おせいさん
親戚縁者のなかには、少々毛色の変わったかたもおられまして……
私と従姉は、時々その人の家に遊びにいったものでした。
あやかし話をひとつ「おせいさん」
「おせい」さんと皆から呼ばれている女の人ですが、嫁に来て娘が生まれてすぐにただならぬ能力に目覚め、お助け業を始められました。
お助け業というのは、過去世の因縁に振り回されて現世の営みがうまく回らぬ方のために、原因と改善の方法をお伝えする仕事です。
実に胡散臭い。
実際、長くインドの山奥で修行されて(昔そういうアニメがありましたっけ…)けっこう力のある人でした。
ひっきりなしにお客様がみえて、遊びにいった私たちはしっかりお接待のアルバイトをしてました。
おせいさんからは年末には、奇麗な玉や妙な文字が書かれた符(魔除けだそうです)が、アルバイト代として送られてきましたっけ。
そのおせいさんも亡くなりまして、お通夜のあと交代で夜伽をしていた時のことです。
草木も眠る丑三つ時。ちょうどそのころ玄関で、何やら団体様の騒がしさ。
何事ぞと応対にでますと、遠方から駆けつけてきたという人たちがたたきに居られ、おせいさんに大変お世話になったのでお別れさせてくれと言われます。
他の親戚たちは起きているはずですが、しんとしてこの喧噪に顔も見せない。
まあいいかと、私はその人たちを案内しました。
おせいさんの亡骸を囲んでおいおい泣くさまは、ここらでは見ない感覚で、おせいさんの関係した人たちは日本人ばかりではないし、私は大陸の人かなと思っていました。
不思議なことに、胸の上に置かれた懐剣が幾度も滑り落ちるので、終いには手で押えることになってしまいました。
そして、ずい分泣いて別れを惜しんで、明日のお葬式に私たちは参列できませんからと、お香典をおいて帰られました。
翌日、お葬式も無事にすんで骨あげまでのあいだ、台所を手伝いながら昨夜の団体客のことを話ましたら、皆 きょんっとした顔になって逆に聞き返されました。
ユウベハダレモコナカッタデショ?
私はこんなこんなでと語るうちに、
アレハヘンナコトダッタンダ
と気が付きました。
屈みこんで会話した小さい爺いは、耳の下に魚のヒレみたいなヒラヒラを付けていましたっけ。
瞬きを一度もしなかった小母さん。
襖を全開にしてなお、膝を折って入ってきた、やたらでっかいおっちゃん。
首の長すぎる僧侶。
大きいのや小さいのや、思いだしたら人間として首を傾げたくなる風体のひとたちでした。
おせいさんの関係者やから人間と違うのも来るんやろな、懐剣を押さえたのは良くやった、あれが無くなると大変やからねと、親戚たちは半笑いで固まる私を慰めてくれました。
おせいさんの寂しそうな顔を私は覚えていません。
お助け業の最中は厳しい雰囲気で、とても近づけたものではありませんでしたが、それ以外はいつもニコニコして 「よう来たな、さあさ おあがり、ここへおいで、お菓子があるよ」と手招きされてました。
玄関に揃えられた履き物。
主のいないお客様用座布団にお茶。
いったい誰と会っていたのでしょう。
それから私も従姉も結婚して、会う機会もぐっと減り、昔話をする年齢になりました。
あの世に逝ったら、おせいさんに会って確かめようと、こっそり計画中です。
2011.07.04 終わり