表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/44

第十一話 魔への誘い―③

王都・第三区、ルミナス家の屋敷。

白い花が咲く中庭、昨日いつものように出て行った夫をエレンは静かに待っていた。


扉が開き、血のにじんだ上衣のまま、スカーヴェルが現れる。

彼女はすぐに駆け寄り、その傷を見て息を呑んだ。


エレン「スカー……そんな……!!」


スカー「……油断しただけだ。心配させたな」


そう言って笑おうとしたが、その笑みはどこか力なく、肩を落としている。

エレンは静かに尋ねた。


エレン「……何が、あったの?」


スカーは言葉を詰まらせ、しばし沈黙した後、ぽつりと答える。


スカー「……王から密命を受け調査をしていた……だが、その黒幕は……」


拳を握りしめる彼の手は震えていた。


スカー「俺は、正義を貫くと誓った。けれど、仲間に裏切り者がいる。しかも、俺は証まで失って……それでも俺は、“光”だと胸を張れるのか……?」


彼の声は、自責と悔しさに揺れていた。

その時だった。

エレンは、そっと彼の両手を取り、自分の頬に当てた。


エレン「あなたの光は、鎧でも紋章でもないわ」


スカーが目を見開く。


エレン「……スカー。あなたが誰かのために剣を振るったとき、

 泣いていた子どもに手を差し伸べたとき、

 私が道に迷ったとき、優しく名前を呼んでくれたとき――」


彼女の瞳は、揺らがない。


エレン「そのすべてが、“あなたという光”なの。

 たとえ何があっても、あなたが光を信じている限り、私も信じているわ。

 あなたが私の夫であることも、ルミナス家の騎士であることも、変わらない」


スカーは、言葉を失ったまま、彼女の手の温もりを感じていた。

どんな光魔法よりも、彼の胸を照らしたのは――彼女の言葉だった。


スカー「……ありがとう、エレン。お前が、俺の光だ」


二人はしばらく言葉もなく寄り添い、

小さな窓から差し込む朝の光が、静かに彼らを包んでいた。


その瞬間、スカーの目に再び力が戻る。

守るべき者がいる。信じてくれる人がいる。


――それなら、何度でも立ち上がれる。


スカーはゆっくり立ち上がり、彼女に微笑みを返した。


スカー「……必ず、奴を止める。俺の手で。そして、この国を、正義で照らす」


エレンは静かに頷き、そっと彼の背に手を添えた。


エレン「ええ、あなたならきっとできるわ。だってあなたは、私の――“英雄”だから」


数日後、王都に衝撃が走った。


「王都南区の診療所にて、“黒涙”による集団中毒が発生。

 現場には、魔法で細工された大量の薬瓶と――ルミナス家の光紋章が落ちていた」


その報せは、あっという間に騎士団内部を駆け巡った。


「光の騎士スカーヴェル卿が“黒涙”に関与している可能性がある……? 馬鹿な!」


スカーの旧友であり騎士団の副団長、ガイル・ベルトンが声を荒げた。

だが、証拠品として提示された“紋章”は確かにルミナス家のもの。さらに現場には、スカーの魔力反応に酷似した痕跡までが記録されていた。


「魔力の痕跡も……? それが本当なら、スカー殿は――」


ガイル「……いや、そんなはずはない!あの人が、そんなことをするはずがない!」


しかし、組織は冷たい。

騎士団長は淡々と命じる。


「スカーヴェル卿を一時、王都外任務から解任し、調査対象とする。出頭を命じよ」


その夜、スカーとエレンは密かに外に出ていた。

彼自身、すでに事態を察知していたのだ。王都の監視網が、明らかに彼の動きを探っている。


スカー「……紋章を使われたか。想定していたつもりだったが……思ったよりも、早かったな」


エレン「スカー、あの紋章……まさか、“あの男”の手に?」


スカーは静かに頷いた。


スカー「ヴァル=クロノス・ドレイガ……騎士でありながら、裏で“黒涙”をばらまいている裏切り者」


エレン「……!」


スカー「奴はきっと、紋章を使って俺を“表の敵”に仕立て上げるつもりだ。

 “正義の騎士が裏で闇に染まっていた”という物語なら、民も騎士団も混乱する。誰もが信じていた光が、裏切ったのだと……」


その言葉に、エレンの目が静かに燃える。


エレン「……なら、私があなたの証になる。

 騎士団があなたを疑うなら、私があなたの“本当の光”だと証明してみせる」


スカーは目を細め、静かにエレンの手を握った。


スカー「ありがとう、エレン。でも、君まで巻き込むわけには――」


エレン「いいえ。もう、巻き込まれてるわ。あなたの妻として。ルミナス家の一員として。

 だから、黙って見ていることなんて、できない」


彼女の瞳に、かつて見たことのない強さが宿っていた。



同時刻、城の地下の隠された実験室。

黒衣をまとうヴァル=クロノス・ドレイガが、手にしたスカーの紋章を眺めていた。


ヴァル「光の紋章が、こんなにも役立つとはな……皮肉だ。

 “正義”という言葉ほど、容易く折れるものはない」


部下の錬金術師が言う。


「これで、王国の“英雄”は、民衆の敵に変わりますな。

 あなた様の“理想の国”への第一歩です」


ヴァル「ああ……“偽りの正義”などいらん。

 俺たちの理想に必要なのは、秩序を維持する“力”だけだ」


ヴァルは、紋章をゆっくりと握り潰した。


ヴァル「お前は、この国の“象徴”だった。だからこそ、価値があるんだよ、スカー」


夜明け前。

薄い霧が森を覆うなか、二人は静かに馬を進めていた。

王都から南東へ一日分、深い樹海の中。誰にも知られていない古びた小屋にたどり着いた。

敵のアジトから逃げ帰った夜、国王がお忍びで来ていた。ヴァル=クロノス・ドレイガにより光の騎士―スカーヴェル・ルミナスを告発するという情報を持って。


レオハルト「……状況的にも覆すことは不可能だろう―。本当にすまない……」


そう言って国王は頭を下げた。そして、潜伏場所としてこの場所を教えてくれたのだった。


スカー「ここなら、しばらくは見つからない。……あの男の目も、まだ届かないだろう」


扉を軋ませて開き、埃を拭いながら中を整えるスカー。

一方で、エレンは寂しそうにその後ろ姿を見つめていた。


エレン「……あなた、本当に一人で行くつもりなの?」


スカーは振り返り、静かに頷いた。


スカー「ここから先は、命のやり取りになる。俺が捕まれば、それこそ“黒涙”をばらまいた裏切り者とてて処刑される。……君まで巻き込むわけにはいかない」


エレン「もう……巻き込まれてるわって、言ったでしょ」


エレンは、わずかに涙をにじませながらも、笑った。


エレン「でも……わかってる。あなたは、“行かなくていい理由”を探す人じゃない。“行くしかない時”に、必ず立ち向かう人だってこと」


スカーの喉が、かすかに震えた。


スカー「……必ず戻る。それまで、ここで待っていてくれ」


エレン「ええ。戻ってくるって、信じてるから。私が信じている限り、あなたの光は――絶対に消えない」


彼女の指先が、スカーの胸元にそっと触れる。

そこには、紋章を失ったままの、騎士の心がある。


スカー「……お前がそう言ってくれる限り、俺は何度でも立ち上がれる」


最後に短く抱きしめ、言葉を交わさず、スカーは馬にまたがった。


そして、振り返らずに走り出す。


霧の中に溶けていくその背中を、エレンは何も言わず見送った。




同時刻 ――ヴァルのアジト・地下坑道

ヴァル「……やはり来るか。彼は、必ず“光の剣”を振るう。それが例え……自らの首に向かう刃でも、な」


ヴァルは、薄暗い地下拠点の玉座のような椅子で笑っていた。

部下が報告を入れる。


「王都での監視網はすでに空白。ルミナスの騎士は、密かに動いています」


ヴァル「よろしい。では、“歓迎の準備”を」


ヴァルの足元、床に彫られた魔法陣がゆっくりと輝き始める。


ヴァル「光を信じる者ほど、闇の餌にしがいがある」


山間の奥地、旧鉱山跡。

かつて魔力鉱石の採掘で栄え、今は封鎖されたはずのその場所に、スカーはひとり辿り着いた。

天候は曇天。風が吹き込む坑道はひどく静かで、まるで人の気配がなかった。


スカー「……ここか。だが――遅かったか」


スカーは注意深く内部を探っていく。

瓦礫の下からは空になった薬瓶、炉の残骸、焼き尽くされた文書の一部。

黒涙の製造設備だった形跡はあるが、すべてが“処理済み”だった。


スカー「証拠は……消されたか。いや、これはあらかじめ“誰かに見られる前提”で処理された跡。つまり――」


そのとき、坑道の入り口から声が響く。


「――“裏切りの騎士”発見! 構えよ!」


スカーは即座に身を翻し、視線を向ける。

坑道の入り口に、王国正規軍の兵たちが整列していた。

旗印は王都本軍直属、第十三部隊。

そしてその先頭に立つのは――


ヴァル「……よく来たな、スカーヴェル・ルミナス」


黒の礼装に身を包んだヴァル=クロノス・ドレイガ。

冷たい笑みを浮かべ、堂々と王家の命令を携えて現れた。


スカー「ヴァル……!」


スカーの声には怒りがこもるが、兵士たちはすでにスカーを“反逆者”と認識している様子だった。


ヴァル「王命により、“黒涙の密造と拡散”、および“王都における毒物テロ”への関与の疑いで、お前を処刑する」


ヴァルの宣言に、スカーは目を見開いた。


スカー「王命……? まさか、王そのものが……!」


ヴァル「誤解するな。これはあくまで“証拠に基づいた正式な命令”だ。現場にあったお前の魔力痕、薬瓶、そして……これだ」


ヴァルは、懐からスカーの光の紋章を取り出す。


ヴァル「これが、“お前がここに関与していた証拠”だとな」


――すべては、最初から仕組まれていた。


スカーが紋章を失ったあの日から。

黒涙がばらまかれ、証拠がねつ造され、アジトが放棄され――

そして今、“証拠を隠滅しようと戻った裏切り者”として、スカーはこの場に立っていた。

騎士たちが剣を抜く音が、坑道に響く。


スカー「待て! 俺は、黒涙など関わっていない。この紋章は、戦いの中で失ったもので――」


ヴァル「言い訳は、あの世でするんだな」


ヴァルの目は冷酷だった。

完全に追い詰めたという確信が、その声ににじんでいた。


スカー「……くっ」


スカーは剣に手をかけながらも、周囲を見渡す。

数で劣る上、ここは地の利を失った坑道。

戦って勝てないわけではない――が、彼が誰かを斬った瞬間、

“裏切り者が王軍に刃を向けた”という動かぬ事実が作られてしまう。


ヴァル「……スカーヴェル・ルミナスを処刑せよ!」


ヴァルの号令とともに、十数名の王国兵が一斉に飛び出す。

スカーはその場から微動だにせず、ただ瞳を閉じた。


(証拠は捏造、王は操られ、仲間の刃が俺に向く。なら――)


目を見開き、叫んだ。


スカー「――ここで終わるわけには、いかない!!」


瞬間、足元に強烈な光の魔法陣が展開される。


「時よ――止まれ。光よ――刻を裂け。

忘却の瞬間に刻まれし閃光の残滓よ、我が陣を駆け抜け、永劫の軌跡を描け!

閃烈陣(フラッシュ・アレイ)刻の残光(レムナントオブタイム)!!」


光の残像で複数の虚像を作り出す、高等魔術。


ヴァル「幻影魔法か!?いや、違う、あれは――!」


炸裂する光に、兵たちは目を潰され、混乱する。

光の帳が破れる刹那、スカー騎士団の包囲網をすり抜け森へと駆け抜ける。


ヴァル「……逃がすな!追えッ!!」


スカーは、山を越え、森を抜けた。

土砂崩れの危険区域を迂回しながら、獣道をたどり、三日三晩をかけて辿り着いたその場所。

それは彼が、エレンをかくまった人里離れた小屋だった。


スカー「……エレン。無事でいてくれ……」


胸に迫る不安を振り切るように、足を速める。


だが――


視界に飛び込んできたのは、黒く焦げ果てた残骸だった。


スカー「……っ!?」


小屋は跡形もなく、崩れ、炭と化していた。

黒煙がまだ微かに立ち上っている。火は、ごく最近消えたばかりのようだった。

スカーは一気に駆け寄り、瓦礫をかき分ける。


スカー「エレン!! エレ――ンッ!!」


焦げた扉の下に、人の形をした焼け跡があった。

その手には、スカーがかつて贈った月光の髪飾りが、焼けながらもなお輝きを失わず残っていた。


スカー「……いや、いやだ……うああああああああああああああああああ!!!!!」


膝をつき、叫びをあげる。握りしめた拳から血が滲み怒りと絶望と、自責と喪失。

そのすべてが胸を貫き、心にどす黒い感情が溢れ出す。

エレンの笑顔。あの日、誓い合った言葉。

その全てを奪った裏切り者に対し――。

今まで信じていた光は陰り、黒く、黒く染まっていく―。

愛する者を奪われ、誇りを踏みにじられ、裏切られたスカーヴェル・ルミナス。

その心は黒い感情で支配される。

――そう、まるで魔に誘われるかのように――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ