二話:神の意志②
寮の部屋は、冷たく、静かだった。白亜の壁に囲まれた狭い空間は、まるでブレイバーの心を映すかのように無機質だった。
扉を閉め、ようやく一人になった瞬間、彼は深いため息をつく。その音は、まるで魂の重みを吐き出すかのようだ。
ブレイバーは、ベッドの端に腰を下ろし、雷鳴を宿す瞳を虚空に彷徨わせた。
神の使徒。
不老不死の肉体と、莫大な魔力。
神から与えられた名と使命は、彼を高みへと押し上げるはずだった。しかし、今、彼の胸に広がるのは、虚無だった。
「幸せではない」
その言葉が、頭の中で反響する。学園での嘲笑。制服に刻まれた侮辱。貴族たちの冷たい視線。そして、サーシャ・ハヤミの青い瞳だけが、僅かな温もりを残していた。
だが、それすらも、彼の孤独を癒すには足りなかった。
サクセスストーリーなど、どこにもない。
神の使徒として選ばれたはずの彼は、まるで神に見捨てられたかのような孤独に苛まれていた。
彼の指が、握り潰すように拳を作る。だが、その拳は、すぐに緩んだ。怒りも、悲しみも、彼を救うことはできない。
彼にできるのは、ただ前へ進むことだけだ。
突然、魔導端末が鋭い音を立てた。
ブレイバーの視線が、机の上の小さな装置へと向かう。画面に映し出された文字は、冷たく、しかし避けられぬ命令だった。
『テロリストの殲滅作戦』
彼の瞳が、瞬時に鋭さを帯びた。
魔導端末の冷たい光が、彼の顔を照らす。
ブレイバーは、すぐにその詳細に目を通した。
テロリスト。
平和を脅かす敵。
クレスト神国の秩序を乱し、神の威光に逆らう者たち。
排除する必要がある。
その言葉は、まるで彼の心に突き刺さる刃だった。
テロリストは敵だ。だが、敵とは何か。
平民を道具と蔑む貴族たちと、何が違うのか。
ブレイバーの胸に、疑問が渦巻く。だが、彼はそれを振り払う、
神の使徒として、アイドルとして、彼には果たすべき役目がある。
彼は立ち上がり、部屋を出た。
集合場所は、学園の外れに位置する広場だった。
そこには、貴族の姿はない。代わりに、平民の軍人たちが集っていた。彼らの装備は粗末で、鎧には傷が刻まれ、瞳には疲弊と諦めが宿っていた。
平民は、貴族の道具。
戦いの道具。
ブレイバーは、その言葉を思い出す。
彼自身もまた、平民の出自を持つ者だ。だが、今、彼は異なる。神の使徒として、豪華な鎧に身を包み、手には神剣が握られていた。
その剣は、まるで神の意志を具現化したかのように、淡い光を放つ。
軍人たちの視線が、ブレイバーに集まる。
そこには、羨望も、嫉妬も、期待もあった。だが、ブレイバーはそれに応えるでもなく、ただ静かに最前線に立った。
彼の背は、真っ直ぐだった。
雷鳴を宿す瞳は、遠くの地平を睨みつける。
テロリストが潜む森の闇が、まるで彼の心の影を映すかのようだった。
彼は、深く息を吸い、高らかに謳った。
「これよりテロリスト殲滅作戦を開始する。私に続け!!」
その声は、まるで雷が天地を裂くように響き渡った。
平民の軍人たちの瞳に、僅かな光が灯る。
彼らは、ブレイバーの背中に続く。
神の使徒として、アイドルとして、彼は民衆の心を掴まねばならない。
そのために、彼は戦う。
テロリストを殲滅するためか。
神の威光を伝えるためか。
それとも、己の存在を証明するためか。
ブレイバーの心は、なお揺れていた。
神剣を握る手が、僅かに震える。だが、彼は前を見据える。雷鳴が、戦場を切り裂く。
戦場は、まるで神の審判の舞台だった。
森の奥、闇が蠢く地平に、重火器で武装したテロリストたちが陣取っていた。
彼らの銃口は、クレスト神国の秩序を嘲笑うかのように火を噴き、弾丸が空気を切り裂く。
平民の軍人たちは、粗末な装備でその猛攻に耐えていたが、疲弊と恐怖が彼らの瞳を曇らせていた。だが、その中心に、ブレイバーは立っていた。
豪華な鎧に身を包み、神剣を手に、雷鳴を宿す瞳で敵を睨みつける。
彼は、ただの平民ではない。
神の使徒。
戦場のアイドル。
民衆の心を掴み、神の威光を体現する存在。
テロリストの銃撃が、彼に迫る。だが、ブレイバーの周囲で空気が震えた。
瞬間、天地が白熱の光に包まれた。
雷鳴が轟き、稲妻が戦場を切り裂く。
ブレイバーの雷魔法は、まるで神の怒りを具現化したかのように、テロリストたちを一掃した。
重火器の轟音すら飲み込む、圧倒的な力。
敵の陣営は、瞬く間に焦土と化した。
銃弾は彼に届かず、雷の奔流に呑まれ、灰と化した。だが、ブレイバーの力は攻撃だけに留まらなかった。
彼の手が、虚空を切り裂くように動く。
雷のバリアが、味方の軍人たちを包み込んだ。淡く輝く光の膜は、まるで神の加護を象徴するかのようだった。
弾丸を弾き、爆風を防ぎ、平民の兵士たちを守る。その光景を目にした兵士たちの瞳に、恐怖が消え、代わりに雄々しい炎が宿った。
「進め!」
「神の使徒が我々を守る!」
彼らの叫びが、戦場に響き合う。
雷のバリアに守られ、兵士たちは一斉に突撃した。その姿は、まるで神の意志に従う軍勢のようだった。
ブレイバーは、その先頭に立っていた。
神剣を掲げ、雷鳴を従え、彼は戦場を駆ける。
彼の姿は、まるで神話の英雄そのものだった。
戦場のアイドル
これが、求められた資質だった。
神の使徒として、戦場のアイドルとして、ブレイバーは民衆の心を掴むために存在する。雷魔法の派手さは、貴族たちの言う「下品」な力ではない。
それは、民衆の魂を奮い立たせ、神の威光を分かりやすく伝えるための光だった。
戦場に響く兵士たちの雄叫びは、ブレイバーの存在が彼らに与えた希望の証となる。だが、彼の胸の奥では、別の感情が渦巻いていた。
この戦いは、果たして正義なのか。
テロリストを殲滅することは、神の意志なのか。
それとも、貴族社会の秩序を維持するための、ただの道具としての役割なのか。彼の雷は、敵を一掃し、味方を守る。だがしかし彼自身の心を守るものは、何もなかった。
戦場の喧騒の中で、ブレイバーの瞳は、なおも揺れていた。彼は、戦場のアイドルとして輝く。だが、その輝きの裏で、彼の魂は孤独に苛まれていた。
サーシャ・ハヤミの青い瞳が、ふと彼の脳裏をよぎる。彼女の言葉――「可哀想じゃない。平民というだけで馬鹿にされるなんて」――が、彼の心に僅かな温もりを灯す。
だが、今、彼は戦場にいる。
神の使徒として、戦わねばならない。
雷鳴が、再び轟く。
ブレイバーの物語は、血と光の中で続く。
戦場は、まるで神の怒りを映す鏡だった。焦土と化した森の奥、焼け焦げた木々が黒く立ち尽くす中、雷鳴の余韻がまだ空気を震わせていた。
平民の軍人たちは、ブレイバーの雷のバリアに守られ、テロリストの残党を追い詰めていた。彼らの雄叫びが、戦場の喧騒に溶け合う。
その中心に、新たな脅威が現れた。
巨大な魔力を纏ったテロリスト――その男は、まるで闇そのものが具現化したかのようだった。黒いローブの下に隠された筋骨隆々の体躯。手に握られた大剣は、禍々しい魔力を帯び、赤黒い光を放っていた。
その瞳は、憎悪と狂気を宿し、ブレイバーを真っ直ぐに捉えた。
「神の使徒だと? 貴族の狗が! ぶっ殺してやる!」
テロリストの声は、まるで地獄の底から響く咆哮だった。ブレイバーの胸が、僅かに軋んだ。
狗。
その言葉は、貴族社会の平民への蔑視と、テロリストの憎悪が交錯する刃だった。
彼は動じなかった。
神剣を握る手が、強く締まる。豪華な鎧は光り輝きながら身を守り、雷鳴を宿す瞳が、敵を睨みつける。
「言葉は無用だ。来い」
ブレイバーの声は、静かだっあ。
瞬間、戦場が凍りついた。そして、天地が裂けた。
テロリストが動いた。その大剣が、まるで空間そのものを切り裂くように振り下ろされる。赤黒い魔力が刃に渦巻き、大気を焼き、地面を抉った。
ブレイバーは、瞬時に神剣を構えた。雷鳴が轟き、彼の剣に白熱の稲妻が宿る。
二つの大剣が、正面から激突した。
金属と魔力がぶつかり合う音は、まるで世界の終わりを告げる雷鳴だった。衝撃波が戦場を駆け抜け、近くの木々が根こそぎ倒れる。
平民の軍人たちは、思わず後退した。ブレイバーは一歩も引かない。彼の鎧が、衝撃に耐えるように輝き、神剣がテロリストの大剣を押し返す。
「貴様ごときが、神の使徒だと? ただの人間の癖に!」
テロリストが吼える。その声は、憎悪に満ちていたが、同時に、どこか哀しみを帯びていた。ブレイバーは、その言葉の裏に潜む何かを感じ取ったが、今は考える時間ではない。
テロリストの大剣が、再び振り上げられる。赤黒い魔力が、まるで血の奔流のように刃から溢れ、ブレイバーを呑み込もうとする。
彼は、雷のバリアを展開した。淡い光の膜が、彼の周囲を包み、魔力の奔流を弾き返す。その衝撃は凄まじく、ブレイバーの足が地面にめり込む。
「くっ……!」
彼の歯が、軋む。
テロリストの魔力は、ブレイバーの想像を超えていた。それは、単なる力ではない。憎悪と絶望が、魔力を増幅させていた。
「貴族の道具がを言う! 神の名を騙る不届き者め!」
テロリストの大剣が、連続で振り下ろされる。一撃ごとに、地面が割れ、空気が震える。ブレイバーは、神剣を振り上げ、迎え撃つ。雷鳴が轟き、稲妻がテロリストの大剣を弾く。
二人の剣戟は、まるで神話の戦いを再現するかのようだった。光と闇、雷と魔力が交錯し、戦場を白と黒の混沌で染め上げる。
ブレイバーの動きが、加速した。
彼の雷魔法は、単なる破壊の力ではない。
それは、戦場のアイドルとしての輝きだった。
彼の剣戟は、まるで舞踏のように優雅で、かつ圧倒的な力に満ちていた。神剣が弧を描くたび、稲妻が戦場を切り裂く。テロリストの大剣が振り下ろされる瞬間、ブレイバーは身を翻し、雷の速度で間合いを詰めた。
「遅い!」
彼の声が、雷鳴と共鳴する。
神剣が、テロリストの肩を狙い、閃光を放つ。テロリストの反応も常人の域を超えていた。赤黒い魔力が盾となり、ブレイバーの一撃を弾き返す。
「貴様も、所詮は道具だ!」
テロリストの咆哮が、戦場に響く。
その言葉は、ブレイバーの心を抉った。
道具。
平民は、貴族の所有物。
戦いの道具。
学園での嘲笑、制服の落書き、貴族たちの冷たい視線が、脳裏をよぎる。だが、ブレイバーは前を見る。動揺を踏み潰して、前へ進む。
「私は神の威光を示す光の具現。その私に歯向かう罪を命で償え!」
彼の声は、雷鳴よりも鋭く、戦場を切り裂いた。雷のバリアが、味方の軍人たちを守りながら、彼自身を包み込む。
テロリストの大剣が、再び振り下ろされる。ブレイバーはその一撃を見切っていた。彼の身体が、雷光の如く動く。神剣が、テロリストの脇腹を掠める。赤黒い魔力が爆ぜ、テロリストが一瞬、膝をつく。
「まだだ!」
テロリストが咆哮し、大剣を振り上げる。その一撃は、まるで山を砕くような威力だった。ブレイバーは、雷のバリアでその攻撃を防ぎながら、間合いを離す。
戦場に、雷と魔力の火花が散る。
平民の軍人たちは、その光景に息を呑む。
彼らの瞳には、恐怖と同時に、希望が宿っていた。
ブレイバーの戦いは、単なる戦闘ではない。
それは、神の使徒としての証明であり、戦場のアイドルとしての輝きだった。
戦闘は、長く続いた。ブレイバーの雷魔法は、戦場を支配していた。テロリストの魔力もまた、尽きることなく彼を追い詰める。
二人の大剣が交錯するたび、衝撃波が戦場を揺らし、地面が砕ける。ブレイバーの鎧には、傷が刻まれていた。
神剣を握る手に、汗と血が滲む。
彼の呼吸は、荒々しく、しかしなおも止まらなかった。
「なぜだ……なぜ、貴様は戦う?」
テロリストの声が、初めて揺れた。その瞳には、憎悪だけでなく、理解を求める光があった。
ブレイバーの胸が、僅かに震えた。
なぜ戦うのか。
神の使徒としてか。
民衆の心を掴むアイドルとしてか。
それとも、己の存在を証明するためか。
彼の脳裏に、サーシャ・ハヤミの青い瞳が浮かぶ。
『可哀想じゃない。平民というだけで馬鹿にされるなんて』
彼女の言葉が、彼の心に火を灯す。
貴族であっても、人を想う心はある。悪逆非道だとしても、それは貴族という人種ではなく、個人の思想や態度に過ぎない。
一人一人の人間を見れば、守る価値がきっとある。
「私は神の使徒として、貴様をその身に宿す憎悪ごと、この雷火で焼き尽くす!」
彼の声が、戦場を切り裂く。雷鳴が、天地を震わせた。ブレイバーの全身から、稲妻が迸る。神剣が、白熱の光を放ち、テロリストの大剣を正面から迎え撃つ。
最後の激突だった。
雷と魔力がぶつかり合い、戦場が光と闇の混沌に包まれる。
瞬間、テロリストの大剣が砕け散った。
赤黒い魔力が霧散し、男が膝をつく。
「貴様……本当に、神の使徒なのか……」
テロリストの声は、弱々しく消えた。
ブレイバーは、剣を下ろさなかった。
彼の瞳は、なおも敵を捉えていた。だが、その奥には、深い葛藤が宿っていた。
この戦いは、正しかったのか。
テロリストを討つことが、神の意志だったのか。
彼の心は、答えを見つけられなかった。
戦場のアイドルとして、彼は輝いた。だが、その輝きの裏で、彼の魂は孤独に苛まれていた。
戦場に、静寂が戻った。
平民の軍人たちが、ブレイバーに駆け寄る。
「神の使徒!」
「ブレイバー様、万歳!」
「我々の希望だ!」
彼らの声は、まるで彼を讃える讃歌のようだった。それと反対にブレイバーの心は、なおも重かった。
神剣を握る手が、静かに震える。
彼は、戦場のアイドルとして、民衆の心を掴んだ。その代償として、彼自身の心は、どこか遠くへ置き去りにされていた。
雷鳴が、遠くで響く。