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02-15

+++


 ランチタイム。嫌な予感がしたので、慎重に弁当箱を開けると、蛾の幼虫が数匹、僕のコーンとニンジンとベーコンのソテーの上で蠢いていた。料理の油分とぶよぶよよした幼虫が絡み合って実に気持ち悪い。僕は慌てて蓋を閉じ、バッグの中に突っ込んだ。

『いくら何でも酷い』

 トイレで弁当の中身を流しながら僕はぼやいた。

『これから僕は、買ったばかりの既製品しか食べれないじゃないか』

『そんなことは無いはずだ』

『だけど、現に、こんなことになってるじゃないか!』

 僕は顔に怒りが現れるのを必死に抑えながら、心の中で叫んだ。だが、シファーは涼しい顔でこう言った。

『私が思うに、蛾の件は運が無くなったこととは関係ないのではないか?』

『どういうことだ? 適当言ってるんじゃないだろうな』

『考えてもみろ、運が悪かったからと言って、閉じられたロッカーや弁当箱に蛾や幼虫が入ったりするだろうか?』

 確かに、それもそうだ。

『蛾をロッカーや弁当箱に入れたのは、お前に恨みを持った人間なのではないか』

 僕は色んな人物の恨みを買っているが、今強烈に僕のことを恨んでいるのは……。

『ミリアか』

 彼女は今日、学校を休んでいる。昨日のことで落ち込んで、仮病でも使って休んでいるのかと思っていたが、実は学校に 潜伏していて、僕に嫌がらせをしているのかもしれない。まったく、これだから餓鬼は。子供の癇癪に付き合ってる暇はないっていうのに。

『ロッカーには始業前に、弁当箱には移動教室の際に。それぞれ入れたっていうのか』

 だが、そう考えてもおかしなところがある。

『でも、彼女にピッキングができるとは思えない。鍵がかかったロッカーを開けて、また閉めなおすなんてことできるはずがない。だから、ミリアは犯人じゃない』

 僕がそう推理すると、シファーが口を挟んで来た。

『常識が思考の枷になっている』

『は?』 意味がわからなかったので、そう反応するほかなかった。

『天使や悪魔と関わる上では、“ありえない”ということが一番ありえない。想像はいつの時だって、飛躍させるべきだ』

『じゃあ何か』 僕は苛立ちながら言った。『ミリアは悪魔憑きだっていうのか?』

 すると、シファーはえばりくさった口調でこう言った。

『それを今、君に言うわけにはいかない』

『なんで?』

『霊的存在は予知能力や感知能力・情報収集能力に秀でていて、また人間では知りえない世界の秘密も知っている。そんな霊的存在が一人の人間に肩入れして、いろいろなことを教えると、その人間が生き抜く上で不正に有利になってしまう。だから、契約内容に含まれているならともかく、霊的存在が人間に有用な情報を与えることは禁止されている』

『その割にお前、べらべらと僕が天国にいけないだの、運が無くなっただのと暴露してないか?』

『その程度なら大丈夫だ。ばらしたところで、お前が生きる上で有利になることはないからな。だが、悪魔憑きの場所や正体なんてものをばらすっていうのは、行くと事故や事件に遭いそうな場所を教えて忠告するようなもので、お前に大きな情報アドバンテージを与えてしまうことになる』

『なるほど、そういう意味で“有用”か。つまり、僕の背後から誰かが襲い掛かってきても、お前が“危ない”と忠告することはできないわけだ。だから鳥の糞や蛾に、お前は気づいてても警告しなかったんだな』

『そうだ。実際のところのこのシステムはよくできている。天使は神の言いつけを聞くし、悪魔が人間に有用な情報を教えてやるはずがない』

『逆位置の悪魔は?』

『私たちに神に逆らう気概があると思うか?』

 何故そんな情けないことを偉そうに言うのだろう、と僕は呆れた。

『そういうわけで、ミリアとお前が会う前に、彼女の状態を教えることはできないが』

 シファーはそこでにやりと笑った。

『私に言わせれば――“ありえなくはない”』


+++



 数分後、僕はロッカーの前にいた。何か手掛かりがないか探しにきたのだ。少し眺めると、あることに気づいた。

『この隙間で、蛾は出入りできるんじゃないのか?』

 僕はロッカーの蓋の開かない方と本体の間のわずかな隙間を指さして言った。

『やっぱり僕の運の悪さのせいで、大量の蛾が自然と僕のロッカーが入りこんで来たんだ』

 そう思ったが、すぐさまシファーが否定してきた。

『そうか? 私は答えを教えることはできないが、純粋な意見として、そんなことはありえないと思うぞ』

 僕はむっとして言い返した。『思考を飛躍させるんじゃなかったのかよ。僕の運の悪さならありえるだろ?』

『常識を超えた天使と悪魔の世界にも、理屈というものがある。運が悪い奴がポーカーをしに行って、ノーペアを連発して負け続けることはあるだろう。しかし、対戦相手がロイヤルストレートフラッシュを連発して負け続けることがあるだろうか? 蛾がその隙間に入り込んで中に入る、それも一匹ではなくたくさんとなると、あまりにもありえないとは思えないか?』

 僕はロッカーのカギの部分を見た。細部まで観察し、指で表面を撫でてみたが、どこにも傷はない。ロッカー全体にも、奇妙な傷は無い。

『やっぱり隙間から蛾が入ったとしか思えない。そう考えると、人間がやったとはどうしても思えないんだ。誰が生きている蛾をたくさん集めて、そして隙間に入れることができるっていうんだ? 蛾は光で集められるとしても、隙間に無理やり入れようとしたら潰れちまうはずだ』

 僕はそう言ったが、シファーは納得しなかった。

『まだ常識が思考の枷になっている。発想を飛躍させるのだ』

 発想を飛躍させろ、常識を捨てろ、その上で理屈を考えろ、とこいつは非常にうるさい。

『ミリアが悪魔憑きになって、その能力で蛾を入れたって考えればいいのか? お前はどうもそう言いたいみたいだが、それこそありえないだろう。どうしてあれくらいのことで、悪魔と契約しようと思うほど落ち込まなきゃいけないんだ? ミリアならジョージよりずっと冴えたボーイフレンドでも、すぐに作れるだろう?』

『人間には価値観の違いというものがある』

 僕はため息をついて、目の前のロッカーを見つめた。朝のように、奇妙な音は聞こえてこない。

『開けてみないのか?』

『開ける必要は無いだろう。これは単に僕の運が悪かったせいで起こった現象だ。明日になって、蛾がいなくなってたらありがたいね』

『お前は箱の中身も見ないで、その送り主について推理するのか? たいそうご立派すぎる探偵っぷりだな』

 腹が立ったので、僕はロッカーを開けてみることにした。これで、人の痕跡が少しもなかったら、からかってやろうと思ったのだ。僕は蛾があふれ出てくることを警戒して、ゆっくりと蓋を開けた。

 だが、そこには一匹も蛾がいなかった。あるのは、僕の着替えと教科書、そして見慣れない手紙だった。僕はラブレターをよく貰うが、鍵のかかったロッカーに入れてもらったことはまずない。恐る恐るその手紙を見て、僕は唸った。

『ちくしょう。僕の現実は、とっくに天使と悪魔に侵されてたんだな』

手紙に書かれていたのは、たった2つの言葉。“放課後”、“第2準備室”。そしてあて先は“私の憎たらしい相談相手へ”


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