02-1
幼いころ、ママは出かける前には必ずこう言っていた。
“昼前にはシッターさんが来てくれるから、彼女の言うことをよく聞くのよ”
ミリアは明るく“平気だよ。お仕事がんばってね”と、微笑んで見せる。だけど一人だと何をしても退屈で、掃除や洗濯をしているシッターさんの傍に言って、“ねえねえ、お話ししてよ”って言ってみても、彼女はこちらに眼を向けることもなく、“はいはい、邪魔だからお部屋に戻っていてね”と冷たく言われ、悲しくなるだけだった。
ある日、彼女は家のドアから数歩だけ外に出て、周りを見回した。家々が冷たくそびえたっていて、すべてが自分を拒絶しているように見えて、彼女は怯えてしまっていた。すると、そこに見知らぬ男の子が現れた。
“そこで何をしてるんだ。俺と一緒に遊ばない?”
“私がいても迷惑じゃない?”
“迷惑なもんか。このへんは子供が少ないからな。遊べる奴が少なくて退屈なんだ”
一緒にいても迷惑じゃないよ、と肯定されたことが、何よりも嬉しかった。
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「ねえ、ジョージ。今週の土曜、また来てもいい?」
ミリアは柔らかいソファに体を埋めながら、二つ年上の幼馴染であるジョージに話しかけた。机に座っているジョージは雑誌をぺらぺらめくりながら返答した。
「悪い、先約があるんだ」
ミリアはその言葉に、体をびくっと震わせたが、すぐに平静を装った。
「何よ、ノリ悪いじゃない」
ジョージはため息をついて、ミリアの方を見ずにこう言った。
「お前には言っとかなきゃいけないよな。……実は、俺さ」
「何、言ってみなさいよ」
「――彼女が、できたんだ」
ミリアは驚いて、次の言葉を捻り出すに苦労した。
「そう、よかったじゃない」
やっとのことで浮かんだ言葉は、心にも思っていない祝福だった。
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それからというもの、ミリアは今までは毎日のように行っていたジョージの家を避けるようになった。彼の家の近くまで来ても、チャイムを鳴らすところで、どうしても尻込みしてしまうようになったのだ。よくよく考えれば、彼女持ちの男の子の家に行くのに気がひけるのは当然のことと言えた。それなのに、どうして自分がそれだけのことで、酷く深刻に気分を落ち込ませているのかがわからなかった。
土曜日のこと、ケリーと街を歩いていると、逆側の歩道をジョージと女の子が歩いているのが目に入った。その時、ミリアはかつてない感覚を味わった。胸を締め付けられるような感覚、寄り添い合う二人を見ていると、取り残されたような気分になって、泣きそうになる。ミリアはぐらつくような意識の中で考えた。ただの友人に、これほどの嫉妬心を抱くことがあるだろうか、と。
無い、と思った。彼がたった一人の友人だというのならまだわかるが、ミリアには多くの友人がいる。そうなると、自分が抱いている想いは――。
「どうしたの? ミリア」 茫然とある一点を見つめるミリアを不審がり、ケリーがそう聞いてきたが、ミリアはぼんやりとして答えることができなかった。ケリーはミリアの見ている方向を見て、「何、あのカップルがそんなに不思議なの?」と聞いてきた。しかし、その直後、彼女も驚いた。
「あれ、シルヴィーじゃない!」 ケリーにそう言われて初めて気が付いた。ジョージの隣で歩いている女の子は、クラスメートのシルヴィーだった。
「学校ではあんなに陰気臭い奴にも、ボーイフレンドってできるのね」
ケリーはそういって笑った。ミリアはピクリとも口角をあげずに、「そうね」とだけ答えた。
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翌日の休み時間、ミリアは椅子に座って、シルヴィーの方をじっと見つめていた。彼女はバックからミラー・コンパクトを取り出して、顔に薄くファンデーションをかけていた。
化粧なんてするなら、家でしてくればいいのに。ミリアはそう思ったが、すぐにその意味に気づいた。彼女は帰りにジョージと会うから、今自分を飾り立てているのだ。そう思った瞬間、はらわたが煮えくりかえるような怒りが湧き上がってきた。
そんな時、ミリアに“声”が囁いた。『この根暗な売女を、酷い目に合わせてやれ』
ミリアはシルヴィーの方を指さして、傍にいるイゼラにこう言った。
「ねえ、何あの子、色気づいてんのかしら?」
イゼラはミリアが指さす方を見て、イケてない奴がからかいがいのありそうなことをしているのを発見して笑顔になった。「うわっ、何あれぇ、気持ち悪ぅ」 彼女はそう言って、ミリアの取り巻き(プリーザー)二人と顔を見合わせ合った。おもしろいことが始まるだろう、という期待に満ちた悪意ある笑顔を浮かべて。
「はい、お化粧落としましょ。目を瞑ってね」
「あの……ここ、トイレなんだけど」
ミリアの言葉におどおどとシルヴィーが反論すると、イゼラが横から冷たくこう言った。
「なに言ってんの? 私には洗面台に見えるけど」
「でも……あっ……嫌っ……」
取り巻きがシルヴィーの頭を洋式トイレの便器に押し込んだ。顔面が便器内の水でずぶ濡れになる。ごぶっごぶっ、と彼女が咳込むたびに、汚水が喉まで侵入する。息ができなくなるまで取り巻きは頭を押さえつけているため、どう我慢しても咳込んでしまうのだ。その様子を見てミリアたちはげらげらと笑った。
「うわぁ……汚ったなーい」
「あはは、もともとそうじゃーん」
チャイムが鳴って授業に行かなくてはいけない時間になると、ミリアは涙ですっかり酷い顔になってしまったシルヴィーと一緒に記念撮影をした。イゼラがシャッターを切ろうとした時、シルヴィーは嗚咽を漏らしたかと思うと、便座に手をつき、激しく嘔吐した。ミリアはすかさずその頭を掴んで、吐しゃ物が漂う水の中に叩き込んだ。自分の手でシルヴィーを酷い目に合わせたことに深い満足を感じて、ミリアはシルヴィーの頭を沈めたまま、カメラの方を向いて残酷な笑いを浮かべた。