第8話「遭遇」
ーアウローラ公国・ベラツィーニ宮殿ー
バラ窓から刺す光が、宮殿の壁一面に描かれた美しいフレスコ画を淡く照らしている。
中心を通る長いレッドカーペット、その先の玉座に、男は鎮座していた。
20代後半、煌びやかな装束に太陽とオリーブの葉を模した王冠を被っている彼の前には、傍らに剣を携えた跪く男が1人。
「経津主神の件はどうなった、ギベルティよ」
「は、冒険者ギルド一同、公宮直属兵と共に討伐に向かわせておりますが、未だ成果は……」
玉座の男は顔を顰め、ギリっと奥歯を鳴らす。
「奴の討伐命令を下して半年、傷を与えたとの報告すら無いとは。それがアウローラで唯一神の討伐を許された冒険者だというのか。ディファルトは何をしているのだ……!」
男には明らかなイラつきと焦りがあった。
半年かけても自分の命令を遂行できない体たらくへのイラつきと、未だ続く刀神経津主神による森の生き物への虐殺行為への焦り。
ギベルティは冷や汗を滴らせ答える。
「申し訳ございません公王様。ディファルトは一行は未だ、経津主へ遭遇していないとのことです」
「それは先月も聞いた!」
玉座の男は肘置きを拳で強く殴った。
冷静さを取り戻すため、深いため息をつく。
すると突如 大扉が開き、玉座の前に突風が一気に押し寄せた。
静まり返った宮殿の中に、カツ……カツ……と硬い大理石を踏む音が響く。
現れたのは、黄金と純白を基調した服に身を包む長身の男。
「廊下まで聞こえたぜロレンツォ」
男がレッドカーペット上を闊歩すると、まるでさざ波に浮く泡のように腰に巻いた布と桃色の長髪がヒラヒラと靡く。
「相手は”神”なんだ、そんなに攻めてやるなって」
公王たるロレンツォへの馴れ馴れしい態度、礼儀を知らない言動、普段ならば無礼極まりないと摘み出されるが、彼にはそれが許される。
なぜなら
「まあ、原初神たるこの俺には敵わんがな」
彼が原初の天空神だからである。
「しかしアイテール様、このまま経津主神を野放しにしておけば、コンセンテス山周辺の森林全ての生態系が完全に破壊されてしまう!」
「ディアーナが怒ってたぞ。森に動物が少なくなったってさ」
ロレンツォは強く訴えるが、アイテールは自身の髪艶を気にするばかりでほとんど聞く耳を持たない。
なぜ彼はこんなにも淡白でいられるのか、このアウローラの危機を、なぜ神は経津主を止めようとしないのか。
“神々にとってアウローラ公国はその程度のものなのか”それがロレンツォの感情を余計に逆撫でした。
「では何故、ディ・コンセンテスの神々は奴を止めようとしないのです!ディアーナ様も、そこまで激昂なされているのであれば……」
「判ってるからだよ」
アイテールの透き通った声が、激情し立ち上がったロレンツォの言葉を遮る。
そして風に揺れる炎のようにゆらりと、彼の方を見遣った。
「本当の原因をな」
「本当の……原因……」
「そ」
アイテールは不敵に笑みを浮かべると、フラッと踵を返して再び扉へと歩き出した。
「どこへ?」
騎士たちの開けた扉から風が入り、アイテールの髪を揺らす。
「少し、古き友を探しに。な」
ジュリアーノとパーティーを組んではや1ヶ月。
オレはこの世界の言語を半分以上習得したといえるだろう。
ギルドへ入りたての時から単語や文法をガイアから口頭で勉強しており、最近は会話を卒なくこなせるまでに上達した。
ガイアの教え方は上手いとは言えないが、発音の仕方が日本語ととても似ていた(アウローラ人は少し巻き舌気味の発音をするが)のと、文法が英語に似通った形と使い方をしていたことが救いとなり、割とスイスイ頭に入ってきた。
今は週3くらいのペースでジュリアーノに文字を教わっている。
それともう一つ。
冒険者を始めてから集めていた貯金が大分貯まったので、オレとガイアは3日に一度宿を借りて生活していた。
野宿に慣れてしまったせいで宿代を見ると、宿を借りるという行為がとてもじゃないが気が進まない。
まあ、割引されているとはいえ、1人一泊4000ルベル(ガイアの分はぬいぐるみのフリをして誤魔化している)を毎日はさすがに懐が痛すぎる。
贅沢と言っても良いよね。
「ええ!?ケンゴたち野宿してるの!?」
ジュリアーノは驚きすぎてフォークを落としそうになった。
オレは彼の声に驚いてパスタをひっくり返そうになった。
「でも3日に一回は宿借りてるし、なんていうか、もう慣れちゃったから」
「朝から川に入るの気持ちいいよ〜」
ジュリアーノは開いた口が塞がらない様子だった。
そんなに驚くことだろうかと思うが、オレが慣れてしまったせいで感覚が麻痺しているのかもしれない。
「なんで言ってくれなかったの?僕出したのに!いくら?7万ルベルくらい?」
「いいって!全然困ってないから!」
「そう……?」
たった今も昼食を奢ってもらっている最中なのに、宿代まで賄ってもらうのはさすがに申し訳なさすぎる。
しかし人が良いなジュリアーノは。
ガイアの正体を尋ねられた時も、”恥ずかしがり屋な妖精”と言ったらすんなり納得していた。
オレの中で勝手に生成されていた、お人好しお坊ちゃんのジュリアーノ。
奢ってくれるしあわよくば宿代も出して貰えそうだし、案外的を得ているのかもしれない。
昼食をとった後、オレたちはゴブリンの討伐依頼を受けて森へ来ていた。
行先には、2つに分かれた道。
「この先に出るゴブリンを倒せば良いんだよね」
「そう、一般人が出会したら危ないからな」
奥へと足を進めて行く。
森での任務もこれで18回目、もう慣れたもんだ。
ちなみに、18回中16、7回くらい他の冒険者に出会っている。
そんなに魔物が出るのかこの森は。
10分ほど歩いたころ、青々と爽やかな森の中、突如として辺りに血生臭い悪臭が立ち込めてきた。
「なんだ……鉄?いや、これは血……?」
血の臭いがするなんてのは、弱肉強食が蔓延る森の中では至って珍しい事じゃない。
だが今回は、獣の死骸から発せられるそれとは何かが違う気がした。
なんともいえない胸騒ぎがする。
「2人とも…気づいてる?」
「うん」
「ああ。何か、いつもと違う」
近くに肉食魔物がいるかもしれない。
オレもジュリアーノもそれぞれ武器を構え、慎重に歩みを進めて行く。
すると
「うわあああああっ!!!」
「!」
「!」
「!」
突如として青々しい森の中に響く人の叫び声に、一同は驚き声の方を振り向いた。
「何かあったんだ!行こう!」
木々の間を抜け、駆け足で声の方へと向かう。
緑をかき分けて進めば、見えてくる複数の人影。
目を凝らして見るに、何やら襲われている様子だ
一番手前に青ざめた表情でへたり込む1人の男を見つけると、オレは迷わず駆け寄った。
「だいじょ……」
ベシャッ
声をかけようとしたその時、何かがオレの頬を一瞬のうちに掠め、真横の木にぶつかった。
何だと目をやった瞬間、その光景に絶句する。
腕だ。
切断された、人の腕。
「ぎゃああああ!!!」
「うるっせェーーーーーっ」
断末魔と共に響く怒号。
目の前には鍔のない刀を持った赤い髪の少年と座り込んだもう1人の男がおり、そのすぐ横には銀色の剣が落ちている。
服装から察するに男はきっと冒険者だ。
そして……右腕が無い。
「う……うでっ……!お、おおおれのっ……うで……うでがっ……!!」
「やかましいんだよタコ!!先にケンカ売ってきたのはどっちだァ?あ”あ!?」
赤髪の少年が刀を振り上げる。
「ドブの底のヘドロみてぇなツラしやがって、俺様が浄化してやるよ」
すると突然ボゥッと爆発のような音を立て、少年の体が赤い炎に包まれ激しく燃え上がった。
木の根元に座り込んでいる、魔導士と思しきもう1人の冒険者が魔法を放ったのだ。
「ば、バケモノがっ!!リーダーから離れろっ!!」
「アッチィなァオイ」
だが彼には全く効いていない。
それどころか、刀をたった一振りして炎を全て払い除けてしまった。
少年は回れ右をして刀を肩に担ぎ、カチャリカチャリと音を立て一歩一歩魔導士へ近づく。
まずい、アイツ殺されるぞ!
……助けようと剣へかけるオレ、だがその足は動かない。
「そ……そんな……上級魔術が……」
ジュリアーノは固まったまま震えている。
クソ!!
動け!動け!!
「じゃあな」
「ひぃっ!」
ヤツが刀を振りかざす。
まずい!
動け動け動け!
オレは全身全霊の力を足に込め、前へと踏み出す。
「!」
そしてヤツの目の前へバッと飛び出し、刀を剣で弾こうとした。
が、しかしヤツのパワーはオレをはるかに上回っており、逆にオレの剣が弾かれてしまい、地面に突き刺ささる。
そしてヤツは、刀を持ったまま肘でオレの背中を打った。
背骨に衝撃が走るのと同時に脳が激しく揺れ、オレはその場に膝をつく。
「賢吾!」
「なんだお前」
ヤツはオレの髪を掴んで持ち上げ、紺色の瞳でじっと眼を見つめる。
冷たい視線。
弱者の命などまるでなんとも思っていないような、冷酷で残忍な瞳であった。
「邪魔しやがって、手前ェも殺されてぇか?」
さっきの肘打ちのせいで、微かな頭痛と激しいめまいがする。
焦点が合わず視界がぼやけて、ヤツの顔をしっかりと視認できない。
「ん……で、く……くぉ……ろ……そう……と……る……」
「ああ?聞こえねえよ」
呂律が回らず、うまく言葉が発せない。
「不死身だろ」と自分に言い聞かせつつ、もう一度試みる。
「なん……で、殺そう……と……するん、だ……!!」
「あ”?」
ヤツの額に青筋が入ると同時にオレは投げ飛ばされ、木に激突した。
「ぐはっ」
「ケンゴっ!!」
気を取り戻したジュリアーノがガイアと一緒に急いでオレの元へ駆け寄ってくる。
そんな様子に少年は怪訝そうに眉をしかめ、吐き捨てるように言った。
「やられたからやり返して何が悪いってんだ。コイツらはなァ、木苺を採ってた俺様を背後からいきなり斬りつけてきたんだ。見ろこのキズ」
後ろへ振り向いた少年の体には、肩から背中にかけて広がる深い斬り傷があった。
出血こそ止まっているものの、肉がえぐれている様子から察するに、その痛さは想像を絶するものなのだろう。
「スッゲェ痛かったぜ。許せねぇ、マジで許せねぇわ」
少年は剣士を睨みつける。
致命傷ではないとはいえ、それほど大きな傷を負ってなぜ彼は普通に立っていられるのか。
コイツ……やっぱり人じゃない。
「き…気をつけろ!コイツは経津主神だっ!!」
「!?」
その名を聞いた瞬間、ジュリアーノの血相が変わった。
フツヌシ?何だ、何か聞き覚えがある。
「経津主神だって……?まさか、そんな……」
思い出した。
経津主神、日本神話に登場する刀剣の神の名と同じだ。
どうりであの傷でも動けるわけだ。
赤い髪に紺と黒地の和服を着ていて、頭や頬からツノのように刃物の先が生えている。
そして何故か、右脚だけがやけに白い。
しかしアウローラなんて名前の国だから、てっきりローマ神話あたりの神々がいるのかと思っていたが、まさか日本神話の神がいるだなんて。
「確か……公王がギルドに討伐命令を出してたはず」
前に会った大剣の男が言っていた。
この森に住む神の討伐依頼をギルドから受けたと。
きっとコイツのことだ。
よく見れば杖の男は足に大きな傷があるし、足元には人が数人倒れている。
彼らのパーティーだろうか、皆胴を無残に斬り裂かれていて、おそらくもう助からない。
「助けないと……!」
ジュリアーノが経津主に向けて杖を構える。
「ダメだジュリアーノ」
「なんで!あの人たちが死んじゃうよ……!」
「震えてるじゃんか……」
ジュリアーノの足は生まれたての子鹿のように震えている。
それじゃ杖の狙いもさだまらないだろ。
「わかるだろ、オレたちの手に負える相手じゃない……」
「……っ!」
悔しいよな。
今までずっと調子が良かったんだ。
なのに今は手も足も出ない。
「近くに他の冒険者がいるはずだ。ジュリアーノ、探してきてくれ」
「ケンゴはどうするの?」
「オレは……、それまでヤツを足止めする……!」
「!!」
「だめっっ!!!」
血相を変えたガイアがオレの前へ飛び出した。
「ダメだよ!!いくら君がっ……!!ボクは!君に捨て身をさせたくて契約したんじゃない!!」
彼女がこんなに取り乱すなんて初めてだ。
故にオレは面食らってしまった。
いつも軽薄極まりない物言いで何を考えているのか全くわからないのに、今だけは必死の形相でやめろと訴える。
きっと何か理由があるのだろうが、今はそんなことを言っている暇はない。
「オレがそう簡単に死なないこと、お前が1番よくわかってるだろ。今はこれしかないんだよ……」
「それでもダメ!!今の賢吾じゃ絶対に敵わない!!」
会って3ヶ月そこらの男に、何故コイツはこうも必死になれるんだ。
しかしどの道、助けを呼ばなければ全滅は免れない。
「おい」
顔の右側、すぐ横で声がした。
振り向くと、そこには刀を振り上げた経津主。
まずい、ガイアに夢中になってしまった!
オレは咄嗟の状況に対応でききれず、ガイアを抱え込んでヤツへ背中を向ける。
「痴話喧嘩ならあの世でやれ」
ザシュッ
オレの体は見事に真っ二つ…………そう、思った。
しかし、瞬間体に迸るはずの熱く苦しいあの感じは無い。
何故ならそう、ジュリアーノが身を挺し、オレの盾となったからだ。
「ジュリアーノっ!!」
彼の体には左肩から腰にかけて、斜めに深い袈裟斬りの傷がくっきりと刻まれている。
千切れめくれたシャツの中、白い肌とコントラストを取るように真っ赤な傷口から血がドクドクと流れ出し、瞬く間に地面に鮮やかな血溜まりが広がっていく。
「ジュリアーノ!しっかりしろ、今止血してやる!!」
オレはカバンから布を取り出して、彼の傷口を強く押さえる。
なんでオレを庇った!!庇う必要なんかないだろ!!
……いや違う、ジュリアーノはオレが不死身だなんて知らないんだ。
彼は、オレをただの人間だと思っている。
剣がある程度できて、いつもぬいぐるみに隠れた妖精を連れている、ただの冒険者。
だが、そのただの冒険者を、ほんの一月前に初めて会ったばかりの男を、彼は身を挺して庇った。
自分が致命傷を負う覚悟で。
彼は、こんなに優しい人は、オレなんかを庇って死ぬべきじゃないのに。
「……ごめ……助……け、呼び……いけな……」
「いいから!喋んな!!」
白い綿の布地が徐々に紅く染まっていく。
ダメだ、血が止まらない。
助けを、でないとジュリアーノが!
ガイアは目が見えないうえに着ぐるみのせいで感覚がだいぶ鈍っている。
オレは手が離せないし、他の2人も大怪我でとても助けを探しにいけるような状態じゃない。
クソっ!誰か……
「誰か……、誰か来てくれ……!誰かっ!!!このままじゃみんな……!!」
みんな死んでしまう。
オレはダメ元、大声で叫んだ。
「来ねェよ誰も。この森がどれだけ広いと思ってんだ」
「誰か……!!誰かいないのかぁ!!」
「……チッ……うるせェ……」
経津主は気だるげにそう呟くと再び刀を振り上げ、ジュリアーノを抱えて座り込むオレの首めがけ勢い良く振り下ろした。
その時、
ガキィンッ
突如現れた黒く大きいものがヤツの刀を弾いた。
経津主はすぐに反撃しようとしたが、その重みに負けて体制が崩れ、防ごうとした左腕に傷を負った。
「チッ」
ヤツは後ろへ跳び、オレたちから距離をとる。
突然のことに狼狽るガイアと冒険者たち。
だが経津主の刀を弾いた何者かに、オレは見覚えがあった。
異常なほど色素の薄い髪と肌、漆黒の防具をまとい、オレの体よりも遥かに大きな大剣を携えたその姿。
「すまない、遅くなった」
以前ゴブリンに襲われた時に助けられた、名も知らぬ冒険者だ。
気づくとオレのすぐ隣にはルジカがおり、無理矢理に手を退けさせてジュリアーノの傷を治療し始めていた。
情けない、また助けられてしまった。
「ディファルト……!来ていたのか!!」
その瞬間、絶望のどん底を見たような冒険者たちの表情が、まるで砂漠の中のオアシスを見つけたかような希望の表情へと変わった。
ディファルト、それが彼の名前。
ギルドで聞いたことがある。
数少ないAランク冒険者の中でも最強と謳われる、神殺しディファルト。
ギルド内では周知の事実だと聞いた。
取り巻きの数が尋常じゃないとは思っていたが、まさかそれが彼のことだったとは。
「経津主神……コンセンテス山周辺の森での動物たちへの虐殺行為、通行人への無差別な攻撃。お前のしたことは決して許されない」
「は?何だよそれ。知らねぇし」
「シラを切るか」
ディファルトは大剣の先を経津主へ向ける。
「お前には公王から直々に討伐命令が出ている」
経津主は全く動じない様子。
何か納得のいかないように顔をしかめ、不機嫌に刀を担ぎ上げてディファルトを睨んでいる。
そんな彼にディファルトは大剣持つ両手に更に力を込めた。
「この俺が、貴様のその残忍な精神へ鉄槌を下す!覚悟しろ!!」
ディファルトはそう宣言し、経津主の瞳を真っ直ぐに睨みつけた。