第二十六話 謎多き青年――アーク=レヴァンティス
受付嬢に案内されて、俺はギルドの奥――管理区画って呼ばれてるエリアに足を踏み入れた。
普段、冒険者や来客が入らない場所らしく、廊下は静まり返っていて、空気すらピンと張り詰めてる感じだった。
受付嬢「……ここが情報管理官さんのお部屋です。カリナさん、ちょ〜っと怖いとこあるけど、すっごく頼りになるんですよっ」
ちょっと怯え気味にそう言いながら、彼女が扉をノックしたその時――中から声が聞こえてきた。
「……件の“虚界の兆候”、未確認のままか。魔力の波形、確かに反応してるが……」
「ええ、念のため次の監視塔に増員を――」
男と女、二人の会話が続いてるみたいだったけど、受付嬢は待たずにやや焦った様子でドアを開けた。
受付嬢「し、しつれいしま〜すっ! カリナさ〜んっ!」
部屋の中にいたのは、黒髪をきっちりまとめて眼鏡をかけた、知的そうな雰囲気の女性だった。
落ち着いた魔導端末の光に照らされて、どこか機械的な雰囲気すらある。
その向かいには、一人の青年が立っていた。
整った顔立ちに、淡い銀灰色の上着。街中でも絶対目立つ、涼しげな空気をまとった男。
受付嬢が慌てて事の顛末を説明する。声がどんどん早口になっていった。
受付嬢「でっ、でもですね!ジンさんってばすごく真剣で、リィナちゃんのこともちゃんと考えてて……!」
一通り聞いたあと、カリナと呼ばれた女性が、まっすぐ俺に視線を向けた。
分析でもするみたいに、冷静で、揺らがない目だった。
そして――そのまま、感情を感じさせない声で言い放った。
カリナ「……まず、ギルドは“個人間の契約トラブル”には介入しません。彼女が正式に所属していた工房との交渉は民間紛争にあたります。例外は認められません」
神「でも、あいつはリィナに暴力を――!」
カリナ「目撃者は? 医師の診断書はありますか? 証明できますか?」
言葉が、詰まった。悔しいけど、証拠らしい証拠はまだ何もない。
カリナ「さらに。あなたは今日登録されたばかりの“無実績の冒険者”です。ギルドは、信用と記録の積み重ねで成立している組織です。あなた一人を特別扱いすれば、全体の公平性が損なわれ、信頼が揺らぎます」
その口調には、一分の隙もなかった。
カリナ「……正義感や情熱は立派です。でも、それだけで組織は動かせません」
正論だった。
何も言い返せなかった。わかってたはずなのに、こんなにも無力な自分に、拳を握ることしかできなかった。
カリナは視線を端末へ戻し、淡々と続ける。
カリナ「以上です。失礼ですが、これ以上――」
その時だった。
「――ちょっと、いいかな?」
それまで黙ってた青年が、静かに口を開いた。
俺も、カリナも、受付嬢も、一斉にそっちを見る。
青年は涼しげな笑みを浮かべたまま、机の端を指先で軽く叩いた。
「話は全部聞いてたよ。ずいぶんとカタい話だけど……僕は、ちょっと面白いと思ったな」
俺は少しだけ目を細める。
神「……あなたは?」
「旅の途中で立ち寄っただけの、通りすがりの冒険者さ。名前を名乗るほどの者じゃないよ」
そう言いながら、青年は俺の方を見た。
笑ってたけど、その目はどこかで俺を“測って”いるようだった。
「でも、君――ジンくん、だっけ?そこまでして誰かを助けたいって思えるなら……僕が、協力してあげようか?」
神「……は?」
思わず間抜けな声が出た。状況がまったく飲み込めない。
「条件はひとつだけ。君の“覚悟”を見せてくれること――それだけさ」
その表情には余裕と興味、そして試すような鋭さが混ざっていた。
何者なんだ……こいつ……。
その申し出に、思わず俺は、青年の顔をじっと見つめてしまった。
軽い口調。柔らかな物腰。でも……その奥に、妙な重みを感じる。
ただの親切心じゃない。そう、直感でわかった。
神「……どういう“協力”だ?」
問い返すと、青年は相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま、肩をすくめて答えた。
「うん、単刀直入に言うよ。僕が今調べてる“異界ゲート”――その現地調査に同行してくれたらさ。報酬として、君が必要としてる二十万グレム。僕が出すよ」
神「……っ!」
思わず声が詰まった。
受付嬢も「えっ!?」って小さく叫んで、カリナも驚いたように端末から顔を上げる。
けど、青年はまるで何でもないことのように、ひとつまみの茶葉でも話すみたいな顔で笑っていた。
「もちろん、危険はあるよ。でも……君なら、乗り越えられると思うし。それに――君の“力”を、ちょっと見てみたいんだ。僕の本音としては、ね」
息をのむ。この男――俺を“見てる”。
何かを見抜こうとしてる。…いや、もう見えてるのかもしれない。
神「……本気かよ。そんな大金、ポンと渡せるなんて……」
青年「うん。本気。だって僕にはわかるんだよ。 君には、それだけの価値がある」
真っすぐな目だった。
でもその奥にある何かが、底知れなくて――気圧されそうになる。
その時、ようやくカリナが静かに口を開いた。
カリナ「……お待ちください。それは、あまりに一方的で危険な提案です。対象が“虚界由来”である可能性があるなら、それは特別対処案件に相当します。しかも彼は、本日登録されたばかりの新人冒険者で……」
「うん、うん。言いたいことはわかるよ」
軽く笑いながら、彼はカリナに視線を向ける。
「でもカリナさん、さっきも言ってたよね?“ギルドは個人間の契約には干渉しない”――って」
カリナ「……っ」
さすがの彼女も、そこで言葉に詰まる。
青年「僕は、ただの冒険者。報酬を払って、一緒に依頼に挑むだけ。それだけの話さ。それとも――ギルドは“契約の自由”すら縛るつもりかな?」
その言い方は優しげだけど……見下ろすような威圧感があった。
一瞬で空気が変わる。
神「……あんた、何者なんですか?」
青年「ん? さっきも言ったけど、“通りすがりの冒険者”さ」
そう言って、また笑った。
だけどその笑顔に、俺の背筋が少しだけぞくりとした。
この男……やっぱり、ただ者じゃない。
カリナが無言で沈黙するのを横目に、俺はもう一度、目の前の青年を見据えた。
神「……本気で、俺に同行してほしいのか」
「うん。君の中には……底知れない何かがある。君自身はまだ気づいてないかもしれないけど――僕には、わかるんだ」
そう言って、青年はゆっくりと手を差し出す。
「さあ、選んで。スカーヴェルくん。誰かを守るために、世界の理に足を踏み込むのか。それとも、何もできずに正しさだけを抱いて生きるのか」
青年が差し出した手を前にして、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
得体の知れない男。
命の保証なんてない異界の調査。
ただの思いつきかもしれない危険な話。
……けど、その向こうに――リィナの未来がある。
あの子を、あの暗くて寒い工房に戻すわけにはいかない。
どんな理由があっても、あれだけは許せない。
でも、それでも――まだ、踏み出す勇気が出なかった。
(……本当に、これでいいのか……?)
そんなときだった。
胸のあたりが、じんわりと温かくなる。
ふと手をやると――“灯りの種”が、ほんのり光を放っていた。
淡くて優しい黄色の光。
まるで、誰かの祈りのように、ゆらゆらと揺れている。
そしてその光は――ゆっくり、青年の差し出す手の方へと伸びていった。
……まるで、“進むべき道”を指し示すように。
神「……また、導いているのか……」
今、まさに――俺は、この光に導かれている。
神「……わかった。俺は……お前の依頼を受けるよ」
腹をくくった。そして、迷いのない力で、その手を握り返した。
青年は少しだけ目を細めて、満足そうに微笑む。
「……いい返事だ。じゃあ、ちゃんと名乗っておこうか。僕の名はアーク=レヴァンティス。ただの旅人――ちょっとだけ、面倒事に首を突っ込むのが好きな男さ」
その笑みは優しげで――でも、奥底に鋭い光があった。
見透かしてくるような、そんな目。
……この人、やっぱり只者じゃない。
カリナさんは黙ってそのやり取りを見ていたけど、最後には静かにため息をついて、手元の端末をパタンと閉じた。
カリナ「……これ以上、ギルドは関与しません。でも――レヴァンティスさん。あなたの判断で動いた責任は、あなた自身に返ってきます」
アーク「もちろん。責任なんて、慣れてるからね」
さらっと言って、アークは俺の肩を軽く叩いた。
アーク「じゃ、行こうか。明日の夕方までに二十万グレム――そんなに時間はない。君がどこまでやれるのか、楽しみにしてるよ。……宿木 神くん」
……え?
その名前――今、俺……名乗ってないよな?
言いかけたけど、アークはすでに扉の方へ向かっていた。
結局、俺は何も言えず、その背中を追う。
胸元の“灯りの種”は、まだふわりと光を灯していた。
俺の進む先を、確かに照らすように――。