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第一章 雨宿りのよすがに act.2

 ふざけんな、負けてたまっかよ。

 完全に本気になった信太{しんた}が、柊子{しゅうこ}に圧倒的な実力差を見せつけられている頃。

 後期生用校舎内にある生徒会執務室では、直江一矢{なおえひとや}が今年度の新入生の名簿を繰っていた。

 一般の生徒配布用のものではない。生徒本人の現住所や連絡先に加え、寮生の場合は実家の住所、さらには保護者や身元保証人の情報まで記載された詳細版だ。

 生徒会長という立場ゆえに閲覧が許可されている、というわけではなかった。左京衛府{さきょうえふ}の公務の一環として請求したものだ。

 念の為に一通り確認しておきたいというのが表向きの名目で、それは嘘ではなかったものの、より積極的な理由が他にあった。

 ――やはり、“あすかい”では載っていないか。

 目当ての生徒を調べながら、一矢は頷く。


浅香柊子{あさかしゅうこ}。葵{あおい}出身。父親は帝府{ていふ}の役人。葦原京{あしはらきょう}での身元引請人も同じく帝府の役人だが、現在は京府{きょうふ}に出向中。


 どちらも知らない名だったが、それは当然のことである。たとえ皇府{こうふ}の役人だろうと、直接繋がりのある相手でもなければ知りはしない。まして帝府の者ならばなおさらだ。

 一応問合せてみるという手もある。浅香がこちらの衛士{えじ}に怪我を負わせたのは事実なのだから、特に不自然ではないだろう。

 強いて問題にしようというのではない。だいたい子供一人に三人もの衛士が叩き伏せられたなど左京衛府の恥だ。それに一鉄から聴取した内容からすると、負傷した小士長の方にも確かに非があったらしい。事と次第によっては、こちらが詫びるという形にしてもいい。

 だがそこまでする必要があるだろうか。

 一矢は腕を組んで目を閉じた。

 彼女のことは確かに気になる。だがそれは多分に一武人としての興味に過ぎない。浅香が東の古式{こしき}の遣い手だったとして、それが公務にどう影響するというのか。「ひらひらした服を着た負けん気の強い少女と遭遇した際には十分注意するように」と巡察隊に触れでも出すか。馬鹿馬鹿しい。

「会長、お仕事ですか」

 ノブが回る音に気付いた時には既に名簿は閉じていた。野嶋が側に来るよりも先に一矢は席を立ち、会長専用のキャビネにしまって鍵を掛ける。もっとも大して頑丈な代物ではないから、工作用具の一つも使えば普通の学生でもこじ開けるぐらいできるだろう。単に他の人間には見せる意思がないことを態度で示しただけだ。

 一矢の行動に対し野嶋は特に言及しなかった。いつもの通り左奥の席に着く。

「私の用はもう済みました」

 一矢は野嶋に言った。

「副会長殿は今日はどうしてこちらに?」

「僕は予算の見積りに。部活動の人数が増えますからね。申請が出てからばたばたするより、予めおよその見当を付けておいた方があとで楽です」

「なるほど、そういうものですか」

「そういうものです」

 一矢は素直に感心した。こと実務処理能力に関しては、会長である一矢よりも副会長の野嶋の方が数段勝っている。

「私に何か手伝えることはありますか?」

「特に何も。あなたにできることは偉そうにふんぞり返ることと生徒の人気取りだけですから。少なくとも僕の認識ではそうです。会長のお考えはどうか知りませんが」

 野嶋の嫌味を一矢は受け流す。

「私は副会長殿の尽力にはいつも感謝しています。役員の皆もきっと同じ気持ちだと思います。それでは、私は公務がありますので」

 一矢は会釈をしたが、ファイルを横に広げて電卓を叩き出した野嶋は顔も上げない。

 好悪の念はともかくとして、一矢は野嶋のことはそれなりに買っている。空気を悪くするような言動も、他の役員に向けられることはないので特に問題視していなかった。生徒会長選の後、ほんの形式のつもりだった副会長就任の要請を受けてくれたことに感謝しているぐらいだ。

「ああ、そういえば」

 背後の声に振り返ると、野嶋が珍しく真っ直ぐに視線を合わせてきた。それでも表情はひどく分りづらい。

 誰かに告白する時にも副会長殿はこんな具合なのだろうか。埒もないことを考える。

「新入生の中に傷だらけの顔をした女生徒がいましたが。会長の仕業ですね」

 野嶋が断定する。一矢は表情を変えずに問い返す。

「なぜ私だと?」

「会長のことを凄い顔で睨んでいましたから。たぶんあなたが何かよからぬ因縁を付けて殴ったのだろうと」

 今度は冷静さを保つのに若干の努力が必要だった。

「……実は常々疑問に思っていたことなのですが。副会長殿は、私のことをいったいどのような目で見ておられるのでしょうか」

「魔王、でしょうか」

 野嶋は少し考えてから言った。

「暴力と威圧と傲慢と暴力による統治が有効であるのは認めます。しかしやや特殊な事情があるとはいえ、ここはあくまで学校ですから、単に気に入らないからというような理由で私的な制裁を加えることは慎むようにしてください。何か問題があるようでしたら、言ってくれれば僕の方で適切に対処します」

「野嶋先輩」

「何ですか、会長」

「私は過去にそのような行為に及んだことはありませんし、今後もありません。さらに言わせてもらえば、あえて二回も繰り返されるほど暴力的な人間でもないつもりです」

「ではあの生徒のことは関係ないと?」

「それは」

 一瞬言葉に詰まる。

「公務に属することですので」

 野嶋は顔を伏せると再び電卓を叩き始めた。

 今の言い方では間接的に自白したも同然だったと遅まきながら気付き、言い訳をするべきか暫し悩む。

 だが結局しないことにした。黙って室を出ようとする直前、野嶋が小さなため息を洩らしたのを、耳のいい一矢は聞き逃さなかった。

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