五日前:ねぇ何処に行くの何を足掻くの! 私たち皆みんなもう道は決められているのに
暖冬といえど東北の桜は咲く気配などない、そんな三月三日の雛祭り。学校に行くつもりでいつもの時間に起きてびっくりした、アレ今日土曜日じゃん。
卒業式まであと何日、そんなふうにカウントしていたけれど土日が挟まっているのをすっかり失念していた。ってことは、実質残された学校に行く日数はもっと少ないわけか。
あーやべぇな雛人形出してないよ。
嫁に行き遅れるだとかそういう迷信を信じているわけじゃないけど、毎年人形を片付ける時に一緒に入れる虫除けは一年が寿命だ。ちゃんと人形出して、新しい防虫剤入れてまたしまって。そうやってお行儀良く保管し続けなきゃならない、デリケートなアレに虫食い穴が開くのは正直見たくなかった。めんどくせー……。
(あれ、メール……)
起床後からずっと放置されていた携帯電話が着信を告げる。誰だよ朝っぱらから、なんてぼやきつつ手を伸ばせば差出人には『久世遥』とあった。
ハルカは機械に弱いのであまり携帯に触らない。
そんなあいつからのメールは珍しかった。本文を読んでみると、どうやら午後から学校の教室を借りて有志バンドの練習をするらしいことが判明する。(あたしが出ることにしたの、井沢にでも聞いたんだろう。)それからメールの終わりに、練習の前に一緒に昼ご飯を食べに行こうと誘う言葉が書かれていた。
「ま、いっか。暇だし」
無機質な文面からはいつもハルカらしいテンションや柔らかさは感じられなくて、ちょっとだけ別人のような気がしてしまう。
あたしは簡潔に了解の旨だけを返信して、出掛ける支度をすることにした。どうせ学校に行くなら制服で良いだろう。(楽って素晴らしい!)
……雛人形は、忘れていたことにしようと思います。
某有名ファーストフード店で待ち合わせをしていた、先に席を取っていたハルカはすぐに見つかった。……というのも、ハルカがあたしに気が付くなり大声あげて両手をぶんぶん振ったりしたからだ。ほんっとに恥ずかしい。思わず他人のふりをしたくなる。
「本当は健吾も誘ったんだけどね、昼過ぎまでバイトなんだってー」
「え、バイトしてんの井沢の奴」
何を、と聞いたらコンビニのレジ打ちだと言われた。想像してみて三秒で諦める。似合わない、ぶっちゃけ似合いそうにない。
「……ハルカはバイトとかやんないの」
「んー、やりたいんだけど……時間なくて」
忙しいのだろうか、こんなに暇な時期なのに? あたしはハンバーガーに歯形を残しながら首を傾げる。この食べ物、行儀も何もあったもんじゃないよなとぼんやり考えながら。
「ああ、何か家の事情があるんだっけ? 井沢に聞い」
「はるちゃんは?」
……遮られた。ハルカの癖に。
ちょっと眉間に皺が寄ったのがわかったけど、あたしの仏頂面はいつものことなので正面のコイツは気にもかけていないみたいだ。
「はるちゃんはバイトしないの?」
「あたしは長く続けたいから。大学入ってから探すつもり」
「あ、なるほどー」
カシカシとストローを口にくわえながらハルカは笑った。シェイクのストロベリー、チョイスまで乙女趣味だ。あ、ポテトの油で指が滑る。
手を洗おうかと水道を探した視線の先、どこかで見たことのある奴が店に入ってくるのが見えた。見覚えがあるのは当たり前で、あたしと同じ制服を着ているのだ。
「柳瀬さんだね」
もぐもぐとナゲットを口に突っ込んだままハルカが言う。そうそう、柳瀬美由紀だ。待ち合わせをしているのだろうか、席に着くなり時計に目を走らせている。一体誰と?
「……木田くんだったりして」
「え、何?」
独り言のはずが口に出ていたらしい。首を傾げるハルカに何でもない、と手を振りかけて、ふと気が変わった。
「あんた知ってる? 木田くんがあの子に告白しようとしてるとかなんとか」
「へぇ」
どうやら知らなかったらしい。では志乃は一体何処から情報を手に入れたんだろうか。
もう一度柳瀬さんに目をやると、何時の間にか向かいの席にもう一人現れていた。残念ながら木田ではない、彼女と同じクラスの女の子だ。名前は知らないけど。
「この時期に告白なんて意味あんのかね」
別に木田とやらを応援する気もないあたしは早々に興味がそれて、まだ残ってる飲み物に集中することにした。ジンジャーエール、炭酸飲料の中ではお気に入り。氷が解けて水っぽくなってしまっているのに軽く舌打ちしたい気分になった。気分だけで思い止まった。
「僕は素敵だと思うけど」
「…………は?」
待て待て、何の話ししてたんだっけ。ジンジャーエールに向かってしまった思考ベクトルを修正するのは大変だった。どうにかこうにか思い出す、そうそう告白?
「なんで。卒業寸前に告っても無駄じゃね?」
OKでも大学が違ったら続かない可能性のほうが高いし。まぁ駄目なら駄目でスッキリするのかもしれないけれど、それくらいなら片思いの思い出として温めておいたほうが利口だと思う。
そう言うと、なんだか困ったようにハルカは笑った。
「違うよ、何ていうか……告白することに意味があるんじゃないかな」
はるちゃんのはある意味真理だと思うけどね、とまた意味不明のことを言う。
空になったハルカのシェイクがカシャリと音を立てた。氷の音。
「本人に意味があればそれでいいのかも」
「それ結局、自己満じゃねーか」
あはは、そうだねー。何が楽しいのか、ハルカはコロコロと笑い声をあげた。意味わかんね。こいつをわかろうとするのが無駄な行為なのかもしれない。
もうどうでもよくなって、あたしは話題を変えることにした。
「ね、何であたしをバンドに誘ったわけ」
本当は井沢から聞いていた話だけれど、なんとなくハルカの口に言わせたかった。ハルカは一つ瞬きをすると、それはね、と笑う。
「はるちゃんと一緒にやりたかったからだよー」
「………へー」
ちょっとまて井沢、テメェの話となんか違うぞ。思ったけど顔には出さない、代わりに昨日あいつに言われたことを思い出す。(ハルカはお前のこと、)
僕、はるちゃんと思い出を作ろうと思います。顔をしかめるあたしの前で、妙に畏まってハルカは言った。
「はるちゃん、僕ね、大学行ったら家出ようと思って」
「え? ああ、一人暮らしだもんなハルカ」
ハルカは東京の私立を受けて合格し、卒業後はその名の通り上京する。東北に住んでいるあたし達にとって、関東はなかなか未知の場所だ。
あたしは県内の大学に行くことが決まってるので、今の家から通うことになる。一人暮らしには憧れたけれど。
「それでね、ここには二度と帰ってこないと思うんだ」
「……え?」
正月とか夏休みとか、たまには戻ってくるもんじゃねーの? 二の句が次げなくなっているあたしの前でもう一度、だから思い出作るんだ、とハルカは言う。
何、何だろう。何かが、
「あ、そろそろ学校行かないとねー」
「……うん」
店から出るとき見たハルカの背中に、違和感を感じたのは気のせいなんだろうか。
学校では第二音楽室を丸ごと貸し切った練習が行なわれていた。井沢と合流した後、あたしは自分の参加する曲目を一つ選んだ。某アーティストの有名卒業ソング、空で歌えるぐらい良く知っているから練習も楽だろう。
その後初めてバンドのメンバー全員との顔合わせがあって、そこで演奏楽器の割り当てを知る。知っていたことだけれど井沢がドラム、ギターの女の子は志乃の友達で顔見知りだった。(名前はユリだと教えてもらった)ベースは中山くんというひょろりと背の高い男子で、なかなか気の良さそうなタイプではある。
このメンバーならまぁ大丈夫だろう、ほっと息をついて自分も挨拶した後、あたしは重大なことに気が付いた。
「……おい、ちょい待て。ハルカは?」
「ハルカはボーカルだぜー」
答えたのは本人ではなく井沢だったけれど、あたしは飛び上がらんばかりに驚いた。何、お前知らなかったの? って知るわけねーよ。
……意外だった。ものすごく意外だった。
「頑張ろうね、はるちゃん」
この軟弱少年が歌えるという、わりと驚愕の事実。
当の本人はにっこりと笑って、楽しそうにバサバサと楽譜を振っていた。
(サヨナラに向かって着実に一歩ずつ、振り返った先には何が見えるの)
(卒業式まで、あと五日)