役者か…
「嘘が評価される世界で、真実を貫く覚悟を問う物語。」
俺、中原遼は、教室の隅の席でいつも通り黙って周囲を観察していた。
教室はざわつき、今日も「舞台」が始まろうとしている。
「ねえ先生〜、昨日の宿題、ちょっと難しかったんですけど……ちゃんとやってきました!」
教壇前で声を張るのは、クラスでも優等生の誉れ高い高嶺の花の倉本沙希。
明るいトーンに、先生は微笑んで「そうか、よく頑張ったな。」と応じる。
隣の男子…西岡もすかさず、「俺も昨日、図書館で勉強してました!」と加勢する。
また始まった。
誰が最初に言い出したのかは知らない。でも、ここの生徒たちの多くは、空気を読んで、先生の顔色を見て、自分のセリフを演じている。
その目的はただ一つ。内申点。
「ああすれば評価が上がる。」「こうすれば推薦がもらえる。」
それが彼らの真実であり、日常であり、信念だ。
俺は、心のどこかで疑問を感じながらも、ただそれを見つめていた。
◇◆◇◆◇◆◇
ある日、学校では戦争体験者を招いた特別講演会が開かれた。
体育館に全校生徒が集められ、壇上には90近い老人が立っていた。
語り出す……飢え、仲間の死、焼けた街、戻らぬ家族。
「昭和二十年、私は……戦争で兄を亡くしました……。当時、関東軍に所属していた兄は、黒竜江省で戦死しました。私は、当時…帝国海軍の航空隊。特攻隊のパイロットでした…」
「戦争は……二度と、繰り返してはいけないものです。」
生徒たちは、黙って聞いた。教師たちはうなずき、メモを取るよう指示を出す。
俺は、最後列で腕を組み、周囲を観察していた。
前の席では、クラスの優等生…倉本さんが、演技がかった真面目な顔でノートを取り続ける。
講演が終わると、最前列の女子が「ありがとうございました!」と声を揃えて深々と頭を下げた。教師は満足げにうなずき、プリントの感想文を明日までに出すようにと指示した。
◇◆◇◆◇◆◇
放課後。
帰り道。さっきまで「戦争反対」と涙ぐんでいた男子たちが、スマホの画面を見ながら騒いでいた。
「おい、今日の講演クッソ長くなかった?」
「マジそれな。しかも明日までに感想とか、だるすぎ。」
「戦争とか知らねーよ。俺、今日の夜はFPSあるからさ~」
彼らはスマホの画面を見ながら、血まみれの戦場ゲームで盛り上がっている。
「これが現実か……」
俺はポツリとつぶやいた。
その声は風に消えたが、胸の中にははっきりとした言葉が残っていた。
あれで、いいのか?
「おい、マジでこの戦車チートじゃね?」
「いや、核落とすのが一番はえーって。」
笑い声が響く。遼は、黙って彼らを見つめた。
「……役者か。」
思わず口をついて出た言葉に、誰も気づかない。いや、気づいても、気づかぬふりをするのだろう。
◇◆◇◆◇◆◇
翌日、教室では感想文の交換が始まっていた。教師が「優れた文章」として読み上げたのは、倉本さんのものだった。
「戦争の悲惨さに胸を打たれました。私たちは、平和の尊さを忘れてはならないと思います。」
拍手が起こる。教師は満足げだ。
だがその昼休み、倉本さんは周りに自慢していた。
「先生、ちょろいよな。適当に道徳的なこと書いときゃ、だいたい褒められるし。」
それを見た俺は、またつぶやいた。
「……あれで、いいのか?」
教室の空気は、どこか芝居の舞台に似ていた。みんな、セリフを忘れないように気をつけている。場の空気、先生の好み、世間体。まるで役者。
ただし、台本は誰かのためじゃない。自分のため。内申点、推薦、進学、就職……“損しないため”の演技。
俺には、それがどうしてもできなかった。しようとも思えなかった。
俺は、白紙のままプリントを出した。
「おい、中原!何も書いてないじゃないか!」
教師は眉をひそめた。
「……正直な感想です。特に書くことは、ありませんでした。」
沈黙が走る。倉本が小さく笑い、周囲が困ったように目を逸らした。
教師は溜息をつきながら言った。「そういう態度は、評価に関わるぞ。」
俺はは、それ以上何も言わなかった。
……だが俺の中で、小さな決意が灯っていた。
演技は、しない。
たとえ損をしても。
嘘に慣れたくないと、思った。
◇◆◇◆◇◆◇
翌週の朝、昇降口の前に設置された長机に、生徒会とボランティアの数人が並んで立っていた。
手書きのポスターにはこう書かれていた。
『アフリカの子どもたちへ支援を!愛の募金、お願いします!』
その中に、またしても倉本さんの姿があった。
朝から声を張り上げている。
「みなさんの一人ひとりの思いやりが、世界を変えます!どうかご協力ください!」
横には募金箱が置かれ、生徒たちは登校がてら小銭を入れていく。
誰かが投げると、その場に拍手が起こり、他の生徒たちもつられるように財布を開ける。
「すごいね、倉本さん、あんなに元気で。」
「推薦狙いだよ。ほら、ボランティア活動は評価されるし。」
そんな声がすぐ隣からも漏れていた。
俺はその机の前を無言で通り過ぎた。何も入れなかった。何も言わなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
「ねえ見てこれ。」
昼休み、教室の後ろで、女子の一人がスマホの画面を見せていた。
「今朝の募金の様子、学校の公式SNSに載ってた!私もちょっと写ってる〜!」
「倉本さん、ばっちり笑顔だね。」
「うちら、めっちゃ善意の人って感じじゃない?」
俺は、別の机でパンをかじりながら、その会話を聞いていた。
善意の人…
彼らにとって募金とは、誰かを助ける手段ではなく、自分を装う手段なのかもしれない。
実際、数日前の放課後、俺は倉本たちの会話を聞いたのだった。
「マジでさ、ボランティアってお得じゃない?先生ウケいいし、推薦でも書けるし。」
「写真も撮っておいて、ポートフォリオに入れようぜ。」
……その瞬間、俺はまたつぶやいた。
「……役者か。」
一方そのころ
おれの机の隣に座る川島という男子は、ぼそりとつぶやいた。
「……なんで、善意って見せびらかすんだろう。」
俺は顔を上げた。
川島は、朝の募金活動で唯一、無言で札を入れていた生徒だった。しかも誰も見ていないときに。
「偽善かどうかなんて、他人にはわかんない。でもさ、パフォーマンスでやってるやつのせいで、ほんとにやってる人まで同じに見られる。……やるせないよな。」
俺はそれを聞いて、初めてわずかに口角を上げた。
「……お前、役者じゃないな。」
川島も小さく笑った。「まあ、役者には向いてねえよ。」
◇◆◇◆◇◆◇
放課後
ボランティア活動の報告書を提出するため、職員室に呼び出された生徒たちの中に、当然ながら倉本さんもいた。
「はい、この通り写真もありますし、募金額もこんなに集まりました。よければ、学校の広報にも……」
それを見た俺は思った。
……行為の中身より、見た目と評価が優先されるのか。
……それが“善意”として通用するなら、本当の善はどこにあるん
◇◆◇◆◇◆◇
学期末が近づくある日、教室の後ろに一枚のポスターが貼られた。
「いじめ、絶対に許しません。」
大きな赤い文字とともに、笑顔の生徒たちが手を取り合うイラスト。
俺は、それを見上げながら呟いた。
「許さないか……誰が?誰のために?」
担任の杉村が朝のホームルームで言った。
「今週は人権週間です。いじめを見かけたら、先生たちやスクールカウンセラーに相談してください」
そして配られるいじめ防止アンケート。
「いじめを見たことがありますか?」
「自分がいじめを受けたことはありますか?」
「あなたはいじめをしてしまったことがありますか?」
教室中が静まり返り、生徒たちは鉛筆を走らせる。だが、俺は知っている。
本当のことは、誰も書かない。
◇◆◇◆◇◆◇
最近、ある一人の男子がクラスで浮いていた。
名前は藤堂悠真。
無口で、不器用で、少し独特な言動をする。
最初は無視から始まり、やがて“軽い悪口”が、毎日の“いじり”になった。
消しゴムを隠されたり、机に落書きをされたり。
だが、教師は気づかないふりをする。なぜなら……
「藤堂くん、ちょっと浮いてるから、みんなとの関わり方をもっと学ぼうか」
……と、本人の側に問題があることにしてしまっているからだ。
「協調性がない」
「反応が冷たい」
「空気が読めない」
クラスの正義が、彼を無言で追い詰めていた。
◇◆◇◆◇◆◇
人権週間のイベントとして、「いじめ撲滅スピーチ大会」が行われた。
生徒代表に選ばれたのは、またしても倉本さんだった。
壇上で彼女は、少し涙ぐみながら語った。
「私は、過去にいじめられていた子を見て、何もできなかったことがあります。でも、それ以来ずっと後悔しています。だから今、声を上げたい。いじめは、絶対にダメです。」
割れんばかりの拍手。
教師たちは目を潤ませ、「感動した」と称賛の嵐。
だが……その倉本さんこそ、昼休みに藤堂に消しゴムを投げつけていた一人だった。
俺は、それをすべて知っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「中原、お前も書けよ。」
担任の杉村先生が声をかけた。
俺だけが、アンケートをまだ出していなかった。
「本当のこと、書いていいんですか?」
「……ああ、もちろん。」
遼は、ゆっくり口を開いた。
「倉本さんが“いじめ反対”って言ってましたけど、昼休みに藤堂くんに物を投げたりしてますよ。西岡や田村も同じです。教師の前では良い子でも、裏ではずっと続いてる」
杉村は顔を曇らせた。「証拠は?」
「俺は何度も見てます。それじゃ、証拠にはならないですか?」
沈黙。
その場にいた教師の顔が、困ったようにこわばった。
「……その件は、教頭にも報告する。」
だが、俺は分かっていた。
これは、「問題を処理する」ための言葉であって、「問題を正す」ための行動ではないことを。
◇◆◇◆◇◆◇
三学期。
年が明けてしばらくした頃、生徒たちの間で、ひとつの噂が流れた。
「倉本さん、◯◯大学の指定校推薦、もう内定らしいよ。」
教室がざわつく。
推薦倍率は高く、校内でひと枠あるかどうか。誰もが欲しかった進学ルート。
それを掴んだのが……倉本さんだった。
「まあ当然でしょ?成績はもちろん、ボランティアもやってるし、生徒会にも参加してたし。」
本人は、さも当然のような顔でそう言った。
「推薦って、普段の行いが大事だから。ちゃんと“アピール”してないと取れないって、知らなかったの?」
その言葉に、教室の空気が一瞬固まった。
だが誰も反論しない。
なぜなら、彼女は“勝者”だからだ。
周囲が黙る中、倉本はニヤリと笑った。
「中原くんは、そういうの興味ないんだっけ?“正直者はバカを見る”ってやつ?」
俺は何も言わなかった。
ただ、目の前の「完成された演技者」を、静かに見つめていた。
彼女の“正しさ”は、計算されたセリフと行動の積み重ね。
社会が望む「優等生」を完璧に演じ切ることで、結果を手に入れた。
だが、その背後にあるものを、俺は知っていた。
藤堂へのいじめ。
裏での嘲笑。
行動の目的が「誰かのため」ではなく、常に「自分のため」であるということを。
◇◆◇◆◇◆◇
昼休み、教室の片隅で、倉本は女子グループに囲まれていた。
「推薦ってズルくない?学力試験じゃなくて、活動歴とか内申とかで決まるんでしょ?」
そう呟いた生徒に、倉本さんは涼しい顔で返す。
「ズルいって、頑張った人への嫉妬?ちゃんと“努力”してたら誰でも取れるんだけど?」
「私なんて、夏休みもボランティア行ってたし?先生ウケの良い作文も書いてたし?」
「そういうの、見せ方っていうの?アピール力? 就活とかでも大事になるからさ~」
鼻につく言い方だった。だが、誰も何も言えない。
それが、推薦という“結果”の重さだった。
◇◆◇◆◇◆◇
数日後、藤堂はついに学校を休みがちになった。
保健室登校から、そのまま欠席へと変わっていった。
担任は「家庭の事情で…」とだけ説明し、教室では誰もその名前を出さなくなった。
いじめアンケートの件は、それきりだった。
教師たちは、「学校としての対応」を見せただけで、何も本質的には変わらなかった。
いや……「見ないことにした」のだ。
◇◆◇◆◇◆◇
ある日の放課後、俺は職員室前の廊下で立ち止まった。
中から、倉本さんの声が聞こえた。
「推薦、ありがとうございました! 先生方のご指導のおかげです!」
演技は、最後まで抜かりない。
担任の杉村先生も、それに応じて笑う。
「いや、倉本さんは本当に模範的だったよ。大学でも、その姿勢を大事にするんだよ」
……模範的。模範とは、誰の目に映るためのものなのか。
そう思いながら、その場を離れた。
◇◆◇◆◇◆◇
下駄箱の前。
倉本さんはスマホを見ながら、友人にこう話していた。
「結局さ、正義感とか真面目さって“演出”なんだよね」
「真に受けてる奴って、損するだけじゃん? 中原くんとか、マジで無駄な正義って感じ~」
その言葉に、俺は足を止めた。
だが、振り返りはしなかった。
俺にとって、彼女はもう、舞台の上の登場人物にすぎなかったから。
◇◆◇◆◇◆◇
数週間後…卒業が近づいた頃。
川島と校舎裏で話す機会があった。
「なあ中原。結局、ああいう奴が勝つんだよな。社会ってやつでは」
「……そうかもな。けど、勝ちって何だろうな」
「評価されること?」
「じゃあ、誰に?」
「……先生?社会?」
「演技でしか得られない評価に、意味はあるのか?」
俺の問いに、川島はしばらく黙ったあと、ふっと笑った。
「お前、めんどくさいやつだな。でも、そういうやつがいないと、世の中もっと冷たくなるのかもな」
俺は、彼の言葉を受け止めながら、空を見上げた。
まだ冬の名残が残る曇り空だった。
けれど…
俺の中では、確かに春が近づいていた。
小さな決意だけが、俺の道標だった。
「俺は、誰にも媚びず、何にも演じず、この先を歩いていく。」
「“役者にならない”という選択を、貫くか……」
筆者より
この物語は、特定の誰かを批判するために書いたわけではありません。
けれど、もしあなたが「これ、自分のことかもしれない」と思ったなら、
それはたぶん、あなたがまだ麻痺しきっていない証拠です。
私たちは知らず知らずのうちに、評価されるための「正しさ」を演じています。
空気を読み、波風を立てず、得をする言葉だけを選んで生きる。
それを人は「賢い」と呼ぶのかもしれません。
でも…
それで、本当に誰かの心を動かせるでしょうか。
それで、自分自身を誇れるでしょうか。
この物語が、あなた自身の「正しさ」について、
ほんの少しでも立ち止まって考えるきっかけになったなら、
それが私にとって何よりの評価です。




