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約束

ざっくばらんに学校の支度を整え、玄関を開けると同時に私は顔をしかめた。見事なまでの雨だった。これじゃあ今日は屋上に行けないじゃないか。そう思うととても残念な気持ちになる。せっかくネコに本を貸そうと思ったのに。まぁいいか、次の機会にしよう。私は鞄の上から本を撫でた。


ネコ。心の中でそっと呟いて、私は口元が緩んでいるのに気が付く。同じクラスの男子からは感じられないような、浮世離れした彼の雰囲気に、ぴったりの名前だ。そして私はカラス。悪ふざけのようなあだ名は、それでも私の中で心地よく響いた。






午前中の授業をうつらうつら微睡みながら過ごすと、お昼の時間がやってきた。私がさっそくお弁当を広げて食べ始めようとしたところで声がかかる。


「あれ、スー。今日は早弁しなかったの」


ちひろと綾香がお弁当を私の机の上に置くと、それぞれ空いている椅子に腰かけた。


「あぁ、今日は雨だったから。これじゃあ、屋上には出られない」


「そういう理由ね。スーは本当に高い所好きだねー」


「久しぶりに3人でお昼じゃない?」


綾香が嬉しそうに微笑む。確かに、そうかもしれない。人付き合いの悪さを少し反省する。

私はどうにも自分勝手というか、周りに気を使うことが出来ない。そんな私と未だ友達で

居続けてくれている二人には本当に感謝している。


「そうかもね」


「スー、これ食べる?」


言いながらちひろがミートボールを差し出してきたので箸ごとかじりついた。


「美味しい」


勢いよく箸からミートボールを攫うと、咀嚼した。


「うおお……。スーは可愛いな。嫁に来るか」


何かのスイッチが入ったちひろを無視しつつ綾香に話しかける。


「綾香、その煮物美味しそうだな。私のウインナーと交換しない?」


「どうぞ」


綾香のお弁当はいつも和風で、とても健康に良さそうだ。等価交換では無いだろうなと思いながらもウインナーを綾香のお弁当に移す。


「わー!私も!!スー!!それ!ウインナー!」


ちひろが騒がしいので、ウインナーを差し出す。


「違うよ?スー。あーん」


ちひろが口を開けて待っている。綾香がくすりと笑い、私は眉を潜ませた。


「……」


仕方がない。私はウインナーをちひろの口まで持っていってあげた。


「♪」


嬉しそうに口を開けるちひろの口の中にウインナーを放り込むと、私はちひろのお弁当から次々とおかずをちひろの口の中へ持って行った。


「……♪…………!?……!!!……ちょ……もが……」


「はい、あーん」


「もが!!もがあ!!」


涙目になりながら咀嚼し続けるちひろを眺めつつ、更に新しいおかずを用意する。


「……食べ物で遊んじゃだめよ?」


綾香が止めに入ったのはちひろの口の中のおかずが全て無くなってからだった。


「……!!……!!」


ちひろがごくごくと勢いよく水筒のお茶を飲み干していく。


「……っは!!スー!!こ……この……無茶するなー!!!」


「はっはっは」


「何その、微笑ましいなぁみたいな笑い方!!」


「ふふふ」


「綾香まで!?っていうか止めてよー!止めるの遅いよー!!」


「良かったわね、ちひろ。いっぱい食べさせてもらえて」


「違うよー!そういうんじゃない!!そういうんじゃないよー!!」


眉を八の字にして訴えるちひろを2人で笑いながらも昼食の時間は過ぎていった。



+++++++++++++++++++++++++


放課後、お昼前まで降っていた雨は、すっかり止んでいる。

私は妙に気になって屋上まで上がっていった。軋む音を立てながら屋上へと続くドアを開けると、大きな水たまりがあちらこちらに出来上がっている。

ありゃ、やっぱりか。もしかしたら明日まで残るかもしれない。誰も居ない屋上はもう秋を感じさせるようで、少し肌寒い。特に用は無いのに、何と無く屋上に降り立ってみる。下を覗き込むと、部活動に勤しむ生徒達の姿が見える。まるでジオラマのようだ。


「……帰ろう」


どうして上がってきてしまったのだろうか。大体、今は昼休みではないのに。昼寝以外にここにやってくる理由は無いはずだ。


踵を返すと同時に、ギギギと音を立てて、目の前のドアが開く。


「……あぁ、居た」


視線に飛び込んできたであろう私を見て、にっこりと微笑む。あどけない子供のようで、私は動揺する。「ネコ」と仇名を付けた男の子はそっとドアを閉めると、口角を上げながら近づいてくる。


何で、とは聞けなかった。どうして、とも聞けなかった。私は奥歯を噛みしめるのに必死だった。そうしないと、とんでもなくにやけた顔になっていたに違いない。


「ひどい水たまりだね」


ネコは私の隣に立つと、同じ姿勢でグラウンドを覗き込んだ。


「明日までには乾くかな」


心配していないような表情と声で、ネコが呟く。


「水たまりになってない場所もあるにはあるし、大丈夫でしょう」


私たちは約束なんてしていないのだ。ここで毎日、きっと会おうなんて一言も言っていない。


「……カラス」


「……え?」


「……カラスでいいんでしょ?」


「あ、あぁ」


「あなたは仇名だったから呼ばれ慣れているだろうけど、少し違和感あるかも。

段々慣らしていくしか、無いか」


彼の視線はグラウンドに向いたままで、それはまるで独り言のように聞こえた。


「ネコ」


「……はい」


私が顔を向けると、ネコは私の方を向いてにこにこと笑っていた。昨日とはまるで違う態度に妙にどぎまぎしてしまう。この子はあまり他人に笑顔を見せないタイプじゃなかったのか。


「……うん、確かに慣れないなこれは」


「そうだね。これは結構恥ずかしいものがあるね」


再びグラウンドに視線を向けると彼は手すりにもたれかかって黙ってしまった。


「……」


「……」

沈黙が続く。そもそも、私は彼と居る時はほとんど寝ているのだし、名前すら知らない。学年が同じなのかさえ、確かめていないのだ。会話なんて続くはずもない。私は居た堪れなくなって、次の瞬間、とっておきのものに気付いて持っていたカバンを漁る。


「……ネコ」


「何?」


「これ、貸してあげるよ。今読んでいる本を読み終わったら、読んでみて」


私はネコに持ってきた本を差し出した。


「……もう読み終わったよ」


彼は私の本を受け取ると、にやりと笑った。


「え?」


「『壬生義士伝』。もう全部読んだ。下巻も」


「……凄い」


「おかげで寝不足だよ。ほら、分かる?」


そういうといきなり顔を近づけてくる。私は思わず固まってしまう。


「ね。目の下にクマが出来てる」


そう言われてしげしげと彼の顔を見ると、確かにうっすらクマが出来ている……ように見えなくもない。私からすればそれは気のせいともとれる位のもので、そんな私の感想が顔に出ていたのだろうか。


「……そうでもない?」


いきなり自信を失ったかのような口調に、私は思わず笑ってしまう。


「あはは!!ううん、しっかりクマだね」


彼はそうだろうと言わんばかりの表情で満足げに微笑むと、私が渡した本の表紙をしげしげと眺めた。


「『プリズンホテル』?夏って書いてあるけど……」


「浅田次郎の傑作だよ。春夏秋冬の4部作で1作目が夏。騙されたと思って読んでみて」


「分かった。わざわざありがとう」


ネコは嬉しそうに本を鞄に仕舞いこむと、私をじっと見つめてきた。


「カラスは」


「ん?」


「どうしてここに来たの?」


「……ネコは?」


少し強めの風が吹いてネコの細い髪の毛がなびく。目を細めて風に耐える様を見ながら、私は微笑んだ。


「凄い風だね」


彼は薄目を開けると、口角を上げた。それからもたれていた体を起こすと、ゆっくりとドアに近づいていく。


「また、明日」


ネコはそう呟くと、静かにドアを閉めて去っていった。また、明日。


「またね」


私は閉じたドアに向かって呟いた。しばらくここから動く気がしなかった。

壊れたように緩みっぱなしの頬を思い切りつねると、私は屋上から空を見上げた。もうすっかり雨は上がっていた。明日は晴れだろう。


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