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猫とカラス

懲りずに昨晩も夜更かしをした私は、上手く開かない目をこすりながら洗面所へと向かう。何度も顔を洗い、歯を磨くと寝癖を雑に直して家を出た。私の髪は酷い癖毛で波打っているので、下手な修正は無意味なのだ。朝の空気は冷ややかですっかり秋の装いだ。私は制服の下に着たカーディガンの裾を伸ばした。


教室に着くとすぐに友人たちが寄ってくる。一人は手にヘアスプレーを持っていた。思わず顔をしかめる。


「またそんな頭で登校したの!?信じられない!クマ全然なおってないし!」


ちひろが大袈裟に叫ぶと綾香が微笑みながら私の後頭部を押さえる。


「後ろ髪爆発してるよ?澄子」


「ああ、確かに今日は横跳ねしか直してないな」


「スー、また寝坊したんでしょ。朝御飯は?」


「食べてない」


「またそんな!朝はちゃんと食べないと!肌荒れちゃうよ!?」


私の頬を触りながら責め立ててくるちひろに気圧される。思わず綾香に助けを求める。


「綾香」


そんな私の様子を見かねて綾香が困った顔でちひろをたしなめる。


「まぁまぁちひろ。それくらいで」


「綾香はスーに甘過ぎ!スー絶対磨けば光るのに勿体無すぎるよ」


「……ちひろが可愛い。綾香が美人だ。充分じゃないか」


「私はスーが可愛くなるのが見たいの!っていうか女の子は皆可愛くして侍らせたいの!!」


「下心丸出しじゃないか」


「いきなり不純ね」


「可愛い女の子は全部私のもんだ!全部持ってこい!!」


「そんな歪んだ野望に巻き込まれるのはごめん被りたいね」


「却下!!何故ならスーは私の好みど真ん中ストライクだから!」


言いながら問答無用で私の寝癖を直し始めるちひろ。何という自由。私は抵抗する気も薄れて、おとなしくちひろに髪をセットされた。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++


終業のチャイムがなった。私は机の上を片付けると席を立つ。


「あれ、スーどこ行くの?」


「寝てくる」


「またー?いっしょにご飯食べようよお!」


「ごめん、もう食べてしまった」


「また早弁かよおー!っていうかスーいつ食べてるの?」


「2時間目に半分、3時間目に半分…かな」


「澄子……先生が泣くよ?」


「大丈夫、バレないように一口ずつ慎重に口に運んでいる」


「そこまでして早弁するなよ…」


あきれ顔のちひろと困ったように微笑む綾香を横目に私は教室を出た。屋上までの階段を昇りきると、ポケットからカギを取り出し、ねじ込んだ。そのまま押し開けると、激しく風が吹いてスカートが舞った。あいにくの曇り空だったけれど、これ位の天気の方が寝やすくはある。日差しを手で隠すのは億劫なものなのだ。私はいつもハンカチを目の当たりにかけて簡易的なアイマスクにしているけれど、もし万が一誰かに見られたらご臨終にしか見えないだろうな。そんなことは起こりえないけれど……と考えかけて、はたと思う。いや、そんな姿を見られる可能性は出てきたのだった。


あの男の子、今日は来るだろうか。……クッションを持って。どことなく期待している私がいる。余りの図々しさに思わずため息が漏れると同時に、ギィィと錆びついたドアが開く音がする。


「……こんにちは」


ぺこりとお辞儀をしながら、昨日の男の子が目の前に立っていた。脇に抱えたトートバックは、しかし昨日よりものっぺりとしている。あれ?


訝しげな私の視線を感じ取ったのだろう。彼は少し微笑むと……いや、口角を少しだけ上げると、トートバックからくしゃくしゃになったビニールーボールみたいなものを取り出した。


「さすがに、クッションを2個持ってくるのはかさばるから。これ、膨らませると枕になるやつ」


言いながら彼はビニールプールを膨らませる時に使う、足で踏む黄色いポンプを取り出した。


「じゃ、さっそく」


瞬く間に彼によって空気を送り込まれたビニール枕はパンパンになった。


「水色とピンクどっちがいい?」


あっけにとられたままそれらの光景を見つめていた私は、とうとう堪え切れずに笑ってしまった。


「何でそんなに準備がいいの?凄い!!凄いけどおかしい」


彼は少し恥ずかしそうに、でも今度こそ微笑みながらビニールシートの端を渡してくる。


「最初からこれを持ってきたら良かったかな」


「まさか。寝ている横でいきなり空気を入れられ始めたらさすがの私もあまりの驚きに声が掛けられない」


そういうと彼はあははと笑った。心地よいボーイソプラノが、屋上の空気を震わせる。


「確かに。恥ずかしくてドアを開けてもそのままUターンだったかもしれない」


「なら最初はクッションで良かった」


「うん、無難だった」


シートを引き終えると、お互いに靴を脱いで上がる。私はさっそく枕を頭の下にひいて横になった。彼の方を見ると、トートバッグから文庫本を取り出すところだった。


「あれ、本を持ってきたの?」


「うん、あなたがここで本を読むって聞いたから、いいなって思って」


「何の本?」


尋ねると彼は本のカバーを外して見せてくれた。


「浅田次郎の『壬生義士伝』」


「!!面白いよね!!」


「あれ、読んだことあるの?これ」


「うん!私、浅田次郎大好きなんだ。浅田次郎の書いた小説はほとんど読んでる」


「本当?そっか、これは親父の書斎にあったのを持ってきたんだ。あまり読んだことなくって」


「じゃあ、黙っていよう。凄く面白いよ」


「良かった。普段あまり本は読まないからさ」


「読み終わった後の反応を楽しみにしてる」


それからはお互いに会話せず、私は黙って目を閉じた。閉じる寸前に見た彼は真剣に本を読み始めていた。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



肩を揺さぶられる。薄く目を開けると彼が覗き込んでいた。


「そろそろ時間だよ」


「……ありがとう」


のそりと起き上がる。熟睡していたらしい。思わず口元を確認した。焦った。涎が出てたらどうしようかと思った。


「どこまで読んだの?」


「ここ」


言いながらしおりを挟んだ場所を見せてくれる。驚いたことにすでに三分の一は読み終わっていた。普段本を読まないというのに驚異的なスピードだ。


「早いね」


「面白いね、これ。夢中になって読んじゃった」


「まだまだ。下巻を読んでからじゃないと」


「え?……あ、本当だ!!これ上下巻に分かれてるんだ……。気が付かなかった……」


「長いけどね、でもそのペースなら下巻まであっという間だと思うよ」


二人でシートを畳みながら会話する。何だか妙な話だ。まだ出会って二日なのに小説の話で盛り上がっている。というか私なんて隣で爆睡だ。しかも枕を借りて。とても変なのは間違いないのだけど、何だか彼の雰囲気に違和感を感じなくなってしまう。


そう、そもそもこの彼……。名前は何というんだろう?色々すっ飛ばしてしまったせいで自己紹介すらしていないことに気付く。


「……ねえ、そういえば君の名前を聞いていないんだけど」


ビニールシートを渡しながらそう尋ねると、彼は少しバツの悪そうな顔をした。その顔を見て思い当たる。彼はとっくに気付いていたに違いない。それを敢えて気付かない振りをしていたのだろう。つまりは彼にとって名前を教えることは本意ではないのだ。理由は分からない。私を警戒しているのか、名前を教えあわない程度の顔見知りを望んでいるのか、それとももっと他の何かなのか。事情は分からないけれど、私は彼の本意でないことならば、無理に知る必要はないなと思った。そう思えた。


「不便だし、お互いにあだ名でもつけようか」


「……え、あだ名?」


私の提案は彼の思考の斜め上を行くものだったらしい。ぱちくりといった感じで目を見開いた。それが何だかとても面白くて、私は笑いながら言う。


「そう。何でもいいから、お互いにつけてみるっていうのは?」


「……いいけど……難しいな」


そういいながら眉をひそめる彼はひどく難しい顔をしていて、それを見てまた私は愉快になる。


「『ネコ』でいい?」


「え?」


「君は動物に例えると猫だなって思ったから」


「猫……いや、猫でいいけど……なんで猫……」


ぶつぶついう彼は、すぐにまたうんうん言い出した。私のあだ名で悩んでいるらしい。適当につけてくれればいいのだ。ちなみに私のあだ名は基本的には名前呼びだが、ちひろだけは私を『スー』と呼ぶ。『すみこ』の『す』らしい。


ただ、彼が『ネコ』なのなら私にはぴったりなのがある。


「じゃあ私のことは『カラス』でいいよ。小学校の頃の私のあだ名だから」


小学校の頃、私は好んで黒い服ばかり着ていた。ふざけてはやし立てたクラスの男の子たちが私の事を『カラス』と呼んだのがはじまりだった。最初はからかいの色が強かったあだ名だったのだけど、私自身が気にしなかったのと、女の子たちまで私のことを『カラスちゃん』なんて呼び始めて男の子たちはかえって気まずい思いをしたことだろう。ちょうどその頃国語の授業で、カラスの羽が黒くなった理由を題材にした童話が載っていたのがきっかけだった。元々カラスは真っ白で、とてもおしゃれな鳥だった。染料で色んな色に染め上げていた羽が、失敗して全ての色が混ざり合い、今の黒になったというお話だ。その話をしってからは私は自分のあだ名がますます好きになったのだけれど、成長するにつれてどんどん髪の毛がくせっ毛になっていってそのうちあだ名が『カラス』から『わかめ』になっていったのだった。子供は残酷だ。


「猫とカラスか」


彼はまた口角を上げた。微笑んではいなかったけれど、嫌な感じはしなかった。目元がしっかりと笑っていたから。


「なんで猫って自分では思うけど……カラスはあなたに合ってる」


私は肩をすくめて見せる。高校生に上がっても、未だに私は真っ黒なままだ。紺色の制服に身を包んで、目の下は不健康な黒色に染め上げられている。私は軽く頭を下げてみせる。


「それはどうもありがとう」


彼はトートバッグを肩にかけると私より先に屋上のドアを開いた。


「……全部の色が詰まってる、カラフルな色だ」


「え?」


バタンと勢いよくドアが閉まる。同じくらい勢いよく顔を上げた私は、ドアの向こう側に消えた彼の最後の一言を反芻していた。そして意味を理解すると、何か得難いものをふいに手渡されたような感覚に襲われた。


私はこんな些細なことで嬉しさと喜びを感じるのか。単純な自分に辟易する。


でも、うん、悪くない。私はにやりと笑うとドアを開けた。

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