卒業(前編):どうか君は笑っていて。いつか僕らがまた逢う時に、きっと目印になるから
木田悠斗が柳瀬美由紀に告白した。
卒業式が始まるずっと前、早朝の教室。思いの丈をぶつけた木田に柳瀬もOKの返事をして、めでたく二人は付き合うことになったのだという。
志乃の情報によれば、木田は家業を継ぐ為卒業後は県外に修業の旅へ。柳瀬は父親の実家がある九州の国立大に合格したため、親戚の家に身を寄せることになる――超・長距離恋愛なんだとか。
「つーか木田の修業って何」
「さぁ?」
テキトーさを滲ませながら首を傾げる志乃を小突いてあたしは笑った。二人が今後どういった恋をするのか、続くのかあっけなく別れるのか。そんなものに興味はない。
「さぁて、行きますか」
志乃に言われて立ち上がる。廊下にはもうクラスメイト達が出席番号順に列になっていた。この状態で体育館に入場するのだ。
――――卒業式が、始まる。
(……ベルトコンベアーを想像してもらいたい)
あたし達は制服を着せられた製品だ。高校という名の工場から大学へ、あるいは社会へ。受験が終わればタグを付けられて、後は出荷を待つ身になる。ベルトコンベアーに乗っかった生徒達の図は中々にシュールだと思うけれど、あながち間違ってもいない。
どんなに待ってと懇願しても時間は流れて、卒業式はやってくるから。
そんなことをつらつらと考えているうちに、何時の間にやら我がクラスの一団は体育館に到着していた。列を乱さないようにして進めば、盛大な拍手に迎えられる。吹奏楽部のナンタラいう曲に合わせて後輩や、保護者達から贈られる音。でもそれはあの日アイツ等と共に立ったステージ上で浴びた、割れんばかりの拍手に比べれば小さなものに聞こえた。
『一同、礼。着席』
苗字しかわからない学年主任の声に合わせて全員が同じ動作をする。滑稽だけれど、すっかり身に染みてしまった動きに狂いはなかった。たいした練習もしていないのにタイミングはばっちりだ。
ここから先は睡魔との戦いになる。最後の最後まで不謹慎だとは思うけれど、あたしが惜しむのは学校や友人との別れであって校長の話に興味はない。来賓祝辞も右に同じ。
名前を呼ばれて起立するだけの卒業証書授与――各クラスから一人ずつ選ばれた代表が直接壇上に上がって受け取る――が終わるまでは、誰もが暇を持て余すわけだ。これは毎年のこと。
――その退屈な空気が一変したのは、在校生代表が送辞を読み上げる順番が来てからだった。重い腰を上げた卒業生と向き合って凛と声を張る、現生徒会長。あたし達の代から次へは引継ぎ済みなので、二年生だ。今時珍しい、真面目を絵に書いたような外見の彼が読み上げた送辞は型にハマった面白みの無い物だった。……でもそれにさえ心打たれてしまう、卒業生なんて大概感傷的だ。
あたしは涙ぐむ友人たちをどこか冷めた目で見ていたけれど、答辞――卒業生代表が壇上に上がる番になったらもう駄目だった。
なんで毎年毎年、代表者って涙脆いの? 最後まですんなり読めた例しが無い。震える声とか、息を詰める音とか。そんなものがマイクに入ったら、困る。
こっちまで泣けてきちゃって、困る。
( 思えばいととし この年月 )
いまこそ わかれめ
いざ さらば
「はい、今日打ち上げ行く人ー!? てか来ないとか言わせねェ、全員参加ね! けってーい!」
大きな拍手に包まれて校歌をバックに退式した後は、写真撮影だの色紙のプレゼントだのと大騒ぎになった。うちのクラスが渡した色紙は担任をひどく感動させたようで、渡された本人は涙ぐんでたくらいだ。サプライズ大成功。誰かがおどけてそう言って、みんな笑った。
高校最後のホームルームが終わった後は、皆思い思いの時間を過ごす。思い入れのある場所や教師、後輩に挨拶に行く奴が殆どだけれど、教室で友達と延々だべってる奴もいる。そんな中であたし達は、いつもと全く変わらない選択肢を選んだ。
「帰ろうぜ、篠崎」
「おー」
井沢に向かって手を挙げれば、それまであたしと一緒にいた志乃はにやりと笑った。
「じゃあ、またねハル。打ち上げもちろん来るでしょ?」
志乃とは一枚だけ一緒に写真を撮った。あたしの使い捨てカメラはフィルムがまだまだ余っている。
あたしはちょっと首を竦めて、曖昧な志乃に返事をした。
「行くよ。……間に合えば、ね」
「は?」
「篠崎、ハルカが待ってんぞー」
「へーへー。じゃね、志乃」
何か言いたそうな志乃を残してあたしは井沢と教室を出る。
廊下で待っていたハルカが、白い歯を見せて笑った。
「はるちゃん、健吾、帰ろ」
三人横に並んで、駅までの道をだらだら歩く。あたしの右には井沢が、左にはハルカが。三年間かけていつのまにか決まった定位置を、今日も忠実に守っている。
……三年間。長いようで短い、けれど短いあたしの人生なら六分の一。それだけを捧げてきた“高校生活”という一つの世界に、今日あたし達は別れを告げた。
「あー、にしても普通だったなァ卒業式」
いったい何が不満だったのか、歩みは止めないまま突然井沢が声を上げる。
「普通って?」
「ホラ良くあるじゃん、どっかのアーティストがシークレットライブに来るとか。俺そーゆーのが良かった」
「ばぁぁか。来るかよ、私立じゃあるまいし」
何を言いだすのかと思えばくだらない。あたしが一刀両断すれば、井沢は不貞腐れたように呟く。
「だーってさァ、小中高と似たようなこと三回もやってんだぜ? いい加減飽きたっつーの」
「まーそうだけど」
「でも僕、その“普通”っぽいのが好きだよ」
いつものように肉まんを買うため財布の中身をチェックしていた、ハルカが視線はそのまま口を挟んだ。聞いていないようで、意外とこいつは人の話に耳を傾けていることが多い。
「大学じゃあもうこんなことやらないでしょ? そう思うと、なんてゆーか」
「そういう考えもアリっちゃアリか」
あ、10円足りない。
ひどくショックを受けたように言うハルカが余りにも情けなくて、井沢が苦笑しながら自分の財布を出す。あたしはそれを横目で見ながら、ハルカの言葉の意味を考えていた。
普通が良い。ハルカの目から見る普通は、あたし達のそれよりもきっと。
「あーあ、でもホント早かったなぁ三年間。健吾に会って、はるちゃんに会って。不思議だよねぇ、毎年毎年、過ぎるのが早くなってくような気がしたよ。小学生の頃はね、僕、一生大人になることなんて無い気がしてたのに」
「それはだなァ、ハルカ」
不思議だと繰り返すハルカに、井沢が自信ありげにニヤリと笑う。
「年食うごとに一年が短くなる、コレ当たり前なんだぜ」
「なんで?」
「例えば五歳のガキなら、もちろんそいつは五年間しか生きてないわけだろ。一年間はそいつの五分の一だ」
「ふんふん」
「それが、十歳なら十分の一になる。俺達十八なら、十八分の一」
「あ、」
「見ろ! どんどん短くなってんじゃん!」
「わあぁぁ! ホントだぁ凄いや健吾っ」
「すごくね? 俺すごくね?」
アホか!
叫んだあたしの言葉は無視して馬鹿二人、世紀の大発見とか言いながら大騒ぎを始める。井沢の自信はどこから来るのかわけがわからないし、鵜呑みにするハルカもハルカだ。
馬鹿だなぁ、と思う。一年は一年。誰にとっても等しく365日、時々プラス1。
(馬鹿だなぁ……)
そんなこいつらを愛しいと思ってしまうあたしも、大概馬鹿だ。
「あ、俺も金無いや。篠崎、貸してー」
とりあえずハルカと井沢の頭に一発ずつ、チョップを落としておくことは忘れない。
「じゃあ、また後でなー」
馴染みの電車に乗ってあたし達よりも少し前の駅で降りて行く、ハルカを二人で見送った。
ハルカちゃんと打ち上げに出る気でいるらしい。後で会うことを井沢と約束していた。
「じゃあ、お前も打ち上げで。遅刻すんなよ、ヨネがへそ曲げるから」
「あっそー」
井沢とあたしは最寄り駅からは逆方向。いつも改札で別れる、今日もその通りにした。ちなみにヨネっていうのはうちのクラスの祭り好き、打ち上げ幹事の米谷のことだ。井沢とは仲が良い。
「じゃあ……また」
「あ、篠崎!」
井沢に背を向けた所で呼び止められて、あたしは少しだけ眉を寄せる。今までにこんなコトは一度だってなかったのに。
何、言いながら振り返ると井沢はあたしに向かって、真面目くさった顔で一言だけ言ったのだった。
「ハルカのこと、頼むな」
その時のあたしの顔は物凄く間抜けだったことだろう。自覚があるんだからそりゃーもう凄まじかったに違いない。いつもの井沢なら絶対、『何そのアホ面、お前今鏡見てみろすげー面白いもんが見れるから』くらいのことは言ったはずだ。
「……ハァ? 何言ってんの、なんで頼まれなきゃいけないわけ」
「そっか。いや、何でもない」
けれど井沢はどうにかすっとぼけたあたしに向かって、そう言っただけだった。
「……悪ィな。忘れろ」
「え、アンタが謝るとかキモイんですけど何?」
「おぉィィィィ、しばくぞ」
結局、いつものように軽い罵言の応酬に発展した後あたしたちはお互いに背を向けた。……あたしは帰るフリをして本当は、井沢が見えなくなるまで駅にいた。
「……お前に言われるまでもねーよ、井沢」
井沢は本当は全部、知ってるんじゃないだろうか。わかってる上で全部、あたしに託してしまう気なのかもしれない。
「ばぁぁぁぁか」
あたしはポケットにしまい込んだ定期をもう一度取り出した。さっき通り抜けたばかりの改札を過ぎて、ホームに戻る。時計の針は16時20分を指していた。今から戻ればちょうど良いだろう。
……これからあたしは、久世遥に会いに行く。