二日前:旅立つ僕等で最後の祭りを。ホラ皆そうさ、馬鹿は馬鹿なりに飾ろうじゃないか
更新再開しました。永らくお待たせしてしまい申し訳ありません……!
ライトが眩しい。生徒達の体温と照明の熱さを肌に感じて、頭がぼおっとしてしまう。
見てみろよハルカ、これがあたし達の世界だ。小さな体育館、押し籠められた学生達、教師と古びた校舎。
あんたが、失いたくないもの。
三月五日――送別会、当日。
少しだけ寝坊した。原因は言わずもがな。あいつに言われた言葉をずっと考えている。
僕が、僕の為に、言いたいことがあるから。柔らかなハルカの台詞がぐるぐる頭を巡る。エコーのオプション付き。
なんて自己中な奴だろう、自覚が無い分井沢なんかよりもタチが悪い。勝手に独りで悩んで自己完結して、あたしの事なんか気にも掛けやしねぇ…………というのは、嘘。本当はわかっていた、あいつの頭の中くらい。何を言おうとしているのかも。
(あーあ)
あたしは、怖いんだ。今になってこの感情を認めてしまうことが。
結局10分ほど遅刻して学校に行った。本日の予定は送別会オンリー、出席は自由。卒業間際の一台イベントをサボタージュする輩なんていないと教師側も踏んでいるのだろう。実際それに間違いはなく、この三年間で遅刻魔・サボリ魔の称号を得た生徒もちゃっかり体育館には顔を出しているのだった。
「遅かったじゃん」
「寝坊した」
既に照明の落とされた館内、自分の席にそろそろと近寄ると志乃に声を掛けられる。どうやらちょうど、校長による開会の言葉を終えた辺りらしかった。超ラッキー……いつも思うことだけどあの長話しはいただけない。聞かなくていいなら万々歳だ。
送別会は有志による出し物でプログラムの殆どが構成される。発表に使用するメインステージに近い所から三年、二年、一年生の順に席が並んでいて、職員はその両サイド。保護者用の席もあるが数は少ない。
一年生の頃はステージが遠くて、満足に見えなかったことを思い出した。時は流れ今や一番近く――ちょっぴり感傷に浸りそうになる。
と、突然放送が入った。
『只今より、有志団体による発表を行います。プログラム1番――――』
「よっしゃ、行くわよハル!」
瞬間、志乃があたしの手を掴んでパイプ椅子から立ち上がった。そのまま物凄い勢いでステージの前まで走ってゆく。
あたし達だけじゃない、アナウンスと同時に殆どの三年生が席を立っていた。我先にと人並みを掻き分けステージ前を陣取る様は可笑しくすらあるけれど、これも毎年のこと。皆で一体になって楽しもうとする、この学校のノリはあたしも嫌いじゃなかった。
生徒達の集団大移動が落ち着いて静けさを取り戻した時、突然大きな音が体育館に響き渡った。わっと歓声が上がる。登場した有志の一番目は女の子五人によるダンスの披露で、煌びやかな衣裳に身を包んだ彼女達はBGMに合わせながらステージ上を舞った。かなり練習したんだろう、統率された機敏な動きに皆声をあげる。
「すごいねー」
「ん」
リズムに合わせて手拍子する志乃の横であたしは頷いた。頷きながら、違うことを考えていた。
とうとう、ここまで来てしまったのだと。
(井沢たちはもう、ステージ裏で準備をしてるんだろうか)
あたしの――ハルカのバンドはこの有志発表の一番最後になる。別にトリを狙ってたわけじゃない、クジを引いた中山くんがたまたまラストを当てただけだ。
ハルカが歌う曲は三つ。その最後にだけあたしは参加する。それまではステージの傍にいさえすれば、他の生徒と一緒に送別会を楽しんでいて良いと言われた。
……正直、良かったと思う。軽音楽部でもないあたしには準備なんて何すんのかわかんないし。でも、何よりも。
(……ハルカ)
あいつに会って何を話せば良いのか、わからなかったからだ。
昨日のリハに来なかったハルカ。はじめてあたしに、自分のことを――久世遥という人物について語ったあいつ。
何故あたしにあんなことを言ったのか(いや、あたしが聞いちゃったんだけど)聞くだけ聞いてあたしは、あいつに何もできないのに。
ハルカは今も、苦しいんだろうか。
「いやー、良かったね今の」
「ん」
楽しげに笑う、志乃にはバンドの事は話していない。急なことだったし、今でもうまく弾けるかわからないし。結局ハルカの歌は一度も聞いていなかったから、完成図さえ見えていない。どう考えてもぶっつけ本番だった。
くだらないことを考えているうちに次々と出し物は進んでゆく。ダンスの発表がもう二組あって(こちらは着ぐるみを来た派手な女子軍によるパラパラと男子グループのブレイクダンスだった)、漫才やショート演劇に続き、アコギを抱えた男子二人によるフォークデュオがステージに上がった。その後がいよいよバンド発表。
ハルカ達の前のグループが歌いはじめてようやく、あたしは自分が緊張していることに気が付いた。何に、なんてもうわからない。
立ちっぱなしにも関わらず生徒達の熱は上がる一方で、盛り上がりは最高潮に達していた。皆で拳を突き上げてリズムに乗る様はライブハウスの中のよう。
この空気の中に今から、あいつらは出てくるんだ。
『有志団体によるステージ発表は残すところ一つになります。最後を飾るのは――』
生徒会に所属する女の子の、少し気の抜けた声が響く。あたしの心臓が勝手に飛び跳ねたような気がした。次いで一人ずつステージに登場する、奴らのバンド名は『つるかめまんじゅう』……果てしなく間抜けだ。そんなにあそこの肉まんが好きか、久世遥。
ベースとギターの二人が音の調整をはじめて、おや、と思う。二人とも変な形のメガネをかけていたからだ。よく見れば井沢もそう。
(なにしてんの、あいつら)
思わず吹き出しそうになって、瞬間あたしは凍り付いた。一人、足りない。重要も重要、ボーカルだ。あの馬鹿、どこいった?
まさか。
「はるちゃん」
背後から声がしたのはその時だった。小さな、小さな声だったから志乃は気が付いていない。振り返ればそこには、みょうちくりんなメガネをかけたハルカが立っていた。
「ち、ちょっとあんた何してるわけ!?」
「しぃーッ、はい、これ」
可愛らしく笑ってハルカはあたしの手に、お揃いの馬鹿げたメガネを押しつける。そうして人並みを掻き分けると、ステージに真っ正面からよじ登った。
突然現れたボーカルに観客が騒めく。ひょろひょろとなよっちいそいつはペコリとお辞儀して、そのままマイクに手を掛けた。
――――時間が、止まったような気がした。
全ての音を打ち消していたのはハルカの声だ。時間も気温も飲み込む澄んだ音。柔らかいのに凛とした、男にしては少し高いハルカの声。
一切の曇りを打ち消してしまうような響きの発生源が目の前の細い少年だと気付けなくて、一瞬生徒達は言葉を失った。しんとした空間を割ってゆく旋律を、誰もがぽかんと見つめている。そして、突然我に返ったかのように―――どっと割れるような歓声が響き渡った。
それを合図に井沢がドラムを勢い良く叩く。掻き鳴らされたギターとベースの音が混じり合い膨らんで、体育館中を包み込んだ。
(なんだ、これ)
身体の奥からぞくぞくと這い上がる感覚にあたしは震えた。こういうのをきっと、ヒトは感動と呼ぶんだ。声が、出ない。
「ねぇハル、あれ、久世くんだよね? すごい、凄いよ……!」
生徒達の声に掻き消されそうになりながら志乃が叫んだ。わんわんと歓声や拍手、踏みならした足の音が響く。その中でも、ハルカの声だけは消えない。
「すごい、こんなの初めて聞いた……!」
「はじめて、って――軽音部だろ? 聞いたことなかったの?」
「久世くん、あんまり部活来てなかったもん――!」
志乃につられて叫び返すうちに一曲終わり、生徒達はその余韻に酔い痴れた。ねぇあれ誰、見たことある? ハルカの正体を知りたがる声があちこちで上がっている。あの妙なメガネが邪魔をして、ハルカの顔を隠しているのだ。余程良く知らなければ見分けられないかもしれない。
二曲目の演奏が始まってからも凄まじい騒ぎだった。生徒達が飛び跳ねる余り床が揺れる。体育館の底が抜けやしないかと心配になるほどに、だ。
井沢のリズムは絶好調で、ユリのギターは高らかに響き渡った。中山くんの重低音はビリビリと痺れるくらいに良く通る。それから、ハルカ。
『最後の曲は、僕らにとって最高の演奏になると思います』
ステージに上がってからはじめてハルカが普通に喋った時には、あたしの頭はもう飽和状態だった。緊張とか悩みとか寝不足とかぶっとんで、ただ前を見つめる。
『最高の思い出に、なるとおもいます』
ステージのほうに勝手に足が進んでた。志乃が呼ぶ声もどこか遠くて、振り返ることなんてできなくて。
『ね、はるちゃん』
ステージ上から伸ばされたハルカの腕に捕まって、一気に引き上げられた。かけるのを忘れていたメガネは掌に握ったままだった。
薄ら汗を掻いている井沢が親指を立てて、ユリと中山くんが頷いて。ハルカが笑っててそれから、ステージの端っこに演奏者を待つキーボードが置いてあった。
そこから後のことは、あまり覚えていない。
(さぁ準備は良いかい? 歌うんだ、僕らの歌)
(卒業式まで、あと二日)