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第三十三話 “S級”の風格――その名は《焔閃姫》

ギルドの重い扉を押し開けた瞬間、外の空気が肌に触れた。

もう、夕暮れは過ぎていた。

空は群青に染まり始め、街並みを包む石畳には、灯りの粒がポツポツと灯されていく。

ほんの少し前まで、夕陽が建物の輪郭を照らしていたのに、今は冷たい夜の気配が広がっている。


神「もう、こんな時間か」


腹も減るわけだと俺は空を見上げる。


神「どこか飯の食える場所を探そう」


そう言ってリィナの方をみる。

リィナもこくりと頷きついてくる。


にぎやかだった大通りも、すっかり落ち着いていた。

行き交う人と馬車の音で溢れていたこの通りも、今は家々や店の灯りが暖かくともされ、どこか静かな余韻を残している。


ただ、静かと言っても、完全な沈黙じゃない。

飲食店や酒場の前を通れば、仕事終わりの一杯を楽しむ声や、夕食を囲む家族の笑い声が、穏やかに夜の空気を彩っている。


大通りを歩いていると、鼻先をくすぐる香ばしい匂いが漂ってきた。

焼いた肉とスパイス、煮込み料理の湯気が混ざった、胃袋を直撃するような、たまらない匂いだ。


神「うまそうな匂いだ。…リィナ、行ってみよう」


リィナ「はい。あっちから匂いがきてますね」


匂いをたどって細い路地を抜けると、そこにこぢんまりとした食堂兼酒場の店があった。

木造の看板には《サヴァリの夕餉》と書かれている。小洒落た感じはないが、扉越しに聞こえる客たちの声と、店の中の灯りが温かく漏れている。


リィナ「美味しそうな匂い…」


そう言ったリィナの隣で今度は俺がぐぅぅぅううと腹を鳴らす。


リィナ「ふふ、入りましょうか」


俺は、たははと笑いながら頭をかき扉を開けた。


途端に、香辛料の香りと、焼き立てのパンの匂いが鼻をくすぐる。

木製のテーブルと椅子が並び、奥のカウンターでは大皿の料理がずらりと並んでいた。


店主らしい恰幅のいい男がこちらに気づき、いらっしゃいとにこやかに手を振ってくる。

俺たちは空いていた席に腰を下ろし、メニューを見て、さっそく温かい食事と飲み物を頼んだ。


夜の帝国、知らない街での最初の飯。

気を張ってばかりの一日だったが、ようやく少し、落ち着けそうだった。


頼んだ料理はすぐに運ばれてきた。

香ばしく焼かれた赤身肉のステーキと、根菜のたっぷり入った煮込み。横には香草パンとクリームスープ。帝国料理らしい、力強い味付けが印象的な夕餉だ。


神「おお!うまそうだ!」


リィナ「ほ、本当においしそうですっ…」


腹が減っていた俺は、さっそくナイフを入れ、ステーキを一口。

肉汁が口いっぱいに広がって、思わず顔が緩んだ。


神「…うまぁ…リィナも食べてみなよ!」


リィナ「は、はいっ……!」


少しおそるおそる、リィナも肉を口に運ぶ。そして──


リィナ「……んっ……おいしい……です」


ほわっと表情がほころんだ。さっきまでの緊張が溶けたように、肩の力が抜けたようだった。


神「今日は一日いろいろあったしな。せめて飯くらい、のんびり食わないとな」


リィナ「そう……ですね。ギルドでも情報、あまり得られませんでしたし……」


神「うん。S級の情報なんて、やっぱそう簡単じゃないな……」


肉を咀嚼しながら、今日のギルドでのやり取りを思い出す。


神「ま、でも焦ってもしょうがないし。腹満たして、明日は酒場の方でも探ってみるさ。異世界といえば、定番だしな」


リィナ「いせ……かい?」


神「ん、いや、なんでもない」


口が滑った。……まぁ、いまさらか。


リィナ「でも、ジンさん……異世界の定番、って……」


神「ほら、ほらほら、こっちのスープも美味そうだぞ。飲んでみて」


リィナ「……むぅ」


ちょっと拗ねたようにしながらも、リィナは勧められたスープを口にした。

しばらくの間、テーブルには穏やかな沈黙と、食器の心地よい音だけが流れる。


この街の、落ち着いた夜。

戦いも、謎も、迫る災厄も……いまはほんの少しだけ、脇に置いて。


食事を終える頃には、夜の帳がすっかり街を包んでいた。

外はもう暗く、街灯と魔導灯の明かりがぽつぽつと灯っている。


神「……さて、そろそろ宿を探すか」


リィナ「そうですね……今日中には休まないと、明日に響いちゃいますし」


俺は食器を片付けつつ、カウンター奥に立っていた店主――恰幅の良い中年の男性に声をかけた。


神「あの、すみません。近くに、泊まれる宿ってありますか?」


店主は顎に手を当てて少し考えると、にこりと笑って答えた。


「ほう、宿をお探しか。ちょうど良かったな。うち、一部屋だけ空いてるぞ」


神「……え、ここって食堂兼酒場じゃないんですか?」


店主「上の階は簡易宿泊所になっててな。旅人相手に間貸ししてるんだよ」


それはありがたい話だ。だが――


神「……一部屋、ってことは……?」


俺がチラッとリィナを見やると、彼女は一瞬きょとんとした後、察したように頬を赤らめた。


神「さすがに女の子と同じ部屋ってのはなぁ……。あの、もう一部屋空いてませんか?」


店主は申し訳なさそうに肩をすくめた。


「悪いが、あとは全部埋まっちまってる。今夜は特に混んでてな……」


神「……ってことは、他の宿とか……?」


「そっちも満室だろうな。最近は各国の使者や商会の連中が帝都入りしてて、どこも宿が取りづらいんだ」


なるほど、そういう事情か。なら、無理に探し回っても時間の無駄かもしれない。


神「……リィナ、どうする?」


リィナ「わ、わたしは……っ、その……神さんが一緒でも、大丈夫です……」


リィナは顔を赤らめながら、しっかりと言った。

逆に俺の方が気まずくなって、頭をかいた。


神「じゃ、じゃあ……部屋、お願いできますか」


「おう。風呂は共用だが、寝具は清潔にしてあるから安心しな」


そうして、俺とリィナはその晩、《サヴァリの夕餉》の二階にある一室で夜を過ごすことになった。

部屋は広くはないが、二人が寝るには充分な広さがあり、簡素なベッドが二つ並んでいる。

荷物を片隅に置いて、ほっと息を吐く。


神「……まぁ、悪くない部屋だな。変な宿に泊まるより、ずっとマシだ」


リィナ「はい……なんだか、ちょっと旅行みたいですね」


神「旅行っつーか、冒険の途中だけどな」


リィナはくすっと笑い、窓から夜の街を見下ろす。

灯りが滲む静かな夜――バルグロスの片隅で、少しだけ肩の力を抜いたひとときだった。


翌朝。

バルグロスの空は、うっすらと朝霧にけぶっていた。高くそびえる建物の輪郭が、柔らかく滲んで見える。


宿の小窓から差し込む淡い光に目を細めながら、俺は寝返りを打ってベッドの上で伸びをした。


神「……ふぁぁ……おはよう、リィナ」


リィナ「おはようございます、ジンさん」


隣のベッドでは、もう支度を終えたリィナが笑顔で朝の挨拶を返してくれる。

神「昨日は……よく眠れた?」


リィナ「はい。お部屋も暖かくて、ぐっすり眠れました」


彼女の笑顔を見ると、なんだかこっちも元気が出てくる。

俺はというと、女の子と同じ部屋でドギマギして若干、寝不足である。


軽く荷物をまとめた俺たちは階下へ降り、店主に挨拶を済ませてから朝食を取る。

サヴァリの夕餉は朝も定食が出るらしく、焼きパンと野菜スープ、それに干し肉のセット。

しっかりした味付けで、朝から体が温まる。


神「……うん。やっぱ、うまいな」


リィナ「ですね。やっぱり、ご飯って大事です」


腹を満たした俺たちは、いよいよ本題に入る。


神「さて……シグレって人、どこにいるか見当もつかないけど……とりあえず聞き込みだよな」


リィナ「ギルドではダメでしたし、次は商人さんとか露店の方に聞いてみますか?」


神「そうだな。人が多いところを地道に回るしかないか……」


宿を出ると、朝のバルグロスはすでに目覚めていた。


職人たちが店を開け、荷車が石畳の上をゆっくりと通り、採掘場の方では既に鉱石を掘る音が聞こえ、香辛料の匂いが風に混じって流れてくる。

バルグロスの朝は、どこか騒がしくも心地よい活気に満ちていた。


いくつかの商人に話を聞いてみたが、やはり有益な情報は得られなかった。


「名前だけじゃなぁ。服装とか何か特徴もわかれば思い出せるんだけどねぇ」


「S級っていってもね。常連でもない限りいちいち覚えてられないよ」


「悪いけど人探しなら他を当たってくれ。うちも暇じゃないんでね」


返ってくる答えはこんなものばかりで、内心ちょっと心が折れかける。

午前の陽が傾き始めたころ――。

バルグロスの商業通りを歩く俺とリィナは、街角の露店や商店を一つひとつ回って、情報を集めていた。

とはいえ、そう簡単に《焔閃姫》の名が出てくるわけもなく、手がかりはまだつかめていない。


神「……うーん、これだけ歩いても収穫ゼロか……」


リィナ「それでも、少しずつ探れば……きっと何かに繋がりますよ」


そう言ってリィナが励ましてくれる。

ホントこの子はマジ天使だ。


白虎『ロリコン』


朱雀『汚らわしい』


青龍『捕まるんじゃないぞ』


玄武『若いのぉ』


四神が非難が飛び交う。

人を散々振り回しておいてうるさい連中だ―――。


「さあ!いらっしゃい!いらっしゃい!今日は新商品の入荷だよ!」


その時、目の前の露店の声に目を向けた。

それは魔鉱細工の店らしく色々な魔鉱細工が露店に並べられている。


ふと隣を見るとリィナが興味深そうに露店のほうを見ている。


神「気になる?」


リィナ「……はい。魔鉱細工師の端くれですし、色んなお店の物を見てみたいですし……」


その目は、いつになく輝いていた。


神「じゃ、ちょっと見てくだけ見てくか」


リィナ「…え!?いいんですか…?」


神「うん。リィナのためになるなら、それに、あのお店の人にも話を聞いておかないとね」


そう言って露店の方に歩き出す。

リィナも「はい!」と言って嬉しそうについてきた。


店には、腕輪や髪飾り、小さな護符のようなアクセサリーが並んでいた。どれも魔力を帯びているのか、淡く光を放っている。


リィナ「……この細工、魔力の流れに合わせて……こんなに精密に……」


呟きながら、彼女の顔がどんどん真剣になっていく。だが――


リィナ「……あ……」


次の瞬間、彼女の肩が揺らいだ。


神「リィナ!?」


慌てて駆け寄り、肩を支える。


リィナ「だ、だいじょうぶ……ちょっと、だけ、くらっとして……」


神「くらっと、って……」


そのとき、店主が驚いたように顔を上げた。


「お嬢さん……まさか“魔力干渉体質”かい?」


神「魔力干渉……?」


店主は頷きながら、俺に向けて説明してくれた。


「ごく稀に、魔力そのものに身体が反応してしまう体質の人間がいる。微弱な魔力なら問題ないが、強い魔鉱石の近くに長くいれば、頭痛や吐き気を起こすこともある……。だが、裏を返せば、“魔力を感じ取る”天性の才能でもある」


リィナ「わたし、昔から……魔鉱に触れると、熱くなったり、頭がぼんやりしたりして……でも、嬉しい気持ちもあって……」


神「とにかく、少し休もう」


リィナ「はい…すみません…」


俺とリィナは露店から少し離れたところのベンチに腰を下ろした。


神「どうだ?少しは楽になったか?」


リィナ「はい…。大分良くなりました」


そう言って微笑むリィナ。

俺は心配で顔を覗き込んでいると、急に何かに反応するようにリィナはビクンと体が跳ねる。


神「どうした?」


俺が声をかけると、リィナはあそこの人と指をさす。

その指し示す方を見ると、明らかに他とは違う雰囲気を纏った女性が歩いている。


腰までくる長い漆黒のロングストレートを布で一つに結び、琥珀色の冷静な眼差し。

ドレスジャケット風の鮮やかな深紅を基調に、袖口や裾に純白の刺繍。

魔鉱銀製の薄型肩当て。

立ち襟で白が基調。


下は純白を基調に、裾や側面には赤の刺繍が舞うように描かれる袴。

両腕に魔鉱銀製の装甲籠手。炎と光の意匠が刻まれる。

白を基調に、つま先や縁に赤の差し色したブーツ。


知っていたわけではない。

しかし、その姿を見た瞬間に、俺は呟いてしまった。


神「―――焔閃姫」

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