02-14
霊体のシファーをマフラーみたいに首に巻きつかせて、いつもの路地を歩いていると、黒猫が一匹、目の前に躍り出てきたかと思うと、そのまま横切った。
『黒猫に横切られたら、行く先で悪いことが起こると言われているな』
『僕は迷信の類は一切信じてないから大丈夫だよ。それに、ただの偶然さ。猫が一匹通り過ぎたくらいで――』
僕がそう言いかけた時、路地の右側から猫がいっせいに飛び出て来て、にゃあにゃあと泣きながら、路地を埋め尽くした。そして、列をなしながら、左の物陰へと入って行った。僕は茫然とその場に立ち竦んだ。
『これでも信じないのか?』 シファーが呟いた。
その後も、奇妙なことが相次いだ。犬の糞を踏みそうになったり、水やりをしている女性に、ホースで水をぶっかけられそうにもなった。
やっとの思いでバス停につき、スクールバスを待っているとき、頭上から何かが降ってくるような音が聞き取れたので、すっと体を横に避けると、僕が立っていた場所に、べちゃべちゃべちゃっと、大量のカラスの糞が落ちてきた。周りの人たちは目を丸くして拍手していたが、僕は素直には喜べなかった。
『なあ、お前と契約してから、何か運が悪いような気がするんだけど』
僕の肩あたりに顔を載せているシファーにそう聞いてみた。
『ああ、そうだ。逆位置の悪魔は神に嫌われているから、私たちと契約した人間は、神の加護を一切受けられなくなって、運が悪くなる』
『契約書にはそんなこと一言も書かれていなかったじゃないか!』
僕が抗議すると、シファーはしれっとこう答えた。
『霊的存在と契約すること自体が、契約者に変化を及ぼす行為だ。天使と契約すると加護で運が良くなる。悪魔と契約すると呪われる。そんな当たり前のことを書いていたらきりがない』
『でも、それを契約前に知らせないなんて、フェアじゃない』
『そんなことを言い始めたら、“第一の契約”なんて、人間の知らないうちに行われるのだぞ。言ってみれば、“第二の契約”をしたことで祝福を受けたり呪われたりなんてことは、天使や悪魔自体が持つ、性質みたいなものだ。お前たち人間の中だって、関わったら幸福になる人間や、関わったら不幸になる人間がいるだろうが、そいつらにいちいち説明書きがあったり、友人になる時に説明を受けたりするだろうか? “私と関わると不幸になりますよ”なんて言う奴は、そんなこと言われる前から願い下げな精神疾患者くらいだろう』
シファーが言っていることには納得できる。納得できるのだが、どうして契約の前に涙目で懇願してきた奴に、こんな偉そうなことを言われければいけないのだろうか。だから、僕は言い返してやることにした。
『つまり、お前たち悪魔は関わるべきではない精神疾患者みたいな奴らってことか』
『私たちはただの悪魔ではない。私たちは天使にも悪魔にも嫌われていて、悪魔には“堕天使”と、天使からは“逆位置の悪魔”と呼ばれている』
『……知ってるよ』
僕は顔をしかめた。こいつはどこまでうざければ気が済むのだろうか。
『気にするなエニスタン。お前は元々神に見捨てられていて、運なんてほとんどなかったのだ。元々悪かったのが最悪に変わっただけだ。そんなに落ち込むな』
励ましてくれるのはありがたいが、最悪に変えた張本人が言っていい台詞じゃない。さては、こいつ、ちっとも僕に悪いなんて思ってないな。僕はため息をついた。
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学校に着き、ロッカーから荷物を取り出そうとした時、中から、びちびちびち……と何かがひしめきあうような音が聞こえてきた。恐る恐る開けてみると、中にはおびただしい量の蛾がいた。特に蓋の裏側には、隙間が無いくらいに蛾が付着している。僕は勢いよくロッカーを閉じた。
『勘弁してくれよ……』
運が悪くなったと言っても、限度ってもんがある。僕は具体的にどれくらい運が悪くなったか確かめるために、ブラウン先生の小テストを利用することにした。ブラウン先生は記述式のテストも好きだが、二択や選択問題のテストも出す。そして今日は二択のテストだ。これを利用しないわけにはいかない。しかし、ああ……ブラウンってなんてありきたりな名前。ブラックの方が一千倍はマシだ。
僕は問題を見ずに適当にチェックをつけていった。当然だが二択なので、普通ならこれでも半分は合っているはずだ。できた人からブラウン先生のところに行って○付けをしてもらうシステムなので、僕はいつも通り真っ先に彼のもとに行った。ブラウン先生はにこにこ顔で用紙を受け取り、点数をつけ始めたが、だんだんと表情が曇っていき、ついには泣き出してしまった。
「エニスタン、あなたがこんな悪ふざけをする人間だとは思いませんでした」
そう言いながら返された答案は、なんと0点だった。
『これは酷い』 シファーが呟いた。
「二択のテストなのですから、適当に答えたとしても、0点を取れるはずがありません」
『そうだと思ったんですけどね』 僕は心の中でぼやいた。
「あなたは答えがわかっていて、わざと逆に書いた。あなたにまでこんなことをされるなんて、私は先生として信頼されていないんですかね……」
僕は一生懸命言い訳を探した。すると案外すぐに思いついた。
「すいません、何となく、間違っている方にチェックをつけるものだと思っちゃって」
すると、先生の顔がぱあっと明るくなった。
「よかった……私、生徒に嫌われてるわけじゃなかったんですね!」
僕はほっとしたが、これで僕の運が絶望的に無いことが明らかになってしまった。
『……残念ですがブラウン先生、僕は神に嫌われているようです』
心の中でそうぼやいた。
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