第四十話 絶大なる力―――玄武(暴走)―①
夜の帳が倉庫街を包み込み、全体が静寂に沈んでいた。
月光が雲に隠れ、ぼんやりとした灯火のもと、廃倉庫の影に潜む三人の気配もまた、風に紛れるように消えている。
キャラバン・ギアは遠く離れた路地裏に停められ、俺たちはそこから徒歩で倉庫に戻ってきていた。
建物の隙間、使われなくなった古いコンテナの陰に身を潜める。
シグレ「――今回の任務は、国家の威信に関わる重要な任務だ。無断の行動は許さぬ」
シグレの低く、冷静な声が響く。
その琥珀の瞳には、どこか“戦場の覚悟”を宿していた。
神「ああ、わかってる……」
リィナ「……私も、がんばります……皆さんの足引っ張らないように」
コクリと小さく頷くリィナ彼女の顔にも、緊張の色が濃く滲んでいる。
やがて――時間は、取引があるとされた刻限を迎えた。
空気が変わる。
どこからか、靴音が響いた。
暗がりの倉庫に、先に現れたのは五人の男を従えた貴族風の男。
金と紫の刺繍が施された上着、ひと目で高位貴族と分かる佇まい。
従者たちは全員、武装しており、周囲に鋭い視線を巡らせていた。
神「……あれは…」
シグレ「……買い手だ。貴族がこの一件に関与しているという情報もある」
そして、対になるように倉庫の裏手から現れたのは、フードを深く被った三人の影。
布の端すら揺れない静かな歩み。
貴族らに対峙するように立ち止まり、言葉を交わし始める。
リィナ「……暗くて、顔が……」
神「……聞こえるか?」
「……約…もの……か…」
「む….…金……のか」
「……だ」
「……おま……ような…………腐った…………だ」
よく聞き取れない。
念のために距離を取っているのもあるが、シグレが使ったものほどではないが、干渉障壁を張っているのだろう。
断片的な言葉だが、取引をしているのは分かる。
だが、次の言葉に俺の思考は停止する―――。
「俺は……ヴァル……とは……う」
その名が聞こえた瞬間――
……ヴァル……!!
頭の中が真っ白になる。
ヴァルの不敵な笑みが脳裏を過る。
全身の血が沸騰するような怒りが、瞬時に全身を駆け巡った。
神「……っ!!」
シグレ「待て、神!」
リィナ「神さん、ダメ――!」
二人の声が届く前に、俺の体は飛び出していた。
怒りが、すべての理性を吹き飛ばしていた。
白虎の形態となり、フード姿の三人の中でも、真ん中――一番威圧感を持った男に向かって一直線に駆ける。
神「ヴァルッッッッ!!!」
喉元に食らいつくかのように飛びかかる!
しかし――
「……ほう?」
俺の手がそのフードの男の服を掴もうとしたその刹那――
男の手が逆に俺の腕をがっちりと掴んで止めてきた。
神「なっ……!?」
鋼のような握力。全く動かない。
奇襲だったはずなのに、まるで読まれていたかのように、その手は俺の腕を捉えていた。
「ネズミが紛れ込んでいたとはな……クク」
フードの下から覗いたのは、不気味に笑う口元と赤い瞳。
その目が、愉しげに、まるで獲物を見下ろす猛獣のように細められている。
神「くっ……!」
腕を振りほどこうとするが、白虎の力で膂力を上げているにもかかわらずびくともしない。
まるで鉄枷のように、関節すら動かせないほどの怪力。
その様子を見て、背後にいた貴族風の男が声を上げる。
貴族男「なっ……なにをしている! 誰だ貴様は! 護衛ども! そいつを始末しろ!!」
その声に、ボディーガードたちが一斉にこちらに向かって武器を抜いた――!
神「……ちっ!」
このままだと、囲まれて一斉に斬られる――
そう思った瞬間だった。
シグレ「――そこまでだ」
風が、切り裂かれるような音を立てた。
フードの男は、シグレが割って入るのを目にして、わずかに口元を歪めた。
「……焔閃姫まで出てくるとはな。面白い……」
その声音には驚きではなく、余裕すら滲んでいた。
シグレ「悪いが――ここで貴様らを拘束する」
シグレの鋭い眼光が射抜く―――。
瞬間、彼女の足元から、ぞわりと空気が震える。
シグレが解き放った魔力の奔流――
鋭利な刃のような威圧が周囲に広がり、その場の空気を変えた。
ボディーガードの男たちは、一歩、二歩と無意識に後ずさる。
貴族男「な、なにをしているっ!? さっさと殺せっ、この女をっ!!」
怒鳴る貴族の声に押されるように、ボディーガードたちがシグレに一斉に飛びかかる――
だが。
シグレ「――瞬華」
紅の残光が、夜闇に咲く一輪の花のように走った。
次の瞬間――
すれ違っただけのはずのシグレの背後で、
ボディーガードたちは声を上げる間もなく崩れ落ちた。
膝をつき、目を見開いたまま、誰もが動かない。
貴族男「ひっ、ヒィィィィッ!!」
腰を抜かし、地面を這うように後ずさる貴族男。
そんな様子を、冷静に見ていたフードの男は、視線を後ろのフードの二人に送る。
二人は即座に反応し、震える貴族の男の両隣にまるで煙のように移動する。
「……悪いが、その男は大事なく顧客なのだ」
その言葉と同時に、貴族の男を連れたフードの二人は闇に消えていく。
シグレ「逃がすか――!」
シグレが一歩踏み出した、その時だった。
「穿て、深淵の枷―――シャドウ・バインド・リンク」
フードの男が、小さく指を鳴らす。
シグレの足元に黒い魔法陣が浮かび上がった。
ズズン……と重い音を立て、地面から這い出す黒鉄の鎖。
それは蛇のように蠢き、足首に絡みつく。
シグレ「っ……これは、束縛魔法……!」
神「シグレッ!!」
俺は叫び、再度腕を振り払おうとしたがビクともしない。
なら、これでどうだ!!
神「豪炎弾!!」
俺は朱雀の形態に変わり、腕を掴まれたまま、至近距離で火炎弾を放つ。
爆炎が轟き、視界が一瞬白に染まった。
だが――
炎の向こう。
フードの男の姿は、まるで霧のように消えていた。
神「っ、消えた……!?」
「――ふむ、面白い」
次の瞬間、上方から視線を感じた。
顔を上げると、そこには――
高くそびえる倉庫の梁の上、フードの男がフワリと宙に舞うように立っていた。
夜闇の中、ほのかに揺れるフードの影――
その佇まいは、人間というより、何か異質なモノのようだった。
神「逃がすかよ……ッ!!」
勢いよく地面を蹴り、俺は梁に向かって跳躍する。
朱雀の飛行能力で一気に間合いを詰める。
だが――
「闇雲に突っ込んでくるとは、実に甘いな」
フードの男が懐から、黒く光る瓶のようなものを取り出した。
神「それは……!」
フードの男は、それを無造作に空中へと放り投げる。
瓶が割れると同時に、黒い液体が霧状になり、俺の目前で爆ぜた。
神「……っ!?」
視界が闇に包まれる。
冷たく粘りつくような黒霧が、喉と鼻腔に入り込んでくる。
そして、俺に幻覚を見せる。
この世界に来る前に何度も見た夢の映像―――。
人々が魔物に襲われ、俺に助けを求める映像。
助けに手を差し伸べた瞬間、引き裂かれるように燃やされ、その奥でヴァル=クロノス・ドレイガが笑みを浮かべて立つ。
神「ぐっ……うおおおおおおおっ!!」
俺の心が怒りに飲まれそうになった時―――。
朱雀『神。目を覚ましなさい!』
全身から紅蓮の炎が巻き起こり、幻覚ごと黒霧を燃やし尽くす。
朱雀の浄化の炎―――。
だが――
その刹那。
胸の奥、心臓の近く。
いや、もっと深い場所から――何かが“軋んだ”。
ギィ……ッ、と。
暗く、冷たく、暴力的な気配が、俺の内側から這い出してくる。
俺の受け取った力は四つ―――朱雀、白虎、青龍、玄武。
その中で、玄武だけがほかとは異質な力を感じた。
本能的にこの力は触れてはいけないと思ったからこそ、今まで使うことはなかった―――。
しかし、俺の心の中にある怒りと憎しみに玄武の力が反応する。
視界は赤黒く染まっていき、体の奥底から湧き出る黒い力の奔流に心が覆われていく。




