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第71話「仇討ちと仇討ち」

 藤原秋典(フジワラ アキノリ)は万套会に入って1年目の新人舎弟であった。

 5人兄弟の長男坊で、よく気が利きよく働き要領もそれなりによく、兄貴分からも将来を期待されて可愛がられていた。

 その藤原が、先日殺された。敵対する、黄金錦組の手によって。



「皆、集まったな」



 万套会本部、会長室の奥で机に座り固く拳を握る万套会現会長永河晤京(ナガワ ゴケイ)の前には、緊急で呼び出された構成員の成部実春(ナルベ サネハル)夏空鶫(ナツゾラ ツグミ)、そして荒若龍兵の計3人。

 晤京は少し俯き、長い前髪で瞳を隠しながら口を開く。



「秋典は、優秀な組員であった。極道らしく仁義を重んじ、任侠の世界で優しさと漢気を併せ持つ、素晴らしい家族だった。皆、彼の未来に期待を持っていたことだろう。彼は将来、この万套会に組を持つ。私もそう、確信してやまなかった」



 晤京の拳に、太い血管が浮き出る。



「だが、彼は死んだ。殺されたのだ。狡猾かつ冷徹なる西の獣の牙によって」



 3人の曇った顔に、悲しみや怒り、屈辱の混ざり合った色が浮かぶ。

 


「これは立派な宣戦布告である。そもそも、秋典が何をしたのか。理由を示した手紙の一つもよこさずに弓を引いたのはあちら側。これまでの予告のない襲撃も踏まえれば、奴らに敵意があることは明白である。外道に与える慈悲などはない。私は仁義と家族の名の下に、黄金錦組への報復をここに宣言する! 」



 晤京は興奮した声を落ち着かせるように、一度呼吸を挟んだ。



「獅子神は東にも名の通る手練れ。故に今回の報復は、秋典と親交が深くかつ実力のあるお前たちに任せる。良いな」


「ええ。知らせを聞いてから(はらわた)が煮え繰り返ってたんで」


「むしろ渡りに船ってもんです親父。必ず首をとります。龍兵、お前は」



 成部に問われるも、龍兵は眉間に皺を寄せ俯いたまま答えない。

 そんな彼に成部は若干のイラつきをおぼえて「おい」と言うが、晤京はそれを静かに制止した。



「龍兵、お前の心情は察する。武器の扱いに関しても渡世のイロハに関しても、秋典の教育をしたのはお前だ。しかしだからこそ、お前の気持ちを直接聞きたい」


「……申し訳ありません」



 龍兵は深く頭を下げると、緑色の瞳で晤京をまっすぐ見た。



「俺も、兄貴たちと同じ気持ちです。秋典は本当に可愛いやつでした。若衆の中でも飛び抜けて将来が有望で、任侠の世界をよく理解していた。何の罪もない若者の未来を潰した下衆を許してはおけません。(おとこ)荒若龍兵、獅子神雷皇の(タマ)を必ずやとり、秋典を弔います」


「うむ。ありがとう。では実春、鶫、龍兵、お前たちに件の実行犯獅子神雷皇(シシガミ ライオウ)の殺害を命じる。その他刃向かう構成員に関しては再起不能にとどめ、我らの恐ろしさを西の者共に知らしめろ!! 」



 晤京の命令に対し、吶喊の雄叫びともとれる返事が会長室に響いた。



「私は仁義の下に、黄金錦へ報復宣言の手紙を送ろう。獅子神個人の犯行の可能性も考え、彼1人の殺害で手を引く予定だが、相手の返事次第では本部への攻撃、及び組長の殺害も視野に入れている。そうなれば全面戦争は避けることは叶わぬ。皆に伝え、心せよ」



 再び返事を吠える3人。

 その瞬間、報復の火蓋が切って落とされた。

 極道は元来面子(めんつ)が命。落ち度もない構成員を予告なく殺されたとあらば、それは組織に対する真っ向からの“舐め”であり、戦争を仕掛ける理由としては十分。

 故に万套会は、実行犯の首を取るまで決して止まらないだろう。




 しかしその一方で、報復の的となる黄金錦にも、同じく復讐の風が吹いていた。

 鎧銭の西側、蒼鏑(あかぶら)町という花街の奥の奥に佇む、豪勢な日本家屋。黒と金の立派な門に掲げられた「黄金錦」の文字は、その字面と装飾の金だけで果てしない威圧感を醸し出す。

 その母屋の中心に位置する組長室。奥の壁に堂々描かれた大門を背に座る男の手には、開かれた一通の手紙があった。



「ほうか。燈一郎は死んだか……」



 青と緑のショートカット、長い前髪の間から覗く緑青のような瞳の片方は物悲しげに手紙を見つめ、もう片方はガーゼの眼帯で覆われ隠されている。

 組長室の中心に腰をかけ、肩掛けの和装のどこにも見当たらない大門。これらが意味するは、この眼帯の男が、西部一の勢力を誇る武闘派組織、黄金錦組の現組長黄金錦宵一(コガネニシキ ヨイチ)であるということ。



「輝原の兄貴から速達で届きましたんで、おそらく昨日か一昨日あたりのことや思われます」


「せやろなァ。殴り書きやし日付も書いてへんし、相当頭にきとるでコレ。ま、俺もやけど」



 宵一は手紙をたたむと、深い空色の髪をひとつ縛りにした細身の男、塩沢に渡した。

 そして灰皿にかけておいた長い煙管(きせる)を持つと、吸い口から煙を吸い吐き出し、椅子に背をもたれて傾げた頭を左手で支えた。



「ヤクの件で疑いが立って、面倒ごとにしたない思てわざわざ使者送って穏便に済ませたっちゅうんになァ。燈一郎(アイツ)ァ良い意味でも悪い意味でも堅実やったから、勝ち目のない喧嘩はふっかけたりァせぇへんと思うんやがなァ……」



 ガンッッと、勢いよく灰皿に叩きつけられた煙管。

 その轟音と唐突さに塩沢は驚き、ビクッと肩を揺らしてこめかみに冷や汗を流した。



「東条瑞樹……やっけ。殺せ言うといてくれや、速達でな。もしアッチが報復に出るっちゅうんなら、コッチも大歓迎で応戦させてもらいましょ。どうなったって、仁義は黄金錦組(ウチ)にあるわけやしのォ」



 その声色は妖しくも聡明で、かつ非常に落ち着いていた。

 しかしその奥底には、怒りで煮える臓物の慟哭が揺れる火煙のように、ゆらゆらと激っている。

 塩沢はえも言えぬ威圧感に肺を圧迫されつつも、息を呑んで声を絞り出した。



「……承知しました。カシラにもご報告いたしますか? 今のところ、アウローラから出たいう知らせは届いてません」


「せやな、頼むわ。俺もお相手さんに報復宣言の手紙送らんと」


「承知しました」



 塩沢は一礼すると、静かに組長室を出ていった。

 部屋で1人になったのち、宵一は灰皿へ打ち落としたタバコの屑を指で摘み取る。

 まだ熱の逃げていない屑をこすり合わせると、指の皮がジュウと焼けて薄い煙が立った。



「味落ちたのォ。あのドラ息子じゃァ足元にも及ばへん。ほんま、永田の爺さんが恋しいわ」



 宵一は火皿に新しいタバコの葉を丸めて詰めて、卓上のランプで火をつけ吸って吐く。

 背もたれに首を預けて天を仰ぎ、自身が吐き出した煙の揺れ消える様を眺めて呟いた。



「仲良かったんやってなァ爺さんと。ガキの頃に面倒見てもろたんやろ、なァ燈一郎ォ」



 再び吸い、吐く。



「……若いのォ……あかんでほんま……」



 悲哀と落胆に満ちたため息とは裏腹に、煙管を握る右手には深い青筋が浮かび上がっていた。








 翌日から鎧銭東部では、万套会による情報収集が密かに行われていた。

 藤原の仇となる獅子神雷皇を見つけ、その首を取るために、組を上げた大捜索は日夜続いた。



「西部には成部の兄貴たちが向かったが、東部でも目撃情報は出てンだ。しらみ潰しにやりゃ尻尾は必ず掴める」


「夏空の兄貴、後堂(ごどう)町の菓子屋でも4日前に目撃情報が出てます」



 そう言いながら、龍兵は鉛筆片手に目撃情報の出た場所をマークしていく。

 極道の情報網と人材を最大限に駆使し、たった3日で集めた数百の目撃情報。

 黒い天が散らばる地図を前に、夏空は腕を組んで睨みつけた。

 常夜泉町を中心に点在する黒点の群れは、獅子神たちが定期的に隠れ家を変えていることを表す。

 いくつかつけた目星には、既に通信機を持たせた若衆を向かわせた。


 半径3キロの結界内でのみ効力を発揮する通信機は、術と魔力によって遠くへ情報を伝達することができる。

 受信機たるランプ型水晶の光り具合という乏しい情報ではあるが、この世界においては最先端かつ非常に高価な代物。まさしく万套会の財力と人材力がなせる強行である。

 目星の町中に受信部をいくつも設置し、それらの情報を受け取る受信部を数箇所設置し、さらにそれらの情報全てをまとめるハブとなるのが、現在龍兵たちがいる受信本部。

 枝分かれの先端には約数十人の捜索員が1人1人繋がり、町の様子をネズミ1匹逃さぬ眼で監視を続けている。

 龍兵、夏空共々が横一列に並んだランプ型の水晶に関しの目を光らせていた時、引き戸が開いて紙袋を抱えた舎弟が1人入ってきた。



「兄貴、夕飯買ってきましたよ」


「おお、気が利くじゃねぇか」



 机の上に笹に巻かれた握り飯や瓶に入った冷茶を置く舎弟の姿に、龍兵は疑惑の視線を送る。



「お客の茶菓子に気付かず手ェ出すお前が、どういう風の吹き回しだ? 」


「う……へへ、やっぱ荒若の兄貴には隠し事できねぇっすわ……。実は、東条の兄貴の無理メシから逃げてきまして……」



 その話を聞いた瞬間、龍兵の疑惑の眼差しが同情の眼差しに変わった。



「よく逃げ切れたなお前」


「兄貴たちに使い頼まれてるって言ってなんとか。でも明らかに不機嫌だったんで、次会うのが怖いっす……」



 舎弟は肩身を縮こませて、チワワのようにフルフルと震える。

 無理メシの被害を誰よりも多く長く受けている龍兵には、その気持ちが痛いほどわかる。



「ンなに怖いもんかね、成部の兄さんに比べりゃ可愛いもんだろ」


「それは夏空の兄貴が世渡り上手だからっすよ。俺らなんかは埃一つでも立てりゃ、頭蓋骨が陥没するくらいにキョーレツな指突きが飛んでくるんですから。ねぇ兄貴」


「マジであの人と東条の兄貴とを比べんでください。成部の兄貴にあるのは愛の鞭じゃない、狂気に近い何かです」


「お前ェら……兄さんたちがいねェからって好き勝手言いやがってよォ」



 突如始まった兄貴分の愚痴大会に呆れ気味の夏空は、「やれやれ」と言った調子でため息をつき、握り飯をひとつとってかじった。




 その頃、やっと捕まえた舎弟に飯の誘いを断られた東条は、少しばかりめかし込んだベルを連れて飯屋街を歩いていた。

 会長夫妻と組員数名が直系組織の幹部連中と食事会とのことだが、留守番係の組員は皆料理がからっきしであった。

 そのため、ベルも食事会に同行する予定だったのだが、極道の食事会は話も物騒なものが多く、子供には向かない。

 しかし保護者たる龍兵は任務についており、ちょうど飯の同伴を探していた東条が世話を請け負うこととなったのだ。



「こんな状況だからこそ、幹部連中と意思疎通を図っておくとは。さすが俺たちの親っさんだ、とことん抜かりねェ」


「けんか、するの? 」


「そうだな。まあ、相手方が下手に出なきゃすぐに終わるだろうよ。お前さんが心配するこたァひとつもねェ」

 


 そう言って、東条は横を歩くベルの頭を優しく撫でた。

 元々食事会に行こうとしていただけあって、ベルの服装はいつもと違う。

 白い長袖のブラウスにワンピースを着て、ボサボサの髪も綺麗に梳かしてある。

 ヒラヒラのスカートに歩きながら違和感を覚えつつも、久しぶりの外食にソワソワしているようだ。

 そんな彼女の様子を見て、東条は微笑ましげにフッと笑う。



「姐さんに軍資金貰ったし、ちと良いもん食っちまうか」


「いいもん! 」


「おう、ベルちゃん、なんか食いたいもんあるか? 」



 ベルは首を傾げて少し考えると、「すきやき!」と元気いっぱいに答えた。



「すき焼きか、だったら良い店知ってるぜ」



 そう言う東条の後を着いていくと、到着したのは飯処堂前(めしどころどうまえ)の店前。

 「ごめんよ」と東条が引き戸を開けると、咲子と一刻の威勢の良い声が出迎えた。



「お、ベルちゃんじゃねぇの。今日はいつものメンツとは一緒じゃなねぇのかい」


「なんだ、お前ら知り合いだったのか」


「いつもは(あん)ちゃんらと来てくれてたんやよ。ほんと、世間は狭いもんやね」



 席に案内され座ると、2人は壁に貼られた品書を眺めた。



「ここは手頃で美味い上に夜は酒も飲めるからな、若手の頃からよく通ってんのよ。舎弟も結構世話ンなっててさ、龍兵に連れてきてもらったのか? 」


「ん……うん」


「そうかァ。まあなんだっていいか」



 出されたお冷を一口飲み、品書に目線を戻す東条。

 その横顔を見つめるベルは久々の飯処堂前に浮かれを見せつつも、どこか申し訳なさそうな様子であった。

 眼差しに気が付いた東条が「ん? 」と目線を送ると、ベルは静かに目を逸らしてお冷を飲んだ。



「なんだ、奢ってもらって申し訳ねぇとでも思ってんのか」


「ちがう」


「おお……そうはっきり言われると……いっか。ガキが遠慮すんじゃねーの。すき焼きでもトンカツでも好きなもんなんでも頼みな。育ち盛りは食えば食うほどデカくなれるんだぜ」


「みずきは、いっぱい たべたから おおきい? 」


「あー……いや、俺は貧乏だったからな。けど沢山食ってたらきっと今頃はカシラや親っさんよりもデカくなってたぜ」


「ほんと? 」


「本当さ。そしたらみんな喜ぶ」


「みずきは うれしい? 」


「もちろん」



 ベルは再び品書きを眺めると、ピンと立てた人差し指で真っ直ぐに指して、「ぎゅうすきやき! 」と元気よく叫んだ。

 あまりに大きな声で、周りの客や厨房の一刻までもが驚き彼女の方を覗いた。一刻は驚いた表情のまま少し沈黙したのち、ニッと笑い「あいよ! 牛すきひとつな! 」と、これまた大きな声で応えた。

 それを聞いたベルは表情をパアっと明るくして、椅子から垂れ下がった両足を前後に揺らしながら待ちの姿勢をとる。

 向かいの東条も彼女の様子に安堵の表情を浮かべ、自身も料理を注文した。

 


「お待ちどを、牛すき焼き2人前やよ〜」



 少し経って運ばれてきた土鍋いっぱいの牛すき焼き。

 てらてらした黒いタレの上に乗っかった野菜や大きな薄切りの牛肉を前に、ベルは興奮してほっぺたを真っ赤に染めた。

 東条に割ってもらった卵を箸で器用にかき混ぜて、鍋からすくい取った大きな肉を潜らせ、火傷しないようにフーフーしてから頬張ると、肉の旨みやタレの旨み、溶け込んだ野菜の旨みなどが口の中で絡み合い、咀嚼しながら足をバタバタさせた。



「美味いか」


「んまい! 」


「そうかそうか、こっちも美味いぞ。ホレ」



 そう言って差し出された肉のひとかけを、ベルは迷いなくぱくっと頬張った。



「んまい!……けど、これなに? 」


「モツ煮ってんだぜ、俺のお気に入り。梅酒と食うのが美味いんだがよ、カシラたちの前だと女かよって馬鹿にされて肩身が狭いんだわ」


「うめしゅ……? 」


「ああ、お前にゃちと早い話だったな。悪ィ悪ィ」



 箸を持ったまま首を傾げるベルの頭を、東条はワシワシ撫でた。

 机いっぱいの料理がなくなれば、また次の料理が運ばれてくる。思う存分美味しいものを食べることができてベルは心底嬉しいし、その様子を眺めながら向いで食事をする東条も、ベルの食いっぷりは見ていて気持ちが良かった。


 しかし、そんな楽しい様子の2人を店の外で監視する目がひとつ。

 軒先の影で朝っぱらから酔い潰れたろくでなしを(よそお)い店の出入り口へ密かに目を光らせる男は、懐から薄煙の入った小瓶を取り出して蓋を開けた。



「常夜泉町緒下(おりしも)地区、食堂飯処堂前。東条瑞騎と少女が1人食事中。その他組員はおりません、女はおそらくちゃいます」



 男が小声でそう呟くと、小瓶の中で渦巻いていた煙が外へモクモクと飛び出し、ゆっくりと空へ浮かび上がっていった。邪魔者のいない夕暮れの空を人の走る程度の速度で日に透けて浮遊しながら、ゆらゆらとどこかへ真っ直ぐ飛んでいく。

 しばらく浮遊したのち緩やかな坂を描きながら降下すると、ある男の顔近くで空気に溶けた。名は甲賀真都(コウガ マコト)。以前埠頭で賢吾らを襲った黄金錦組の武闘派、獅子神一派の1人である。

 甲賀咥えていたタバコを手に持ち、煙を吐くと「ほうか……ご苦労さん」と呟いて、短くなったタバコを地面へ捨てて踏み消した。



「見つけましたか」



 向かいの壁に寄りかかっていた輝原が、甲賀に問う。



「ああ、常夜泉町の端っこで飯食っとるらしい。しかもほぼ1人やと」


「せやけど、獅子神の兄貴がまだおかえりになってません」


「放っとけ、次いつチャンスが来よるかわからへんのや。それに、なるだけ痛めつけて(タマ)ブッ潰すンじゃ」



 甲賀は懐から新たなタバコを取り出して、マッチで火をつけ、咥える。



「馬鹿がおるとやり辛うてかなわん」



 橙のサングラスをクイと上げ歩き出した甲賀の後を、輝原は何度か振り返り心配そうな顔をしてから、渋々に着いていった。



 そんな事情などはつゆ知らず、日が完全に沈むまで夕飯を堪能していた東条とベルは、辺りがすっかり暗くなった頃、会計を済ませて店を後にした。



「まさか堂前で6桁いくなんてな……宴会でもねぇのに……」


「だいじょうぶ……? 」


「ん、ああ。ちと驚いただけだ。ハァ、しかし……外食は控えるか……」



 どこか元気のない小声で呟く東条に、ベルは首を傾げた。

 外はすでに夜。夕焼けの余韻すらも見えない真っ黒な空は全てが雲で覆われて、月も星も見えない。背後から吹き付ける風も、吐息のように生ぬるく湿っている。

 そんな様子があまりに不気味で、ベルは不意に両手で東条のニッカポッカを掴んだ。



「どうした。怖いか」



 ベルは握る手の力を強めた。



「安心できるんなら握っててもいい……と言いたいところだが、それじゃ歩き辛ェだろ」



 そう言ってしゃがむと、東条は懐から一本のドスを取り出しベルに渡した。

 少し引き抜いてみると、鮮やかな緑に輝く刀身が覗く。



「それ、俺のお護り。渡世のイロハを教えてくれた兄貴からもらったんだ」


「あにき? 」


「ああ。格好良い人だったよ。世の不条理を理解しながら、善人を助け、悪人には容赦しねぇ。ただのガキだった俺に男を叩き込んで、ここまで育ててくれた。だが同時に、恨みも多く買う人だった。見回り中にヒットマンに狙われてよ。ソイツは、そん時に俺を守ってくれたもんだ」



 ベルは刀身をしまい込む。



「もし怖いのが出たら、」


「これで、ぶったぎってころす? 」


「ぶっ……子供がそんなこと言うんじゃねーの! ったく、誰から教わったんだか……」



 そうは言ったものの、自分自身にもいくらか思い当たる節を見つけ、東条は頭を抱えた。



「と、とにかく、ベルちゃんはヒトなんざ殺しちゃいけねぇよ。それは右手で握っときな。もう一方は、ホレ」



 立ち上がり差し伸べられた東条の手を、ベルは一瞬戸惑ってから握った。

 握り返されると、ベルの手の甲のほとんどが東条の手のひらに包まれた。賢吾のようにマメはないがガイアほどは硬くなく、ジュリアーノとは正反対にガサガサしていて、経津主よりも大きい。ベルにとっては、初めて握る手だった。

 否、少しだけ違う。

 同じくらい大きな手に引っ張られたことが、ベルにはあった。



(みずきは、いたくない)



 これだけの身長差で並んで歩いても、見上げることで表情が見える。

 当たり前のようだが、ベルは今、改めてその事実を認識した。

 また空に目をやってみると、先ほどまでおどろおどろしかった雲のカーテンに、ほんの少しだけ温かみを感じた。

 と、その時。

 東条が突然ベルの手をグイと引っ張り、彼女の体を背後へ隠した。

 何が何だかわからないまま、バランスを崩し転倒しそうになるベルの体を左手で支え、手放した右手で空を握り、暗闇を睨みつける。



「み……」


「シッ。大丈夫だから、下がってろ」



 言葉のすぐ後、黒洞洞からゆっくりと近づいてくる2つの足音。

 ベルは東条のニッカポッカを握り寄せ、片目だけでその正体を見た。

 暗闇の中にうっすら光る、紫と橙。

 雲に隠れた月が隙間からスポットライトを垂らすと、それぞれ瞳とサングラスがはっきり現れた

 そしてその人間のうちの1人、橙のサングラスの男の顔を、ベルは知っていた。

 以前賢吾たちと共に訪れた埠頭で出会った男、甲賀真都。



「よくもまァ、のうのうと出歩いとるもんよのォ。罪悪感なんざ微塵もないってか、舐めとンのォ東条瑞樹ィ」


「シマの極道が肩で風切って何が悪い。手前ェらこそよく顔出せたもんだよなァ、うちのモンに手ェ出した分際で」



 表情筋ひとつ動かさずそう言う東条に、輝原は青筋を立てて突っかかる。



「そらこっちの台詞や! 引いたったら尻尾出しやがって、若芽を狙う外道が極道名乗る資格なんざないんじゃボケェ!! 」


「若芽だァ? 先にちょっかいかけてきたのは手前ェらだろうが、ズル賢いゴキブリの駆除は俺らの専門なのよ」


「じゃかァしィ!! 手前ェら頭っからグルっつーんが今、よォ(わか)ったわ……」



 噛み合うようで全くズレた会話の中、甲賀は深呼吸するようにタバコを吸い、ため息をするように煙を吐いた。



「ほな殺させてもらいましょ。どーせ話聞いたって無駄でっしゃろ」



 瞬間、輝原が甲賀の隣から勢いよく飛び出し、硬く握った拳を東条の顔面に叩き込んだ。

 手根が鼻をへし折る寸前に腕をクロスして差し込んだが、怒りに任せた鉄拳の威力は東条の想像を超え、87キロの体躯が耐えきれず吹き飛んだ。

 後方の空き家に激突し、仰向けの体に瓦礫が降り注ぐ。

 崩れた木や藁を押し除け立ち上がると、右腕が青く腫れ上がっていた。



「チッ、容赦がねェ……。ベルちゃん!! 家の影に隠れてな!! 」



 ベルは右往左往してから、言われた通り路地の影に隠れた。

 その様子を、甲賀は流し目で一瞥する。



「安心せェ、お前さんは一切傷つけんよ。けどのォ」



 甲賀は煙を吐くと、懐からクナイを取り出し東条に突進した。



「手前ェは殺す」



 微かな月光にも黒光る刃が自身へ到達する前に、東条は身を捩って回し蹴りを入れたが、甲賀は瞬時に腹へ力を込めて体を引いた。

 空を蹴った足が着地すると同時、握っていた東条の右手から何かが投擲される。

 それは目に見えない空気弾であったが、岩石のように隆起した筋肉から放たれた故の豪速で空気が微かに歪み、それに気がついた甲賀はギリギリで顔を首を傾げて避けた。

 だがしかし、傾げたその瞬間、目に見えない弾丸が弾け飛び、甲賀の耳の軟骨を食いちぎるように抉った。



「ぐっ」



 すかさず後退しながら痛みに耳を抑える甲賀。



「派手な見てくれの割に地味な妖術使いよる、腰抜けが」


「ああもっとも、それで死ぬお前は極道中の笑いもんだな」



 ニヤけ(づら)で啖呵をきる東条に、甲賀は青筋を浮かべる。

 いよいよ開幕した仇討ち合戦。

 だがしかし、この戦場より少し離れた場所でもその火蓋が切られているということを、彼らは知らない。


 同じ夜空、同じ空気、違う街並みの中で相対するのは3人の男。



「見つけたぜ、獅子神雷皇」



 鋭い眼差しでまっすぐ前を見つめる夏空と、その隣で額に青筋を立て、血走った瞳で蒼く光るドスを握る龍兵。

 向かいには、その場に不向きな笑みを浮かべる獅子神が。



「燈一郎の次は俺ってか、血も涙もないなァ(アン)ちゃんら」


「白々しいンだよ!! 男なら矜持持って(タマ)掻っ捌かれろドブ猫がァ!! 」


「龍兵、一旦落ち着け」



 今にも飛び出して斬り掛かりそうな龍兵を、夏空が制止する。



「獅子神、ひとつだけ訊く。どんな返答が来ようがお前を殺すことには変わりねぇが、今後黄金錦の本部を叩くかどうかが変わる。慎重に、だが正直に答えろよ」



 ニヤけた(つら)の獅子神を夏空は涼しい顔つきで見つめる。



「うちの組員の命を狙ったのは、お前の単独か、それとも、組織の共犯か」



 獅子神は一拍を置き、答える。



「共犯に決まっとるやろ。未来ある若(モン)に手ェ出した時点で、やることは決まっとるやろがい」


「……そうかよ」



 瞬間、冷静そのものだった夏空の額に青筋が走る。



「だったら文句ねぇよなァ。手前ェを木っ端微塵にしても」



 それは、怒りに我を忘れかけていた龍兵がたじろぐほどの、恐ろしい憤怒の表情。

 しかし獅子神は依然としてニヤけた顔を崩そうとしない。



「ええでェ、兄さんとバトる予定やあらへんけど、喧嘩ならいくらでも買うたるわ」



 重厚な空気の中に漂う、複雑でズレ合った感情同士のぶつかり合い。

 それが今、2つの異なる場所で巻き起こる。

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異世界転移
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