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笑い声は空に溶けた

作者: 豆腐小僧

ぬるい闇。

湿った壁。

与えられる餌がすべての世界。


狭い箱の中で、お嬢はただ呼吸していた。

灰色の壁に囲まれ、どこまでも同じ日々。

ひやりとした餌を舌に転がし、甘いような、苦いような味を飲み下す。


世界はそれだけだった。

箱の天井の向こうに何があるのかなど、考えたこともない。

けれどその日、不意に――音がした。


ドン。

地鳴りのような振動。

上から落ちてくる巨大な足音。


お嬢は胸を掴まれるように震えた。

なにかが、箱の外にいる。

自分よりも、ずっと大きな「誰か」が。


その瞬間、世界が破れ目を見せた。

お嬢は蓋の隙間から外へと身を滑らせた。


そして見た。

自分の箱と同じものが、整然と並ぶ光景を。

機械のように並べられた無数の箱。

それは巣のようであり、牢獄のようでもあった。


「……」

お嬢は震え、走り出した。

仲間を探さなければならない。


通路を駆け、ひとつ目の箱を覗き込む。

そこには、お嬢よりも小さな幼体が、身を縮めて震えていた。

まだ立ち上がる力もなく、ただ餌のそばでかすかな呼吸をしている。


二つ目の箱。

中には動かない影があった。

冷たく固まった体。

かつては自分と同じだったのかもしれない存在。

お嬢は胸の奥がざわりとするのを感じた。


三つ目の箱。

中で、ひとつの影が壁を突き破ろうともがいていた。

鋭い音が箱に響き、壁にヒビが走っている。

だがそれは、ただ箱を壊すためだけの衝動に見えた。

お嬢は後ずさりした。


そして――四つ目の箱。

そこに、ようやく自分と同じ大きさの存在がいた。


「……」


二人は硬直したまま、ただ見つめ合った。

言葉はなかった。

お嬢は胸の奥で必死に叫びながら、手を大きく広げ、外へと向けて動かした。

――箱の外にも場所がある。

――ここから出られる。

そして両手を差し伸べ、身振りで誘った。

――一緒に逃げよう。


相手の目が大きく揺れる。

その瞳の奥に、わずかな希望がきらりと宿った。

胸の奥がじんわりと温かく広がり、張り詰めていた息がふっとゆるむ。

孤独が少しだけ溶けていくのを、お嬢は感じた。


しばらくの沈黙ののち、相手はぎこちなく頷いた。

その瞬間、二人のあいだに小さな火が灯った。


二人は箱を出た。


通路を走る。

息が切れ、足がもつれ、倒れそうになりながらも走る。

誰も追ってはこない。

だが、終わらない通路の光景が二人を弱らせた。


「……」

歩くしかない。


そうして見つけた。

通路の脇に漏れる灯り。

小さな穴。


二人は迷わず飛び込んだ。


穴の奥には、光が点々と続いていた。

最奥に――ひどくやつれた存在がいた。

骨のように細い体。

荒い呼吸のたびに胸がかすかに上下し、擦れる音が空気を切った。

洞穴の壁に背をあずけたその影は、ただ目だけが異様に強く光り、二人を射抜いた。


「☆○+」

意味を成さない音。

けれどやつれたものは壁に指で溝を描いた。


爪が石を削るざりざりという音が、狭い穴に反響する。

点が線になり、線が形になる。

それは――箱。

いくつも並ぶ箱。


次に大きな箱を描き、その中に餌を描いた。

そして自分を指差し、うなだれた。


ここからは出られない。

そう告げているようだった。


さらにやつれたものは、手に透明な瓶を取り出した。

中に揺れる液体。

口に運ぶ仕草。


お嬢は直感した。

――成体にならないためのもの。

与える存在にならず、小さいままでいられる選択。


同じものの手が瓶に伸びる。

お嬢は咄嗟にはたき落とした。


パリーン。

音を立てて砕け散る瓶。

やつれたものの叫びは、低く響く獣の唸りのように穴を震わせた。


お嬢は同じものの手を引き、逃げた。

走って、走って、呼吸が耳鳴りに変わるまで走った。


冷たい床に倒れ込み、二人は目を合わせた。

震えながら、でも手を繋いだ。


もう戻れない。

それでも進むしかない。


ヒビが入っていた。

冷たい壁の裂け目に指を押し込み、二人は必死に掘り進めた。


爪が割れ、指先がじんじんと痛む。

湿った粉がぱらぱらと落ち、鼻を刺す土と金属の匂いが喉にひっかかる。

舌はざらりと乾き、呼吸は荒く、胸が焼けるようだった。


「……」

声にならない息だけが、耳の奥でごうごうと響く。

肩がぶつかり、腕が震え、何度も崩れ落ちそうになる。

それでも互いに手を添えて、掘るしかなかった。


どれだけの時間が過ぎただろうか。

遠くで微かに風が鳴る。

ヒビの隙間から、白いものが差し込んだ。


光だ。


柔らかい壁がボロボロと崩れ落ち、ひやりとした風が頬を撫でた。

二人の足が空気に浮いたように軽くなった。

もつれる足を押し合いながら、暗闇を抜け出す。


――そして、世界が開いた。


光は痛いほど強く、草の影は塔のようにそびえていた。

土は湿ってやわらかく、足の裏が沈み込む。

風は草の匂いをまとって頬を叩き、髪の先を遊ばせる。

遠くから土をかき混ぜるような匂いが流れ込み、胸の奥まで一気に冷たい空気で満たされた。


二人は転がりながら笑った。

その笑い声は空に吸い込まれ、鳥のさえずりと混じり合った。


やがて、頭上から巨大な音が重なった。

ドン、ドン、と地面を震わせる足音。

空を切り裂くような高い声。

あまりに遠く、あまりに大きく、意味を持たない音のかたまり。


少し離れた場所では、巨大な影が腰掛けていた。

木のように動かず、岩のように揺るがない。

その向こうから、かすかな笑い声が風に乗って届いた。

ひどく遠く、ひどく大きな声。

二人には、それが何であるのかを知ることはできなかった。


未来に何が待つのかも知らない。

今はただ光の下で、手をつないで笑っていた。

これは「アリ」をモチーフにした物語です。

お嬢たちの住む巣は、人間に管理されていたわけではありません。

ただ、入り口が――偶然、子どもの遊びで塞がれていただけでした。


自分で選んでいるつもりで、生きてる。

でも実際は、外があることすら知らず、与えられるものだけで満足してしまう。

そこに疑問を持つことさえ、難しい。


この物語は、「人生を自分で選択することの難しさ」と

「それでも、自分で切り拓いた世界の美しさ」を描いています。

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