安眠の条件
午前の授業が終わると、私はすぐに教科書を仕舞い始める。
「……スー?今日は一緒に食べないの?さびしーよー!!」
ちひろが不満そうに眉を潜める。
「ごめん。今日はちょっと……夜更かしが過ぎて……。瞼が重いんだ。悪いんだけど、寝てくるよ」
「澄子、読書もほどほどにね?」
「そうするよ」
心配そうな綾香とまだぶうぶう言っているちひろに後ろ手で手を振りながら、私は教室を出て行った。
鍵を回し、屋上に出る。あまりにも瞼が重くて、私は日陰まで移動すると、すぐに横になった。近頃はシートに加え、枕まで使用していたからか、直接寝転がると背中がゴツゴツして、痛かった。痛みに堪えながらも、目をつぶる。丁度いい風が頬を撫でる。あぁ、すぐにでも意識を手放してしまいそうだった。
微かな金属音に頭を上げると、ネコがすっとドアから姿を現した。
「……また、夜更かしした?」
ネコは言いながら、トートバックからビニールシートを取り出す。私は体を起こすと、ビニールシートの端を持ち、設置を手伝う。シートの上に2人で座ると、さっそくネコが枕を膨らませ始めた。
「あぁ。何というか……。切りのいいところで栞を挟めばいい話なんだ。それは分かってるんだ。でも、性分というか……。最後まで読んでしまう」
言い訳にもならないことを呟く私を見て、ネコが口角を上げた。眉尻は下がっていて、ネコにしては愛嬌のある表情に思えた。失礼な話だけれど。
「……カラス。このビニールシートと枕、あなたが持っていた方がいいんじゃない?先に屋上に上がってるのはカラスだし、鍵を持ってるのもカラスだし」
「……でも、これはネコの所有物だし」
「でも、不便でしょ。それに、あなたが地べたに寝てるのを屋上に上がるたびに見ると、俺も気になるんだよね」
私は思わずきょとんとしてネコを見つめる。あまりにも怪訝な顔をしていたのだろう。ネコも私を訝しげに見返す。
「……カラス?」
「……ネコって、自分のこと『俺』って呼ぶんだ」
「おかしい?」
「いや、おかしいというか……。ネコって私を呼ぶとき「あなた」って呼ぶから。
だから何となく……『僕』とか『私』を使うのかと思っていた。少し意外……かな」
ネコは、ハハっと声を上げて笑った。ネコの笑い声は耳に心地いい。
「カラスは俺を何だと思っているの。そんな一人称を使うのは社会人になってからじゃない」
「でも……何か意外だったんだ」
話が大分ずれてしまった。私は話題を戻す。
「ネコが来るまで位なら、私は地べたで直接でも平気だ。元々そうやって寝ていたのだから」
「……」
ネコがずずっと体を近づけてくる。何だろう?と思ってネコの顔を見つめていると、あっという間にネコのまつ毛まではっきりと見える位まで顔を近づけてくる。
「……?」
「すごい、クマ」
ネコが私の目の下を指でなぞってくる。くすぐったかったけれど、ネコの好きなように触らせた。
「私は十二時を超えてから眠るとすぐ目の下にクマが出来るんだ……。もう体質だと思って諦めている」
「……そう」
ネコは私のクマを触るのをやめると、体を離したけれど、今度は私の髪の毛を触り始めた。ちひろの腕により一応の落ち着きを取り戻しているとはいえ、かなりのくせ毛である私の髪は、屋上の風に吹かれてすっかりボサボサだ。ネコが手櫛で整えてくれている。
「……」
「……」
暫くそのまま、手櫛されるがままにしていた。ネコの手が、髪の間を梳いていくのが心地良い。
「……やっぱり、シートと枕はカラスが持ってて。ちゃんと、寝ないと」
「……うん」
私は素直にうなずいた。段々と、眠気が襲ってくる。
「ほら、頭倒して」
ネコが頭を支えながら、枕を用意してくれる。私は言われるがままに体を倒した。すでに目は閉じられている。
「おやすみ、カラス」
すっと頭が撫でられた。私はクスリと笑ってしまう。
「おやすみ、ネコ」
返事は無かったけれど、きっとネコは笑っていたはずだ。