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第61話「恋情、ゆえに拈華微笑」

「なに緊張してんだボウズ。やましいことでもあんのか、ああ?」



 そう言いながらゆっくりと振り返る成部の額には、深い青筋が刻まれていた。

 彼の目を見た瞬間、心臓の鼓動がかつてないほどに早まる。

 怪しまれた、どうする、どうすれば良い、なんて言えば良い。

 そうだ、言い訳、言い訳だ、とりあえず言い訳を。

 弁解しようと口を開いたその時。



「ちょっと、見てわかんないンすか」



 ルジカを強く抱き寄せる俺を見て、天パが呆れたような口調で言った。

 


「初々しいじゃないすか、ンな若けぇモンに因縁吹っかけんでくださいよ」


「違うな。このガキ、俺を怖がってやがる」



 眼鏡越しに俺の目を(にら)む成部の瞳は、研ぎ澄まされた黒曜石のように鋭い。

 頭のてっぺんから指の先まで意識しないと、恐怖で気絶してしまいそうだ。

 なおも引き下がらない成部に、天パは大きくため息を吐いた。



「そりゃ、兄さんみてぇなのがあんな睨み効かせて歩ってたら誰だってビビりますよ。行きますよほら、まだ仕事あるんすから」



 天パに説得され、渋々に離れていく成部。

 俺は鼓動を抑えながら、彼らが見えなくなるまでその様子を横目に眺めていた。

 成部実春(ナルベ サネハル)、なんて男だ。

 あの雑踏の中からピンポイントに俺を……。

 威圧感だけで言えば巨海よりも上、やはり幹部クラスは洒落にならない。

 龍兵さんたちがいかに接しやすかったかわかるな……。

 そんなことを考えながら胸を撫で下ろしたのも束の間。

 ふと(うつむ)いた瞬間、俺の胸元に無理矢理 顔をうずませられたルジカに気がつき、俺は慌てて彼女を離した。



「ごっごごごごごごめん!!」



 すぐに引き剥がしたけれど、俺の服の胸元には薄い白粉(おしろい)と赤い口紅の跡がついていた。

 だが服なんかどうだっていい、問題はルジカの顔だ。

 俺の服は前開きで、着用時にそこを金属フックで止めている。

 普段は布に隠れているが、最近止め糸が緩んできたせいで鋭い先端が時折顔を見せるのだ。

 あれだけ強めに抱きしめてしまったから、もしかすると剥き出しになって、この子の顔に触れたかも知れない。

 女子に顔の傷は大問題だ。

 ルジカは肩を小さく震わせて俯いたまま。


 

 「大丈夫?怪我はない?金属とか当たらなかった?顔見せて?」



 腰をかがめ、俯く彼女の顔を(のぞ)こうとする。

 だが、俺の顔が視界に入るとルジカはすぐに顔を()らしてしまう。

 こういうことはしたくないが、ことがことだ、やむをえん。

 俺はルジカの頬に手をやり、ゆっくりとこちらへ向かせた。



「!」

 

 

 透き通るようなルジカの白い肌が、耳まで真っ赤に染まっていた。

 思えば俺は、怒ったルジカの顔をハッキリと見たことはなかった。

 いつも顔を真っ赤にして下か外方を向いてしまうのが、悪口を言われた女の子が両手で顔を覆って(すす)り泣くあれと似たようなものだと思っていた。

 だからちゃんと見れなかったし、自分から見ようともしなかった。

 でも、違った。

 きっとこの子は、怒ってなんかいない。

 これはいわゆる、

 『照れ』というヤツだ。



「君は……」

 

 

 『いつもより少しだけ表情をよく見る』

 ジュリアーノがくれたアドバイスの本当の意味。

 今やっと、それが理解できた。

 俺は本当に、薄情な人間だ。

 こんなにも素直で一途で純粋な心を、これじゃ(もてあそ)ぶも同じじゃないか。

 この想いには、応える義務がある。



「ルジカ、俺……」



 そう言葉を絞り出した瞬間、今の今まで会場を賑わせていた笛や太鼓の音が、嵐が過ぎ去ったかのように突然止んだ。

 いや、止んだというよりも、目の前の事象に夢中が過ぎて、曲が終盤を迎えたことに気が付いていなかった。

 右往左往に行き交っていた人々の流れが途端に一方向になり、何かに気が付いたルジカが(やぐら)を見た。

 それに釣られて、俺も目線を送る。

 提灯の灯りを反射して煌びやかに輝く大きな櫓と、それに待望の眼差しを向ける人々。

 楽団が楽器を素早く撤収すると、20畳の空間はすっかり空っぽになってしまった。

 不思議に思って時計を見れば、時刻は午後8時間近。

 タイミングは悪いが、姫の舞はルジカの目的の1つ。

 この位置では舞台がよく見えない。



「行こう」

 

 

 俺はルジカを連れて、一点に集まる人混みの中に入っていった。

 まだ余裕のある中で人をかき分けて、ちょうど良さげな位置まで来たその時。

 突然、辺りに霧が立ち込めた。

 三途の河原に漂うような、深く不気味で冷たい霧。

 だがしかし、そんな不安になりそうな状況の中でも、周りの人々の待望は変わらない。

 瞬間、俺の頬を何か小さなものが撫でた。

 同時に舞い落ちるそれを手に取る。



「花……?」



 血を吸ったかと錯覚するほどに深い、真紅の花。

 細い花弁と長い雄蕊(おしべ)のそれは、頭上からどこからともなく降り注いできた。

 その光景はさながら血色の降雪。

 不気味だ。けれど、心の底から見入ってしまうほどに美しい。

 と、その時。

 途端に人々が大きな歓声を上げた。

 驚き彼らの目線の先、櫓の舞台を見た。

 先が見えないほど濃い霧の中に、何者かが立っている。

 2人……いや、3人だ。

 いつの間に、そう思ったのも束の間。

 突然空間を切り裂くような旋風が走り、立ち込める霧と花を一気に蹴散らした。



「!!」



 そして姿を現した影の正体。

 この目にして、思わず息を呑んだ。

 3人の先頭に立つ、紅い少女。

 その姿があまりにも、美しすぎた。



「ほんにウチは、幸せ者やねぇ」



 卵のように白い肌と、人形のごとき繊細に完成された瓜実顔。

 黒い着物の裾から垣間見える長い脚は陶器のような(つや)があり、細い足先までもが滑らかなカーブを描いて、まるで芸術品のよう。

 色付いた唇を震わせ発せられる声は、耳にするだけで心臓もろとも奪われてしまいそうな魔性の魅力がある。



「大好きな祭りで大好きな舞を舞って、熱心な民に囲まれて、こない贅沢を味わえるウチは、一等の幸せ者や」



 見ただけでわかる。

 彼女こそ、この鎧銭を収める神。



「みんなありがとう。恩返しは、この舞でウチの気持ちを受け取ってな」


 

 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の神、涸岸(カレキシノ)嬋漆姫(アデウルシノヒメ)

 通称紅嬋姫(こうせんひめ)だ。

 たちまち巻き起こる声援に、紅嬋は口角を緩やかに上げる。

 光景はまるで大人気アイドルの野外ライブ。

 彼女が細い人差し指を立ててゆっくりと口元に当てると、瞬間熱狂が引いたかのようにあたりは静まり返った。

 紅嬋がアイコンタクトを送ると後方の2人が楽器を取り出し、同時に紅嬋は虚空から一輪の彼岸花を取り出す。

 彼女がそれを人差し指と中指でなぞると、(まばた)きの間に上等な赤と銀の扇子へと変化した。



「すごい……あれも魔術なのか……」


「ううん」()()……?」



 紅嬋が扇子を開くと同時に音楽が鳴り出し、彼女は歌をうたい舞を舞った。

 動きの一つ一つが風に揺れる絹衣(きぬごろも)のようにしなやかで、それは人では到底成し得ないほどの美しき神の御技。

 優雅に空を切る扇子の動きに連動して、毛先の緋色い銀髪が川の水のようにうねる。

 からくりのように完璧に洗練された足(さば)きで床を蹴り、胴を回せば虚空から花弁が舞った。

 足の先端から手の小指まで、怪しく吹き付ける夜風のような(なまめ)かしい動作。

 俺の(つたな)い語彙では言い表せない、足を運んでこの双眸で見なければ感じられない圧倒的な美しさ。

 それこそ、彼女が世界有数の美神と(うた)われる所以(ゆえん)なのだろう。

 

 紅嬋が舞を舞う間、群衆は一言も発することなく、皆彼女一点を見つめて動かなかった。

 (はた)から見れば異様な光景であるが、彼女の容姿と舞の美しさを前にすれば、きっと誰も否定できない。


 見惚れていれば時間が過ぎるのはあっという間で、気が付けば時計は8時半を周り、舞も終わってしまった。

 再び鳴り響く八木節のような笛の音色の余韻に浸りながら、俺とルジカは帰路についた。



「……楽しかったね」


「うん……誘ってくれてありがとう」



 まだ賑やかさの残る石畳を歩きながら、ぎこちない会話をこぼす。

 入口の方まで行くと、同じく帰路についた人々でごった返し、手本のような人詰まりが起きていた。

 最後尾で立ち止まって解消されるのを待つ。

 思うよりも長蛇の詰まりなのか、少し待っても前の頭が進む様子は無い。

 なんでもない時間。

 多くの人々がただ一方に詰めかけ、あたりは騒がしく少し窮屈。

 3日前の食事の席で、ルジカとディファルトが鎧銭を()つと、彼らの口から聞いた。

 あの時は1週間後、ということはあと4日。

 別れるのは2度目であり、だいいち俺たちは旅人だ。

 なにも寂しいことはない。

 目的が終えるまで互いに旅を続ければ、きっとまたどこかで巡り会える。

 俺とガイアは彼女の身体を探して、ジュリアーノは優秀な魔導士を目指して、ベルは親族を見つけ、ディファルトは自身の出生を知るため。

 ルジカは…………あれ。なんだ?

 よく考えてみれば、この子の旅の目的を俺は聞いたことがない。

 単にパーティメンバーとしてディファルトへ同行しているだけなのか、もしくは……。

 俺の右手に何かが微かに触れた。

 何度か触れたのち、少し冷たく俺よりもひとまわり小さな手が、擦り入るように手を握る。

 ルジカは下を向いたまま。

 俺は何も言わず、優しく握り返した。



「……私……」



 ルジカが何かを言いかけ、口を(つぐ)んだ。



「なに?」



 問いかけると、彼女は手を握る力を強める。



「私……まだ、みんなに言えてないことがあるの」


「言えてないこと?」


「うん」


「……今は、言えないこと?」


「……うん」



 ルジカの声は少し沈んでいた。

 それが言えないもどかしさによるものか、別れてしまう名残惜しさによるものか、俺にはわからない。



「でも、いつか言いたい。だから、ケンゴ……」



 ルジカは俺の手を両手でぎゅっと握りしめ、同時に俺の顔をまっすぐ見た。



「アスガルトに来て……!」



 真剣な表情と、絞り出したような声。

 俺は驚き、一瞬固まった。



「アス……ガルト……?」



 アスガルトは確か、アウローラの東北にある最先進の大国。

 武術、魔術、芸術、学問、あらゆる分野において世界最高峰の学院があり、魔術の神オーディンが住まう魔術の聖地。

 ジュリアーノの師であるフィオレッタも、その学院から派遣された優秀な魔導士。

 そして、いつぞやに聞いたルジカの故郷だ。



「ケンゴがアスガルトに来てくれれば、きっと話せる。だから、お願い……」



 ルジカは俺の手を強く握る。

 彼女のこんな顔は、前にも一度だけ見たことがある。

 あれはそう、薄暗い森の中で経津主と出会ったあの日。

 怪我人は多数、ディファルトとジュリアーノが深く負傷し、鋭い眼光の経津主がこちらへ刀を向ける。

 絶体絶命の状況。

 その打開策に、自分が囮としてその場に残ることを俺は選んだ。

 当時俺の不死身を知らなかったルジカは必死に反対したが、俺は断固聞き入れなかった。

 そして俺は、彼女が少しでも安心できるようにと、決して死なないと笑いかけたのだ。

 思えばあの直後だ、ルジカが服や髪の毛に気を使い始めたのは。



「……わかった」



 俺はルジカの手にもう一方の手を添えた。



「必ず行く。けど、鎧銭にはまだ用があるし、このあとはベルの家族を探しに魔界に行かなくちゃならないんだ。時間もすごくかかると思う。だから、」



 俺は彼女に優しく笑いかける。



「少しだけ、待っててくれるかな」



 その言葉を聞き、ルジカの顔に笑みが広がる。

 そして勢いのまま、俺の胴に抱きついた。

 驚き声が出ないでいると、彼女はハッとした顔で「ご、ごめんっ」とすぐに離した。

 また赤くなって俯き、縮こまる。

 そんな彼女を、俺はもう一度抱きしめた。

 今度は故意に、本心から。

 応えるように、ルジカも俺の背中に手を伸ばし、震える手でしっかりと抱きしめた。

 5月の夜はまだ少し肌寒く、風に当たると体が微かに冷える。

 屋台の間を歩いていた時も、からあげをぎこちない様子で食べていた時も、射的で赤っ恥を書いた時も、舞を見ていた時も、夜風が吹いていたから、微かに寒かった。

 けれど今は、全然寒くない。

 布越しに感ぜられるルジカの体温が、心身ともに温めて癒してくれる。

 不思議な感覚だ。

 同じ行為のはずなのに、ガイアとするのとはまた違う。

 恋情というのは、きっとこういうことを言うのだろう。




 会場を後にすると、俺はルジカを宿舎の部屋まで送った。

 扉の前に来てずっと繋いでいた手を離すと、手のひらが外気で冷やされたせいで、なんとも言えない寂しさを感じた。

 扉を開き、自室の玄関に一歩踏み入れたルジカの背中を見送る。

 こちらに向ける視線は今日のことに満足しているようだが、どこか名残惜しそうでもあった。

 こういう時、どうすべきか。

 前の世界で見たドラマや小説を参考にするのもアリかもしれないが、なんてったってここは異世界。無論価値観の違いというものがあるだろう。

 下手な行動は取れない。

 しかしこのまま帰るというのも、男として根性が足りていない気がする。

 無難なのはハグか。いやでもさっきしたし……。



「ケンゴ」



 不意に名を呼ばれて、意識を現実に戻した。

 「なに?」と言おうとしたその時、ルジカが俺の方に手をかける。

 次の刹那、俺の唇に経験したことのない感触が伝わった。

 柔らかく生温かい、けれど全く嫌ではない。

 鼻腔に広がるかすかな汗と(かんば)しい花の匂い。

 瞳に映るのは、青みがかった黒く長いまつ毛。

 数秒後、唇から柔らかさが離されると、まつ毛もゆっくりと視界から離れていく。

 


「おやすみ」



 そう呟くルジカの顔は、正面を向いているはずなのによく見えなかった。

 木と木の擦れる音を立て、慌ただしく閉まる扉。

 彼女が目の前からいなくなった後も、俺はその場に立ち尽くしていた。

 脳が情報の処理を放棄している。

 今ここでなにが起こったのか、全く理解ができなかった。

 ふと、唇を指でなぞる。

 人差し指のはらに、色づいたように薄く紅がついた。

 途端に顔が沸騰し、俺は反射的にその場でしゃがみ込んだ。



「かんっ……べんっ……してくれ……っ」



 生まれて初めての経験。

 今世紀最大の衝撃。

 俺はしばらく立てなかったし、その場から動くことができなかった。





 

「……ただいま」



 自室の扉を開けると、そこには誰もいなかった。

 もう出かけてしまったのだろうか、待っててくれたっていいのに……。

 困ったな、槍はジュリアーノのポーチの亜空間の中だ。

 まあ街中で魔物なんか出ないだろうし、チンピラに出会(でくわ)しても最悪逃げられるし、そのまま行くか。


 裏路地から遠回りして埠頭のそばまで来ると、集合場所の付近に見覚えのある影が4つ。



「あれっケンゴ?なんでいるの?」



 遠目に俺の姿を視認したジュリアーノが、驚いた様子で首を(かし)げる。



「なんでって、来ちゃダメなのか?」


「いや、そうじゃないんだけど……」


「言ってやるなジュリアーノ。このボンクラのことだ、地雷踏んだか何かしちまったんだろ。ここはひとつ、やさーしく慰めてやろうぜ」


「は?地雷?何の話しだ?」



 2人の会話がいまいち理解できない。

 するとジュリアーノの隣にいたガイアが、まるで人生終了寸前の哀れな男を見据えるように眉を(ひそ)め、暗い口調で言う。



「賢吾、ルジカになにか失礼なことしちゃったの?」


「え?失礼なこと?」


「だって、お祭り終わってすぐ帰ってきたんでしょ?」


「そうだけど……それが失礼なこととどう関係があるんだ?」


「えっ」


「は?」



 ガイア、ジュリアーノ、経津主が同時に顔を見合わせる。

 そしてバッとこちらを振り向くと、3人が同時に詰め寄ってきた。



「チョット賢吾!?お祭りでルジカとなにがあったのか、イチからヒャクまで説明しなさいっ!!」


「え、ええ……」



 少し嫌だったけれど、結局気迫に気押されて全て話した。

 口に出すと予想以上に小っ恥ずかしいもんで、話し終えるまで俺は終始赤面気味であった。

 ガイアとジュリアーノも時々顔を赤くしていたが、経津主はずっと険しく眉を顰めたまま。

 ベルはうんうん頷きながら聴いていたけれど、多分ちゃんとは理解していない。

 全ての話しが終えると、途端に3人が地響きのような低いため息を吐く。



「ンにしてんだガキィ……テメェマジでちんこ付いてんのか?」


「んな……!?そこまで言われる所以はないだろ!俺だって色々考えて頑張ったんだって!!」


「そこまでいったンなら連れ込み宿行けや!なんのために4万ルベルも持たせたと思ってんだよこン根性無しが!!」


「ちょっとちょっとお二人さん、待ち伏せ中ってこと忘れないでよね」



 ガイアに諌められて、一旦深呼吸を挟み心を落ち着かせる。



「だ、だってそんなすぐ……だいいち、ルジカはまだ18なんだぞ。成熟しきってない体でその……そうなっちゃったらどうすんだよ……!」


「ならねぇよ。Aランク冒険者の魔導士だぞ。魔術でいくらでも対策できらァ」



 え、そうなの?

 こっちの対策って魔術なの?



「そ、そうかもしれないけど、やっぱそういうことはもっと仲を深めてから……」


「接吻したなら十分だってンだよ。どんだけプラトニックなんだよ、言い訳すんじゃねェよタマ無し」


「う”ぅ……」



 多分、経津主の言うことはもっともなんだと思う。

 恋心と性欲は表裏一体。

 俺だって男だ。もちろんそういう考えが(よぎ)らなかったわけではない。

 ただ、心の奥底に巣食っていた「身体目的だと思われたくない」という感情が、いらん理性でデフェンスをガッチガチに固めてしまった。

 あの場面でジェントルマンを出すのがクールな男というものだと思っていたのだが……。

 どうやらこちらの世界では肉食の意思の方が大事らしい。

 そもそも異世界人かつ恋愛経験のない俺の常識は当てにならないか……。

 俺って恋愛面だととことん雑魚だよな……。



「まあいいじゃない。価値観は人それぞれなんだし、ケンゴ優しいからさ。2人ともまだ若いんだしこれからだよ」


「そうだね。賢吾くん箱入り息子だったからぁ」


「ガイアぁ……!ジュリアーノぉ……!」


「甘やかすんじゃねぇよ……」



 呆れてため息を吐く経津主。

 その隣で「今度は絶対に間違えない」と決意を固める俺であった。


 そんな茶番を何度か挟みつつ、俺たちは積み上げられた木箱に隠れてひたすらに時を待った。

 埠頭は高い塀と生垣に囲まれているので、入り口以外から入り込むのは現実的ではない。

 また生垣の下は砂利なにで、歩くだけでも相当大きな音が鳴るはずだ。


 それからしばらく。

 時計はもう2時を回ったが、一刻(ひととき)どころか人っ一人姿を表さない。




「もう2時半だぜ」


「西の門の方から来ちゃってたりしてぇ」


「西側には行くなって龍兵さんに言われたろ」


「うん。広い埠頭だし、お店から西門はだいぶ遠回りになる。だからたぶん大丈夫だと思うけど……」



 そんな会話をヒソヒソ続けながら待つこと数分。

 突然ガラガラと、鉄柵型の扉を押し開ける音がした。

 見れば、黒洞洞の暗闇の中に夕暮れの星のような淡い光が一点と、その周りに群がる3つの人影が。

 遠くて顔は見えない。

 だが、シルエットから3人共々男だということだけわかる。

 一同、緊張して息を呑む。

 男たちは門を閉めると、木箱の合間を縫って真っ直ぐ船着場へ向かった。

 先頭の男は手ぶらだが、後ろの2人は大きな荷車のようなものを引いている。

 俺たちは彼らに気が付かれないよう、慎重に木箱の裏を進んだ。

 船着場前まで来て恐る恐る顔を出す。

 すると、暗い海の向こうから一点の明かりが船着場へ向かってきた。

 船だ。

 屋形船ほどの小さな船が、船着場に停泊した。

 3人のうちの1人と船長らしき男が会話している。

 そして数分会話すると男たちは船に乗り込み、積荷と思しき木箱を下ろし始めた。



「ここからだとよく見えないね」


「もう少し近づいてみよう」



 息を殺してもう2つ奥の木箱の影へ移動し、顔を覗かせた。

 まだ少し遠いが、目をこらせば人相くらいはなんとかわかる。

 見えた!……!!

 喜びも束の間、そこには信じたくない光景があった。



「一刻さん……」



 確かにある、一刻の姿。

 船から積荷を下ろす様子は、倉庫から米俵を運び出すのとなんら変わらない。

 あまりのショックでそれ以上の言葉が出ない。



「クロか」


「あの一刻さんがそんな……」


「……俺も信じたくないよ」



 だがしかし、現状をこの目にしているというのも事実。

 龍兵さんに報告したら、一刻さんは一体どうなってしまうのだろう。

 龍兵さんは優しくとも(れっき)としたヤクザだ。

 きっとタダではすまない。

 そうなったら咲子ちゃんはどうするんだ。

 頭の中で様々な声が錯綜し、何度も反響する。

 と、その時。



「おおっ!!なんじゃあお前らァ!!」



 突然、頭上に鳴り響いた野太い怒号。

 見上げると、肩に木箱を担いだ毛深い男が熊のような眼光でこちらを見据えている。

 まずい、見つかった。

 俺たちは咄嗟に身構え、武器に手をかける。

 


「親方!なにか……お!?なんでいんだお前ら!!」



 聞き覚えのある声と共に駆けってきたのは一刻ともう1人の男。

 俺たちを見るなり、豆鉄砲を食らった鳩のように目を見開く一刻。

 だが意外にもその表情に狼狽や後ろめたさはなく、純粋な驚きのただ一色だけだった。



「なんじゃ、お前ェの知り合いかい」


「ええまあ」

 

「おンめェバカタレがァ、場に勝手に身内連れでぐんなっつっとんべェ」


「すんません。ったくお前ェらなにしてんだ、こんな時間にこんなとこでよォ」


「そ、それはこっちのセリフです!!」



 あまりにも悪びれない様子に、思わず俺はその場で問い詰めてしまった。

 だがしかし、帰ってきたのは全く予想だにしない答え。



「ハハハハ!お前ェらそりゃ、いくらなんでも小説の読みすぎだァ!」



 腹を抱えて大笑いする一刻に、俺は彼の心情が理解できずに首を傾げる。



「アハハ……そんなに信じらんねぇなら見せてやろうか?親方、いいすか」


「……まぁ、構ァねェ」


「うっし、ちょっと来い」



 手招く一刻の後を着いて歩く。

 そして例の船の前まで来ると、中から運び出した積荷の蓋を開いた。

 松明に炎に横顔を照らされながら、恐る恐るに中を覗いて見る。



「これって……」


「貝……?」



 そこにあったのは大量の白い粉ではなく、鋼鉄の岩盤のような(たくま)しい殻を(たずさ)えた、大きな黒い巻き貝だった。

 


床待栄螺(トコマサザエ)っつってな、こいつァお月さんが天辺(てっぺん)過ぎた後の夜しか捕れんのよ。朝市で()りにかけるんで、お天道さんが起きる前に取れた分を運び出して冷やしとかんといけねぇ。それが俺らの仕事ってこった」


 

 そう言いニッと笑ってみせる一刻さんの顔には、一切の濁りもない。

 正真正銘の清廉潔白じゃないか。

 勝手に疑って勝手に焦って心配して、全く失礼なことをしてしまった。



「あ、あの、疑ってすみません……」



 一刻は俺たちの謝罪をも豪快に笑って見せ、(こころよ)く許してくれた。

 なんていい人なんだ。

 こんな人を一瞬でも麻薬の売人だと思ってしまっただなんて、つくづく恥ずかしい。

 初めからわかっていたことじゃないか。

 病気の妹を抱えてそんなリスキーなこと、あの一刻さんがするはずがない。



「けどまあ、何も言わなかった俺も悪いよな。すまんかったよ。咲子のためにやってることなのに、逆にあいつを心配させちゃ元も子もねぇな」


「咲子ちゃんのため?」


「ああ。最近ちぃとばかし寝込むことが多くなってな。病気が進行しちまったのと家が古いせいなんだろうが、親方から受け継いだ店だ。簡単に越すわけにもいかねぇし、かと言って良い薬は高ェしで。まあなんだ、とにかく金が必要なんだよ」



 そういえば、龍兵さんから聞いた話の中で、一刻さんが店のリフォームを計画してるってのがあったな。

 古い家は多くのハウスダストが発生する肺の天敵。

 良い薬を買って飲ませても、周りの環境が悪いんじゃ本末転倒だ。

 しかし、すごいな一刻さんは。

 朝から晩まで店で鍋を振って、夜になったら荷物を運んで。

 


「何か手伝えることがあれば言ってください。できる限りこのとはしますから」


「ありがとうな、覚えとくぜ」



 そう言って手を振る一刻を背に、安心と若干の罪悪感を抱えながら俺たちは帰路についた。

 しかし……



「あれ、行き止まりだ」



 真っ直ぐ門を目指したはずなのに、たどり着いたのは積み上げられた木箱の前。

 埠頭は広い上に置いてある荷物も多く、無駄に入り組んでいるせいで迷ってしまった。

 道を変えてみるが、また行き止まりにぶち当たった。

 「ンなの登って超えりゃ良いだろ」と木箱に足をかける経津主を、ジュリアーノが「ダメだよ、壊しちゃったらいけない」と制止する。



「こりゃ、根気が必要だな」



 ベルが眠たげにあくびをして目を擦った。

 時刻はもう3時をとっくに過ぎている。

 いつもなら今頃は寝てる時間だもんな。

 どうにかして早く帰ろう。

 ため息を一つ溢し、(きびす)を返したその時。

 カツ……カツ……と石畳を硬く踏みしめる音が、どこからともなく聞こえてきた。

 徐々に近づいてくる音に振り向くと、木箱の影に半身を隠して一つの影がこちらへゆっくりと歩いてくる。

 それは、明らかに和装の(たぐい)でないスリムなシルエットだったー

 


「餓鬼共ォ、なにしとんじゃこんなとこで」



 ドスを効かせた威圧感満載の声。

 強い訛りがこびりついた喋りと乱暴な口調が、耳にするだけで危険人物であることがわかるほど異様な空気を放っている。



「万套会の(モン)かァ」



 木箱の間から顔を出した月明かりが、奴の全貌を照らした。

 セミロングの真っ直ぐな銀髪に、夜中にも関わらず橙色の丸いサングラスをかけている。

 細身で女のような端正な顔立ちだが、低いとも高いともいえない声は確かに男。

 しかし、明らかに一般人の格好じゃない。

 俺は一歩下がり身構える。

 他3人もそれぞれ身構え、ガイアは俺の後ろへ半身を隠した。



「ち、違います。俺たち冒険者で、その、早朝の荷物受け取りの依頼を受けて来たんです」


「嘘こけ。長ドスなんざ持ち歩いとるファンキーな冒険者がどこにおるっちゅうねん。相場餓鬼が憧れんのは刀やねん。下手なトンチキ言うとったらドタマかち割るど」



 男はそう言い、経津主の腰にかけられた(つば)の無い刀を指さす。

 あれ刀じゃないのか。

 ハッタリをかましてみたが騙せはしないらしい。

 俺たちは万套会の者ではないが、依頼を受けたのは万套会の者。

 こいつの言い方は明らかに味方ではない。

 バレればきっと、よくないことが起きる。



「まあええ。そっちの(あん)ちゃんらカタギっぺぇし、信じちゃるわ」


 

 男はめんどくさげに吐き捨てる。

 そしておもむろにサングラスを外すと、胸元からハンカチを取り出してレンズを拭き始めた。

 ひとまず難を逃れたと、俺は安堵し胸を撫で下ろす。

 だがしかし、拭き終えたサングラスを再びかけた瞬間、男の声色が変わった。



「せやけど、運が悪かったなァ。今日ばっかりは、ちぃと眠ってもらわなあかんのよ」



 その言葉を聞いた瞬間、一同が武器を手に取り構える。



「おうおう、危機察知が随分早いやないけェ。さすがは冒険者サマや」



 言葉が終わると同時、男から放たれた凄まじい殺気。



「抵抗するか否かはお前らの自由や。愚かやがワシャァ(とが)めんさかい。せやけどのう」



 それは鋭利な刃物の切先を一気に喉元に突きつけられたような、声も出ないほどの威圧があった。



「ヤクザ相手にヒカリモン抜いちまったらァよォ、どうなろうが知ったこっちゃないで」



 雲ひとつない晴天の夜空から降り注ぐ淡い月光が積み上げられた木箱の間を縫って、薄暗い埠頭で相対する者たちをスポットライトのように照らす。

 静まり返った石畳の上で響くのは、微かに荒い息遣いのみ。

 ハッキリ言って、絶体絶命。

 だがしかし、この埠頭でそんな危機的状況に陥っているのは賢吾たちだけではなかった。

 ここより西側の船着場、剥き出しのドスを手に持った構成員の後ろに堂々(たたず)むのは、万套会会長永河晤京(ナガワ ゴケイ)

 その鋭い瞳が睨む先には、どう見てもカタギではない派手髪の男が2人。



「万套会の会長さんはえらい律儀や聞いたけど、ホンマやったなァ」



 子供のように濁りも屈託もない笑みでそう言って見せるのは、金髪に青メッシュの入った男。

 その隣では十字の瞳孔を持った紫髪の男が、表情一つ崩さず相槌をうって見せる。



「手前ェ誰に口きいてんだ。たった2人で、万套会舐め腐ってンじゃねぇぞガキ!!」



 夜風に長い髪を(なび)かせ、最前線の東条が腹から怒鳴る。

 だがしかし、対面する2人は動揺も恐怖もせず、金髪の男に関してはむしろ、大きな高揚感を得ているようだった。

 なぜこのような事態になったのか、なぜこの場に万套会がいるのか。

 それは、ほんの数分前まで(さかのぼ)る。

涸岸カレキシノ嬋漆神(アデウルシノカミ)(紅嬋)

挿絵(By みてみん)

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異世界転移
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