第二十四話 少女の背負うもの――①
「ではでは〜、スカーヴェル・ルミナスさまっ。正式に、冒険者登録が完了いたしました〜っ。以後、エステリア本部をはじめとした全国のギルド施設をご自由にご利用くださいね〜っ♪」
カウンター越しの受付嬢が、にこにこ笑顔でふわっと頭を下げる。
柔らかな栗毛を揺らしながら、彼女はすぐ次の手続きを進めた。
「そしてそして〜、はいっ、こちらが冒険者登録の証、アーカ・ノートです〜!」
彼女が取り出したのは、金属と黒晶で構成された、手帳型の魔導端末。
光を反射する表面には、魔力の刻印で冒険者名と冒険者番号が浮かんでいる。
神「アーカ・ノート……?」
「アーカ・ノートは冒険者全員に配られる標準装備の端末です。中には“高純度魔鉱”が使われてるから、ちょっと重めで頑丈なんですよぉ。落としてもへっちゃら、火にくべてもたぶん無事っ!」
そう言いながら彼女は端末をぱかりと開いて見せる。
「主な機能としましては〜……ギルドからの“依頼通知”、それから“成果報告”や“報酬の受け取り”、あと“魔力署名”による身分証明にも対応してます〜♪」
神「報酬の受け取りも? これで?」
「はいはい〜♪ 依頼の成功報酬はこのアーカ・ノートに登録された“冒険者口座”に振り込まれて、現金化も可能なんです〜。あ、ギルド窓口での引き出しにも対応してますよっ」
ぴこっと指で画面を切り替えると、現在の残高や受託中の依頼一覧が表示された。
「ほかにも、地図や探索履歴、仲間とのパーティー連携情報、戦闘記録の保存、魔力ログの測定などなど……とにかく冒険者ライフをサポートする超すぐれもの〜!」
神「文明って……すごいな。スマホってやつより高性能かも」
「すまほ……? わかんなですけど、すごいと思いますよ~」
受付嬢は小首をかしげて、ふわっと笑いかけた。
「それでは、ご登録ほんとうにおめでとうございます〜♪アーカ・ノートと一緒に、素敵な冒険をしてくださいね〜っ!」
最後にウインクまじりの笑顔で送り出されながら、俺は手にしたアーカ・ノートの重みを感じていた。
ギルドでの登録手続きを終えた俺は、アーカ・ノートを懐にしまいながら、肩をぐるりと回した。
神「……はー、なんか思ったより面倒だったな」
隣でこくんと頷くリィナの背には、相変わらずでかすぎる荷物が揺れてる。あれ、どう見ても彼女の身長と合ってないよな……。
俺はロビーを軽く見回してから、ため息をひとつ吐いた。
神「動き出すのは……明日からにするよ。今日はまず、街の感じを見ておきたいし」
言ってから、自然な流れでリィナに向き直る。
神「リィナ。案内、頼んでもいい? 市場とか宿とか……あと、ちゃんとした飯が食えそうなとこも」
リィナ「は、はいっ。よ、喜んで! えっと、市場は日が暮れる前に行った方がいいかもです。宿は駅の近くにもあるけど、冒険者向けなら西区の方が……あっ、食事は……」
ちょっと慌てながらも、ちゃんと順序立てて案内しようとしてくれるその姿は、なんというか……ほっとする。
俺は思わず口元を緩めてしまった。
神「助かる。案内してくれるお礼も兼ねて、飯は俺がおごるよ。……なんか、リィナのおすすめとかあんの?」
リィナ「え、あ、そ、それはっ……!」
驚いたようにリィナが身をすくめたけど、しばらくもじもじ悩んだあと、意を決したように口を開く。
リィナ「……じゃ、じゃあ……市場近くの、パンとスープのお店……どうですか?素朴だけど、あったかくて……旅の人もよく来てて……」
神「へぇ、それいいじゃん。そういうの、わりと好きだ」
そう言って、俺たちはギルドを出て、リィナに案内されながら石畳の街を歩き出した。
市場は活気にあふれていて、魔鉱加工品に香草、獣肉、薬草なんかが雑多に並んでる。
向こうでは旅商人が声を張り上げて、珍しい品を売り込んでいた。
……俺のいた世界にも市場ってあったけど、こっちはどこか生きてるっていうか、匂いや音が濃い。そう思った。
夕日が傾き始めた頃、木造の小さな食堂に辿り着いた。
中は静かで、木の香りがほんのり漂ってる。
テーブルに出されたのは、焼きたてのふわふわパンと、具だくさんのスープ。
派手さはないけど、湯気の立ち方からして、絶対うまいやつだ。
神「……うまいな、これ」
思わず口から漏れた本音に、リィナがうれしそうに笑った。
リィナ「よかった……私も、ここ好きなんです。食べるとちょっと、元気出るから」
外では、遠くで夕暮れの鐘の音が響いていた。
どこか、落ち着いた、穏やかな時間。
この数日が濃すぎたからか、やけに静かに感じる。
冒険の喧騒が始まる前の、束の間の休息。
神とリィナは、木製のテーブルを挟んで向かい合い、あったかいスープをすすっていた。
パンの香ばしさと具の甘みが口に広がって、旅の疲れがじんわりと癒されていく感じだ。
神「……なんか、こういうの久しぶりだな」
リィナは嬉しそうに微笑んだ。
リィナ「……うれしいです。ここ、私……よくひとりで食べに来るんです。工房では、ちゃんとしたご飯ってあんまり……」
神「そうなんだ?」
リィナ「はい。あの、まかない、っていうより……余ったパンの切れ端を……とか……」
声がどんどん小さくなって、最後は消え入りそうだった。俺は眉をひそめかけた――そのときだった。
バンッ!
木の扉が荒々しく開け放たれる音が響いた。
工房主「……いたぞ、このクソガキ!」
食堂の空気が凍った。脂ぎった顔に小さな目をぎょろつかせた中年の男が入ってきた。くすんだ作業着の下からは贅肉がはみ出し、手は油と煤で汚れている。
工房主「せっかくの納品日にいないと思ったら、こんなとこで男と飯かよ、クズがッ!」
リィナがびくっと肩を震わせて、スプーンを落とす。男はためらわずに彼女の腕をつかもうとした。
工房主「こっちはお前がいないせいで職人組合に怒られてるんだ! お前みたいな出来損ないが何を――」
神「――その手、離せ」
立ち上がって男の腕を片手でつかんだ。
工房主「な、なんだテメェ。関係ない奴が口出すな――」
神「彼女は今、“俺の連れ”だ。飯を奢るって言って、俺が連れてきた。“仕事をサボった”とか“クズ”とか言って殴ろうとする理由にはならねえだろ?」
淡々と告げると、男の顔色がみるみる変わった。
工房主「て、てめぇ、誰だと思って――このガキは俺が拾ってやったんだ。路銀も寝床も与えてやってんだぞ。手ぇ出して何が悪い!」
神「だったらなおさらだ。拾った相手に威張り散らして暴力振るうのが“職人”ってんなら、随分安っぽい看板だな」
男が拳を振り上げたその瞬間――
ギンッ!
俺の気配が、魔力ごと一瞬だけ爆発的に張り詰める。
男の動きがピタリと止まった。
神「これ以上やるなら――今度は、俺も黙っちゃいないぞ」
その言葉に、周囲の客も息を呑んだ。
男は歯を食いしばって数秒俺をにらみつけ――舌打ち一つ残して手を離し、店を蹴るように出ていった。
扉がバタンと閉まる。
残された空気は、重くて静かだった。
リィナは肩を抱えるように俯き、小さな声で言った。
リィナ「……ご、ごめんなさい……せっかくの……ご飯だったのに……」
神は静かに腰を下ろし、彼女に優しい笑顔を向けた。
神「気にすんな。ああいうの、見て見ぬふりするほうが無理な話だ」
スープは少し冷めていたけど――リィナの小さな背中に寄り添うような、あったかさが残ってた。
夕暮れがすっかり夜に変わり、街に魔鉱灯の淡い光がぽつぽつと灯り始めたころ、俺たちは食堂を出て通りの端で立ち止まった。
人通りはまだ多く、遠くからは賑やかな声や魔導車の音が混ざり合っている。
神「……リィナ、今日は助かった。ありがとう」
リィナは首を横に振って、少し照れたように微笑んだ。
リィナ「いえ……こちらこそ、ごちそうさまでした。久しぶりにちゃんと……ご飯、食べられて……」
神「じゃあ、明日から本格的に動く。朝はギルド前で待ち合わせでいいか?」
リィナ「はいっ、わかりました」
いつものおだやかな笑顔に、少しだけはにかみが混じっていた。
――だけど。
あの男の顔と態度が、頭から離れなかった。リィナの背負う大きすぎる荷物や、どこか遠慮がちな様子も気にかかる。
神「……リィナ。あいつのこと、本当に大丈夫なのか?」
思い切って聞いてみると、リィナはわずかに目を伏せてから、静かに微笑んだ。
リィナ「……はい、大丈夫です。慣れてますから」
その言葉には、痛みと諦めがひそんでいるように感じたけれど、彼女はそれ以上何も言わず、俺の目をまっすぐに見て言った。
リィナ「明日は……ちゃんと来ますから。おやすみなさい、ジンさん」
そう言うと、彼女は荷物を背負い直し、石畳の道をコツコツと歩き出した。
小さな背中が街灯に照らされ、人混みにゆっくりと溶け込んでいく。
神「……慣れてる、か……」
誰にも聞こえないように呟いた。
何かが引っかかっている。でも、今の俺にはそこに踏み込む資格も言葉もない。
だから俺は、約束通り――明日、ギルドの前で。
また、あの少女に会うことを信じて、その夜は静かに宿へと歩いていった。