第56話「双魚と刀神」
小川を流れる細い湧き水を捻って毛糸玉状に丸めたような水の玉の周りを、身籠った蜘蛛が卵を抱きかかえるように、周りを覆ってバチバチと鳴る電流。
巨海の手のひらで球状に螺旋を巻き、経津主の目線で威嚇するように火花を散らす。
「何の要だい。あァ?その腰にぶら下げた長ドスで、いったい何をするつもりだ」
「何もしねェさ。お前らがこっちに危害さえ加えなきゃな」
「嘘つけよ。親父の首取りに来たんだろ?」
巨海の眉は座っている。
しかしその声は先ほどとは打って変わって、巨岩が地を滑るかのように低く重たい声だ。
焚き付けや脅迫とはまた違う、ただいつもの調子を崩さぬまま冷静に淡々と威嚇しているようだった。
「手前ェの親を斬り殺しただけじゃ飽き足らず、永河の親父さんにも弓引いて。挙句刀を取り上げられてそのまま海外に逃亡。せっかく雲隠れできたってのに、のこのこ顔を出すたァつくづく愚かだねェ」
親を斬り殺した!?
なんてことだ、親殺しは親自身だけでなくその組織も裏切る重罪中の重罪だぞ。
裏組織からの絶縁だけじゃ済まされない、その人自身や周りの人への報復も考えられる、極めて危険な行為。
それを経津主がやったというのか?
頑固で義理堅いあの経津主が?
「俺様はンなことはやっちゃいねェ」
「やった奴もやってねェ奴もそう言うんだ、どっちにしたってお前は信用ならねぇ」
そう言い水の玉を浮かす左手を真横に振るう。
すると、先ほどまで毛糸玉のようにまとまっていた水が、突如として雷を帯びた刺々しい紐の形に変わり、俺たちの胴と手に巻きついた。
一瞬驚いたが、それらの紐はただ巻きついてきただけで特に危害を加えるわけでもなく、そのまま溶けるように消えてしまった。
なんだ?何が起きたんだ?
不思議に思い、紐の巻きついていた手首を触っていると、
「うぐっ!」
カランと杖の落ちる音と共に、突然ジュリアーノが呻いた。
「ジュリアーノ!お前何を……!!」
威嚇しようと槍に手を伸ばした瞬間、まるで落雷が直撃したかのような衝撃と共に、オレの全身を凄まじい電流が駆け巡った。
激痛とショックで膝から崩れ落ちる体を、地面に両手をついて支える。
なんだ今のは、攻撃を受けた?
そんなそぶり全く見せなかったのに。
まさか、視認できないほどの速度で魔術を放ったってのか?
「ペナルティによる……拘束術……!」
「お、坊ちゃん博識だねぇ。体が大事なら馬鹿なこと考えるんじゃねェぜ」
初めて見る魔術だが、おそらくさっきのやつがそうなのだろう。
抵抗のしようもなくなったってことか、正直マズすぎる。
しかしそんな絶体絶命の状況下でも、経津主は何か文句を言うわけでもなく、ただ真っ直ぐ巨海を見ていた。
ここで喚くのが悪手だということは俺にも理解出来る。
経津主だって、何も考えず俺たちを危険に晒したわけじゃないはずだ。
きっと彼なりの考えがあるのだろう。
ここは何も言わず、経津主の行動を見てそれに合わせていくのが1番安全とだと言える。
「親父さんに報告しますか」
「ああ。だがまずはコイツらの処遇だ」
「いつもンとこですね」
そんな会話のあと、緑のやつが懐から何かを取り出す。
それは革のような質感の札で、厚さは5ミリほど、サイズはシングルCDのケースくらい。
路地の暗さと遠目からでよく見えないが、薄黄土色の面に何やら模様のようなものが描かれている。
男は札を壁に貼り、ブツブツと呪文を唱える。
男の言葉に答えるように札が突然光出したかと思うと、まっさらな壁に突如白い魔法陣が現れた。
俺たちが狼狽えていると、巨海が経津主の肩を掴んで「入れ」と言うので、彼は呼吸を一つ挟み、壁に手をかざした。
するとどうだろうか、彼の手のひらが壁に触れた瞬間、指先が壁の中に埋まったてしまったのだ。
いや、吸い込まれたと言うのが正しいだろう。
手を奥へ奥へとやるほど体が吸い込まれ、遂には続いていた巨海ごと壁の中に消えてしまった。
これはなんだ?転送魔術?
でも、俺が前に経験したのとは少し違う。
光り輝く魔法陣を前に困惑の眼差しを向ける俺に、赤髪の男は構わず肩を掴んで俺を誘導する。
言われるがまま、魔法陣に片足を突っ込む。
意外にも抵抗感はないもので、アリの行列を跨ぐくらいなスムーズさで俺の足は光の中に吸い込まれた。
そのまま、勢いに任せて頭を突っ込む。
魔法陣の先は、その神々しさに比べてやたら薄暗い。
地面は土、しかし見上げても星が見えない。
俺の後ろで狼狽えるジュリアーノの声が聞こえる。
その時、突然目の前でオレンジ色の光が灯った。
眩しさに目を細め下を向くと、俺の体にストライプ柄の影が浮き出ている。
そこは暗い牢屋の中だった。
鉄格子に囲まれた四畳半ほどの空間の周りはほとんど無機質で、ところどころにそびえる柱以外は何もないように見える。
俺たちの監視は赤髪の男に任せて、巨海と緑のやつはどこかに行ってしまった。
少し冷え込む初春の夜に、3人揃って冷たい地面へ腰をかけ、ヒソヒソ話で今後の計画立てをする。
「どうする、この状況。結構まずいんじゃないかな」
「どうにか抜け出す方法を考えないと。結構暗い場所だし、相手の見ていない隙をつけばなんとかなるかもしれないな」
だが、経津主はそれに頷かない。
「いいや。ここは大人しくしているべきだ」
「でも、何されるかわかんないよ?帰りが遅くなっちゃベルやガイアも心配だし、早いところ……」
「それでもだ。この先何かあっても殺されることはないだろう。だが下手に動けばかえって危険な目に遭う」
「殺されることはないって、その確証があるのか?」
「ああ。万套会だって鬼じゃねぇ。俺様はともかく、奴らへの明確な敵意が立証されない限りお前らが殺されることはないだろう」
「ともかくって、じゃあ経津主はどうなっちゃうの?」
経津主は考え、一瞬俯く。
「晤京のことはよく知っている。アイツにゃ俺様は殺せねェ」
薄暗い中でもわかる、絶対的な確信を持った眼差し。
言わずとも伝わる「信じてくれ」という経津主の訴えかけだ。
俺たちの倍以上の人生を歩んできた経津主、彼が選択を間違えたことは俺の知る限りではヴァリトラの件ただ一度のみ。
これだけ力強い瞳を向けるということは、それだけこの決断は自信に満ち溢れているということ。
ジュリアーノも異論はないみたいだ、今回は彼に従おう。
それから俺たちは牢屋の中で一晩を過ごした。
冷たい鉄格子に背をもたれて薄暗い外を眺めてガイアとベルを思った。
一応「俺たちの帰りが遅くなっても絶対に探しにいくな」とは言ってあるけれど、心配だな。
ベルはご飯さえ置いてあれば大丈夫なんだけど、問題はガイアの方だ。
なんだかんだいって、俺とアイツは半日以上離れ離れになったことはない。
あの駄々っ子が爆発しないといいんだけど……。
3人とも寝ようにも寝付けずそのまま数時間、遠くの壁の隙間から刺す光を発見し、いつの間にか朝になっていたことに気がついた。
時計を見れば、もう6時。
さすがに腹が減ったな。
食料はジュリアーノのポーチの亜空間の中に入っているが、今は開けない。
昨日も何かいいものはないかと思って開こうとしたんだが、ジッパーに手をかけた瞬間あの電流に襲われた。
せめて水分だけでもとジュリアーノが魔術で生成しようとしてくれたのだが、やはり詠唱を唱えだすと数秒足らずで電流が流れた。
ヤクザが魔術を使えること自体に驚きだが、それ以上に巨海が詠唱をしなかったのも気になる。
それだけ高度な魔術を操る者ということか、であれば尚更、今の俺たちでは太刀打ちが難しそうだ。
そのまま数時間過ごしてそろそろ腰が痛くなってきたので、体制を変えようと地面に着く手の位置を変えた。
と、その時。
土の着いた右手に突然冷たく濡れるような感触がした。
驚き見てみれば、茶色い地面に広がる、小さくのびた水たまり。
さっきまで無かったのに、しかもこの方向は……
「ジュリアーノ……お前まさか……」
「えっ!ち、違う違う違う!!僕じゃない!結露だよ結露!!」
「我慢すんのは体に良くねェからな」
「だから!本当に違うってば!!」
ガチ焦りしてるけど、この反応は多分白だな。
まあ夜は結構冷え込んだし、結露ができるのも当然か。
そんな俺たちの茶番を横目に、赤髪の男は小さな筒からタバコを取り出して一服。
目つきの悪い三白眼で残りの本数を確認して煙を吐くと、顔の半分を覆う火傷痕を左手で摩った。
ちょうど日が差し込む位置にいるので、彼の姿がよく見える。
少し長めのショートカットで前髪を後ろに上げ、耳から後ろは刈り上げている。
イカちぃ〜!
でもああいう見た目の人が吸うタバコって映えるんだよな。
息子の誕生日に欲しがっていたゲームソフトを買ってやると豪語してトイ◯らスへ車を走らせ、帰宅後ワンカートンのセブンスターを抱え玄関で土下座してきたヘビースモーカーの父を持つ身としては、なるべく控えめにして欲しいものだが。
30手前くらいに見えるけど、鎧銭人なら40くらいいってんのかな。
そんなふうに観察をしていると、彼は突然、吸いかけのタバコを地面に落とし、革靴で踏み消した。
そのまま立ち上がると正面の扉に歩み寄り、つっかえ棒を取り外して開いた。
一気に入り込む日差しの眩しさに耐えきれず、3人は思わず目を瞑る。
少しずつ開いてみれば、そこに立っていたのは複数の影。
真ん中でやたらと目立つデカいやつの両脇に立つ2人には見覚えがある、つい昨日俺たちを拘束した巨海とその子分だ。
他は全く知らないが、真ん中のやつが親玉であるのは明確だろう。
190センチ以上あるであろう巨海よりも頭半分ほど大きい、つまりは軽く2メートルを越している。
彼は地面を擦るようにゆっくりと歩き、こちらへ近づいてくる。
距離が縮まれば縮まるほど、逆光に隠されていた容姿が顕になっていく。
紺と黒の着物姿で腰に刀を下げ、黒いひっつめ髪がいかにも“侍”といったような見た目。
難く閉ざされた右目を覆う傷跡が何とも生々しい。
そんな彼に赤髪の男は扉の傍で深々と頭を下げる。
「お疲れ様です、親っさん」
「親父さん!?てことは……」
つまり、アイツが万套会の現会長、永河晤京!!
静かにこちらを見据える晤京の黒い瞳には、一筋の光すらも点っていない。
氷に覆われた北の海を泳ぐ魚のように、淡々とした眼差しだった。
「よォ晤京。随分偉くなったじゃねェか」
「経津主……帰ってくると予想はしていたが、400年……よもやこれほど時間がかかるとは。腰抜けになったものだな」
「勝機の無ェ状態で敵地に向かうほど、俺様も馬鹿じゃないんでな。それくらいお前ならわかると思ったが」
「ぬかせ。卑怯者にこの私を評価する権限などない」
会話の様子から、2人は以前からの知り合いと伺える。
話から察するに、おそらく同僚もしくは舎弟の関係か。
「勝機というのはその者たちのことか」
「いいや。お前らの尻尾を掴むのに協力してもらっただけさ。400年もありゃいくらだって強くなれる。お前こそ、あれだけ俺様にボコボコにされてたくせに、よくもまあそんなデカい態度で出て来れたもんだな。アタマに立った驕りか?えェ?」
「焚き付けで繕っても無駄だ。貴様の目的は既にわかっている」
煽り文句がチンピラのそれじゃないか……。
晤京に魂胆を見抜かれ、経津主はムスッと顔を歪ませる。
だが、晤京が腰に下げた刀の一本を抜いた瞬間、その表情は一変した。
漆黒の刀身が光の具合で淡い赫を浮かびあがらせ、牢の中の俺の表情がハッキリ反射する滑らかさと、人の技とは思えないほどに自然な反り返し。
素人の俺から見ても、それが名刀であるとことは想像に難くない。
「布都御魂……!!」
フツノミタマ?
それって確か、経津主が言っていた愛刀じゃないか!
「自らが与えた刀で斬り殺されるなど、さぞ悲しかっただろう」
「ンで手前ェが持ってんだよ」
「最奥に眠らせておくのもまた先代の本意ではない。使ってこそ敬意を示せるというもの」
「手前ェなら使いこなせるってか、笑わせるぜ。敵の根城に1人で突っ走って、殺されかけた挙句 俺様に助けられたのはどこのどいつだ?」
「そうして私の憎悪を呼び起こすつもりか」
晤京は経津主の挑発に乗ることなく、静かな顔で納刀した。
「生憎だが、私はもう、貴様に対して何の感情も持っていない」
「なに?」
「わかっているとは思うが、貴様は既に絶縁されている。本来顔を合わせることもないが、現実を知らしめるためにも直接対面することが必要だと考えた」
「現実だァ?優秀な懐刀の正邪の判別がつかなくなって、落魄れた組織の情けなさか?」
「いいや」
晤京は改めてこちらを向く。
その冷たい瞳に、経津主はさきほどの威勢も忘れ、思わず息を呑んだ。
「貴様は、今の私には勝てない」
「アァ?」
「聞こえなかったか」
「いいやァ、ハッキリ聞こえたぜ、クソ生意気な餓鬼の妄言がよォ」
経津主は自分の刀を腰から外し、鞘に刺したまま前へ突き出した。
「なら見せてみろよ、今のお前の実力ってやつ」
そう言う経津主は不敵に笑みを浮かべている。
コイツ、こんな時に戦闘狂を出してなにを……いや待て、もしかして。
そうか、もしこの勝負を相手が受け入れれば、経津主の拘束は外される。
こんな頭の硬そうなヤツが「お前より強い」なんて豪語して、相手のハンデ持ちを許すはずがない。
拘束が外されれば経津主の体は自由。
彼なら俺とジュリアーノを抱えて逃げるのも難しいことではないだろう。
よく考えたじゃないか。
経津主の声がけに、晤京は眉を顰める。
そして黙り込んだまま、彼は刀の鍔近くを握った。
よしキタ!……と思ったのも束の間。
「断る」
そう、キッパリと言い放ったのだ。
これには経津主も予想外だったようで、眉間に皺を寄せて「アァ?」と不機嫌そうに喉を鳴らした。
「人が道端の小石に無関心であるように、私も時間を無駄にすることはできない。故にその申し出には応じない」
「なんだ手前ェ。怖気付いたか晤京!!」
「啖呵を切ったところで同じだ。貴様と刀を交えることすら穢らわしい」
組織の頭を務めるだけあって、やはり冷静沈着。
この様子じゃ経津主の思惑も見抜いていそうだな。
……どうするべきか。
俺自身なにか行動を起こすべきだろうか。
だが相手が相手だ、下手に出たらどうなるか想像もつかない。
俺は小さく唸り、打開策を考えた。
しかし思いつくものはどれも役に立ちそうにない。
危機的な状況で焦っていたというのもあるが、肝心な時に何も出て来ないなんて。
そんなふうに顔を顰めて考え込んでいると、突然、晤京は
「出せ」
と、ひとこと言った。
「「!?」」
俺とジュリアーノは困惑し、経津主表情を崩さぬまま黙っている。
そのまま、俺たちは牢屋の中から出された。
なぜだ、何を考えているんだ……?
「絶縁された貴様はもはや組織の者ではない。早く行くといい。今更報復を企てる者もいないだろう」
あくまでも順当な絶縁で終わらせるってことか。
彼の中にある経津主への感情は、怒りを通り越した呆れ。
傷つけず解放してくれるというのはこちらとしては嬉しい判断だが、少々モヤモヤが残る。
2人の関係に部外者の俺がどうのこうの口を出す権限なんてないんだけど、こんな冷めた別れ方でいいのだろうか。
「では、もう一方の話だ。カサイケンゴ」
「えっ」
若干自分の世界に入り込んで考えていたせいで、名前を呼ばれたことに一瞬気が付かなかった。
晤京はまっすぐこっちを見ている。
俺に何の要が、てか、なんで名前知って……。
「君はここに残ってくれ。君個人に要がある」
「待てよ。なら俺様たちも残るぜ。極道が集まる中に1人残して、何されるかわかったもんじゃねェ」
「そ、そうです!ケンゴは僕らの大事な仲間ですから!!」
そう言う2人に、晤京は一度目を瞑って俯くと、小さくため息を吐いた。
「カサイケンゴ、君には聖帝様から直接保護命令が下されている。故に、私と一緒に来てもらおうか」
「なっ!?」
「聖帝だと!?」
経津主は「手前ェ!!」と晤京に殴りかかろうとするが、電流に阻まれその場に膝をつく。
晤京は冷たい眼でそんな彼を見下げた。
「……この戯け……!ギベオンに魂を売ったか……!!」
「そのような表現は適切でない。ギベオン教団は今や万套会における最大の支援者。我らが彼らの期待に応えるため行動するのは、なんらおかしなことではない」
「ほざけ!!親父の意思を忘れたか!!」
「先代とて全能ではない。判断を誤ることもあるだろう」
「こンのクソ餓鬼が……!!」
万套会が、ギベオン教団と繋がっている……!?
俺は、自分からヤツらの元にノコノコと顔を出したってのか……?
なんて馬鹿なことをしたんだ、こんな状況で十二公なんかと出会しでもしたら……。
「特に、私は君を見過ごすわけにはいかないのだよ」
晤京は懐から仮面を取り出す。
それは金と銀に輝く2匹の魚が、陰陽勾玉巴のように互いの尾鰭を追いかけている形で彫られている。
初めて見る。しかしながら、その仮面が意味するものを、俺は直感的に理解して後ずさった。
晤京は静かに仮面を被る。
「十二公の1人として”ピスケス“の名を与えられた私は、聖帝様の命を受け、君を保護する義務がある」
「十二公だと……お前が!?」
「左様。故にカサイケンゴ、君はここに残ってもらう。拒否権はないぞ」
「冗談じゃない!!自分のことは気分で決める!俺は、お前らなんかには絶対に従わない!!」
そう、絶対に従わない。
ヤツらはトトを、俺の友人を殺した。
許さない、許せるわけがない。
ましてや一方的な要望を聞き入れるなんてのは、言語道断!!
「仕方がない。だがこちらも手段を選んではいられない」
晤京はゆっくりと俺に歩み寄る。
経津主が守るように前へ出たが、間に立ちはだかった瞬間、電流に襲われて膝から崩れ落ちた。
俺も背負った槍に手を伸ばすが、柄を握ってすぐに電流が流れた。
もうなす術がない。
伸ばされる手に諦めかけ、目を瞑ったその時。
突然、耳をつんざくような金属音と破壊音と共に、目の前に刺々しい氷の壁が高く聳え立った。
そして、驚き腰を抜かす俺の腕を、瞬時に誰かが掴み引っ張った。
振り返ったが、誰もいない。
それどころか、経津主もジュリアーノも見当たらない。
けれど確かに俺の腕は、体を引きずるような勢いで力強くグイと引っ張り、無理やりに立たせて走らせた。
手を引かれるまま全力で走っても足音がしない。
倉庫を抜けて日の光を浴びた時、もう一つの変化に気がついた。
俺の腕が無い。
反対の手を伸ばして触ってみれば確かに感触はあるのだが、まるで水の中のガラスのように視認することができないのだ。
不思議な感覚。しかしそれでも走った。
原理はわからないけれど、今はこの不思議な現象に感謝して、ただ逃げるしかない。
困惑したままの脳みそで、そう考えたからだ。
晤京は刀を抜き、氷壁に向け振った。
すると氷は断面を斜めに滑り落ち、目の前の光景があらわになる。
そこに賢吾はおろか、他2人の姿も見当たらない。
「逃げられたか」
刀を鞘に納め、仮面を外す。
「経津主は刀を取り戻すまでこの鎧銭を出ることはない。仲間というのなら彼も同じだろう。探せ!」
晤京の言葉で、威勢のいい相槌が部屋に響く。
初春の柔らかい日差しが入り口の戸から入り込み、冷たい地面をゆっくりと温める。
他国に比べ四季の差が大きい鎧銭その間に様々な渡り鳥が訪れ、冬の気配を感じれば去っていく。
彼らももう戻ってくる頃。
行きつけの店に毎年巣を作っている一家の様子も、今年は見守れそうにないだろう。




