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第73話「義侠の挽歌」

夏空鶫

挿絵(By みてみん)


獅子神雷皇

挿絵(By みてみん)


輝原星二

挿絵(By みてみん)


甲賀真都

挿絵(By みてみん)

 薄暗い路地の中に、凄まじい落雷が降り注ぐ。

 地面を削った稲妻は立ち上った砂埃を切り裂き、眼前の夏空に食らいついた。

 夏空は燃え上がる腕を構えて攻撃を弾き飛ばすも、空中が故に踏ん張れず、自身の体もまた吹き飛んだ。



「兄貴!!」



 民家の外壁に激突した夏空に、龍兵が絶叫し駆け寄る。

 瓦礫を被りつつもほぼ無傷だった夏空は、差し伸べられた龍兵の手をとり、頬についたスス汚れを親指で拭って立ち上がった。

 彼らの前方では、未だ衰えを知らない稲妻が鼓膜に突き刺さるようにバチバチと鳴り、笑い声を上げた。



(アン)ちゃんタフだのォ。っぱ武闘派は拳交えてナンボじゃァ!」



 目の下から流れる血が、口角に押し上げられた獅子神の頬を伝う。

 輝く稲妻を(まと)い、一歩一歩を確実に踏みしめながら近づいてくる。



「タフなのはどっちだよ。すばしっけェくせにパワーもあって、才能の違いってか。頭痛いわ」



 激しい戦闘を続ける中、至る所に擦り傷を増していく夏空と龍兵に対し、獅子神は既に全身が傷だらけ。

 黄金錦組において期待の若獅子と称された天才武闘派であるが、東部最大の老舗極道の武闘派を2人も相手するとなれば、この姿も当然といえよう。

 顔に張り付いた青タンや切り傷、火傷と、ところどころの衣服が焼けこげたその様子はまさしく満身創痍。

 だがしかし、彼は倒れない。

 その顔はむしろ、笑っていた。



「っしゃオラァ!! ラウンドツーや!!」



 声と共に駆け出した獅子神は纏う稲妻を光らせて加速し、瞬きも間に合わぬ間に夏空の眼前まで接近する。

 突き出された拳を夏空が受け止めると、また落雷のような轟音が辺りに響いた。

 そのままラッシュの打ち合いに発展する2人。

 拳の威力は夏空の方が上であろう、だが獅子神のスピードは圧倒的。

 細かな打撃が夏空の拳をすり抜けてその身を突き、露出する肌に少しずつアザが量産されていく。

 さらには獅子神の妖術により、撃たれた箇所が感電したような痺れを帯びる。

 ついに右肩の筋肉が麻痺し、上がり切らなかった腕を抜けた彼の拳が、夏空の頬を叩いた。

 頭蓋骨に響く電流に、夏空は一瞬たじろぐ。

 だが次の刹那



「獅子神ィィアアア!!」



 凄まじい吶喊と共に、蒼いドスを握りしめた龍兵が獅子神へ突進した。

 怒り任せの突きを獅子神は後退で避けようとするが、龍兵は止まらずそのまま地面を蹴った。



「そないアツくなるなや! 惚れてまうやろォ!!」



 獅子神は稲妻を纏った拳を龍兵の脇腹に叩きつける。

 臓腑に届くクリーンヒット。

 肋骨が折れ、痙攣した胃が反射的に内容物を吐き出す。

 まともな人間なら膝をつく、それほどの一撃であった。

 だが龍兵は、倒れない。



「しゃ……ら、くせぇ!!」



 それどころか勢いを殺さぬまま、握りしめたドスを獅子神の太ももに突き立てた。

 これには獅子神も度肝を抜かれ、笑顔が引き攣る。



「死に晒せやァァアアア!!!」



 抜いたドスを再び振り上げ、今度は目の前の土手っ腹へ(きっさき)を向ける。

 だがしかし、獅子神とて黙ってやられるほどの腰抜けではない。

 振り上げられたドスを、己が腹に突き刺さる間一髪で握り止めた。

 そのまま右拳に稲妻を纏わせ、また龍兵の腹を狙う。

 今度はど真ん中かつゼロ距離。

 当たれば即ち、貫かれる。

 しかし龍兵は止まろうとせず、それどころか自由のある左拳に炎を灯し、応戦しようとした。

 が、次の刹那。



「馬鹿野郎!!」



 拳を振るう寸前の龍兵に、なんと夏空が思い切り体当たりをかましたのだ。

 龍兵を庇ったと言えばそのようであるが、それにしてはいかんせん強すぎる。

 予想外の行動に獅子神は驚き、稲妻の拳は空を切った。

 そのまま転がり、壁に叩きつけられる龍兵。

 夏空は素早く駆け寄ると、その胸ぐらを掴み上げ、怒鳴った。



「クソガキが!! 俺の言ったこと忘れたんか!! アア!?」



 普段の冷静さからは考えられないほどの気迫。

 その言葉に龍兵は気付き、同時に脇腹を抑えて嘔吐し苦しみ出した。



「す……ませ……兄貴……」



 未だ痙攣する胃と折れた骨が内臓にめり込む痛みに悶絶しながら、龍兵は掠れた声で絞り出す。

 夏空は額に青筋を浮かべながら龍兵に肩を貸し、道の端まで連れて行くと、店の軒下に座らせ休ませた。

 そして再び獅子神へ向き直り、彼を睨みつける。



「えらい手のかかる後輩ちゃんやな。でも根性は花丸。ウチにも欲しいわ」


「俺と東条の兄貴が愛情たっぷり注いで育てたんだ。お前らみてェな下衆野郎共になんかくれてやるかよ」


「ハハっ、言うのォ!」



 語尾と同時に突進してきた獅子神を、夏空は両腕を瞬時に術で燃やし、受け止める。

 稲妻と炎が真っ向からぶつかり合ったことで、その間で小規模な爆発が生じ、2人は勢いのまま吹き飛ばされる。

 だが両者態勢を崩すことなく、地面へ足をつくと同時に再び跳び出した。

 拳と拳の壮絶な打ち合いが、目にも止まらぬ速さで繰り広げられる。

 夏空が避けた先に、獅子神が素早く拳を叩き込む。

 だが夏空は全く動じることなくその拳をも避け、流れの前逆立ち、足で獅子神の胴を掴んだ。

 そのまま体をもどに戻す要領で捻り上げ、彼の上半身を思い切り地面に叩き落とした。

 馬車に体当たりされたかのような衝撃に、思わず肺の空気を全て吐き出す。

 だがすぐに起き上がると、今度は自身も逆立ち、ブレイクダンスのように足を回して、夏空の胴を打った。

 稲妻を纏ったが故にその回転は凄まじく、夏空は素早くガードを入れたが弾かれ、後退せざるを得なかった。



「ッハハ! センパイ堅実やな! 喧嘩っちゅーんはもっとォ、ガンガン突き進むモンでっしゃろ!!」



 そう吠え、駆け出した獅子神は真っ向から稲妻の拳を顔面へ叩き込む。

 夏空は炎の拳でそれに応戦し、またもや激しい打ち合いが繰り広げられた。

 閃光のような凄まじいスピードの稲妻と、重く確実な磨き抜かれた炎。

 側から見れば、どちらも身の毛もよだつほどの猛者に違いない。

 だがしかし、獅子神には決定的に足りないものがある。

 任侠者として漢を磨いてきた年数、育てた後輩の数、潜ってきた修羅場の数、その手で奪った命の数。

 違う。

 それ以上、性分故の、未熟さ。



「お前、楽しんでんのか」



 飛び出した獅子神の拳を、夏空はその眼前で掴み止める。

 握った腕を体ごと引き寄せると、そのまま体勢を低くして彼の懐へ入り込み、燃える拳に助走をつけた。



「舐められたもんだよ、まったく」



 次の刹那、激甚の拳が獅子神の土手っ腹を下から突き上げた。

 それはまともに喰らえば、確実に命へ届く一撃。

 しかし、獅子神はそれを寸手のところで身を捩ってかわす。

 だが夏空とて一端の武闘派。

 その拳を完全に避け切ることは叶わず、獅子神の脇腹の肉を抉った。

 瞬時に飛び退き着地するが、さすがの彼も痛みに顔を顰め、膝をつく。



(なんや今の……避けれんかった、特別速いわけでもなかったんに)



 顔を上げると、夏空が冷たい瞳でこちらを見下げ、ゆっくりと歩み寄っていた。



「遊び感覚で強くなっちまった人間っつーのは、鉄火場において本気で命を張ることを知らない。天才ってのはいつもそうだ」



 夏空は上着についた砂埃を払い、静かに歩みを進める。



「お前には輝かしい未来があっただろう。けどな、それは秋典も同じだ」



 握りしめた拳に、炎が灯る。

 獅子神は、目の前の男に震えた。

 しかし、金色の瞳に恐怖の色はない。

 むしろその頬は、高揚で赤く染まってすらいた。



「死んでくれや、若ェの」



 夏空が拳を振り上げた、その時。

 突如、銀色に光る六角手裏剣が、彼のこめかみ目掛けて真っ直ぐに飛来した。

 夏空は超反応で身を捩り躱した。



「あ゙にぎ!!」



 龍兵の掠れた悲鳴が聞こえたと同時、背後から轟くエンジン音。

 そのとてつもなさに、思わず獅子神から距離を取る。

 そして振り返ると、猛スピードで夏空へ突進する紫色の鉄塊があった。



「なに晒しとんじゃァァァアアアアア!!!」



 腹からめいっぱいの怒声を吠え、2人の間に割って入ったのは、シリウス・ダークネスに跨った輝原。

 輝原はドリフトで車体を横に停めると、そのまま右手を突き出し、夏空へ術を放った。

 だが距離が離れていたが故、それは最も簡単に躱される……と思った。

 輝原の術が打ち抜いたのは夏空ではなく、突如天から飛来した1つの卵だった。

 殻が砕けた瞬間、あたりに飛び散ったのは灰色の粒子。

 夏空はその正体を瞬時に悟り目を瞑ったが、遅かった。

 直撃は免れたものの、瞼を閉じた瞬間、目玉を襲う強烈な激痛。

 思わず膝をついた夏空の額に脂汗が滲む。



「あ、あに……!!」


「来るな!!」



 辺りを包み込む煙幕の中、近付こうとした龍兵を夏空が怒声で静止する。



「やられた……目潰しだ! 応援を呼んでくれ!」


「あ……は、はい! でも兄貴! 逃げねぇと!」


「……もういい」



 生ぬるい風が背後から吹きつけ、煙幕を蹴散らす。

 激しいタイヤ痕の先にいたはずの獅子神たちは、いつの間にか姿を消していた。



 まんまと逃げおおせた獅子神たちは、まだ明るさの残る住宅街をシリウス・ダークネスに跨り、疾走していた。

 最前でハンドルを握る輝原と、その背中にしがみつく獅子神、そして背もたれに自身の胴を縄で縛り付け、後ろのボックスに座る甲賀という、なんとも定員オーバーの否めないメンツ。



「ホンッッッマ助かったわ星二〜!! もー三途の川ン先で兄ちゃんが手ェ振っとるの見えよってからに、ガチ目に死ぬ思っとったわー!」


「笑っとんちゃうぞボケ猫!! また楽しんどったやろ、ア゙ア゙!? なんべん言わせりゃ気が済むんじゃアホンダラ!!」


「怒らんといてください兄貴。傷に障りますよ」


「うおっ星二おまっ、腕パンッパンに晴れとるやんけ! 大丈夫なん? 折れてるんとちゃう?」


「ベルトでギチギチに絞めてますんで、アジトまでは持ちます。兄貴だって脇腹イかれてますやん」


「それな〜! ホンマ油断してもーた。いやね、俺も真剣にやろ思たんよ。せやけど、ウワサの"死なずの若龍"も一緒やってん、ついつい興奮してもうてなァ〜」


「フッ、兄貴らしいですわ」


「お前ぇら話聞けや!!!」



 喧嘩まじり笑い混じりの会話を響かせながら、怪しい空の下を夜闇の中へ消えていった。



 一方、ターゲットに逃亡された上、思わぬ奇襲にズタボロの龍兵と夏空。

 万が一のために持っていた発信装置で、待機班に救命信号を送り十数分。

 曇り空で月明かりもない中、やっと微かに見えた見覚えのあるシルエットに、龍兵は思わず安堵の声を溢した。



「兄貴! 龍兵! 獅子神は……ってうおっ!? どないしたんですの!!」



 駆けつけた吉松が、2人の姿を見て驚きの声を上げる。

 全身に細かい傷が目立ち両目を抑える夏空と、傷は少ないもののその1つ1つが大きく深刻な龍兵。

 戸惑うのも無理のない光景であるが、吉松の後をついていた木村は全く動じることなく、2人の元へ駆け寄って容態を診た。



「失血の心配はねぇが、目がやばい。龍兵は……肋骨折れてるなこりゃ」


「ああああかんやんそれ、ど、どないしよ!!」


「落ち着け、ソッコーで闇医者連れてく。兄貴、俺ン肩持てます?」


「ああ……悪ィ」


「お、おおう、せやな! 龍兵ほれ、おぶっちゃる!!」



 満身創痍の2人を保護した木村と吉松は、一目散にお抱えの闇医者に走った。

 時刻は午後21時近く。

 空に渦巻く分厚い雲は未だ流れ去ることはなく、そればかりか、あたりの空気はさらに生ぬるく、湿り気を帯びていた。










 怪しい雲行きが、落雷の予告を吠えている。

 重い足取りで町外れを歩く東条は、腕の中で小さく寝息を立てるベルの鼓動を時折確認しながら、闇医者を目指した。

 体の表面に目立つ傷はないが、彼女は甲賀の打撃をまともに喰らっている。

 一般人ならば骨の1つや2つ折れていてもおかしくはない。


 路地を抜けた頃、ベルが目を覚ました。

 眠気眼で辺りをキョロキョロと見回し、やっと自分が抱き抱えられていることに気がついた。

 他者へ完全に身を任せ、緩やかに揺られるのはとても心地がいい。

 けれど東条の顔を見上げてみると、少々色がすぐれない気がした。



「みずき、あるけるよ。おろして」



 ベルの訴えに、東条はゆっくりと彼女を下ろした。

 そして差し出された手を繋ぎ、また歩き出す。

 カランコロンとなる下駄の音が、さっきよりもゆっくりに聞こえる。

 自分のペースで歩いても置いていかれないので、ベルは少しありがたいと思った。


 空が光ってピシャリと鳴ったと同時に、ベルの鼻先に冷たい何かがぶつかる。

 手で擦ってみると、それは水だった。

 その瞬間、後を追うように沢山の小さな水の粒が、頭の上から降り注いだ。

 初めは弱々しかったのが、段々と雨脚を増して土砂降りになっていく。



「みずき、あめ。ぬれちゃう」



 そう言い、ベルは東条のニッカポッカを引っ張る。

 だがわかっていないのか、東条は「ああ」と言うだけで、全くもって進路を変えようとしない。



「ぬれちゃうよ」



 少し強めに訴えても、聞く耳を持とうとしない。

 仕方がないのでベルは東条のニッカポッカを強く引っ張り、近くの軒下まで無理やりに連れていった。


 屋根の下に入った瞬間、雨脚がさらに強くなる。

 目の前の道路はあっという間に水浸しになってしまった。

 雨粒が水面を叩き、巻き起こった水飛沫が壁にもたれるように地面へ座り込む2人の足元にかかる。

 じめついた気温と鼻に這い寄るペトリコールがなんとも不快で、ベルのうなじに汗がじんわりと染み出す。



「……さみいな」



 東条が不意につぶやく。



「来な、風邪ひいちまう」



 東条はそう言ってベルに自分の羽織を広げて被せ、左腕で懐へ抱き寄せた。

 「さむくない」と言おうとしたベルだったが、確かに、東条の体は少し冷えていた。

 ベルはそのまま東条に寄り添い、目の前の雨を眺めた。

 生き物にくっつくとその鼓動や血流の音が聞こえるが、今は雨が降っているからか、鼓膜に伝わるのは騒がしい環境音だけ。

 ベルは水面の波紋同士がぶつかり合う様を見つめながら、昔のことを思い出した。



『海は命の源。その水を地上まで連れてくる雨は、まさしく命の運び屋ね』



 胸の中で響く、落ち着いた声。

 まだ小さかったベルに、沢山のことを教えてくれた。



「おねえちゃん……」



 そんな感傷に浸りながら、ベルは景色をぼーっと見ていた。

 ふと、尻が濡れていることに気がつく。

 地面へ手をついてみると、水たまりがあることがわかった。

 雨は土砂降り、道路に水たまりができれば軒先とて侵食される。

 ベルは辺りを見回して、今よりも高いところを探す。

 すると、少し先の店に小さなベンチを見つけた。



「みずき、いす。あっちいこ」



 東条は応えなかった。



「みずき、あっち」



 聞こえなかったと思い、少し大きな声で呼んだ。

 けれど、返事はない。

 ベルは立ち上がり、ベンチを指さしてもう一度呼ぶ。



「みずき、あっち。いこ」



 やはり返事はない。

 ベルは隣へ戻ると、膝立ちで東条の体を軽く揺すった。



「みずき、ねえ、みずき」



 緑色の長髪が肩から落ちる。

 何度か揺すると、東条の体は背もたれる壁に沿って、ベルの反対側へ倒れた。



「みずき?」



 なおも応答のない東条に、ベルはまた名前を呼ぶ。

 軒下から出て、彼の顔近くまで行った。

 目は開いている。

 黄色い瞳の中の瞳孔が、見慣れないほど大きくなっていた。

 肩に打ち付ける雨が少し弱まり、雲の間からわずかな月明かりが顔を出す。

 背中側から差し込んだ一瞬の淡い照明は、辺りに広がった真っ黒な水たまりを照らした。



「……ねないよ。かぜ、ひく……」

 


 その時、激しい雨音の中に微かな足音がした。

 ベルは立ち上がり、耳をすます。

 雑音に紛れる足音が近づくにつれ、人の声も聞こえてきた。

 ベルは道路へ飛び出し、声の方を見た。

 雨の中、番傘片手に辺りを見回しながら走ってくる影。

 シルク生地の上等な白スーツが、月明かりのない漆黒の夜空の下でもよく目立つ。



「かしら……かしら!!」



 ベルの声に反応して、影は彼女の方へ一目散に駆けってきた。

 現れたのは巨海。



「ベルちゃん!!」



 相対すると、巨海はすぐさま自分の上着をベルの肩にかけ、強く抱きしめた。



「ずぶ濡れで……痣もあるじゃねぇか! 何があった! 瑞騎は!?」


「あ、あっち」



 ベルが指差した方を向いて、巨海は絶句した。

 暗い夜道にさらに濃い闇を落とす軒先で、力無く横たわる人の影。

 巨海はさしていた番傘をベルに預けて立ち上がり、ゆっくりと影に近づいた。

 思い足は一歩を踏み出すごとに地面を擦り、まるで目の前の光景を拒むようで、あまりの混乱に瞳孔と唇が震えた。



「瑞騎……おい、瑞騎……」



 隣に(ひざまず)き、体へ手を添える。

 腕や首元を触ってみるも、その肌に生物の温かみは感じられない。

 抱き上げると、影に隠れていた顔が長い髪の間から覗く。

 完全に潰れた左目の周辺には小さな点の集合で刻まれた星形の傷があり、そのほか頬に痣と、全体的な細かい斬り傷。

 関節が弛緩しダランと垂れ下がった腕も、痣と斬り傷に塗れている。

 極め付けは、真っ赤に染まった腹のサラシ。

 紺の服も、腹部からニッカポッカにかけてのほとんどが黒く染まっていた。



「み……ずき……」



 半開きの瞳の瞳孔は、完全に開いている。

 既に事切れていることは明白だった。



「……ごめん……ごめんよォ、瑞騎…… 。俺が、2人っきりで行かせちまったばっかりに……」



 巨海は東条を抱きしめ、雨水滴る顔をさらに濡らした。



「なんでこう、なっちまうかなァ……」



 さらに強く抱きしめ、肩を振るわせる巨海。

 その後ろ姿を見て、ベルは心配げに寄り添い彼の頭を撫でた。



 帰り道、巨海は東条の亡骸を抱きかかえ、ベルはその隣を歩いた。

 いつもなら口の塞がらない巨海が、その時だけは一言たりとも喋らない。

 途中、彼と同じく東条を探しに出ていた舎弟たちと何度か遭遇したが、巨海の腕に抱かれたその姿を見ると皆言葉を詰まらせたが、声を上げて泣く者、また一瞬パニックになったり状況が理解できず固まる者と、様々だった。

 それも、彼が構成員たちに愛されていた証拠。


 本部に戻り、最初に出迎えたのは晤京と幸代だった。

 巨海から東条の体を受け取ると、何も言わず、そのまま母屋の中まで運ぶ。

 その姿を不思議そうに見つめるベルに、幸代は目線までしゃがみ込み、優しい笑顔で「おかえり」と言って抱きしめた。

 晤京は組長室の手前の部屋、舎弟たちが敷いた布団の上に、東条をゆっくりと寝かせた。



(さとる)は今日、非番か。悪いが、呼んできてくれないか。できるだけ綺麗なままでいさせてやりたい。医者も頼む」



 言われ、舎弟は暗い顔で頷く。

 晤京は東条のそばへ座り、痛ましい傷の刻まれた顔を優しく撫でた。

 その悲壮感漂う背中に、巨海は思わず奥歯を噛み締める。



「すんません、親っさん……」


「いい。予測しようのなかったことだ。お前もご苦労だったな」


「それはベルちゃんに言ってやってください。傷だらけ泥だらけで、きっとあの子も戦ってくれたんだ」



 「わかった」と言うと立ち上がり、



「少し、1人にさせてくれ」



 とだけ言い残し、部屋を出ていった。



 一方、闇医者に運ばれていた龍兵たちは、医者を呼ぶため必死の形相で駆け込んできた舎弟により、東条の訃報が知らされた。

 それを聞いた瞬間、龍兵は治療中にもかかわらず反射的に処置台から飛び出し、本部へ向かおうとした。

 だがそれは医者と夏空たち3人により阻止され、彼はそのまま台に縛り付けられた。



「離せ!! 兄貴が!! 東条の兄貴が!!」


「ほざけやバカタレが! その怪我で行ってどないすんじゃ! ちったァ自分を可愛がれンのかおどれは!!」


「君、早く鎮静剤を!」



 医者は看護師から注射器を受け取り、龍兵の腕に注入する。

 しばらくして薬が効き、龍兵は仰向けのままぐったりと静かになった。



「龍兵、お前の気持ちもわかるが、今は治療に専念しろ。東条の兄さんだって、きっと同じことを言う」


「私にはあなたを治療し、必ず生かすという義務があります。これは医師としてではなく、1人の人間としてです。ですからどうか、ご安静に」



 夏空と医者にそう言わるも、龍兵は何も答えない。

 天井を見上げる彼の、赤い髪の毛。

 その間から微かに見える緑色の瞳から、一筋の細い光が目尻を伝って処置台の布団にシミを作った。

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異世界転移
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