第二十話 月の下、交わす言葉
フィーナは、あの浄化の儀のあと、しばしの間だけ眠っていた。
しかし、その眠りは半刻にも満たない、あまりにも短いものだった。
フィーナ「……ん……」
微かにまぶたが揺れる。
フィーナは、陽の光に目を細めながら、ゆっくりと身を起こした。
神「もう、大丈夫なのか?」
フィーナ「うん。大丈夫だよ」
そう言って、フィーナは微笑み返してきた。
フィーナ「この子も無事だったみたいだね。ジン、ありがとう」
隣で眠っている少女をやさしく見ている。
フィーナ「帰ろっか。ジン!」
そう言って笑顔をみせる。
風が、木々の間をすり抜けていく。
柔らかな陽の光が、彼女の横顔を静かに照らしていた。
俺は眠っている少女を背負い、フィーナと一緒にまた村に戻った。
戻る道中、俺はフィーナに何も聞けなかった。
巫女のこと、神託の眼のこと、あの村はフィーナにとってどんな場所だったのか。
聞きたいことは山ほどあるのに、聞くことができない、いや、聞かないでほしいという雰囲気を彼女から感じていた。
村に着くと少女を医療施設に運び診てもらった。
幸い衰弱はしているが、命に別状はないとのことで、俺とフィーナは安心して少女を預ける。
フィーナの家に戻ると、フィーナのお父さんは、無事に戻ったことで安心と心配が爆発したかのごとく、顔を涙でぐしょぐしょにしてフィーナに駆け寄った。
「おおおぉぉぉ!!フィーナたああぁぁぁんん、無事でよかったああぁぁぁあ!!」
フィーナ「もう、お父さんったら大袈裟なんだから」
半ば呆れながらもフィーナは笑顔で相手している。
フィーナ「今日は、疲れたよね。ゆっくり休んで」
そう言って笑顔を向けてくれた。
俺は、お言葉に甘えて休ませてもらうことにした。
その夜、俺はなかなか寝付けずにいた。
この世界に来て数日、色々なことがあり、それが頭の中で蘇る。
いろいろなことが頭を巡って、眠れなかった。
魔王のこと、巫女のこと、あの村で出来事、この先のこと。
ベッドの上で幾度も寝返りを打った末、溜息とともに立ち上がる。
静まり返った夜の空気が、少しだけ気を落ち着かせた。
外に出てみると、意外なことに、世界は思っていたよりも明るかった。
神「……こんなに、月明かりって明るかったっけ」
天に浮かぶのは、地球の月よりも一回り大きい、白銀の月。その光が石畳をほのかに照らし、遠くの森の輪郭までもがぼんやりと浮かんでいた。
家の裏手にある小高い丘に向かう。
そこで、ぼんやりと空を眺めていた。
空には丸い月がひとつ、やけに大きく浮かんでいる。
雲も星もない澄んだ空に、その白銀の光が、地をほのかに照らしていた。
静かだった。風もなく、虫の音さえ遠い。
ひとりでいるはずのその空間に、ふいに声が落ちた。
「眠れないの」
急に声をかけられビクッとなりながらも振り返ると、フィーナが立っていた。
白を基調とした寝間着姿。その上から、淡い藍色の織物を肩に羽織っている。
ゆるくまとめた髪が風に揺れる。
神「なんか寝付けなくて…」
俺は、ははっと笑ってみせる。
フィーナ「そうなんだ。私も寝れなかったんだ」
ニコッと笑い、隣に来て空を眺める。
少しの沈黙が流れた――。
ちらりと隣を見ると、月明かりに照らされた彼女の横顔はどこか儚げだ。
神「あの子は、どうなるんだ?」
村で助けた女の子、村人すべてがキメラ・アンデッドにされてしまったのだから親もいないだろう。
今は医療施設にいるが、これから先どうするのか…。
フィーナ「あの子は、体調が良くなったら村の老夫婦のところで面倒をみてもらうことになったの。とっても優しい人たちだから安心して!…あの村については、あとで、みんなでお墓をたてよってことになったの」
遠くを見つめるよな眼差しでフィーナは語った。
神「……そうか」
言葉は短く、それ以上うまく返せなかった。
命を救ったことに満足すべきなのに、なぜか胸の奥が少しだけざらつく。
だが、その違和感を言葉にするには、まだ自分はこの世界に不慣れすぎた。
少しの沈黙のあと、フィーナはそっと問いかけた。
フィーナ「――これから、どうするの?」
風がやさしく吹き、二人の間の草を揺らす。
俺は、その音を聞くように空を見上げたまま答えた。
神「……正直、まだ決めかねてる。ただ情報がほしい」
その言葉は、迷いというより、まだ“踏み出す場所”が見えないという正直な想いだった。
フィーナ「焦ることはないよ」
フィーナはやわらかく微笑んだ。
それでも、やはり彼女は静かに、けれどはっきりと口にする。
フィーナ「もし迷っているなら、一度――中立都市へ行くのはどうかな?」
神「……中立都市?」
フィーナ「うん。『エステリア』。この大陸の中央に位置する中立都市です」
フィーナ「あそこには、さまざまな種族、立場の人々が集まります。交易、情報、魔術、戦士、旅人……それこそ、“世界の今”が見える場所です」
神「……なるほどな」
少しだけ視線が前を向く。
目的がまだ見えないなら、まずは情報に触れるべきなのかもしれない。
二人の間を、月明かりがただ静かに照らしていた。
主人公は言葉を探すように唇を噛み、やがて、小さく息を吐いた。
神「……俺さ」
エレナが、そっと振り返る。
神「まだ何も分からない。何をすればいいのか、自分に何ができるのかも。でも……」
主人公は空を見上げ、迷いを押し殺すように続けた。
神「それでも、ひとつだけ――今、思ってることがある」
フィーナ「……?」
月が雲間に隠れ、一瞬、世界が少しだけ暗くなる。
だが、俺の声はその闇の中に、まっすぐ響いた。
神「一緒に来てくれないか」
風が止まったように感じた。
フィーナは驚いたように俺を見つめたまま、言葉を失っていた。
フィーナはゆっくりと、目を伏せた。
その胸の奥で、何かが震える音がした。
フィーナ「……ダメだよ」
小さな声。
けれど、その声には――迷いと痛み、そしてほんのわずかな、希望が混じっていた。
フィーナ「私はいずれ現れる勇者と共にこの世界を救わなきゃならない。――それが、使命であり、運命なんだ」
そう言って彼女は空を見上げる。
ふいに空を見上げたまま、ぽつりとつぶやいた。
フィーナ「……私は、この目が、怖かったんだ」
俺は静かに耳を傾けた。
フィーナの声は震えてはいなかったが、それでもどこか、自分に言い聞かせるような響きだった。
フィーナ「神託の眼。生まれつき、私は人の“運命の断片”を見えちゃって」
彼女は、夜風に揺れる髪をかきあげながら、淡々と続けた。
フィーナ「最初は意味がわからなかったけ、急に頭の中に映像が流れ込んで、知らない誰かが泣いていたり、死んでいたり。子供の私には、それが現実か幻かも分からなかった」
俺は、目を伏せた。
“見える”ということの重さを、自分は想像すらできていなかった。
フィーナ「誰かと目が合えば、過去が流れ込む。声を聞けば、その人の“選ばなかった未来”が、ふと胸に突き刺さる」
フィーナの声が、かすかに苦しげに揺れた。
フィーナ「そのうちに気づいたんだ。……私は、人を“信じる”ことが怖くなっていたんだって」
神「信じることが……?」
フィーナ「だって、どんなに優しくしてくれる人でも……心の中に、汚れや、嘘や、別の運命が見えてしまうから」
言葉を絞り出すように、彼女は続けた。
フィーナ「“この人は三年後に死ぬ”。“この人は子供を捨てる”。“この人は私を裏切る”。……そんな未来が、勝手に見えてしまうのに、それでも笑顔で接しなければならない」
俺の胸が、しめつけられるように痛んだ。
“神託の眼”と呼ばれる力は、ただの奇跡ではなかった。
フィーナ「私はずっと……この目のせいで、人を愛することができないんだと思ってた」
彼女の声が、夜の静けさに溶けていく。
一度、言葉を切ったフィーナは、そっと胸元を押さえた。
そして、ぽつりと語り始める。
フィーナ「……でも、私は、独りじゃなかった」
その声は、どこか懐かしさを含んでいた。
フィーナ「運命が見える。誰かの死や、裏切りや、孤独が……押し寄せてくる。そんな私を、怖がる人もいた。避ける人も、たくさんいた」
フィーナは、ふっと笑った。フィーナ
それは自嘲ではなく、小さな誇りのような笑み。
フィーナ「でも、お父さんは違ったんだ」
神「……父さん?」
フィーナ「うん。私の力を“恐れること”よりも、“理解しようとすること”を選んでくれた人」
彼女の目が、遠くを見るように細められる。
その表情には、確かな愛情の記憶があった。
フィーナ「“見えてしまうのは神様の加護だ。だから、誰かの痛みを知ったときは、黙って寄り添えばいい”――そう言ってくれた」
風が草を揺らす中、フィーナの声はそっと続く。
フィーナ「怖がって隠れていた私に、お父さんはいつも手を差し伸べてくれて、村の人たちも……最初は戸惑っていたけど、私のために御守りを作ってくれたり、そっと声をかけてくれたりして」
主人公は、その言葉に、胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。
フィーナ「だから、みんなのために私はこの使命を果たさなきゃらないんだ!…だから、君とは一緒には行けない。…ごめんね!」
神「い、いや。俺も急に変なこと言ってごめん…」
頭をかきながら、慌てて一歩後ろに下がる。
落ち着きなく視線を泳がせ、
月明かりで照らされた草をじっと見つめているふりをする。
フィーナ「あははは!ジンって面白いね!」
月明かりに照らされる彼女の笑顔は眩しかった。――そして、かわいい。
フィーナ「さ、そろそろ寝ようか」
そう言って、フィーナは歩き出す。
それに従うように俺も家に向かって歩き出した。
帰ってから布団に横になると、意外とあっさり眠ることができた。
明日からの旅路に向けて、今はゆっくりと眠りにつく。