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綱の上から  作者: 馬々通
6/6

傾く

 金曜日。またもやファンキーの幹事で同期の飲み会が開かれた。

 前回の飲み会から、はや十カ月近くになる。彼らはもはや新入社員とは言えなかった。

 ファンキーは相変わらず会社の公式アカウントの投稿を担当していた。最近はコツが掴めたようで、それらしい我が国語にスムーズに置き換えられるようになり、余裕が出てきたという。

「おれだけハイテンションで投稿しても一般人から反響がないと寂しいっすよ。土日に気が向いた時に投稿を見直すんだけど、冷静に客観的に見ると気持ち悪くって」

 古典のコラム担当のクラシックは最近、本社から新たなノルマを課された。古典を引用し、現代の彼の国や彼の国人の優秀さを証明する内容にしろというのだ。

「目的ありきで調べ物をし文章を書くのは苦痛でしかないよ。彼の国を褒めるための勉強なんて意味もない。仕事がだんだん嫌になってきた」

「私はまだマシなほうですね。退屈なオンライン小説は薬にはなりませんが、毒にもなりませんから」とエディターが言った。

 今日はニュートラルが不在だった。

「もちろん誘ったんだけど、グチっぽくなって悪いからって」とファンキー。

「一人で抱え込まず、私にみたいになんでも話せばいいのに」

 リポーターはその言葉通り、同期を前に不満を漏らした。両国で取材を行う彼女は、彼の国では我が国人として、我が国では彼の国と通じる人として白眼視されていた。

「私は結局、どっち側にいても異分子として並以下に扱われるのよ。どちらの良さも悪さも、相手側の立場から見て理解できるのに」

「それだから嫌われるんだろうな。いったいどっちの味方なんだって」とファンキー。

「うちの娘も、母親が彼の国人だからって、他の子から悪く言われたことがあるんだ。娘にも妻にも申し訳なくて胸が痛むよ」とクラシック。

「お子さん、これからもっと生きづらくなりますよ」とファンキー。

「誰よりも強くなることを教えてあげて。はったりでも構わないから、堂々としていないとね」とリポーター。

 疲れが溜まっているからか、飲み会は早めに終わった。

 その頃、リポーターの彼氏は飼い犬のように彼女の帰りを待ちわびていた。彼は念願叶い、ついに本物のインフルエンサーになったのだった。

 今日の午後、彼は動画を編集するためパソコンを立ち上げた。自分の動画チャンネルを開くと物凄い数の通知に驚かされた。さらに登録者数の桁が一つ増えていた。データ分析ツールによると、登録者は昨日から増え始めたようで、そのほぼすべてが彼の国からだった。いったい何があったのか。

 彼は彼の国語で書かれた大量のコメントに目を通した。好意的なものばかりで、彼の国を持ち上げすぎだと批判する我が国のネットユーザーとは異なっていた。彼は感極まり涙した。この仕事を選んで良かったと心から思えた。

「こんな素晴らしいチャンネルがあったなんて!」

「中立的で、他にはない魅力があるな」

「国営放送で紹介されていたから見に来ました。こんな我が国人が増え、両国友好の架け橋になってくれることに期待します」

 彼は急いで◯◯通信の公式サイトにアクセスした。「社会」の欄では、彼のチャンネルを紹介する記事がトップに表示されていた。我が国には奇特な民間人がいる。私心なく、黙々と彼の国の真実を伝え、我が国の蒙を啓く。彼はまさに我が国の良心だ、と。

「ただいま」

「ちょっとこれ見てくれよ!」

 リポーターはとっておきのワインで、彼氏、インフルエンサーの成功を祝福した。自分や同期の仕事の雲行きが怪しくなってきた今、これは珍しく明るいニュースだった。これこそ研修で言われたような、両国の相互理解を促進する事業ではないか。会社よりも自分の彼氏の方がその役割を担えるとは誇らしかった。

「きみが会社におれのことを紹介してくれたおかげだ。ありがとう」

 すでに酒が入っていたリポーターと、酒を飲み慣れていないインフルエンサーはすぐに酔っ払った。彼はスマホの電卓アプリを使い、本日の視聴回数に基づき月間広告収入を割り出し、その数字を彼女に突きつけた。

「すごい大金じゃない!」

「これならもっといいマンションに引っ越せるし、頻繁に彼の国に取材に行けるな。それに……」

「それに?」

「やっときみにプロポーズできそうだ。おれの収入が今後安定すれば、改めてきみに結婚を申し込むよ」

 二人はキスをし、そのままベッドインした。珍しくリポーターがインフルエンサーに奉仕した。

 翌日の土曜日。二人は早く目覚めた。インフルエンサーは焼き立てのトーストをかじりながら、「次の動画、どうしよう?」と聞いた。

「まずはお礼を言って、それから改めてあなたやチャンネルの自己紹介をしたら。新しい視聴者が増えたんだから」

 彼はその通りにした。自室の壁の一面には彼の国風の、白っぽいレンガの壁紙が貼ってあり、それを背景にしマイクに向かって声を吹き込む。急に脚光を浴びて驚いているが、これからも粛々と彼の国関連の有用な情報を発信していきたい。また彼の国からの視聴者が増えているので、我が国の良い所と悪い所についても客観的に伝えたい。

 週明け、リポーターは上機嫌で出社した。彼女は三階の文化課に直行し、ファンキーに礼を言った。

「きみの彼氏が有名になって嬉しいよ。この会社に来て初めて有意義なことをした気がする。うちのアカウントなんかより影響力があるんだから、チャンネルを大切に運営していってほしいな」

 有名になっても、インフルエンサーの生活は表面的に何も変わらなかった。

 変わったのは心持ちだ。彼は気が強くなった。以前はカツカツな生活を送る底辺配信者の一人だったが、今や動画配信だけで食べていける身分になった。我が国で彼を知る人はほとんどいないが、背後には彼の国の百万人以上のフォロワーがいる。もう焦る必要はなく、どんと構えていればいい。

 彼は以前より頻繁に動画を投稿した。自ら企画し、取材要請をするまでもなく、勝手に仕事が舞い込んできた。我が国を拠点とする彼の国の配信者とのコラボ。彼に動画で宣伝して欲しい店主。彼と交流し平和や友好をアピールしたい留学生。

 チャンネル登録者は順調に増えていった。新規の九割超が彼の国人で、我が国の過激なナショナリストも一パーセント弱含まれていた。一般ユーザーによるコメントを認めているので、コメント欄では時に双方の対立が生じた。しかし前者が数で圧倒的に有利なため、後者の激しい批判的な言葉は多くの好意的な意見の中に埋もれた。インフルエンサーはわざわざ自ら反論する必要がなかった。

「向こうのネット右翼の言うことなんか真に受けるな」

「自ら政府のスピーカーに成り下がって、哀れなものだ」

 インフルエンサーの彼の国への好感度が増していった。我が国では誰も自分を認めてくれないが、彼の国の人々は手放しで自分を褒めてくれる。それならば我が国ではなく、彼の国のために情報を発信すればいいではないか。ということで、彼はチャンネル名を「まるっとわかる! 我が国情報局」に変更した。言語も我が国語プラス彼の国語字幕ではなく、彼の国語で直接話し字幕をなくした。さらに新企画として、我が国の過去一週間のニュースをトップテン形式でまとめた。

「イケメンでおれたちの言葉も上手なんてマジ勘弁」

「彼女いるのかしら? いなければ私が立候補するわ!」

「どうだい、おれの人気ぶり?」

「コメントを眺めていると本当に妬けてくるわ」

 インフルエンサーとリポーターは首都の夜景を楽しめる高層ビルのレストランで食事をしていた。収入が増えると人は高い所に上がりたがるものである。二人は先月、都心の新しいマンションに引っ越した。インフルエンサーはそれとは別に、動画配信用のスタジオを借りた。彼は今や数人のスタッフを雇える身分となっていた。

「乾杯」

 二人は高級シャンパンを飲みながら、この国の中心を睥睨した。洗練されたレストラン、上質の酒、手の込んだ料理、それにふさわしい彼らリッチな美男美女。

「先週の動画、取材と編集に力を入れた割には数字がイマイチだったな」

「内容はとっても良かったんだけどね。我が国の社会問題、それへの政府の対策、市民の反応などが分かりやすくまとまっていて」

「おれもそう思うんだけど、分かりにくいって評価も少なくなかった。我が国政府がやっていることが正しいのかそうでないのか言ってみろって」

「白黒をはっきりさせて単純化したいのよね。そのほうが考えなくてすむから」

「それでは彼の国を悪いって決めつける我が国のマスコミや視聴者と同じじゃないか」

「そうよ。だからあなたはあくまでも中立を守らないと。どちらにも偏らず、しがらみにとらわれず。それができるのはあなただけなのよ」

「おれには彼の国の視聴者というしがらみができた。前は彼の国の良くない情報も伝えていたけれど、今そんなことをすれば袋叩きにあうだろうな」

「あなたはそもそも、我が国人に彼の国の実態を知ってもらうため動画配信を始めたのに」

「仕方ないさ。もっと多くの人を相手に仕事ができ、それで収入も増えたんだから」

 カネのためなら仕方ない。それは正しい声社で働き続ける彼女もそうだった。

 インフルエンサーはスタジオに入り浸りになった。彼は人生で初めて人を顎で使う面白さを覚えた。

 彼はリーダーというものになったことがなかった。学生時代は勉強も運動も並で、常に脇役や誰かの引き立て役だった。会社では人間関係がうまくいかず、同僚と力を合わせ仕事をすることができなかった。「一足す一が三にも四にもなる」という言葉をまったく信じられなかった。

 募集をかけると優秀なスタッフがすぐに集まった。その全員が彼の国人で、学歴も能力も彼より上だった。そんな彼らが彼をインフルエンサーとして崇めた。彼の元で有意義な仕事ができることを誇りにした。彼の言う事をなんでも聞いた。

「あれは違う。本当は、おれという千や万が彼らに力を分け与え、三や四にしてやるんだ」

 彼は金遣いが荒くなった。もはや家事をすることはなく、プロの家政婦を雇った。外出する時には高級なスーツや腕時計で自分を鎧った。満員電車を避け、都内の公道では実力を発揮できないスポーツカーを運転し、タクシーの乗車料金より高い駐車料を支払った。

 帰りはいつも遅かった。交際範囲が広がり、酒量が増え、運転代行で帰ってくるのがほとんどだった。

「ただいま」

「あらあら、また酔っ払っちゃって」

 今の彼の目には、リポーターが依然ほど魅力的には見えなかった。彼は外で彼の国の女性たちと知り合った。我が国人にはない未経験の美に憧れた。彼女たちと比べると、リポーターはいつも手の届く所にいるありふれた存在で、ありがたみがなかった。それに彼は最近、彼女がやや口うるさいと感じていた。

「今度の土日も仕事なの?」

「たまには早く帰ってきてほしいわ」

「前回の動画、露骨に媚びすぎじゃない?」

「事実だとしても我が国をあそこまで悪く言わなくても」

「来週私たちの会社で取材を受けるそうだけど、向こうにペースを握られないよう注意してね」

 月曜日の昼前、正しい声社の玄関前に高級外車が停まった。さっそうと現れたのは本社で行われた研修の講師、プリンスだった。

「しけたビルに、しけた従業員だな。この国のレベルではこんなものか」

 彼は子会社の取り巻きに案内され、普段は動いていないエレベーターに乗り、一般社員の立ち入りが禁止されている四階に上がった。そこは別世界で、憩いの空間になっていた。プリンスは淹れてもらったコーヒーを飲みながらノートパソコンで仕事をし、取材相手の到着を待った。

 インフルエンサーは約束の時間より遅れてやってきた。気位が高いプリンスは嫌な顔一つせず、握手で彼を迎えた。

「国ではもう大変なフィーバーになっています」

「へぇ、そんなに?」

「オンラインだけでは、肌感覚がないから分かりにくいでしょう」

「その通りです。実際に彼の国を訪れ、感謝の気持ちを伝えたいと思っていたところです」

「それはちょうど良かった。ぜひ国のほうで歓迎会や講演会を開きたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」

 インフルエンサーはすぐに予定を空け、快適なプライベートジェットで彼の国に飛んだ。着陸し、機内から出てタラップに立つと、待ち構えていた記者団が一斉にフラッシュを浴びせた。赤絨毯の上にはニュースなどで見覚えのある人が立っていた。

「いつも両国友好のためご尽力いただき誠にありがとうございます。私たちは国を挙げてあなたを歓迎しますよ」と、彼の国の政界要人が言った。

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