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黒に透明

軋んだ体を安楽椅子から切り離すと、私は乾いた瞳に目薬を立てて忙しなく瞬きをした。ひんやりとした液体が疲労感を少しだけ和らげてくれる。


もう少しだけ、読み進めてしまおうか。


壁に掛けられた時計に目をやると、25時を回る寸前と言うところだった。これ以上の夜更かしは明日に残るかもしれない。そうなれば、昼寝は必至だろう。


自然と、ネコの顔を思い出す。静かに、傍に控えるネコの横でうつらうつらと眠りにつく私は、いつの間にかそれが当たり前になってしまっていることに気が付いて苦笑した。彼はとても不思議な人物だった。私は、自分が容易く他人の懐に入ることの出来る人間だとは思っていないけれど、それと同時に他人を懐へ入れることへも抵抗を感じるタイプの人間だという自覚があった。つまりは、人には相性と言われるものがあって、それはきっと色を付けるなら薄い水色だったり、鈍く光る銀色だったりするのだ。私はそれを見て、気の置けない人だなと判断したり、お近づきになりたくない人だなと判断したりするのだ。


ネコに色を付けるなら、彼は無色透明だった。口元だけで笑って見せたかと思えば、満面の笑みを浮かべ、近寄りがたい雰囲気を持っているのかと思えば、いつの間にか傍にいる。

すぐには判断のつかない色に染まった彼を、それでも私は好ましく思っている。


そして、私の色は、きっと黒だ。何色にでもなれるネコと、もう他の何の色にもなれない私だから、お互いがお互いを気に入ったのだろうか。


少し考えてから、バカげた妄想だと放棄する。人を色で塗り分けるなんて、バカバカしい。私は私だし、ネコはネコだ。


それに、黒なら白を混ぜれば、灰色になれるじゃないか。


頭の中のネコが微笑む。それは違うと、私は呟いた。白は忘却の色だ。


ネコ、私はほんの一欠けらも忘れないと誓ったから、忘れたくないと願ったから。だからこその黒なんだよ。黒と白は混ざらない。夜を写して、黒が白を塗り潰すんだから。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


昼休み、私は教室の後ろのロッカーから、トートバックを取り出すと教室を出ようとした。ついこの間からバックの管理は私に任されていた。ネコ曰く


「俺が来られない時でも、カラスは眠いだろうから」


ということらしいけど、何となく言いくるめられた気がしなくもなかった。そんなことを思い出しながらドアに手をかけたところで、呼び止められて振り返る。


「こらこら、スー。どこ行くんさ」


「あぁ、ちょっと寝てこようかなと」


すり寄るように近づいてきたちひろが私の肩に手をかけながらバックの中身を覗き込む。


「何これ、ビニールプール?」


「まさか。枕だよ。ほら、空気で膨らませるタイプの」


「……スーは、睡眠にかける情熱をもうちょっと他のところに回せないの?」


「ごもっとも」


呆れ顔のちひろと、可笑しそうに笑う綾香に意味も無く頭を下げてから、私は教室を出て行った。


「……スー、屋上行く頻度高くなったねえ?最近全然教室居ないし、図書室なんて全然行ってないんじゃない?」


「そうね。それに、あのバックは、澄子の趣味には合わない気がするわね」


「あ、それ私も思った。……っていうかあれってさ」


「男の子モノね」


「……」


「ちひろ?」


「あや、あや、綾香ぁ」


「どうしたの?」


「わ、私の……私のスーがぁ」


「あらあら」


「す、スーはこっそり愛でるタイプの美少女だったのにぃ、遂にこの時が来てしまったかちくしょう……」


「ちひろは本当に見ていて飽きないわね」


「い、今から屋上に!!」


「ちひろ、ダメよ。野暮な事はしちゃダメ。私たちが思うような相手が、いるかもしれないし、いないかもしれない。いたとしても、澄子も相手の子も、ただのお友達かもしれないでしょ。第三者が入ると、壊れてしまうものってあるもの」


「うぅ……」


「そんなに心配することないじゃない」


「スー……。お願いだから無防備に可愛らしい寝顔を晒したりしてないでくれえ……。ほんとスーの寝顔は天使なんだよぉ……あれはダメだ……普段のギャップも相まってそれはもう……見せちゃダメなやつなんだぁ……」


「……澄子も大変ね……」





+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


何度か枕の位置を直してから、横になる。何度か寝返りをうってから、実はそんなに眠くないのだと気が付く。


いつもなら姿を現す時間になっても、ネコは現れなかった。腕時計をぼんやりと眺めたまま、横になってネコを待つ。


これは、一体何という気持ちなのだろうか。私はネコを待ちながら、少しずつ胸に貯まっていく気持ちを測りかねていた。ネコにだって彼の時間があるのだから、姿を見せないことだってあるのは当たり前なのだ。それでも私は、少しずつ、例えようもない感情に囚われつつあった。


バックも、このシートも、枕も、ネコにとっては私に会いに来るきっかけにはなっていたはずだ。つまりは、寝不足カラスを、寝かしつけようとするネコの思いやりの形。その道具一式を私に渡したら、ネコにとって屋上に来る理由は、果たしてあるのだろうか?

元々ネコだってここには睡眠を取りに来たはずだけれど、果たして、彼にとってここは睡眠を取れる場所だったのだろうか?先客として、見ず知らずの誰かが先に寝入っているようなこの場所に。


私の胸にじくりと染み込んでくるこれは、不安だ。本当に微かだけれど、でも横になっている私には、その重みを十分に胸に感じていた。


約束も何もしていないのに、置いてけぼりにされたんじゃないかなんて、私はどれだけ身勝手な人間なのだろうか。


私は屋上の扉をじっと睨めつけていた。次の瞬間、扉が開いて、無表情なネコがこちらを覗き込む姿を、ずっと待ち続けていた。



結局、ネコはその日、屋上に現れなかった。


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