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02-8

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 ことあるごとに彼に着いて行った。近所の空き地やちょっとした林、丸い石がたくさんある河原なんかに。男の子がするような遊びもたくさんした。ボールを蹴ったり虫を取ったり、彼女は蟷螂や飛蝗だって触ることができた。丸くなったダンゴムシを拾って投げることも。ビデオゲームをしたり、くだらない映画を見るのも好きだった。他の女の子たちがどういう遊び方をしているのかについてはまるで興味がなかった。きっと家の中に閉じこもって、お人形遊びやままごとみたいな恐ろしく退屈でバカバカしいことをしていたのだろう。

 彼を追いかけている。彼女は足も速い方だった。彼女のお気に入りの靴は、飾りがついたサンダルなんかじゃなくて、利便性を求めたスニーカーだった。草むらを駆け抜けて、彼の背中に触ろうとする。もう少しというところで、彼が振り返った。

“二度と僕に関わらないでくれ”

 立ち竦む彼女の前でドアがバタンと閉じた。


 最近、うたた寝をするとよく、頭の中が白くなっていくような、残酷な乳白色の悪夢を見る。優しい幼いころの思い出が、その温かさを持って彼女を痛めつけてくる。

 ダイニングテーブルに伏せて、長い間ぼんやりとしていると、だんだんと自分がそうやって落ち込んで何もせずにいるのが馬鹿らしくなってきた。普通の家なら今の時間にはとっくに親が帰ってきていて、机に伏せてべそをかいている娘を宥めたり慰めたりするところだろうが、彼女の母親にそれを期待することはできなかった。それでは一体、自分は誰に落ち込んでいることをアピールしているのだろう。慰めてくれる人もいないのに、どうして慰めてもらうためのポーズを取っているのだろう。

そう考えると空しくなってきて、ミリアは顔を上げた。すると、無造作に缶に立てかけてあるカッターナイフが目に入った。ミリアは顔を上げ、それを缶から取り出し、刃を出してみた。滅多に使うことが無いので、刃には欠けも錆も無い。その鈍い銀の刃を、ミリアは無造作に左の手首におしあてた。もし、こうすれば流石にママも心配してくれるかもしれない。それどころか、ジョージも同情して、また友人になってくれるかもしれない。その時のミリアの頭の中は、誰かに慰めてもらいたいという思いだけでいっぱいだった。彼女は右手に力を込め、刃をぐっと引いた。一瞬の間があって――すぐに赤い血がぷつっと溢れてきて、ミリアは焦ってティッシュペーパーを大量に掴んで、左手首に当てた。見る見るうちに紙は赤く染まっていったが、溢れて零れることはどうにか防げた。ほっとしたその時、今度はたった今つけた傷が、酷く痛むことに気づき、ミリアは軽く悲鳴を上げた。その悲鳴も、やはり誰もいない家の中で空しく響いた。

 “馬鹿みたい”とミリアは笑った。彼女は昔、友人の一人が言っていたことを思い出していた。その子は大好きだった男の子にフラれて、リストカットを繰り返していた。面倒見がいいミリアは、その子に“そんなことはやめた方がいい。傷は一生残る”“そもそも、そんなことする意味があるの?”と語り掛けた。するとその子はこう答えた。“彼は私の王子様だから、私が傷ついたらいつでも助けに来てくれるの” ミリアは困惑してもう一度問いかけた。“じゃあ、彼は、一度でも来てくれたことがあるの?”すると彼女はこう答えた。“無いけど。でも一生懸命来ようとしているとは思うわ” ミリアはそれを聞いた途端、彼女はもうダメだと思った。何も見えていないようだったからだ。周りを見ていればわかるはずだ。暴れまわることしか脳の無いジョック、へこへこすることしか頭に無いサイドキックス、ジョックを見下してるくせにいつもおどおどしているナード、自分の周りにいる男なんてそんなもの。いつでも自分を気遣ってくれる優しい王子様なんてどこにもいない。どうしてこんな簡単なことがわからないのだろうと、そう思ったのだった。しかし今、何も見えていないのは、自分の方だった。

今の悲鳴で駆けつけてくれるほどジョージは地獄耳ではないし、ママに傷を見せる意味も無い。疲れ切っているママは、たとえテーブルの上で娘が死んでいても気に留めもしないだろう。

 ミリアはカッターナイフが入っていた丸い缶の包装に描かれている十字架を見つめた。どうしてこんなに苦しんでいるのに神様は助けてはくれないのだろう、と思うと妙に腹立たしくなって、ミリアは血を拭いたティッシュで、十字架に赤いXマークをつけた。

 その時、一匹の白い蛾が飛んできて、天井の照明に何度か体当たりしてから、テーブルの上に止まった。それは蚕蛾のように全身が白い毛で覆われていて、目がくりくりとしている可愛らしい蛾だった。頭をこちらに傾け、羽を広げている。

 ミリアは最初、それを蝶だと思い、顔を近づけてじっと見ていたが、部屋の中に蝶がいるはずがない、これは蛾だと思い、慌てて体を遠ざけた。すると、どこからともなく“声”が聞こえた。

『傷つくな。蝶は綺麗で蛾は汚い、なんて思い込みで避けられると』

 ミリアは慌ててあたりを見回したが、もちろん誰もいない。

「蛾が……喋った!」 ミリアが驚嘆の声を上げると、蛾は呆れたように片手を上げ、振ってみせた。『やれやれ、僕が話しかけると、人間はいつだってそう言うんだよね』



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