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序章 ストリート・ファイティング・ガールズ act.1

 人によってはどこかちぐはぐだというふうに思うだろう。

 その少女は春らしい若草色のブラウスに臙脂色のベストを合わせ、下はフリルのたっぷり付いた白いロングスカート。

 少しばかりフリルの数が多過ぎるものの、生地も仕立てもいいのだろう、装飾過多というよりは凝った高級品という印象だ。

 一見すると裕福な上京民のお嬢様、というのが大袈裟なら、いいとこのお嬢さんといったところか。

 髪は活発そうなセミショート、もっと長い方がよりそれらしくはあるかもしれないが、手入れはきちんとされているらしく、跳ねっ毛もなく綺麗にまとまっているからこれはこれでありだろう。まだ子供といっていい年頃であることを考えれば、むしろ清潔感があって好ましいともいえる。

 ただ一点、他とそぐわないところがあるとするなら。

 目だ。

 少しだけ茶色がかった瞳の放つ、光の強さ。

 体はごく普通の可愛げな女の子、しかしその内に宿る魂は異世界の勇敢な戦士のもの――そんなファンタジックな役柄を演じさせればきっとこのうえなくはまるだろう。

 だがもちろん実際にそんなことはなく。

 飛鳥井柊子{あすかいしゅうこ}は当年とって十二歳の至って真っ当な女の子であり、生まれてからずっと女の子をやっている。

 今その視線が向かう先にあるのも、物々しく武装した兵士の一団、などでは全くなくて、爽やかなブルーグリーンに塗装されたアイスの屋台だった。

 客商売としては立地はかなり悪いだろう。広い宮址{きゅうし}の敷地の中でも端も端、ここまで辿り着くためには樹々に囲まれた小道を長々と歩いてこなければならない。生垣を挟めばすぐ外の路地に面してはいるのだが、ほとんど人通りもないうえに、近くに出入りするための門もない。ほとんど離れ小島みたいなものだ。

 にもかかわらず柊子の前には七人もの客が待っていた。しかもこれでも半分に減ったのだ。

 柊子は気が気ではない。自分が来る前も含めてこれまでに何人ぐらいの客があったのか。

 美海屋{みうみや}のアイスクリームは「限定五十食!」などと謳われているわけではないが、多く見積もっても百人分はないだろうというのが玲{れい}の見立てだった。

 彼女の情報は信頼できる。柊子が上京するにあたり、ほとんどどこからも反対意見が出なかったのも(強いていえば馬鹿兄貴が「淋しくなるなー」としょんぼりと呟いたぐらいだが、柊子本人を含め誰からも顧みられなかった)、あの桧川玲{ひかわれい}が後見役を務めるのであれば、という理由が大きい。

「すいません、ミントメロンは終わりました」

 落ち着いたアルトの声が耳に届き、柊子はびくりと顔を上げた。

「え、ないの」

 残念そうに言ったのは柊子の四人前の男性客である。

 柊子も全く同感だった。玲によれば「最近の一押しです」ということだったからだ。

「それじゃクルミミルクは?」

「はい」

 よかった、そっちはまだ大丈夫だったかとほっとしたのも束の間。

「お客さんで最後ですね。少し多めに盛ってしまってもいいですか。全部空けてしまいたいので」

「いい、いい、もちろんいい。増量分払ってもいい」

「いえ定価で。三百五十円になります」

 客が嬉しそうに摘み出した硬貨を見て柊子は眉をひそめた。大振りのたぶん銅製で、真ん中に丸い穴が開いている。あんなお金は触れたこともない。

 だがアイス屋さん(店の名前そのままに美海さんというらしい)は気にしたふうもなく受け取ると「百五十円のお返しです」とこちらは見慣れたお金を差し出した。

「お待たせしました。クルミミルクになります。ありがとうございました」

 紙カップに山盛りのアイスを片手に客はほくほくと引き返す。お湯をかけた角砂糖みたいに顔が緩んでいる。いい大人のくせにみっともない。

 やっぱり化外は駄目だな。

 無用な敵意は持たない。そう心掛けるつもりだったのだが、早くも挫折してしまいそうだ。

 それにまさかとは思うが、もしれっきとした帝民{ていみん}のくせに、西の贋金など使うような不届き者だとしたらますます許せない。

 これはアイスがどうこうという話ではない。帝{みかど}に対する忠誠の問題だ。葦原京{あしはらきょう}は実質的には自治都市とはいえ、原理的には帝府の統治下にある。ゆえに貨幣も帝領のものを使用するのが正当だ。つまり柊子が憤慨しているのは最後のクルミミルクを目の前でかっさらわれたこととは一切関係がないのだ。それはもう断じて。

 しかし柊子は意識して気持ちを落ち着ける。

 クルミミルクを(そしてミントメロンを)食べそこねたのは確かに残念だが、他の種類だって十分以上に満足できるはずだ。苛ついたりしていては折角のアイスがもったいない。

「お客さんすいません、あとバナナバニラ一個分しかないんです。それでもいいですか?」

 最初、自分が言われたのかと思った。というかそう思いたかった。

「はい、それでお願いします」

 だが答えたのは柊子のすぐ前に並んでいた青年で、ということはつまり。

 売り切れ……。あと一人というところで?

「や、そんなのずるいっ!」

 思わず叫んでいた。だってあんまりじゃないか。帝府葵{あおい}から葦原京まで独りはるばると電車に揺られて来たのはひとえに美海屋のアイスクリームを食べるため、というのは真っ赤な嘘だが、つまりはそれぐらいの衝撃だった。

 後ろでくすくすと笑う声にきっとして振り返ると、女子高生らしい制服姿のおねえさん達が「よっぽど食べたかったんだねー」「気持ちは分るけど、でもあそこまでは」「ねー、超うけるー」「あはは、かわいいじゃん」「また明日来ようね」「明日もあの子いたりして」「で、また売り切れなの」などと賑やかに喋くりながら去っていく。

「はあ……」

 一気に脱力する。いっそこの場に座り込んでしまいたい。どうせなら明日の朝までじっとしていようか。それなら絶対売り切れにならないだろうし。

「これ、良かったら」

 目の前に差し出された物の意味を、柊子はすぐには理解できなかった。

 屋台と同じ涼しげなブルーグリーンのカップに、黄味がかった白いアイスがこんもり山になっている。甘くて優しい匂い。

「僕はもう何度か食べたことあるから。君は初めてなんでしょう?」

「そうですけど……」

 戸惑い気味に答える。どうして分ったのだろう。荷物はほとんど送ってしまったから、今は小さなショルダーバッグを掛けているだけだ。上京したばかりなのが一目瞭然ということはないと思うのだが。

「変、ですか。わたしのかっこ」

 自分の着ている服をしげしげと見直してしまう。結構気合いを入れて(だけど入り過ぎにならないように)選んできたつもりなのに、この街の人の感覚からするとずれているのだろうか。

「いや、全然そんなことはないです。とても可愛いですよ。よく似合ってます」

 アイスを持った青年は真顔で言った。

「でも僕なんかが言っても説得力ないですね。自分が着るものだって適当なのに、まして女の子の服装をどうこう言う資格なんてないだろうし」

「そ、そんなことないと思いますっ。だってお兄さん素敵だもん!」

 口走ってしまったあとで頬が熱くなってくる。初対面の男の人を相手にいきなり何を言ってるんだ。

 だが褒めてもらったお返しとかではなく、素直な感想だった。

 青年はことさら目を引くという方ではない。水色と白のストライプのシャツに、紺のジャケットという取り合わせはむしろありがちといえるだろう。だが均整の取れた体付きと落ち着いた佇まいにしっくりと合っていて、ファッション雑誌のグラビアには載らなくても、日常の一場面の中ではとても様になっている。

「光栄です。ありがとう」

 柊子の賛辞を青年はきちんと受け取ってくれた。

「じゃあ改めてどうぞ。ここのアイスは本当に美味しいからね。葦原京にいるなら、一度は試してみないと」

「ありがとうございます、いただきます」

 遠慮はしないことにした。新しい街での最初の出逢い、その祝福の贈り物を感謝を込めて受け取ろう。

 カップを渡された拍子に指先が触れ合う。だけど慌てて引っ込めたりなんかしない。あくまでも自然に。ごくごく普通に。感じた温もりは、少なくとも不快ではなかった。

 添えられていた木の匙をアイスの中に差し入れる。表面はもう溶け始めていたが、奥の方には詰まった手応えがある。それでいて固いというのでもなく、ちょっと力を込めただけですんなりとほどけていく。

 柊子はたっぷりとアイスをすくい取った。いかにも女の子らしくちまちまと食べるより、少しばかりはしたなくても思い切りよく口の中に入れた方がきっとおいしい。

 それでも青年の方を窺ってしまったのは、呆れられたりしないかと一抹の不安が過ったからか。

 知り合い未満に過ぎない相手のことを、やたらと気にしてしまっている自分に少し驚く。

 わたしって、こんなに簡単に誰かに惹かれるような子だったんだ。十二年間生きてきて初めて知った。

 青年が腕時計に視線を落とした。待ち人だろうか。本当はその人にアイスを奢るつもりだったとか。

「あっと」

 匙の上のアイスがカップへこぼれてしまった。危ない危ない。だけど服の上に落ちなくてよかった。

「気を付けて」

 視線を上げると、店仕舞い作業中の美海がこちらに顔を向けていた。やはり作り手としては大事に味わって食べてほしいということなのだろう。柊子も同意見だ。丹精を込めて作られたものには須く敬意を払うべし。

 柊子は改めてアイスをすくった。何やら慌ただしく走り寄る音が近付いてくる。売り切れを心配して急いでいる人だろうか。だが残念ながら手遅れだ、最後の一個は優しいお兄さんのおかげで柊子の口へ。

 入らなかった。

 足音は速度を緩めないまま柊子へと突っ込んだ。

 いつもなら回避も余裕だっただろう。だが生憎その時の柊子の精神の七割はアイスの方へ向いていた(残りの三割のうち、二割は青年で美海が五分だ)。

 わけも分らないまま体当りを喰らい、転ばないようにするのが精一杯、さらによろけたところを突き飛ばされた。

 なおも受難は終わらない。むしろ三倍増しでやって来た。

 ふらつく柊子に三人の男が迫る。揃って着ているのは、黴の生えた亀の甲羅みたいな不快に深い緑色、野暮ったくて物々しい詰襟だ。

 柊子の緊張は一気に高まる。

 ――こいつら、左衛府{さえふ}の衛士{えじ}だ!

 葦原京で一番警戒を要する連中である。

 しかし当然狙いは柊子ではなさそうだった。先の不埒者を追っているみたいだが、ちょうど左京衛士達の進路上に柊子はいる。偶然の不幸などではない。追跡を妨害するための障害として不埒者が柊子を投げ出したに違いない。

 そして追われている側に劣らず、追う側もろくでなしだった。彼らにとって柊子は文字通り邪魔物だった。先頭に立つ巨漢の左士が走りながら無造作に太い腕を振る。

 咄嗟に顔と胴を庇った。ぎりぎりで間に合い、重い衝撃によろめきはしたもののどうにか転倒することは免れる。

 左士達はそのまま不埒者を追いかけ、植込みをかきわけると道路の方へ抜けていった。まるで猪の群れが通り過ぎたみたいだった。

「ちょっと君、大丈夫だった?怪我はない?」

 駆け寄ってきた青年が両肩を持って支えてくれる。優しく、それでいて力強い手だ。

「平気です。ありがとう」

 笑顔で青年に礼を言い、だが一方で毒づかずにはいられない。

「それにしても何なんだあいつら、あったまくるなー」

 厳しい、というより険しい口調で青年が返す。

「衛府の人間だ。できるだけあいつらには近付かない方がいいよ。何をされるか分ったもんじゃないからね」

「衛府っていうか左衛府ですよね。あの趣味の悪い制服は」

「別に右衛府{うえふ}だって変わらないさ」

 平坦に続けた後、青年は気付いたように言い足した。

「そうか、君は東から来たんだね」

「帝領からです」

 柊子は訂正した。

「よかったら使って」

 しかし青年はもうその話題には触れず、チェック柄のハンカチ差し出した。

「染みになるといけないから」

 柊子は青年の視線を辿る。

 ――え?

 瞬きを二回する。視界に入ったものが頭の中で意味を成す。そして柊子のうなじの毛は逆立った。

 下ろしたての臙脂のベストと、身に着けたのは今日でまだ二回目のスカートに、歪な水玉模様ができていた。左手に持っていたカップの方は中身がすっかり空になっている。少し離れた土の上には服を汚した残りのアイスがひしゃげていた。

 泣きそうになった。だけど泣かない。

「お借りします」

 柊子はハンカチを受け取ると、染みが広がらないように表面だけ軽く拭った。

「これ、洗って返しますね」

 ハンカチをショルダーバッグにしまい、代わって取り出したのはシルバーピンクの携帯電話だ。

 青年から距離を置き、先頭に登録されている番号を呼び出す。

「レイ?わたし。うん、いま美海屋のところにいる。それなんだけどさ、ちょっとトラブルで。ううん、わたしは全然平気。で、ちょっと調べて欲しいことがあるの。左士が三人……うん、うん、了解。じゃまたあとで」

 電話を切る。足を踏み出そうとして途中で止まり、青年のところへ引き返す。

「あの、もしよかったらお名前を教えてもらえませんか。わたしは、えと、浅香っていいます。浅香柊子です」

 青年はすぐに応じた。

「三島國明{みしまくにあき}、葦原大の三年です」

「わたしは真秀学園{しんしゅうがくえん}の一年生です。っていっても入学式まだなんですけど。今日は三島さんと知り合いになれて嬉しかったです」

「こちらこそ」

「またね、三島さん」

 後ろ歩きをしながら手を振って、林の中の小道に入って三島の姿が木立に遮られたところで前を向く。ちょうど携帯に着信が入る。

「はい……了解、さすがレイ。大丈夫、ちょっと挨拶するだけだから。何かあったらまた掛ける」

 携帯を切った柊子は、まるで重力を軽くしようとするみたいに三度ばかりその場で跳ねた。

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