第十四話 揺らぐ世界
――エステリア公国・中立都市――
各国の境界に位置する交易都市国家。中立と調停を国是とし、長年の外交努力でその立場を守ってきた。
情報網と仲介能力に長け、五国会議の開催地となることも多い。
――世界の均衡が、今ここに集まる。
「……今日もまた、重い風だ」
ここは、エステリアの心臓部――〈大円卓の間〉。
中立都市最大の建造物〈宰政塔〉の最上層、円形の大広間。
魔術結界と精霊銀で造られたその天井は、昼夜問わず空の移ろいを映し出す。
今日の空は、灰色だった。
雲は重く、風は静かで、鳥すら鳴かない。
大理石の床に刻まれた五芒星は、五国の紋章をそれぞれの頂点に配している。
その中心――光の落ちる一点に、我が国エステリアの席がある。
静かに扉が開く。
まず入ってきたのは、金の鷲を象った軍服の男――アルグレア帝国、レオン皇帝。
その足音は威圧とともに響く。いつものことだ。
次に、白い法衣の老女が現れる。
セリュア神聖国の大司教、マリエル。彼女の歩みに合わせて、聖具が鈴のような音を立てる。
その後ろに、分厚い毛皮を羽織った小柄な王――バリム王国のザハド三世。
一見ただの好々爺だが、俺はあの目を信用しない。あれは獣の目だ。
やがて、風のように入ってきたのは、精霊連邦リュエルの代表、リュミナ。
彼女の足音は聞こえない。まるでこの世に存在していないかのような、儚い気配を纏っている。
そして最後に、俺――中立国エステリアの宰相、クラヴィス=エステリアが、中央の席に座る。
〈大円卓の間〉は、単なる会議室ではない。
それぞれの国が何を信じ、何を守り、何に怯えているのか――その全てが“椅子”に現れる場所だ。
俺は、この部屋で彼らの“椅子”を何度も見てきた。
それは、各国の“魂”そのもの。
◆ アルグレア帝国 ――〈征王の玉座〉
金と黒を基調にした、高く威圧的な椅子。
背もたれには二本の交差する剣、その頂点に―皇家の紋章“黒鷲”―が彫られている。
椅子の足元には帝国の版図を象った銀細工の地図。
そこに配された赤い宝石は、征服済みの国々を示すと言われている。
座るだけで“支配者”の気分になる椅子だ。さすがは虚勢の国。
座るのはもちろん、レオン=アルグレア皇帝。
己の言葉が世界のルールだと信じる、典型的な帝国人。
椅子の上ですら背筋は微動だにせず、“威圧”が鎧のように張り付いている。
◆ セリュア神聖国 ――〈聖印の玉座〉
雪のように白い椅子に、淡い金の刺繍。
背もたれは天へ向かう聖光を模しており、座面は緩やかな曲線を描く天蓋付き。
椅子の縁には精緻な古代文字が刻まれており、―聖典の一節“祈りは絶対に至る”―が読める。
つまり“神に代わって話す”って意思表示だ。ありがたいね、まったく。
座るのは、大司教マリエル。
ゆるやかに目を閉じ、聖なる光の加護に満ちた姿は……
それ以上の裏を見せぬための“完璧な仮面”でもある。
◆ バリム王国 ――〈獣の王座〉
椅子というより、玉座というより、“獣の巣”。
黒鉄の骨組みに、クラーグ獣の毛皮が無造作にかけられ、
左右の肘掛けには二本の獅子牙が埋め込まれている。
背もたれには大地を象徴するルーン文字が刻まれ、
座る者に“重み”と“体温”を感じさせる造りだ。
どう見ても一番座り心地が良さそうだが……あれは獣専用だ。人間が座れば噛まれる。
座るのは、ザハド三世。
口癖は「ワシはもう年じゃがのう」、だが誰よりもしたたかで、老獅子そのもの。
◆ リュエル連邦 ――〈風と精霊の座〉
透明な結晶と木の枝が絡み合ってできた、異質な椅子。
光が差せば、虹色の反射が室内を踊る。
椅子の周囲には常に微かな風が吹いており、
ときおり花びらや葉の幻影が舞う――精霊たちの祝福だ。
見た目は繊細、実際は最も“干渉されない”椅子。守護精霊の結界つきだ。
座るのは、リュミナ=フェルネア。
精霊術師として百年以上生きているとも言われ、
彼女の声に応じて、椅子自体が動くこともある。
◆ エステリア公国 ――〈均衡の席〉
そして最後に、俺の席。
銀と黒の中庸を基調とした、どこにも属さない“対称の椅子”。
背もたれはなく、やや低い設計。
傍から見れば、“目立たない”。
だが、それこそが“中心”の証。
この椅子の周囲だけ、五国全ての魔術式を中和する特殊結界が張られている。
調停者には、力は不要だ。ただ“正しさ”だけが問われる。
俺――クラヴィス=エステリアが座るこの椅子は、
五国が交わす全ての言葉を“記録”し、“均衡”を保つ最後の砦。
世界を象る五つの国。
そして、それを繋ぐ一つの席。
この〈大円卓の間〉で交わされる言葉が、
明日の平和になるか、それとも破滅の鐘か――
その答えは、誰の椅子にもまだ刻まれてはいない。
クラヴィス「……全員、揃ったな」
静寂。
大理石の床に、誰かの呼吸が反射するほどの沈黙。
空を見上げると、天井には今、一羽の黒い鴉が映っていた。
それは本物ではなく、天空投影の“幻影”だ。だが、それが意味するものは……おそらく一つ。
――この世界は、何かを失った。
そして、今この場所で、
新しい“何か”が決まろうとしている。
俺の眼前に広がるこの光景は、ただの会議室ではない。
ここは、―“世界の選択肢が削られていく場所”―だ。
俺たちはその“最後の選択”をする者たち。
だからこそ、ここには天井も、床も、壁も――何一つ無駄がない。全てが意味を持つ。
そんな空間で、俺は再び深く、息を吐いた。
影の王が死んだ。
……にわかには信じがたい報告だった。
なにせ、アイツは“殺せない”存在として恐れられていたのだから。
記録によれば、千年前の魔導大戦でも完全封印が精いっぱい。
まともに相手をした帝国の近衛師団が、朝日とともに全滅していたって話もある。
その影が、消えた。跡形もなく。
俺は椅子に座る前に、深く、ため息をつく。
世界のバランスが、また揺れる――そんな予感が、背筋をひやりと撫でた。
レオン「――クラヴィス=エステリア、報告せよ!」
声を荒げたのは、アルグレア帝国の皇帝レオン陛下。
今日も血管切れそうな勢いでご登場だ。見慣れた光景である。
クラヴィス「確定情報です。“影の王”スカー・ブルート――魔力反応ゼロ、魂核なし、空間歪曲も消失。
奴の存在を示すものが、一つ残らず……この世界から、消え去りました」
一瞬、空気が止まる。時間すら凍った気がした。
レオン「……馬鹿なッ! そやつは我が帝国が五十年かけて封印しきれなかった災厄だぞ!? それを、誰が、どうやって……!」
はい来ました。第一リアクション、帝国の沸点。
だが、騒ぎたい気持ちは分かる。それだけ魔王の死とは脅威的なものなのだ。
――何者がやったのか?
そして一番重要なのは――
マリエル「次に何が起こるのか?…神殿にも啓示がありました」
そう言って口を開いたのは、セリュア神聖国の大司教マリエル。
見た目は穏やかな老女だが、時折とんでもないことをさらっと言う。
マリエル「“影が沈むとき、深淵が目覚める”と。神殿にも啓示がありましたこれは“死”ではなく、“開幕”かもしれませんな」
やめてくれ。俺の胃が開幕してしまいそうだ。
ザハド三世「ふむ」
唸ったのは、バリム王国の王、ザハド三世。
ザハド三世「倒されたということは、“倒した者”がいる。その者は、五大魔王と同格、あるいはそれ以上……だとすれば、均衡が壊れる」
ザハド三世「……次に誰が動くか、面白くなってきたのう」
笑うな。俺の胃が終幕しそうだ。
そして最後に、リュエル連邦の代表、リュミナがぽつりと呟いた。
リュミナ「……精霊たちは震えている。“闇が消えて喜んでいる”んじゃない。“それよりも深い何か”が近づいてるから、怖がってるの」
全員の視線が俺に集まった。
そう、ここは中立国。調整役、取りまとめ役。
なぜかいつも割を食うのが俺の仕事である。
クラヴィス「以上を踏まえ、二つの提案をする」
・討伐者の正体を探るため、五国合同の調査隊を結成
・魔王勢力の動向に備え、限定的な情報・軍事協定の更新
クラヴィス「これは単なる“魔王討伐”ではない。“世界の構造”に関わる事件だ。誰かが意図してそれを動かしているなら――その“誰か”が、敵なのか味方なのか」
会議室の空気が、一段階冷たくなる。
全員が、自国の利権と未来と、生存を天秤にかけ始める。
そう。これはもう、戦争の前触れだ。
──影の王が死んだことで、“静寂”という名の均衡は崩れた。
クラヴィス「――よろしいか。次の議題に移る」
俺の声に、大円卓の空気が再び引き締まる。
クラヴィス「魔王の一柱、“影の王”スカー=ブルートが滅びた件について――それを成した“存在”の特定が、未だ果たされていない。そしてそれと同時に、既に次の魔王が動き出した兆候が各地から報告されている」
視線を上げる。
帝国の席で、レオン皇帝が椅子の肘掛けに指を叩いた。
レオン「つまりは……時は満ちた、ということだな?」
マリエル「…………」
ザハド三世「まさか、おぬし……」
レオンは口角をわずかに吊り上げ、確信の表情で言い放った。
レオン「勇者を、召喚するべきだ。かつて我らがそうしたように――今こそ、“英雄”が必要だ」
重く、長い沈黙が落ちた。
“その言葉”を、皆が待っていた。そして同時に、それを口にした者が誰かを忘れまいとした。
セリュアの大司教マリエルが、ゆるやかに指を組む。
マリエル「……異界の魂を引きずり込み、使命を与える。神の恩寵とはいえ、それは“贖罪を伴う選択”ですぞ」
ザハド三世「そもそも、今回の“影の王”の死が、勇者が必要だと……なぜ断言できる?」
ザハド王の言葉に、レオンは笑う。
レオン「はははは!…“人間の手”ではない痕跡――だが、“魔でも竜でもない”力。その特異性が既に証明している。新たな脅威となりえる存在が出現した。それに対抗するためには―勇者―が必要なんじゃ
ないか!」
リュエルのリュミナが、小さく目を伏せた。
リュミナ「……それは、森も言っていました。“この大地に在るべきでない、銀の風”が通り過ぎたと」
俺は一つ、深く息を吐いた。
クラヴィス「……勇者召喚。それは一つの手段ではある。だが同時に、“代償”もある。次元干渉の魔術式、世界律への歪み、そして召喚された者の心……」
俺の言葉に、レオンが苛立ちを露にした。
レオン「だからどうした。世界を守るために戦うのだ。我らが力を貸せば、いずれ“真の勇者”に至る」
クラヴィス「そして、また世界に取り込まれていくのか? 意志を奪われ、帰れぬ者が何人いた? “手段”は、常に正当化されるべきではない」
この論争は、かつての“大戦”でも繰り返された。
勇者という存在が、世界を救ったのは事実だ。
だが同時に、彼らの犠牲の上で築かれた平和が“本物”だったかどうか――それは誰にもわからない。
クラヴィス「……我が国は、“召喚”そのものには同意しない。だが、召喚されてしまった者がいるなら――その真意を問う必要がある」
その時だった。
――天井が、一瞬だけ光った。
空の幻影に、ちらりと映る“金の閃光”。
それは、誰かの眼には見え、誰かの眼には映らなかった。
リュミナが静かに目を伏せ、つぶやいた。
リュミナ「……もう、来てしまっているのかもしれません。私たちが召喚するまでもなく――勇者は、現れた」
大円卓に、静けさが戻る。
だがそれは“静寂”ではない――嵐の前の沈黙だ。
この議論の結論はまだ出ない。だが一つだけ、全員が理解していた。
“英雄”が現れた時――世界は、また一つ壊れる。