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第70話「開戦」

「君さ、もしかして異世界人だったりする?」



 その言葉を聞いた瞬間オレの顔は青ざめ、思わず絶句した。脊椎から徐々に感じる寒気に、全身から血の気が引いていくのが嫌でもわかる。

 神の眷族であることが意図せず露呈したことはあれど、異世界の住人であることが原初神やトト以外にバレたことはなかった。

 原初神は創世に(たずさ)わった神であるから異世界との繋がりを知っていてもなんら違和感はないし、そもそもガイア自身が知られても問題ないと言っているから大丈夫。

 トトは書物の神であり、その権能は異世界の書物にも及ぶから管轄する彼にとって情報を得るのは必然のこと。それを知らずにくだらない質問をしたのは俺の責任だが、結果彼はいいヒトだったし良好な関係も築くことができた。

 しかし、今目の前にいる彼はどうか。


 木花之咲耶華宰神コノハナノサクヤハナツカサノカミ、もとい華宰(ゲイサイ)

 花を司る神であることと数々の大ヒット作品を執筆する人気作家であること以外、俺はよく知らない。だが少なくとも原初神ではないし、必然的に異世界との繋がりを得る立場でもないはず。

 ……いや、そもそもなぜ彼は異世界の存在を知っているんだ?

 今までの経験から察するに、皆あの世とこの世や輪廻転生の概念はあれど、この世界と姉妹的に繋がった別の世界があるということは確実視していないはず。



「な、なななな何故そういったけっ結論に至ったのかは存じませんが、少なくとも私はそのような奇異な存在では……」


「けどねぇ。お前もボスになったんだろォ….はき溜めで….」


「金田ァ!!…………ア”」



 思わず口が滑ってしまった。

 これもオタクの(サガ)にて……言ってる場合かっ!!!



「あはは、そんな難しい顔しないで。なにも捕まえて解剖しようってんじゃないからさ」


「え、えっと……」


「まあ、理解できなくて普通だよね。簡単に言うと僕は以前、ある人物の手を借りて生死を境に繋がったこことは別の次元世界の文化に触れた。だから僕は、そのいわゆる異世界というものの存在を完璧に認識して、認知している」



 そうだろう。でないと先ほどのやりとりは説明がつかない。



「ある人物って……もしかして、原初神?」


「いいや。けど、君もよく知っているはずだ」



 そう言う彼は俺の左胸、トトの眼鏡を薄めた瞳で見つめていた。



「ミフターフの砂嵐が収まってすぐ、彼から手紙が届いたんだ。笠井賢吾、内容のほとんどは君に関することだった。いつもより走り書きに近い筆跡でね、文字数もずっと多かった」


「トトが?」


「ああ。『無垢でありながら世の不条理を知っていて、それでも純真のままに人助けをし、そのためには自分自身を危険に晒すことも厭わない』だって、彼お世辞を言うタイプじゃないし、文字を見れば正真正銘の本心だってことはすぐにわかった。メルクリウス神は別として、膨大な秘密を保持しているという境遇から、彼と真の意味で対等に話すことのできる者は数えられるほどしかいないからね。よっぽど嬉しかったんだろうさ」



 トトがそんなことを。どこかで聞いた言い回しじゃないか。

 彼の気持ちは理解していたつもりだったが、改めて言われると込み上げてくるものがある。

 だが、ここは涙を流す場面じゃない。



「そっか。ありがとうございます、伝えてくれて」


「どういたしまして」



 華宰はニコッと笑って見せた。

 風にそよ花のように優しくも、地面に根を張る逞しさも裏に隠した余裕のある笑顔。



「じゃあ、本題なんだけどね」



 伸ばした目尻を途端に真顔に戻し、彼が切り出す。



「そんな異世界人である君にちょっとした頼み事があるんだけど、いいかい?」


「頼み事ですか?」


「君にしてみれば簡単なことさ。多分。ちょっとついてきて」



 そう言い立ち上がった華宰は、枝垂れ桜の裏へ回った。

 不思議に思って覗き込んでみると、巨大な桜の樹の根元に地下室の入り口のような小さな木製の丸い扉があった。

 華宰はそれを引っ張って開けて中へと飛び降り、右手だけを穴から覗かせて「おいで」と言って手招きをする。

 俺は少々驚きつつ、言われるがまま華宰に続いて穴の中へ飛び込んだ。



「ここって……」


「僕の書斎兼仕事部屋兼寝室。段差あるでしょ、そこで靴脱いで」



 温かみのある木製の壁に柔らかい畳。

 簡素な作りに見えるが案外丈夫で、地面の中であるにもかかわらず土臭さや湿気は感じられず、春先の晴天のような優しい暖かさだ。



「良いとこだろ。僕、この樹と同時にここで生まれたから、落ち着くんだよね」



 傍には多くの本棚が立ち並び、それらはいくつもの蔵書がぎっしりと詰め込まれたものや、トロフィーや盾、写真やその他雑貨が所狭しと並べられているものなどが入り乱れている。

 ひとことで言うならば、大正の小説家が住まう和洋折衷の家のようだ。

 「こっちこっち」と手招きをする華宰に連れられ来た最奥には、背の低い机が置いてあった。

 机上には鉛筆や万年筆や筆などが乱雑に突っ込まれたペン立てや、いくつかの本と参考資料と思しき大きな本。

 定規やコンパスのような道具、草稿の残骸と思われる丸められた紙屑と、木の板に染みついた黒いインクなどもあり、まさしく漫画なんかでよく見る作家の机そのものだ。

 華宰は座布団を俺の前に持ってきて「どうぞ」と言う。

 「失礼します」と座ると、彼は机の上に散らばったものを全て奥へ雑に押し除け、右側の引き出しを開けて古びた冊子を取り出した。

 羊皮紙がさらに黄ばみ、ところどころにシミや破れ目のようなものがある、相当古そうな冊子を机の上で広げる。

 その中身は、手書きの簡素な楽譜であった。

 楽譜自体は珍しいものではないが、驚くべきはその音階の表記法と書かれた歌詞と思しきものが、前の世界で見慣れた表記法と文字であったこと。



「歌……ですよねこれ」


「イグザクトリー」


「思いっきり異世界のですけど、なんでこんなとこに……」


「僕、この歌すごく気に入っちゃってさ。書庫でトト神の目をどうにか盗んで書き写したんだ。本当はこういうのダメなんだけどね」


「ええ……」


「バレなきゃイカサマじゃあないんだぜ。でさ、君このニホンゴ……だっけ。話せる?」


「あ、はい。一応母語なんで」


「素晴らしいっ」



 上機嫌で華宰は俺の背中を叩いた。



「頼みってのはそれでさ、ここに書いてある歌詞を教えて欲しいんだ」


「歌詞ですか?普通にミームとか知ってたし、意味分かってんじゃないんですか?」


「意味はね。けど発音がわからないんだよ。読むのに夢中で教わりそびれちゃったからさ」



 発音も変わらないのに気に入ったとか言ってんのかよこのヒト。

 ずいぶんと器用な……。



「ね、お願いだよ。サインにイラストもつけてあげるからさ」


「え!?マジですか!?イラスト描いてくれるんですか!?」


「もちろん。目の前で書き下ろしてあげるよ」


「本当ですか!?で、できれば俺はネビュラバスターのマチカを……いや、やっぱりカテリーナが良いかな……」


「なんでも良いよ。なんだったら2人とも描いてあげる。だからさ、ね?お願いだよ」


 

 手を合わせて懇願する華宰。

 ここまで豪華な条件を提示されて、断る理由があるだろうか。いや、ない。

 俺は華宰の手を力強く握った。



「もちろんです先生!!俺にできることがあればなんなりと!!」

 

「あ、うん。だから、歌詞の読み方を教えて欲しいんだけど」


「お安いご用です!!どれから行きます?これですか?これから教えましょうか?」


「ちょ、ちょっと待って。メモとってくるから」



 慌てて立ち上がる華宰。

 メモを探して引き出しを漁る彼の背中を、俺は輝かしい眼差しで見守りながら待った。




 その後、俺は地下室にこもって華宰へ歌詞の発音を教えた。

 傍に置かれた小さめの箏のような楽器は西洋音階を用いて作られており、12本の弦で歌の音を再現しながらひとつずつ教えていった。



『うらぎーりのーことーばにー』


『うるぁぎぃいのぉこつぉばいぃ』


「もっと母音を意識する感じで、n(エヌ)の音をもうちょっと強く」


『うらぎぃりのぉことぅぉばにぃ』


「お、良いじゃないですか。その調子その調子」

『こきょうをーはなれてー』


『こきぅをーはなうぇとぅぇえ』


r(アール)じゃなくてl(エル)ですねそこ。た行も危ういな……」



 華宰はお手本で歌ってみせる俺の声を聞き取って、楽譜やメモ帳の中に発音のコツを事細かに書き込んでいく。

 人にものを教えるということ自体が慣れないので探り探りだったが、彼があんまり真剣にやるものだから、俺も途中からガチになって某元テニス選手のような熱量で指導していた。

 華宰は要領がめっぽう良いようで、発音のコツを会得することに苦労はすれど、大まかな音を掴むことは非常に上手だった。



「上手いですね先生。半年くらい頑張れば普通に会話できそう」


「やだな。そんなこと言ったって何も出ないよ」


「本当ですって。単語自体の意味は理解してるし、発音さえある程度覚えれば俺と大差なくなると思いますよ」


「う〜ん、そんなに言うなら僕もバイリンガルになっちゃおうかな。世界が違うけど」



 俺にべた褒めされ、華宰は満更でもなさ気に茶を飲む。



「言語をイチから覚えるって、なかなか不思議な感覚だな。トト神の図書館にいた頃はもうちょっとスムーズに頭に入ったんだけど、やっぱり歳かね」



 その見た目で歳とか言わないで欲しい。

 言語をイチから覚えることが不思議というのは、俺にはあまり馴染みのない感覚だ。

 前の世界では義務教育を受けていたわけだから、もちろん英語教育の過程を踏んでいる。時代が時代なもので、俺の頃には小学校3年生からALTの先生の受け持つ授業が時々あった。

 自分にとって未知の言語が、非常に身近にあったのだ。

 この世界では、先人がバベルの塔を作らなかったのだろう。どこの国に行ってもそのままの言葉で伝わるのは便利であるが、いわゆる"言語の違いによる微妙なニュアンスの差"がないのは、物語好きの俺としてはいささか悲しい部分だ。



「いた頃って、結構長く滞在してたんですか?」


「そうだね。だいたい400年いかないくらいかな」


「400年!?!?え、でも先生花の神ってことは咲耶姫(サクヤヒメ)の後継ですよね。そんな長い間鎧銭と凱藍から離れてて良かったんですか?」



 咲耶姫こと木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)は、かつて一つの国であった鎧銭と凱藍を納めた花神。

 彼女が500年前の毒災でその身を賭して鎧銭と凱藍全土に巨大な結界を張ったこと、この咲耶島が結界の中枢であること、そして華宰が花の神であることから考えれば、彼が咲耶姫の後継者であるということは想像に難くない。



「この島における僕の役目は、僕自身が勝手に言い出したことだからね。咲耶姫の結界は強力かつ精巧だから、僕がこの島にいようがいまいが効果は変わらないし。もし誰かが壊そうと目論んでも、紅嬋姫と河伯の妖術で厳重に守られているから、手出しなんてできやしないさ」



 そう言う彼の顔は、張り付いた笑顔の奥にうっすら哀愁があるように見えた。



「本来は僕の仕事なんだろうけどねぇ。僕、あの2人に神だと思われてないから」



 神だと思われてない?

 意図を読みかねる言い回しだ。



「友人とか、家族として見られてるってことですか?」


「いいや全然。まんまの意味だよ」



 華宰は天井を見上げる。



「500年前の毒災と、この島の結界のことは知っているね」


「はい、ある程度は」


「僕らのちょうど真上、御國桜の幹の中心には、咲耶姫の肉体が当時の美貌を保ったままで、今でも眠っている」



 そう言われ、俺も天井を見上げた。

 組み木の間から樹の底がチラチラ見える簡素な作りだが、土や虫は一つも降ってこない。



「半年に一回くらいかな、交互に会いに来るんだよ。その度に彼女の様子を確認しては、安堵して帰っていく」


「確認って、何の確認です?」


「咲耶姫が生きているか否かの確認だよ」


「え、でもそれって……」



 後継たる華宰が生まれているという時点でそれは、



「うん。でも、2人とも頑固さんだから」



 華宰は湯呑みを回して、そこに溜まった茶葉のかすを湯に浮かす。



「眷族のいない神が死ぬと、権能を受け継いだ者が新たな生命として天に生み落とされる。その道理を無視してでも否定し続けたいほどに、2人にとっての咲耶姫は大きかったんだよきっと。その証拠に、今も思想の解釈違いでいがみ合ってるからね」



 長寿を生きる神のくせに子供くさい……とも言えないな。

 ある日目の前にトトの権能も役割も受け継いだ知らない奴が現れても、すんなり受け入れられる自信がない。

 たった半年の付き合いだった俺がこうなんだ、親子ともなれば、ましてや寿命の長い神ならばどれほど……。



「まー僕も生まれたてほやほだったしぃ?2人の態度がなーんか気に食わなかったから、ちょーっと長めの家出をしたってわけ」


「家出って、ここからミフターフまではそんな簡単な規模じゃ……」


「トト神にくっついてったのよ。ここ巨大結界の中心だから、魔素性の磁場が発生しちゃって付近の死した魂が引き寄せられちゃうことがあってさ、それを回収しに来たのにたまたま出会(でくわ)して」



 そういえば、現世に彷徨(さまよ)う魂を冥府へ連れ帰るってメルクリウス神の役目を引き継いだって言ってたな。



「彼ああ見えて優しいからさ、しつこく頼み込んだらしばらくいて良いって言ってくれたし、こっそり禁書庫に侵入して漫画読んでも許してくれたし」


「それ許したっつーか、あんたが子供だから仕方なくお咎めなしにしてくれたんじゃ……」


「僕もそう思う。大神でもちびっこの可愛さには敵わないってことだね。あ、擦り寄ったら文字も教えてくれたんだよ」


「小賢しい....!!」


「利口と言ってほしいね」



 この神、ムーブが完全に転生してきた奴なのよ。


 色々話してわかったのは、この華宰という男は俺の想像よりもはるかに前の世界について詳しいということ。

 彼がいうには図書館に居候した400年間のほとんどを書物を読んで過ごし、その大半は異世界の書物であったそうで、今まで執筆してきた物語の多くは異世界の物語を参考にしているんだとか。

 確かに、『ネビュラバスター』もテーマは違えどどことなくマク◯ス味がある。


 いわく、元々この世界の物語はバリエーションが少なく、つい100年前までは勇者と悪の冒険譚か、戦争ものかラブロマンスぐらいしかなかったんだそう。

 たまにはみ出したものがあっても、そのほとんどは童話。

 異世界の壮大で色とりどりな物語を知ってしまった華宰は、このままでは詰まらないと、自身が先駆者になることを決め、そこから様々なジャンルの物語を執筆するようになった。

 

 先駆者が新たな道を指し示せば、他作家の手によって作品のバリエーションに彩りが生まれ、より多くの幅広いジャンルの作品が世に広がり、それを華宰自身が読んで楽しむ。

 それを、この100年間実践し続けて来たのだ。

 なんというSUSTAINABLE、なんという根気強さ。

 


「でもそのまんま真似したんじゃいけない。コピーは自分の力にならないし、だいいち本家への冒涜だ。だから畏怖とリスペクトをもってして換骨奪胎し、その上で確実にヒットさせる。それが僕のポリシーさ」



 なんという強固な志、なんという礼儀正しき姿勢。

 作家の鑑じゃないか。

 そしてなんと、彼は印刷業や製紙業にも首を突っ込んだんだそう。



「大量出版には大量印刷がつきもの、従来のガッタガタな紙じゃインクも移りにくいし、コストも高くつくからね。あと漫画とか活版印刷じゃ無理だから、魔術転写の水晶をいくらか改造して……」



 おもっくそ自慢話なのに何故か鼻につかないのは、きっと内容が自慢の域を超えているからだろう。

 なんで俺より異世界人してんだこのヒト。



「ていうか、いいんですか?異世界の技術をそんな大々的に広めて」


「良いんだよ。もう100年近く経つけど、爆発的な変化は起きなかったしね」



 そういう問題なのか……てかあれ?100年?



「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。100年って、そんなに前にあの形態の漫画なんかないでしょ」



 俺の言葉に華宰は驚いた表情で一拍置き



「もしかして、知らないの?」



 と、眉を顰めて言った。



「はい、まあ……」


「この世界と異世界とじゃ時の過ぎ方が違うんだよ。こっちの方が時間の流れが早いの」


「は、早いってどれくらい……」


「えっとねぇ、こっちに来てどれくらい?」


「ちょうど3年経つくらいです」


「うーん、ならあっちじゃ7ヶ月ちょいしか経ってないんじゃないの?」



 驚いた……というより、衝撃だった。

 今まで苦悩しながら必死で乗り越えて来たこの世界での3年間が、向こうじゃたったの7ヶ月。

 そうか、7ヶ月……7ヶ月か……。


 もしや今戻れば、また何事もなかったかのように暮らせるんじゃないか?


 いや、何言ってるんだ、まだこの世界での目的を果たせていないじゃないか。

 経津主の刀を取り戻して、ベルを家まで送り届けて、そしてガイアの身体を全て集めきる。

 それが終わるまでは帰れない。

 ……というか、現実問題帰れるかどうかすらわからないし……。



「どうしたの?」


「あ、なんでもないです」


「ふーん。……もしかして、元の世界に帰りたいとか思っちゃった?」


「え、なんで……」


「文脈と表情よ」



 華宰は空になった俺の湯呑みに茶を注ぎ、「はい」と手渡した。



「ありがとうございます」


「賢吾くんはさ、こっちの世界は好きじゃない?」


「いや!そんなことは……ないです。そりゃまあ、倫理観とか文明形態とか色々慣れないところはありますけど、住んでる人々はみんな優しい。こんな俺にも優しくしてくれて、友達になってくれて好きになってくれて……正直なところ、すごく楽しいと思っていて……」


「それはダメなことなの?」


「ダメじゃないです。大いにありがたいことで。……ただ、」


「ただ?」

 

「ただ、すごく申し訳なくて」



 俺は受け取った茶を見つめる。

 燻んだ緑の水面に映る瞳の光は薄かった。



「育ててもらった恩を、今まで散々迷惑をかけてきたのに、何も返せていないんです。孝行もせずに勝手に死んで、勝手に異世界で生き返って、こんなに楽しい生活を送って。だから、せめてお別れが言いたかったなって」



 小さい頃、よくしてくれた従兄弟の兄ちゃんが川で死んだ。

 俺はその時、夏休みで兄ちゃん()の近くのおばあちゃん家に遊びに来ていたから、最初は大人たちが何を言っているのかがよくわからなかった。

 昨日まで一緒に遊んでいた人が、次の日にはいなくなってしまった。

 俺はまだ小さかったから受け入れるのに時間がかかって、やっと涙が出たのが棺を火葬場に入れて、食事をしている時だった。

 誰も何もしていないのに激しく首を締められている感じがして、あれだけ大好きだった唐揚げが全く飲み込めない。

 

 その感覚を知っているから、俺を失った母さんたちがどう思っているかが、なんとなくだけど想像がつく。

 俺の死があちらの世界でどう処理されたかはわからない。

 俺はここにいるわけだから、死体は残らなかったのだろうか。

 もしくはガイアか誰かが死体を偽装して、完全な事故死とされているのだろうか。

 後者ならまだいい。真実は本人ではないが、遺体が帰ってきたというだけでも心は安らぐもの。だが、前者ならば……。


 華宰は自分の湯呑みにも茶を注ぎ、空になった急須を盆の上に戻した。



「君は、すごく愛されて育ったんだね」



 俺が「え」と顔を上げると、華宰は微笑んで茶を一口飲む。



「色々あったんでしょ、あっちで。それも喜楽よりも苦労の方が大きそうだ。それなのに、剣と魔法のロマン溢れる嬉しい楽しいこの世界を差し置いて帰りたいと思う。それも理由が親のためと。本心からそう思えているのなら素晴らしいことだよ。ちょっと人間味が薄いけど」


「に、人間味が薄い……」


「ああ、勘違いしないでよ。別に変な意味じゃないから。いい子すぎてちょっと気持ち悪いってことね」



 それを変な意味というのではなかろうか。



「羨ましいねぇ。愛情を直接受け取って育つことができる、僕には無縁の話だ」


「そんなことはないでしょう。先生の作品たくさん読ませてもらってますけど、親子愛とか恋愛の描写がすごく繊細じゃないですか」


「そりゃデータベースよ。まあでも、一概にそうとも言えないのは事実なのかな」



 華宰は木の根が剥き出た天井を見上げる。



「ここにいるとさ、理由もなく時折 心が暖かくなるんだよ。それも僕が落ち込んでいる時ばかり」



 つられて俺も、天井を見上げる。

 

 

「このすぐ上には咲耶姫が眠っているわけで、彼女は愛情深い母親だった。もしかすると天が産み落とした僕のことも、息子のように思ってくれているのかもしれない」



 華宰はそう言うと、静かに目を閉じて茶を一口飲んだ。



「その点から言えば、河伯や紅嬋姫の『姫は生きている』という主張も、あながち間違ってはいないのかもしれないね」



 『姫は生きている』。

 彼の話を聞くと、その言葉に含まれた折り重なった複雑な心情や様々な意味が、少しだけ理解できたような気がした。



「さてと、あれ、もうこんな時間じゃない」


「本当だ。あ、やばい、ジュリアーノが……」


「ずいぶん待たせちゃったね。ちょっと待ってて、今色紙持ってくるから」



 そう言って華宰は箪笥の引き出しを探し始めた。



 数時間ぶりに顔を出した外はすっかり夕方で、少し小走りで皆のところへ向かうと、ジュリアーノが夕焼けをバックに顔を顰めていた。



「遅いですよ先生!ケンゴも!」


「ごめんごめん、つい話が弾んじゃってさ」


「うん、サインはちゃんと描いてあげるからね」



 華宰は机の上に色紙とGペンそして道具箱のようなものを広げて、早速制作に取り掛かった。

 その筆の早いことなんのって、下書きもなしに輪郭へペンを走らせているのに、全くもって狂いがない。

 線画が描き終わると道具箱から絵の具とパレットを取り出し、色つけを始めた。

 ジュリアーノは机に広げられた絵の具たちを興味津々そうにみつめる。



「どうした?」


「いや、この色のチューブ珍しいなと思って。どこで売ってるのかな」


「自分で混ぜて作ったんだよ。僕固有色守りたい派だから」



 口が動いてもその手は止まることを知らず、それから30分ほどで2枚のサイン色紙が完成した。

 さすがは売れっ子漫画家、筆の速さが尋常じゃない。

 ジュリアーノはまだ乾きかけの絵の具に気をつけながら色紙を天に掲げ、高揚気味に裏返った声で華宰へ感謝した。

 俺も色紙を眺めてから頭を下げる。



「こちらこそ、喜んでもらえてよかったよ。ねぇ、今日は遅いさ、ここに泊まって行きなよ」


「ええ、悪いですよそれは」


「いや、今夜は雲の様子が怪しいし、船長も波が荒いっつーこった。出航は明日にすんのが吉だろう」


「崩季ちゃんの言う通り。西側に編集者用の宿舎があるからさ、そこ自由に使ってよ」



 ということで、ご厚意に甘えてその日は咲耶島へ泊まることとなった。

 非常にシンプルな作りの宿舎は大小4つほどの部屋があり、俺たち4人はまとめて一部屋を借り泊まった。客室、台所、便所、風呂、どこへ行っても花の香りが漂っているのに何でか嫌にならないのは、きっと作り物の香りではないからだろう。

 

 夕飯を済ませ、ガイアとジュリアーノが風呂へ行った間に残り2人で食器を洗っていた際、見知らぬ少女を1人見かけた。

 出版関係以外は滅多に人が来ることはないと聞いていたから、てっきり客人は俺たちだけだと思っていたのだが、どうやら先客がいたらしい。

 細長く尖った耳。間違いない、エルフだ。

 長い薄ピンクの髪の毛を低い位置でひとまとめにして、静かに手を動かすその横顔は、意識せずとも横目でチラチラと眺めてしまうほど整った顔立ち。

 エルフは美形が多いって聞いたけど、やっぱり本当なのかな。

 でもなんだろう、この顔なーんか見たのことのある気が……。



「なに」



 皿を全て濯ぎ終え、少女がこちらを見た。



「あいや、な、なんでも……」


「そう」



 怒るわけでも呆れるわけでもなく、ただ淡白な返事を吐いて少女は立ち去っていった。



「見すぎちゃった、変なやつって思われたかな……」


「エルフか、この付近にしちゃ珍しいな」


「珍しい?でも、鎧銭も凱藍も魔族は他の国よりたくさん住んでるだろ?」


「いやホラ、エルフって高潔高尚で手前らの文化とか伝統とか絶対ェ曲げねぇ種族だろ?俗的な鎧銭も、堅苦しい手前ェの法で成り立ってる凱藍も、アイツらの肌にゃ合わんもんだろうに」


「ふーん」



 そう聞けば珍しいこともあるもんだな。

 こういう(たぐい)の質問はジュリアーノに訊くのが1番だ。



「うーん、単純に仕事とかじゃないかな」


「あ、なるほど」


「エルフの社会進出は年々目覚ましいからね、今日日 学校や外交の場なんかでも見かけるよ。学者いわく製紙や印刷の技術が向上したおかげでメディアも発達して、浮世の情報が森の奥にも届きやすくなったかららしいよ。昔は“成人の儀”でもなければ森を出ることなんて滅多になかったのに、時代だよね」



 バリバリ大きな影響ありますやん先生。



「成人の儀ってなに?」


「北の方に住んでるエルフの風習でね、エルフとバレずに1288日、約3年半の間浮世で過ごすという試練があるんだ。この試練を成し遂げることで一人前のエルフとして認められ、婚姻や部族会議への参加、族長への立候補などが許されるようになるってわけ」


「大変なんだな。1288日ってなんの数字?」


「たしか、エルフの英雄が大昔に戦争へ参加した時の連戦記録だった気がする」


「えっぐ。体力も魔力も化け物すぎんだろその英雄」


「大昔のヒトだからね、たぶん少し創作も混じってるよ」


「でも面白いよなそういうの。大昔の英雄を尊敬して、それに準えた試練で前節を受け継ぐ。ロマンだなぁ〜」


「でしょ?本題には少し逸れるけど、もっと面白い話もあるよ」


「え、聞きたい聞きたい」



 俺が若干身を乗り出すとジュリアーノも少しニヤついて、2人の会話を隠すように肩を寄せる。



「エルフは元来清純を重んじる種族でね、不倫や重婚はもってのほか、恋愛の無い間柄の結婚も部族が決して許さないんだ」


「マジ?恋愛とか1番俗的なモンじゃないのか?」


「恋心は運命を共にするべき相手を見極めるための感情って解釈らしいよ。浮気の類は許されないし、離婚もいい顔はされないけどね。だから慎重に精査しないと」


「まあ、心が未成熟なまま勢いで結婚して後で後悔するよかマシか」


「て言ってもエルフは感受性が強くて、向ける愛情も一方に強くある傾向にあるから、不倫も重婚も離婚も圧倒的に少ないらしいんだ。浮気したら怖いよたぶん」



 うちはかよ。



「それを防止……ってほどでもないんだけど、エルフのカップルや夫婦が初夜に行うこととして、ちょっと珍しいものがあってね。なんだと思う?」


「初夜に?えっと……魔術で手入らずを確認する……とか?」


「違うんだな〜。正解はね…………男が先にヴァージンを捧げるの」


「…………は?」



 ちょっと理解が追いつかない。

 あれか?同人誌の話か?



「珍しいでしょ?代償を捧げることで永遠の愛を誓うんだって」


「いや、いやいやいやいや、さ、捧げるって、え?だ、え、男女の話だろ?無いじゃん」


「生やすんだよ。魔術で」


「エ゙ッッッッ!?!?!?はや、生やせるの!?!?!?」


「作ったばかりのものは生殖機能がないからね。メジャーな避妊法でもあるじゃない、親御さんから教わらなかったの?」


「知らねぇよそんなもん!!!サメかよ!!!」



 いや、よく考えりゃゴムとか無いんだよなこの世界。

 科学の代わりに魔術が発達してればそういうこともあるのか?にしたって避妊薬とかだろ普通……副作用の問題とか…………??



「そういう文化事情もあってか、エルフはロードを抜いた、世界で最も異種族婚の少ない種族とされているね」


「だろうな……なんかもう、それ聞いただけでイメージがだいぶ変わっちゃった……」


「うん。でも、全体を通して一途で献身的なのも特徴だよ」


「それでもなぁ……うう、さっきの子思い出しただけでケツに変な力が入る……」



 可愛い子だったのになぁ。

 凛としていて、少しツンな感じだけど嫌な態度は取らない。あんな子が…………いや、よそう。

 そもそも、俺にはルジカがいるじゃないか。

 わざわざ考える意味がない。うん、もうやめよう。


 その後すぐ風呂に入り、俺は床に着いた。

 ルジカといえば、手紙が読みたい。

 もうとっくに届いてるよな。一応諸々の事情で返信が遅くなるとは言ってあるけど、それでも少し申し訳ない。

 帰ったら真っ先にギルドへ行って受け取ろう。今後の糧にもなるしな。




――その頃、鎧銭・亜空間 万套会本部――




 夜も昼もない亜空間の中、母屋でも一際暗い床間で、布団に潜るベルに東条が本を読み聞かせ、眠気を誘っていた。

 真っ赤な瞳がやっとうとうとしてきた頃、背後の襖が勢いよく開き、舎弟の1人が「兄貴!!」と叫んだ。



「大声出すんじゃねぇよ、寝かしつけてんのがわかんねぇのかア゙ア゙?」


「す、すんません!しかし、緊急でして」


「なら早く言え」



 舎弟は唾を飲み、はやる鼓動に一拍置いて口を開いた。



「藤原が、死にました」



 一瞬、その場の空気が固まった。

 東条は見向きもせず、静かに本を閉じた。



「確かか」


「はい、常夜泉町の外れの路地でホトケが上がって、今、荒若の兄貴たちが調べています」



 ベルは状況が読めず、双方の顔を交互に見る。

 俯いたままの東条は畳へ本を置くと、ゆっくりと立ち上がった。



「ごめんなベル。急用ができちまったから、今日は本はなしだ。また明日な」



 精一杯の優しい声色。

 しかしその奥には、隠しきれぬ確かな怒気が顔を出していた。


 一方、常夜泉町の外れで藤原の遺体と周辺を龍兵ら3人が見識する。

 木村はしゃがんで遺体を見つめ、外傷と死因を調べる。



「感電による火傷、まず魔術にゃ間違いねぇな」


「魔力の痕が残ってらァ、若集狙うわ馬鹿な奴やでホンマ」


「誰のもんか見当つくか」


「ああ。この前、東条の兄貴におんなじモンがこびり付いとった。間違いないで」



 吉松は立ち上がり、藤原の遺体を見つめながら呟く。



獅子神雷皇(シシガミ ライオウ)……」


「先月親父を襲撃したっつー黄金錦組か。舐めたことしてくれるじゃねぇか……」



 龍兵の額に深い青筋が浮かぶ。

 『万套会の組員が、他組織の人間に殺された』

 それはつまり、抗争の開戦を意味する。

 ヤクザの戦争は仁義と面子のぶつかり合い。宣戦布告も無く組員を殺された万套会は、完全なる正規の立場。

 故に、売られた喧嘩にドスを抜かない選択はどはなかった。





 だがしかし、それは敵となるはずの黄金錦組も同じであった。



「燈一郎……」



 路地で立ち尽くす獅子神の眼前に転がるは、舎弟赤塚の亡骸。

 腹部が爆散し、胴が泣き別れ、辺りの地面や壁には目も覆いたくなるような血痕が広がっている。

 閉鎖的な小道に、血と臓物の生ぬるい悪臭が漂う。



「爆弾にしちゃ焦げの跡が見えへん。肉片の飛び散り方から見りゃ、内側からの圧力なのは確実じゃがのォ」


「俺ァよぉく知っとるで。着弾と同時に爆発する空気弾、鎧銭人だからこそ言い訳のでけへん、お天道様からの授かりもんや」



 獅子神の額に青筋が浮かび、握る拳に力が入る。



東条瑞騎(トウジョウ ミズキ)ィ……えらいやんちゃしてくれンでホンマ。ウチの可愛い可愛い燈一郎をよォ……」



 前を見たその瞳は、獲物を噛み殺す寸前の獅子の如く獰猛で、激しい憤怒に満ちていた。



「星二、本部に手紙送っとけ。全面戦争じゃァ、東条は必ず喰い殺したる。指示した奴がおるなら、ソイツも殺す」



 寂寞とした夜の帷に、複雑に繋がった2つの事件が起きた。

 互いが互いを睨み合い、敵視し、牙を向くこの現状。必然的に仇討ちの戦争は起こる。それが果たして真に仇討ちとなるか否か、頭に血が上った極道衆にはそれを選別し得る思考回路など、とっくのとうに焼き切れている。

 今はただ、家族を殺された仇を取る。どす黒く燃える怨みの炎だけが、瞳の奥で酷く騒ぎ立てていた。

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異世界転移
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華宰はその歌を一人で歌うつもりなんでしょうか……。 もしかして、エルフが高音パートを歌うために控えていたのでしょうか? それにしても、賢吾はどうして歌い回しまで知っているのでしょうか。 そして元の世界…
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