第72話「青い煙」
万套会の本部は、亜空間に聳えるが故に実質的な住所が存在しない。
その入り口を把握するのは直系の構成員のみであり、また不定期に移動し、移動先も事前に知らされるのは幹部連中のみであるため、外部の者がその情報を手に入れることができても、侵入することは非常に困難なのである。
しかしてそれは不便も招く構造であり、実際、本部宛の郵便などの配送物を直接受け取ることが不可能だ。
そのため、万套会は配送物を受け取るための施設を、いくつか地上に設けてある。
施設と聞けばたいそうなものに思えるが、言ってしまえば借家の一室を借りているのみ。
届いた荷物は爆発物や毒物などに警戒して構成員による厳格な検査が行われ、安全が確認されて初めて本部へと送られる。
故に、会長たる永河晤京の手に渡るまでに、長い時間を要するのだ。
「親っさん、失礼します」
直系組織の幹部たちとの会食を終え帰ったばかりにも関わらず、会長室で仕事に追われる晤京を、巨海が訪ねた。
晤京は筆を置いて背もたれに体重を預けると、傍に置いてあった茶を一口飲んだ。
「終わったか」
「はい、異常はなーんにもなかったそうで」
そう言って巨海は、懐から1通の茶封筒を取り出した。
晤京は封筒を受け取り、裏返す。
特注と思しき模様の入った狐色の封筒の右端に筆文字で書かれた、「黄金錦組組長 黄金錦宵一」の文字。
先日晤京は、その名の人物宛に手紙を送った。
内容は万套会の構成員を正当な理由なく殺害したことによる、実行犯への報復宣言。
「舐めてやがる、速達で出せってんだ」
「そう気を荒げるんじゃない。中身を見るまでは判らぬ」
未来ある若者の命を無慈悲に奪うことは、極めて残忍かつ仁義に反した行為である。
任侠集団としての意志と面子を保つため、どのような答えが返ってこようとその意思を崩すまいと、断固の思いで送った手紙。
謝罪の言葉か、はたまた反撃の意思を綴ったものか。
晤京は小刀で手紙の封を切る。
細く折り畳まれた手漉き紙を引き出して開き、中の筆文字を読んだ。
だがしかし、半分を読み終えた途端に晤京の顔が青ざめる。
「……親父? 」
巨海が心配げに首を傾げた瞬間、晤京は手紙を机に叩きつけて立ち上がった。
ただならぬ様子に巨海は思わずたじろぐ。
「瑞騎はどこだ……」
震えの混じった声色で呟く晤京。
巨海は「瑞騎ならまだ……」と言いかけたが、晤京はそれを遮り叫んだ。
「探し出せ!! 今すぐにッッ!! 」
常夜泉町のはずれ、住宅と店が混じる緒下地区には曇る夜空の帳が降り、生ぬるい風が道路を吹き抜ける。
夕飯時も過ぎたころ、簡素な入母屋屋根の並ぶ路地の中で、爆音と共に古い民家が崩れ落ちた。
崩れた瓦礫の勢いで立ち上る土煙の中から飛び出したのは、腕をクロスにして顔を顰める東条。
彼が着地すると同時、拳を握りしめた輝原が体に紫色の閃光を纏い、続くように飛び出した。
凄まじい轟音を鳴らし、流星のような輝原の拳が横へ跳び退いた東条の頬皮をえぐる。
拳は勢いのまま火花を散らし、固い土の地面を叩き割った。
東条は地に手をついて体勢を整えようとするが、背後から突進する何者かを察知し、即座に近くの民家の屋根へ跳んだ。
次の瞬間、遅れた後ろ髪を掠めたのは、先頭のライトを満月のごとく光らせ、重たい排気音を鳴らす無人のハーレー。
「奇怪な野郎だぜ、そのツラで絡繰使いかよ」
東条の真下を走り抜けたハーレーを輝原はすれ違いざまにハンドルを握り、エンジンを吹いたまま方向を180度変えて寄り添った。
「シリウス・ダークネスは絡繰やない、内燃機関や。熱でピストン動かして車輪回しとんのじゃ、ゼンマイの何倍も馬力が出る」
「へーへーそうかいそうかい。ガキンチョ向けの漫画雑誌で聞きそうな名前だな、ピッタリじゃねーのっ」
言葉が終わるその前に、東条は屋根の上から跳んだ。
黒光りのクナイが夜闇に紛れ、彼の顔めがけて飛んできたのだ。
着地した東条の見据える先には、曇空を反射し濁った橙のサングラス。
「弾道が見え見えだぜ、甲賀の末裔がとんだ拍子抜けだ。ウチの馬鹿のほうがよっぽど優秀だぜ」
「負け惜しみがわかりずぎるわ。比べることでしか評価でけへんとか、オッサン悲しいのォ」
甲賀は口角から煙を吐き、東条を睨みつける。
ベルは民家の影に身を隠しながら、ひっそりとその光景を覗いていた。
みんなが何を話しているのか、ベルにはよく理解できない。
けれど、そのばの空気が今までに経験したことがないほどに鋭く、睨み合う視線は互いの喉元を狙って離さないということだけはわかった。
敵の甲賀と輝原は武器を持っていが、東条のドスはベルの両手に握られている。
つまりは丸腰。
2対1の不利な状況で、さらなる足枷。
もちろんベルも返そうとしたが、戦いの勢いに押されてなかなか前に出られないのだ。
それもそのはず。
これは、信念と信念のぶつかり合いの中で年季を磨いてきた筋者同士の戦い。
賢吾たちと出会った中で経験してきた戦いとでは、互いの殺意の鋭さが比べ物にならないのだ。
橙のレンズから覗く金色の瞳は夜闇の中で東条の眉間をしかと捉え、数多のクナイが狂い無い弾道で確実に狙う。
東条は巨躯に見合わぬ身のこなしで交わすが、まるで意思を持ったかのように弾道を曲げた数本が、ニッカポッカ越しに太ももへ突き刺さった。
眉間に皺を寄せ、体勢を整えながらクナイを引き抜く。
「細工はナシ……っつーことは、妖術か」
東条はシリウス・ダークネスに跨った輝原のタックルをかわしながら、辺りを見回す。
(やたら煙ってぇのはグラサンのタバコか……いや、なるほど)
先ほど足から引き抜いたクナイと左手に握る自身の妖術で圧縮した空気を武器にし、前方から降り注ぐ銀色の手裏剣の雨を弾きくぐりながら、甲賀めがけて力強く走り込む。
横からシリウス・ダークネスでチャチャを入れる輝原には、左手で素早く空気弾を投擲し妨害。
いなしきれなかった手裏剣の鋒が頬や腕を裂くが、東条は怯むどころかそのスピードさえ落とさない。
(アイツ、気づきよった)
甲賀は手裏剣を投げる手を止め、別の暗器を取り出そうと懐へ手を伸ばす。
……が、しかし
「!? 」
指先を懐に入れたその瞬間、東条がこれまでにないほどの凄まじい踏み込みを見せた。
それはたった1歩で3馬身を優に跳び越え、岩石のような拳が一瞬にして甲賀の鼻先に触れる。
すんでのところで腰を逸らし避けたが、風圧でサングラスにヒビが入り、タバコが拳に弾き飛ばされた。
甲賀はそのまま後ろへ跳び、怯まず体勢を立て直す。
「見えたぜ、お前さんの妖術。煙だな」
東条は甲賀から弾いたタバコの火を下駄で踏み消す。
「魔力、体力共にビミョーに弱体化させやがる。お前さんの吐いた煙を吸えば吸うほど効能が上乗せされて、少しずつ少しずつ体が鈍くなるんだ」
甲賀の眉間に寄った皺に、東条が口角を上げる。
「戦いに集中してりゃ、まず気づかねぇな。俺もほんのさっきまで疲労だと思ってた。拍子抜けってのは撤回するぜ」
「なンでおどれに上から目線でおべっかされなきゃならんのじゃ、殺すどオッサン」
「ハナっから殺す気だろうが」
次の刹那、甲賀が懐から細長い何かを数本取り出して投げた。
それは銀色の六角手裏剣。
滑らかな質感で極限まで空気抵抗を減らし、敵の体深くに刺さり致命傷を与えることに特化した暗器であり、甲賀のものは特殊な素材と螺旋状の素体でさらに殺傷性を増している。
甲賀はそれを躊躇なく東条めがけて投げる。
それも全て、急所を狙って。
東条は握ったままのクナイで弾きながら、また距離を詰めた。
「こっちも忘れんなよ」
しかし、この場にはもう1人いる。
縮まる甲賀と東条の間に、輝原が割って入った。
すかさず手をかざしたかと思うと、突如衝撃波のようなものが発生し、東条は片腕で受けたが耐えきれず後ろへ跳んだ。
着地し体勢を直すが、刺すような痛みに腕を見てみると、薄橙の肌に赤い点の集合でできた星形が刻まれていた。
「兄ちゃんの妖術かい、なかなかイカすじゃねーのよ」
東条は右手で空を握り、そのまま輝原めがけて空気弾を投擲した。
東条の妖術は魔力を纏った手のひらで触れた空気を何倍にも圧縮し、個体となった空気を自慢の筋肉で投擲するという、種を明かせば非常にシンプルなもの。
しかしこの術は東条から5メートル離れれば自動的に解除され、圧縮された空気も元に戻る。
これを利用し、東条は圧縮した空気を簡易的な爆弾のような、一種の飛び道具としているのだ。
輝原は地面を蹴ってかわし、そのまま民家の壁を走って一定の距離をとりながら妖術を打ち出す。
東条が身を捩って交わせば、背後の民家の柱にまた綺麗な星形が刻まれる。
(粒子かなんかを打ち出してんのか。弾を取り出す様子は見られねぇから、おそらくは生成型……なら魔力切れが狙えるが、ちょっち無謀か? )
東条は以前にも輝原と相対し睨み合ったことがあるが、拳を交えたことはない。
黄金錦組の警戒すべき武闘派としてその名と顔は知っていたものの、その戦法に関しては未知数。
故に対処が間に合わず、武器となる腕へもろに食らってしまった。
これは長年武闘派として幅をきかせてきた東条にとって、果てしない不覚である。
実際、星形の傷から滴る血は止まることを知らず、おまけに力も入れづらいときた。
(骨の一歩手前ってところか。細やかでもこんなに集中的に攻撃されちゃあ、筋繊維や血管はズタボロだな)
「ヤクザ者の体を物理的に封じるたァ、いやらしいことしてくれんじゃねぇか」
「万套会の武闘派は皆肌が鋼鉄でできとって、痛みを感じひんバケモンいう話や」
「なに、俺らのこと鉄人かなんかだと思ってんの? 兄ちゃんら娯楽小説の読みすぎだぜ」
「じゃあなんで普通に立っとんじゃおどれは」
輝原と共に東条を挟み込むように立つ甲賀が、眉を顰めてクナイの刃先を向ける。
「うおっ、びびったァ。全然気づかなかったわ。忍者ってすげー」
「黙れや。ワシの暗器には全部神経毒が塗ってあるんじゃ。おどれン身長も体重も全部計算して調合してからに、なんもあらんとケロッとしとるんがムカつくんじゃドブカスが」
いつの間にか新しいタバコを取り出して咥え、煙を吐く甲賀の額には、深く刻まれた青筋があった。
しかし東条は余裕の表情で、挑発するかのように口角を上げて見せる。
「神経毒ゥ? ンな小細工がこの東条瑞騎様に効くと思ってんのか。万套会の武闘派はなァ、腹掻っ捌かれたって倒れねぇんだよ。貧弱な西のヤクザとは違ってな」
「……はぁ、若芽に手ぇ出した時点でわかっとったがのォ」
「性根から腐ってますわアイツ……確実にブチ殺す」
「上等だ。まとめて返り討ちにしてやるよ」
東条の言葉が終わると同時に輝原が凄まじい踏み込みを見せ、開きの甘い右手を勢いよく前に突き出した。
瞬間、破裂音と衝撃と共に無数の細かな弾丸が発射される。
東条はそれを空気弾の破裂で相殺し、勢いのまま距離を詰めると、輝原の鳩尾めがけて強烈な拳を叩き込んだ。
勢いよく吹き跳ぶ輝原だが、続け様に腹部で小さな破裂が起き、宙を舞った体はさらに勢いをつけて民家に激突した。
腹部と背中の痛みに耐えて起き上がると、身につけているライダースーツの腹部の辺りが見事に裂け、サラシが露出していた。
サラシをキツく巻いていなければ、確実に皮膚を抉っていただろう。
(圧縮した空気を拳に仕込んだんか、あの一瞬で。なんて男や)
輝原へ追撃しようとする東条。
そんな彼に甲賀は横からクナイで斬りかかり、避けられれば長い足で死角から脇腹を蹴り上げた。
しかし東条はその足を掴み上げ、なんと片手で投げ飛ばして見せた。
これには甲賀も予想外で、取り出した暗器をうっかり落としてしまう。
「兄貴ッ!! 」
「どういうパワーしとんじゃ……家系図ゴリラおるんか…… !」
「カシラ直伝ゴリ押し投げ、男らしいくてかっちょいーだろ」
「雄臭いの間違いやわ! 」
輝原の手を借り起き上がると、すぐさまクナイを手に起き上がり、東条へ斬りかかる。
東条は拳を握り、応戦しようと地面を蹴った。
そこから、拳とクナイの激しい打ち合いが始まる。
鋭い刃と生身の拳がぶつかる度に鳴るのは、その様子からは想像もできない硬い音。
東条の両拳は、圧縮された空気の擬似的なグローブで覆われている。
故にその拳には、傷ひとつついていない。
「ゴツい見た目で小賢しい真似を! 」
「策士って言って欲しいねぇ! 」
両手に刃を握る甲賀であるが、その戦況は押される一方。
それもそのはず、甲賀と東条とでは体格に差がありすぎる。
忍たる甲賀の戦闘IQは侮れぬが、前提として潜ってきた修羅場の数も違う。
こればかりはどう足掻いても埋めることのできない、圧倒的な年齢の格差。
立ちはだかる数々の敵共の頭蓋骨を粉砕してきた強烈な拳は、輝原が背後から襲撃をけしかけようとも、冗談のように鋭い野生のカンで一瞥すらもせずに振り下ろされ、術を放とうとした輝原の片腕をへし折った。
鈍く鳴った腕を押さえて後退りする輝原を、庇うように割って入る甲賀。
懐から六角手裏剣を取り出し投げるが、東条は空気弾をぶつけ、自動解除による破裂で全て退け、斜め下から走り込んで甲賀の懐に入る。
次の刹那、強烈な蹴りが甲賀の脇腹に直撃した。
肋骨がミシリと鳴り、内臓が一気に右へ叩きつけられる。
そのまま吹き飛んだ甲賀には目もくれず、東条は踏み込んで背後の輝原にも拳を向けた。
だが輝原はギリギリで反応し、生きている左手で術を放つ。
しかし東条はそれすらも身を回転させてかわし、勢いのまま輝原の顔面へ拳を叩き込んだ。
輝原は吹き飛び、民家の壁に叩きつけられた。
「おーおーどうした若造よ。そんな体たらくでこの俺を狩りに来たってのか」
頭から血を流しながら必死に起き上がる甲賀と輝原を見下ろし、東条は首を鳴らす。
「舐められたモンだな、ええ? 」
それは、圧倒的強者の風格。
青年となってすぐ飛び込んだ血と汗とパワハラの毎日の中で、万套会への忠誠と仁義の心を重んじ、血生臭い渡世を歩んできた東条瑞騎という男は、アウトローにゲソを付けて10年もしない青二歳には到底及ぶことの叶わない、生粋の武闘派である。
この場において、まさしく捕食者。
甲賀や輝原などは、イタチが獅子に喧嘩を売ったようなもの。
「ワシん妖術で、弱体化しとって、これかいな……」
「甘く見とった……万套会を……」
甲賀はヒビの入ったサングラスを取っ払って東条を睨んだ。
「だが、癖は見えた」
輝原に手を貸して起き上がらせながら、甲賀は耳打ちをする。
「……そんな原始的な……」
「やからこそじゃ。やれることは試さな、認めたないけど、思ったより危いど」
「……わかりました」
2人のやりとりに眉を顰めつつ、東条は腰を落として体勢を整える。
会話が終わり自身の方を向いた甲賀と輝原に、口角を上げる東条。
「言っとくが、小細工は通用しねぇぜ」
「どうだかの」
輝原はズレたグローブを整え、甲賀は両手に暗器を握りしめて深呼吸を挟む。
澄んだ星空や清らかな月光すらも隠し、目が眩むほどに分厚くなった黒い雲の中でピシャッと鳴った稲妻。
その音を合図に、2人は同時に地面を蹴った。
それに呼応するように、東条も走り出す。
真っ先にぶつかったのは甲賀。
クナイを逆手に持って、まっすぐ飛んできた拳を受け止める。
打ち出される拳のラッシュをいなしながら、時折袖から六角手裏剣を飛ばした。
東条はそれらを受け流しつつ、輝原の行方を追う。
甲賀に少し遅れる形であった輝原は、彼が東条の相手をしている隙に民家の屋根を回り込んで、路地に停車させてあったシリウス・ダークネスに跳び乗る形で跨った。
ハンドルを捻った瞬間、爆発音と共にマフラーから金色に輝く煙を吹き、大きな前輪が激しく回転する。
ホイールに走る火花が車輪の回転で星形を形成し、車体をなぞるように配置されたパイプたちにエネルギーが充填され、流れ星のように光った。
ウィリーした前輪が地面にぶつかると同時、砂埃を巻き上げて走り出し、そのまま東条へ体当たりをかます。
「真っ向勝負か、いいじゃねぇの! 」
東条は打ち合う甲賀を殴り飛ばし、輝原の方を向いた。
そして腰を落として両手を広げると、なんと真正面からシリウス・ダークネスを受け止めたのだ。
「うっせやろ!! 」
「嘘じゃねーぜッ!! 」
胸板を削らんばかりに回転する前輪の勢いにも怯まず、車体ごと輝原を投げ飛ばす。
輝原は遠心力で離れそうなハンドルをグッと握り、折れた右手の痛みに耐えながら地面へ向けて術を放って着地した。
「バッ….ケモンが……!! 」
脂汗を流し叫ぶ輝原に、東条はニッと笑ってみせる。
その時、東条の背後から鋭い六角手裏剣が彼の頭蓋を狙って飛んだ。
だが東条はコンマ1秒で首を捻ってかわす。
「寂しいやんけ、こっちも忘れんといて」
両手の指の間にそれぞれ4つずつのクナイを構えた甲賀が、東条の振り返ったその瞬間にそれら全てを扇状に投げた。
横に避けることはできない。
ならばとしゃがみ込む東条だが、甲賀はそれを見越し、クナイの下に手裏剣を3つ投げた。
「ヤッベーッ……が!! 」
東条はそのまま地面へ手をつくと、極力低い姿勢でブレイクダンスのように脚を広げて回した。
それにより、甲賀の投げた手裏剣は全て下駄に弾かれる。
が。
「まだじゃァ! 」
東条の体勢が戻らぬうちに、甲賀はもう一度六角手裏剣を投げた。
風を裂き、まっすぐに向かって来る六角手裏剣を避け切るなどは、たとえ体勢の崩れた中であろうとも、名の通る武闘派極道たる東条には容易いこと…………で、あったのだが。
必死の思いが乗ったたった1本の手裏剣は、なんと東条の肩に深々と突き刺さったのだ。
「ぐっ」
鋼鉄の刃先と骨がぶつかり、硬い物が削れるような音がした。
東条は痛みに顔を顰めるがしかし、その動きが止むことはない。
すぐに体勢を立て直すと、拳を握りしめ、未だ呑気に目の前へ佇む甲賀に突進した。
それに応えるように、甲賀もクナイを握りしめて地面を蹴る。
しかし東条が拳を突き出す寸前、甲賀が突然横へ跳んだ。
それと同時に、背後から鳴る重たいエンジン音。
(まずい! 今突っ込まれたら……)
瞬時に目線を背後に送り、同時に右の拳を振るった。
がしかし、振り向いた先の光景に、東条は我が目を疑う。
そこには確かに、猛スピードでこちらへ迫り来るシリウス・ダークネスがあった。
しかし、おかしい。
巨大なタイヤの上に伸びたハンドルに、人の手が見えなかった。
(ヤベェッ!! )
瞬時に視線を前方へ戻したが、時すでに遅し。
目の前には、手のひらをこちらへ向けて構える輝原。
まずいと瞬時に後退の姿勢をとったが間に合わず、打ち出された粒子の散弾を、左目にモロに食らった。
肉を弾き、骨を貫く激痛。
東条は思わず傷を押さえ、地面に手をついた。
「コノヤロウ……目ぇ死んだぜオイ」
ぐらつく視界と溢れる鮮血に、顔を顰めながら啖呵を切る東条。
立ちあがろうとするが、あまりに急所が近かったせいかうまく立ち上がれない。
「もうやめぇやオッサン。見苦しいで」
だがしかし、甲賀はそんな東条を哀れみの思った瞳で見下ろす。
口角に滲んだ血を指で拭き取り、
「効いとんのやろ、毒」
そう吐き捨てた。
「フツーに考えてみぃや。忍やアサシンならまだしも、たかが花街生まれの凡夫が、毒物耐性なんてたいそうなもん持っとるはずがないんじゃ。女子の前でカッコつけたかったんか知らんが、惨めだの」
「……るせー。どんなに辛くったってェ、強がっちまうのが男ってもんだろーがよォ……」
神経毒による体の麻痺に加え会心の一撃が入ってしまったことで、東条の体は相当悲鳴をあげていた。
(だが、ここで倒れるわけにゃいかねぇ)
東条には守らなくてはならない存在がいる。
ここで彼が倒れてしまえば、誰がベルを守るのか。
ふと背後の路地へ視線を向けようとした、その時。
物陰から突然何かが飛び出し、叫び声を上げながら勢いのまま甲賀へ襲いかかった。
甲賀は突然のことに一瞬反応が遅れたが、すぐさまクナイで応戦し、その何者かを弾き飛ばす。
着地に失敗し、民家の脇の木箱に衝突したその姿を見て、東条は叫んだ。
「ベルちゃん!? 」
そう、飛び出したのはベルであった。
打ちつけた背中の痛みに歯を食いしばって立ち上がるその右手には、東条から受け取った緑色に輝くドスがしかと握られている。
「馬鹿野郎!! 出てくんなっつったろうが!! 」
怒号を飛ばす東条に驚きビクッと肩を揺らす。
だが、顔の左半分を押さえる指の隙間から大量の血を流す彼の姿を見て、また甲賀たちの方へ向き直り、ドスの鋒を向けた。
「ちぃこいのにえらい勇気だのォ嬢ちゃん。手ェ出さんとは言うたがな、ヒカリモン向けられちゃァそうもいかへんど」
「けんか、だめ」
ベルはドスをギュッと握りしめると、甲賀めがけて思い切り地面を蹴った。
野生動物のような素早いステップで敵の懐まで入り込み、急所に刃を突き立てる。
だが、甲賀は自身に向けられたドスをいとも簡単にいなし、横からベルを蹴り飛ばした。
民家の壁に背中を殴打し倒れ込むベルに、東条は彼女の名を叫んで駆け寄ろうとするが、視界のぐらつきと頭痛でうまく立ち上がることができない。
ベルは顔を顰めて痛みに耐えながら、ドスを握ったまま、なおも甲賀に立ち向かう。
しかし、そんな彼女の攻撃を甲賀は冷たい瞳で雑にあしらい、クナイを握る手の甲で彼女の頬を殴った。
ベルは砂埃を立てて地面に倒れ込むが、またよろよろと立ち上がり甲賀へドスを向ける。
「……ッやめろベルちゃん!! もういい……!! もういいから、下がってろ!! 」
ボロボロになってもなお立ち上がる幼い少女の姿に居た堪れず、輝原は思わず「兄貴……! 」と声を出す。
「嬢ちゃん、だいぶ動けるようやけど。才能だけでなんとかできるほど、命のやり取りはアマないで」
甲賀の気迫に、ベルは思わず後ずさる。
「……お前さん、見かけの割に良ォやる奴や思たら、なんや、あん時の娘か」
甲賀にそう言われ、ベルも思い出した。
ひと月前、龍兵の依頼で赴いた埠頭にて襲ってきた謎のヤクザ。
不思議な術に当てられて、3対1でも敵わなかったあいつが、今目の前にいる。
「どういう……こった……」
東条は驚きと困惑の視線を2人に向ける。
「あン時ゃ逃げられたみたいやが、今回はそーも行かへんど。運が悪かったのォ」
そう呟き、甲賀はクナイを逆手に持ち替えて、じりじりとベルへ近づく。
ベルは考えた。
目の前にいるのは、賢吾や経津主が3人がかりでも敵わなかった強敵。
それをたった1人で倒すことなんてできるのだろうか、と。
ベルは考え、考え、考え……………………そして思い出した。
ミフターフの砂漠、ジュリアーノの杖の材料を手に入れるため、クサリクと戦ったあの日。
吠えるクサリクに川へ放り出され、絶体絶命の中で賢吾が「頼む」と言った。
ベルは応えたいと、心の中で強く願った。
そしたら使えた、あの力。
「も……いっかい……」
ベルは手に持っていたドスを投げ捨て、丸腰になった。
東条は「何してんだ……!! 」と慌て、甲賀たちは驚き怪訝な顔をするが、彼女は気にせず目を瞑り、深呼吸をする。
すると、ベルの背後から突然黒いモヤが現れた。
「なんやァ! 」
甲賀と輝原は驚いて目をかっ開き、東条はその得体の知れなさに戦慄した。
モヤは背中から湧き出るかのように徐々に大きくなり、やがて巨大な腕のような形状となって宙に留まった。
ベルは黒い拳をギュッと握り甲賀たちを見ると、そのまま地面を蹴った。
瞬間、とてつもない踏み込みで目にも止まらぬうちに、ベルの顔が甲賀の鼻先まで迫る。
(速ッッッ!? )
振りかぶる黒い拳を咄嗟に受け止めようと暗器を握る右腕を挟むが、殴られた途端とてつもないパワーで甲賀の右腕はへし折れ、そのまま民家の壁に叩きつけられた。
瓦礫が降り注ぎ、甲賀の体が藁と木の中に埋まる。
「兄貴!! テメェ!! 」
輝原は吠え、右手で妖術を放つ。
だが粒子弾は黒い腕でいとも簡単に防がれ、ベルに届くことはなかった。
めげずに殴りかかるが、目にも止まらぬ速度で飛んできた拳に頬を弾かれ、地面を転がった。
砂埃を立てつつなんとか体勢を整え再び殴りかかるが、またも死角から振るわれた拳に背中を打たれた。
肺が押し潰され、体の空気全てが一瞬のうちに押し出されたような感覚に悶絶し、輝原は地面へ両手をつく。
そんな彼を無表情のまま見下ろし、ゆっくりゆっくりと近づくベル。
輝原は折れた左手を庇うように肘をつくと、めいっぱい開いた右手をかざして術を放った。
だがそれも容易く防がれ、重たい横薙ぎに輝原の体は吹き飛ばされる。
圧倒的。
東条が苦戦を否めなかった手練れ2人を、ただの少女1人が赤子の手をひねるように、あっという間にねじ伏せてしまった。
いや、今はもう、ただの少女ではない。
その場の3人の目に映るベルは、まさしく得体の知れない化け物であった。
「ベルちゃん……お前は、いったい……」
ベルは仰向けになった輝原の左腕を鷲掴みにし、持ち上げる。
折れた腕を圧迫された上に自身の全体重がのしかかり、想像を絶する痛みに絶叫する輝原。
「手前ェゴラァ……ウチの弟分にィ……何晒しとんじゃボケェ……」
声の方を振り向くと、頭から血を流し、ふらついた足取りでベルの方へ近づく甲賀がいた。
あらぬ方向に曲がり、紫色になった指でクナイを握りしめている。
「手加減なんざせェへんど、ぶっ殺したる……」
そう言い鋒を向ける甲賀に応戦しようと、ベルもそちらを向いた。
と、その時。
ベルが突然、苦しみ始めた。
細い腕で自分自身を押さえつけるかのようにして地面へ突っ伏し、苦しみに悶え声を上げる。
腕の形を形成していたモヤが徐々に崩れ、ベルの体を飲み込むように覆い被さる。
不穏な空と連動するかのように稲妻とモヤの渦が巻き起こり、そのばにとてつもない突風を起こした。
何かがやばい。
そう思った東条はふらつく体に鞭打って、血と脂汗を流しながら立ち上がる。
「ベルちゃん……! 」
黒い渦へ腕を突っ込むと、まるで細胞から拒絶されているかのような、えも言えぬ不快感と激痛があった。
漆黒の視界を手探りで進むと、必死に伸ばした指先に柔らかいものが触れた。
これだ、と掴んだのは、力の抜けたベルの腕。
東条は腰を落として踏ん張ると、全身全霊の力を込めてぐんと引っ張った。
闇の中からぐったりとしたベルの体が抜け出ると、渦巻くモヤは一斉に散り散りになった。
勢いのままに尻餅をついた東条の体に項垂れるベルに意識はない。
地面へ寝かせ、すかさず首筋に手を当てる。
心拍は正常、呼吸もある。
「よかった……」
東条は安堵のため息を漏らす。
「おい」
背後からの呼びかけ。
気を抜いていた東条は、膝立ちのまま不覚にも振り返ってしまった。
間近に立っていた輝原が彼の左肩を持ち、体を密着させる。
何かを打ちつけられたような衝撃が、キツく巻いたサラシを突き破って腹部に伝わった。
そのまま輝原が離れると、東条はその場に座り込み、その口角から一筋の緋が流れる。
「そっちの子は殺さへん。お前は地獄で、燈一郎に詫びィ」
少し掠れた声で呟く輝原の瞳に罪悪感は一つもないが、彼の頭上に広がる空には、晴れぬ分厚い雲たちが集まっていた。
頭から流れる血をハンカチで抑え、様子を遠目に見ていた甲賀は、唐突に空から舞い降り自身の顔近くに漂った煙に、驚きの声をあげた。
「さっさ行くど星二!! 奇襲じゃ、雷皇が危ない!! 」
「兄貴が!? 」
道端に倒れていたシリウス・ダークネスを起こすと、2人はそれに跨りその場を去っていった。
稲妻の燻る不穏な空の下、残された東条とベル。
虚な目で地面に座り込む東条の薄汚れたサラシに、赤黒い鮮血がじわりじわりと滲む。
東条は口元の血を拭き取り立ち上がると、地面に落ちたドスを拾い、横たわるベルを抱き抱えて、ゆっくりと歩き出した。
カランカランと鳴る下駄が作る跡に点々と垂れる赤い血が、足跡よりも確かな形跡を残す。
仄暗い夜道に吹き付ける風が冷たくなっている。
空に広がる雲はあいも変わらず不気味であるが、ところどころで稲妻が鳴り、青白く光る煙のようだった。
お世話になっております、ほざけ三下です。
『モータルエデン〜天国は俺が思うよりも異世界でした〜』をいつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、私ほざけ三下は現在、大学受験を控えております。
この夏よりその準備へ本腰を入れるために、拙作の執筆をしばらく控えさせていただき、更新頻度も落とさせていただきます。
突然のお知らせとなってしまい、大変申し訳ございません。
しかしご安心ください。
物書きやイラストは私にとって大切な息抜きですので、活動自体は休止することなく続けさせていただきます。
具体的には、更新頻度が1ヶ月に1話更新できるか否か、試験間近にはそれ以下の頻度になると予測されますが、今までのクオリティを保ったままで、皆さんに面白いと思っていただける作品を作り続けることを約束いたします。
早ければ年内には戻って来れるかと考えていますが、そう甘くないのが大学受験というもの。
皆様のご理解ご協力をお願い申し上げます。
ーーほざけ三下ーー




