02-5
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誰もいなくなった教室で、僕はしばらく笑い続けていた。あのミリアが大粒の涙を流しながら、茫然となったところを見ることができたのは、僕が初めてだろう。ほとんど完璧と言っていいゲームだった。すべてが僕の手のひらで思い通りに動いてくれた。やはり、人間はみな自分のことしか考えられない生物なのだ。その性質を利用すれば、利用するのは簡単だ。
ゲームの余韻に浸っていると、戸口の方から何かが這う音が聞こえた。普通の人なら聞き逃してしまうくらいのかすかな音だが、強力な聴力を持っている僕なら楽に感知できる。さっきだって、廊下から聞こえてきた足音から、教室に来たのがミリアだということは、彼女が声をあげる前からわかっていた。僕は絶対音感も持っているのだ。
しかし、這っている動物の種類まではわからなかったので、僕は注意深くドアに近づいた。そこにいたのは、“蛇”だった。僕はほとんどの蛇の種類を知っているのだが、この蛇の種類は正確には判別できなかった。インドコブラに酷似した形状の黒と茶が混じった色の蛇なのだが、2フィート以上の巨体で、背面の斑紋がヘキサグラムを描いている。そしておまけに、頭部に黒い王冠のような形状の突起物がある。
明らかにおかしな蛇で、何故ここにいるのかはさっぱりわからないが、もしこの蛇がインドコブラであるならば、神経毒を持っているはずなので危険だ。インドコブラは危険を感じると、頸部にあるフードを広げて威嚇してくるはずなので、フードを動かす気配するない今の状態は安全と言える。しかし、この蛇を何かに利用できないだろうか。この蛇の神経毒を使えば、簡単に人を行動不能にすることができるだろう。
蛇の目の前でそんなことを考えていた時だった。
『――斜め45度から見る世界はどうだい?』
その少ししわがれた声は、その蛇の方向から聞こえた。
『捻じれて、歪んで見えるかい?』
僕は素早くあたりを見回した。蛇は声帯を持たないので、喋れるはずがない。しかし、この蛇の位置から音が発せられているのは間違いなかった。
『捻くれているのは、世界の方か。あるいは――』 その瞬間、その蛇が丸い眼でじっと僕を見つめている気さえした。『君の方か』
「僕も焼きが回ったかな」 僕は笑いながらそう言った。「蛇が喋るはずがない」
『この世で二番目に愚かなのは、人が言ったことをすぐ鵜呑みにしてしまうことだが』 次に蛇は、僕を挑発するように言った。『一番愚かなのは、自分の目で見て耳で聞いたことすら、信じないことだ』
僕は笑うのをやめて、黙った。すると、蛇はこう質問してきた。
『ところで、どうしてお前はさっきみたいな酷いことをするのだ?』
「だって、おもしろいじゃないか」 僕は間髪入れずに答えた。「あんな風に酷い目に合わせてやれば、人は皆おもしろい反応をするんだよ。喚いたり、嘆いたり、泣き出したりね」
それを聞くと、蛇は納得しかねたのか、黙り込んだ。だから、今度は僕が質問してやった。「逆に聞くが、お前は一体何なんだ? 悪魔みたいなものか?」
『ただの悪魔じゃない』 蛇は即座にそう答えた。『私たちは天使にも悪魔にも嫌われていて、悪魔には“堕天使”と、天使からは“逆位置の悪魔”と呼ばれている』
それじゃあ、まるで童話に出てくる鴉みたいなものじゃないか、と僕は思った。獣にも、鳥にも嫌われてしまって、獣からは鳥呼ばわり、鳥には獣呼ばわりされる鴉みたいだ。しかし、悪魔が僕に何の用だろう?
「なあ、悪魔。僕には魂を売ってまで叶えたい願いなんてないし、お前に言われた通りに悪事を行うほど義理深くもないんだぜ?」
そういうと、蛇は腹を立ててしまったようだった。
『ふん、そんなのは普通の悪魔の仕事だ。普通の悪魔が人を悪の道に引きずり込むのに対して、私たち“逆位置の悪魔”は逆のことをする。お前みたいなろくでもない奴を相棒にするのは、かなり不本意だが……お前は他の人間と比べて頭もいいし身体能力も高いのだから仕方ない』
ああ、つまりご立派な悪魔なのか、僕はそう思ったが、その考えはすぐに裏切られた。悪魔は自信満々にこう続けたのだ。
『私と一緒に、神の――ご機嫌取りをしないか?』




