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セインが僅かに顔を上げるのを見届けて、彼女はくるりと背を向けた。
「ベル」
そして、セインに向けたよりはるかに強い語気で、堂々と言い放つ。
「この子はシルの。パパにも手は出させない。……許さない」
ぞわ、と身体中の毛が逆立った。いくぶん低く発した声には凄みがあった。もしかしたら、この子は「最強」と言われた男より強いのではないか――そう考えて、急いで打ち消す。
だが、今までこれほど面と向かってこの男に、いや、ベルンハルトを表に立てている背後の権力に逆らったやつがいただろうか。それはまず人々が思いもしないことで、ごくたまに変わり者が少しでも口にしたら、それどころか考えもしたが最後……。
だが、そんな心配をよそに、ベルンハルトは高々と笑い出した。
「あっははは! いいよシル、安心しな。僕はそいつを殺しもしないし、牢へ戻すつもりもないよ」
「へ?」
間の抜けた声を出したのはセインのほうだった。
「朝目が覚めたら、つい先日捕まえたばっかの犯罪者がこんなところにいてびっくりしたけどさぁ。もう勝手に連れ出してくるなんてやめてよね」
「は?」
状況を全く飲み込めない頭を、彼は必死に動かそうとした。常識的に考えて、しかも、王が絶対的な権力を持っているこの世界で、反逆者を捕らえておくつもりがないなどあるはずもない。その上、目の前にいる年端もいかない子どもが、セインを連れ出し、さらに許されているなどと。
「ほ、ほんと……?」
少女は、あまりにあっけない展開に驚いているようだった。
ベルンハルトはあっけにとられている2人を交互に見、さわやかな笑みを浮かべる。数歩進んでセインの前で膝を立てて座り視線を合わせた。男の瞳あまりにも暗く、深海を見つめているように、底がうかがえなかった。その奥に、彼の真意は――王の思惑は沈んでいるのだろうか。セインには分からなかった。
眼前の男は、すっ、と手を上げ、彼の胸を指さす。
「君の自由を認めよう」
ただし。紡がれた言葉に、セインは眉をひそめた。
「今から、このギルドの一員になってもらう」
「……どういうことだよ」
しぼり出した声は震えていた。息を吸い込むと、怒涛のように釈然としない気持ちがあふれだした。
「どういうことなんだよ! お前らにとっちゃ邪魔にしかならない、こんな反乱分子を生かしといていいのか!? お前らにとっちゃ、俺なんてすぐに握りつぶせるんだろ! 王が生かせって言ったのかよ、生かしておくメリットなんてないだろ。俺がいいなんて言うと」
「君はまず、自分が生き延びたことを素直に喜んだほうがいいと思うよ」
ベルンハルトは単刀直入に告げた。
「……っ」
言葉が続かない。布団の下で、ぐ、とこぶしを握る。
「もちろん、取るに足らない君を生かしておくメリットなんて、本来なら少しだってない。でも、状況が動いたんだよ」
男はすうっと目を光らせると、ちらりととなりの幼女を見て微笑んだ。
「君も彼がいてくれたら嬉しいだろう。な、シル?」
「うん!」
屈託のない口調で、彼女は瞳を輝かせて言う。
「シルと遊んでくれるかなぁ」
「もちろんさ。彼は、君の遊び相手をしてくれるんだよ」
「やったぁ!」
彼女は心底嬉しそうに、部屋を跳ねまわった。彼女の側頭に垂れた耳も、ふよふよと跳ねる。その様子を暖かい目で見守りつつ、男は少しボリュームを落として言った。
「つまり、そういうことだよ。ギルドの一員になると言っても、危険因子の君には僕らの仕事を手伝わせるというわけにはいかない。君だって大事なお仲間と戦うのは嫌だろ? ……まぁ、よって、ここであの子の面倒を見てやってほしいんだよね」
なぜ、という言葉は飲み込んで、セインは何も言わなかった。逃げ出すのを諦めさせておいて、さらにフィールドに出る機会を与えず仲間との遭遇・逃走の可能性を封じる。ギルドに入れるというのは、彼を監視しやすくするためだろう。状況が動いたという発言の意図は分からなかったが、どうせ仲間を捕まえる三段でもついたのだろう。彼を囮にするという方法を、実行しようとしているとしてもおかしくはない。
これが自由? ばかげてる。牢から出ようが出まいが、彼の状況は何ら変わっていない。ギルドという足枷をはめられた現状では、ただ牢が大きくなったに過ぎない。
「『シルキーヴェールの世話をすること』」
セインはぼんやりと聞いていた。
「それが、君に与えられた任務の全てだよ」