テオがそのような態度をとるのかがわからなかった。
「不都合っていうかだな……。ソフィ、怪我のことは辛いと思う。琥珀細工師になるという夢も、もしかしたら厳しいかもしれない。でも、だからって突然嫁ぐっていうのは……」
「投げやりになってるわけじゃないわ。冷静に考えて決めたの。クルトさまはお優しい方だし、わたし、本当に結婚したいと思っているわ」
ソフィはテオに向かってきっぱりと言った。
怪我を負ってから五日後、ソフィは意識を取り戻した。
そして医者から右手が動かないことを知らされた。
ソフィはなんとか動か動かそうと必死だった。何度も何度も挑戦してみた。
それでも駄目だとわかったとき、頭がぐらぐらと揺れて目の前が真っ暗になった。
どうして、と思った。
全てはこれからだったのに、と。
『ごめん、ソフィ』
震える声が聞こえたのは、そのときだった。
そして初めて、ソフィは部屋の隅に佇むジャンの姿に気づいたのだ。
『俺のせいだ。俺が未熟だったから、ソフィに取り返しのつかない大怪我を負わせてしまった。いくら謝っても、謝りきれない、でも……』
ジャンの顔は青白く、ひどく憔悴していた。
彼が自分を責め続けているのだとわかった。
その変わりように、ソフィは胸をえぐられるような痛みを覚えた。
こんなはずではなかった、という強い思いがソフィの中に溢れる。
ソフィはジャンを守りたかったのだ。
代償は確かに大きかった。
けれど才能あるジャンが怪我を負うくらいなら、怪我をしたのが自分でよかったと、心からそう思った。
彼の夢が潰えなくて、本当によかった。
(ジャンは、きっと立派な騎士になるわ)
ソフィはそれを疑っていなかった。
だが、責任を取らせてほしいとジャンは言った。
削げた頬で、青白い顔で。
ずっとソフィの傍にいる、ソフィの右手になる、と。
そのときからソフィは考え続けていたのだ。
「そうか。でも、ジャンのことはどうするんだ? あいつはずっとソフィの傍にいるつもりだ」
「その必要はないわ。わたしはここを出てゆくんだもの。ジャンは立派な騎士になることだけを考えてくれたら、それでいいの」
テオは目を閉じた。しばらくそのままで、なにかを考えているようだった。
「テオ兄さま?」
「わかった。ジャンにもそう伝えておく。だが、もう一度よく考えてほしい。今、おまえの心を占めているのはいったい誰なのかってことを」
瞼を開けたテオはそう言うと、ソフィの部屋を出て行った。
パタンと閉じる扉の音を聞きながら、ソフィは小さくため息をついて瞑目する。
今、ソフィの心を占めている人物は誰なのか――。
考えるまでもなかった。
目を閉じれば浮かんでくるのは、あの小柄な少年の姿なのだから。




