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スチールプリンセス  作者: 千石 一朗
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序章 暗い森を抜けて

はじめましてまして。

ゆっくりのんびりやっていきます。

 暗い森の中をシリウスは走っていた。

 荒く息を吸い込む度に、霧雨が肺を凍てつかせる。森の木々は容赦なくその小枝で鞭打ち、身体中が擦り傷だらけだった。 

 しかし彼は走り続けた。どんなに身体を痛め付けても、胸に焼けつく焦燥が止まることを許さなかった。

 やがて、小さな丘が見えて来た。それはシリウスだけの秘密の隠れ家だった。遠目に人影が見える。自分と同じくらいの少女である。

 シリウスの口元に初めて笑みが浮かんだ。得意のニヤリとした、挑戦的な笑みだ。

 そして、少女の名を呼ぼうと口を開けた。


 その瞬間、少女は倒れた。

 シリウスは声を失った。

 必死で駆け寄ると少女を抱き上げた。

「おい、大丈夫か!」

 抱き上げた背中から真っ赤な血が噴き出した。心臓の鼓動にあわせて吹き出る鮮紅色の血液は、その血が動脈まで達していることを物語っていた。

 もう助からない。

 シリウスの目から涙がこぼれる。その涙が少女の頬を伝って落ちた。

「泣いているの、シリウス?」

 少女は掠れた弱々しい声を絞り出す。そして震える手で小さな古書を差し出した。

 真っ黒な古書だ。

「泣いてない。雨が目に入っただけだ。」

 シリウスは嘘をついた。そして、得意の笑みで口許をつり上げる。少女の大事な古書を、シリウスは油紙で包むとその胸に置いた。その上に少女の手を添える。壊れないようにそっと優しく。

「もらってくれないの?」

「何言ってんだよ。これはお前のだろ」

「だって私…」

 だって私、死んじゃうから…。少女はそう言おうとして、やはり怖くてやめた。

 だが、シリウスには伝わった。

 心臓にドシンと何かがのし掛かるような衝撃だった。哀しみが込み上げるのを、シリウスは奥歯で噛み潰すと、再びニヤリと笑みを浮かべた。

「馬鹿言ってんじゃねぇ!こんな傷で死ぬわけないだろ。」 

「ねぇ」

「ああ、可笑しい可笑しい!こんな傷で人が死ぬもんか」

「ねぇ、泣かないでシリウス。」

「泣いてなんかいない!雨が…!」

 少女は薄く笑うとシリウスの頬に手を添えた。

「雨はやんでるよ」

 気がつけば空には真っ青な月がこちらを見下ろしていた。

やけに大きな落ちてきそうな月だった。

 シリウスは項垂れた。もう笑うことはできなかった。

 彼には何もできなかった。少女の傷を治すことも、笑って勇気づけることも、嘘をつくことすらできなかった。

「泣かないでシリウス。私は幸せだった。だから泣かくていいんだよ。」

 そう言うと再び古書を差し出した。差し出した手が小さく震えている。最後の力を振り絞っているのだと、シリウスには分かった。

「お願…い」

 少女の顔が苦痛に歪む。シリウスは恐る恐る古書を受け取る。

少女はそれを見て僅かに微笑んだ。そしてゆっくりと唇を動かした。

 声はでなかった。

 ありがとうと言っているように、見えた。

 それきり、少女は動かなくなった。静寂が二人を包んだ。不気味なほど大きな月がシリウスを見下ろしている。

 少女は自らを幸せだと言った。

 シリウスは彼女の人生を少しだが知っていた。それはとても幸せと呼べるものではなかった。

 月がシリウスを見下ろしていた。この月が西の空に落ちれば、再び太陽が明日を連れてくる。彼女の死とは関係なく、世界は明日も回り続ける。この不気味な月のように厳然と、超然とあり続ける。

 少女は死んでしまった。この喪失だけが、シリウスにとっての現実だった。

(シンデシマッタ)

 全てのモノは生滅変化する。それがこの世界の理である。生あるもの全てに訪れる平等な結果、それが死である。

(ならば、何故…)

 彼女の生は決して幸福なわけでは無かった。むしろ辛く苦しいものだった。不安と哀しみ、そして孤独に満ちたものだった。彼女にとって死は解放だったのかもしれない。

(ならば何故…人は生きるのか)

 胸がえぐられたような喪失感。少女を救えなかった無力感。現実に対する虚無感。自分と言う存在そのものの価値の喪失。そして、そんな自分の生もまた、いつしか終わるときが来る。

 ならば何故、生きる。

 そこに意味など無い。価値など無い。

 いつか全てが終わるだけだ。いつか全て失うだけだ。

 それは、この星がたった数万回まわるだけの時間。気の遠くなるような星の歴史のほんの瞬く一瞬のこと。

 シリウスは腰の短剣を抜くと自分の首にあてがった。甘き死の誘いが彼を呼んでいた。

次回、ミネルヴァ登場です。

よろしくお願いいたします。


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