第53話「次なる舞台へ」
「ジルベルタ・カデロ!機密情報漏洩による国家反逆罪により、氷獄無期懲役を宣告する!!」
裁判官の太い声が部屋の中に響き渡る。
自身の判決を言い渡されたジルベルタは手枷に繋がれた拳を強く握りしめるが、その顔は無表情のまま眉ひとつ動かさず、壇上の裁判官、そして二階席で傍聴するロレンツォへ深くお辞儀をした。
「氷獄無期懲役たァ、公王陛下も厳しいねェ。死刑制度のなくなったアウローラじゃ最悪の刑罰だってのに、運の無ェ嬢ちゃんだ」
地下牢までの薄暗い道のりを兵士に連れられて進むジルベルタは、なおも無表情のまま呼吸の音すらもさせない。
そんな彼女に兵士はため息を吐きつつ、「良いツラしてんのにもったいねェなァ」とボヤきながら鍵を取り出し、突き当たりの独房を開けた。
ジルベルタの手枷を鎖に繋ぎ牢を占めると、松明の火をランプに移して入り口付近に吊り下げる。
「氷獄への送迎は明日の6時だ。それまでにお星さんへお別れしとくんだな」
兵士はそう言うと、見張りの兵士に食料の入ったバスケットを渡していってしまった。
兵士が席についてバスケットを開けて、早めの夕飯をとり始める。
その間ジルベルタは向かいの壁を見上げていた。
壁と天井の境目、独房から唯一外の世界を拝める小窓は犬も通れないほど小さい上に頑丈な鉄格子がかけられており、脱出はほぼ不可能。
かろうじて垣間見える星座も半分近くが途切れ、もはや原型を想像することはできない。
だが、一際強く輝く一等星だけは独房の中を覗き込むように、また静かにこちらを見据えるジルベルタを見守るように忙しなく瞬いている。
そんな明るい夜空を眺めて小さなため息を吐いたその時、突然見張りの兵士が椅子から崩れ落ち、地面に伏せた。
それは危険を察知した戦士が攻撃を避けようとするそれではなく、糸の切れた操り人形のように力無く地面へ叩きつけられるようであった。
恐れ慄き、目を見開くジルベルタ。
すると、彼女の寄りかかっていた壁が突如光り出し、白い魔法陣が現れる。
彼女は驚き向かいの壁に後退りをするが、自分の両腕にはめられていた手枷が消えていることに気がつくと、慌てて立ち上がり魔法陣に手を入れそのまま中へ吸い込まれていった。
光り輝く魔法陣の中から解放されたジルベルタは芝生に尻餅をつき、痛そうに腰をさすりながら立ち上がる。
彼女が放り出されたのは独房より少し慣れた場所、城の裏に位置する塀の近くの庭。
二つの壁に挟まれたその空間は誰かが覗きに来ない限りはどこからも見えず、監視兵からしても死角に位置する。
戸惑いつつも辺りを見回すと背後に佇むある男の姿を見つけ、ジルベルタは慌てて跪いた。
「お手を煩わせてしまい申し訳ございません、アクエリアス様」
尖った長い耳に女性のように麗しく整った顔立ち、肩より下まで伸ばされた水色の髪を夜風に靡かせる男、アクエリアス。
彼は薄く儚い唇をニヒルに歪め、「ご苦労」ととひとこと言ってジルベルタの顔を上げさせた。
「メイドにやりとりを目撃されたのは私自身の不覚、処罰の覚悟はできております」
「そう言うな。お前がこれまで公宮に潜入して得た情報は、聖帝様の目的を果たすために大いに役立てられている。見つかっちまったモンは仕方ない。まあなんだ、感謝してるぜ」
「もったいなきお言葉にございます」
再び深々と頭を下げるジルベルタを窘め、アクエリアスは大袈裟に考えるようなポーズをとり、横目で彼女を見た。
「それで、サジタリアス……だったか?お前が会いたがっていたのは」
「!!……ええ、そうでございます!」
薄紅色の目を輝かせそう答えるジルベルタ。
「まさか、謁見させていただけるのですか!」と期待のはらんだ眼差しを向ける彼女に、アクエリアスは笑みを浮かべ、「ああ」と答えてみせる。
そして首を捻って空を見つめると、「そーいやぁ、その理由ってよォ、なんだったけかなァ」とゆっくりネットリした口調で語りかけた。
「要あって星宮へ訪れた際、私は偶然あの方の仮面の下を見てしまいました。そして気がついたのです、サジタリアス様は私の弟、故郷で生き別れた最愛の家族です!」
握った拳で胸を押さえ、ジワジワと涙を流す彼女に、掴めない眼差しでアクエリアスは相槌を打つが、その表情は1人の少女の切ない独白に同情を寄せているというよりかは、何か密かに企み彼女を嘲っているような様子であった。
だが、すで自分の世界に入り込んでいたジルベルタがそんな彼の様子に気づくことはなく、彼女はただ泣きながら自分の思いを打ち明けた。
「あの日から、毒災で死んだと思っていた弟が生きていると知ったあの日から、再会することだけを望んで生きてきました。彼に会ってこの腕で抱きしめることができれば、私はもう、思い残すことはありません!」
「ふーん。だってよ」
自分でない何者かに語りかけられた言葉を聞いたジルベルタは驚き、アクエリアスの目線の方を振り返る。
気付かぬうちに背後へ佇んでいたのは1人の男。
短い茶髪を後ろでまとめ、大きな弓矢を背負った青年は、冷たい三白眼で品定めするように彼女を見下げ立つ。
ジルベルタは彼の姿を目にした瞬間、染み出しかけていた涙が一気に溢れ出し、その場で口を押さえ絶句した。
「バル……ジット……?」
立ち上がったジルベルタは彼の元まで駆け寄り、安心したように名前を何度も口にした。
彼こそ、ジルベルタが探し求め謁見を望んだ人物。
射手座の名を関する十二公の1人、サジタリアスである。
アクエリアスから自身の実姉と名乗る人物に会うように言われ、十二公の正装である仮面をつけず、ジルベルタの前へ姿を現した。
「バルジット……ああ、こんなに大きくなって……まさかあなたが生きていただなんて……」
ジルベルタは涙を流しながら彼の頬へ手をやり、懐かしそうな眼差しで笑みを浮かべる。
生き別れやその日から実に500年時が経過した愛する弟は、自身が身を置く組織の幹部の地位に属しており、今の身分では到底届くことはない。
故にジルベルタは教団の入信を手伝ってくれた、十二公唯一の顔馴染みであるアクエリアスに駆け寄り、危険な任務を請け負うことを条件に謁見の機会を手配してもらうこととなったのだ。
そして今、彼女の願いは果たされた。
「ずっと後悔していたの。迫り来る氷と黄金になす術もなく2人で飲み込まれたあの時、私はあなたの盾となり守ったつもりだった。けれど、目を覚ませばそばにあなたの姿はなく、助けてくれたヒトも、私以外誰も見当たらなかったと言うものだから……私は……」
「……」
「でも、こうしてまた会うことができた……!」
ジルベルタはサジタリアスを強く抱きしめる。
体温を感じ、鼓動を感じ、最愛の家族の確かな生存と健康を確認すると、彼女はまた安堵して涙を流した。
「やっぱり羽や角は毒で腐り落ちてしまったのね。可哀想に、でも大丈夫、姉さんも同じよ。今の世界に生き残った龍人はお前と私と湖神だけ。だから心配はいらないわ、馬鹿にされることもない」
ジルベルタの心は幸せで満ちていた。
もう何も要らない、望まない。
弟が生きているという事実があるだけで、それだけで彼女はこれからの世界を生き抜くことができる。
何故なら、もう孤独ではないから。
____だが、彼女を見つめるサジタリアスの目線は、依然として冷たいままだった。
「お前、誰だ?」
弟の口から飛び出した言葉に、驚き後退りするジルベルタ。
予想もしない言動を目の当たりにしてたじろぎつつも、何かの聞き間違いだと自身に言い聞かせ、改めて語りかける。
「な、何を言っているの……?」
「記憶の隅々まで思い返してみたが、お前の顔も声も、全くもって見たことも聞いたこともない」
「そんな……私よ……?あなたの姉さんよ……!!」
「知らない。俺に姉はいない」
「ウソよ!たしかにあの時あなたは5歳に満たなかったけれど、少しも覚えていないはずなんてない!!」
長年探し求めやっと手にしたはずの幸せが間違いだなんてことは、今の彼女には受け入れられなかった。
声も背丈も人相も全て年月のせいで変わっているが、クセのついた焦げ茶色の髪も、鋭い三白眼も、父親似の堅い骨格も、500年前に生き別れた弟そのもの。
絶対に見間違えない、見間違えるはずがない。
困惑して激しくなる動悸を押さえ、必死に自分を落ち着かせようとするジルベルタをアクエリアスは静かに窘めた。
「落ち着けよジルベルタ。仕方ないさ、世界には似た人物が3人いるなんて言われているくらいだ、そんなこともある」
「そんな!間違えるはずありません!たとえこの記憶が500年昔のものであろうも、実の弟を見間違えるだなんて……!!」
諦めのついていない様子のジルベルタに、やれやれといった調子で小さくため息を吐くアクエリアス。
眉を顰め頭の中を整理する彼女を見てフッと笑うと、ニヤけながらゆっくり近づく。
「まあたとえそうだったとしても、本人が知らないってんなら仕方ないだろ?」
そして彼女の肩に手をやると、そっと耳打ちをした。
「もしかしたら、誰かに記憶を弄られちまってるのかもな」
「!!」
その言葉にジルベルタは何かを勘づく。
そして振り返ると勢いよくアクエリアスへ掴み掛かった。
「貴様ァアッ!!」
「おっと」
アクエリアスは自身の胸ぐらを掴もうとする白く細い手をバックステップで避け、いきなり慣れない動きをしたジルベルタは勢いに負けて転びそうになる。
だが怒りにより生まれたパワーは華奢な少女の体を俊敏に操り、地面に手をついて瞬時に起き上がる、と拳を握りしめて再び殴りかかった。
しかし、白く小さな拳が彼の顔面にめり込む寸前、ジルベルタは何者かに肩を掴まれ、体をグンと後ろへ引っ張られる。
勢いのまま振り返ると、そこにはサジタリアスが。
「バルジット……」
彼の顔を見て一瞬、安堵の表情を浮かべるジルベルタ。
がしかし、サジタリアスは無表情のまま背中の矢筒から矢を一本取り出すと、次の瞬間、銀色に輝く鏃で彼女の首元を切り裂いた。
一瞬のことで声も出ず、ジルベルタはそのまま首から血を吹き出し、草むらへ力無く倒れる。
「本当に殺して良かったんですか。それなりの力量はあるし、第一ちゃんとした結果も残してる」
「いーんだよ。確かに腕は良いが、一つだけどうやっても治んねぇ癖があったからな。過去のトラウマから来てるのか知らねぇが、公王にバレちまった以上もう使い物にゃならん」
緑の絨毯を赤く染め横たわるジルベルタなどには見向きもせず、まるで何事もなかったかのように2人はその場から去っていく。
星が照らす夜の宮殿、ジルベルタの脱走に気がついた兵士の鳴らす警笛が響く城の裏で並んで歩く2人の後ろ姿を、彼女は涙を流しながらただ見つめていた。
「そういえば、あいつに何言ったんですか?逆鱗を逆撫でされたような怒りようでしたけど」
「あ〜、まあなんだ。『そろそろ諦めたらどうだ』ってな」
北方の国であるアウローラの夜は年中冷え込み、昼と夜との気温差は旅行に来た外国人にはとても慣れないもの。
冷えた空気に晒され、息絶える前からもう既に冷たくなっていくジルベルタの体は、夜風に当てられ藤色の毛先だけがやさしく靡く。
徐々に光を失いゆく薄紅色の瞳に、もうあの2人は映っていない。
既に多くの兵が出動し、城内を捜索し始めている。
彼らがジルベルタを見つけるまでに、そう時間はかからないだろう。
一方その頃
そよ風になびく草原のように落ち着いた波の中、夜の海に浮かぶ帆船は快晴の星空の元で静かに揺れる。
慣れない海の上だからだろうか、上手く寝付くことのできなかった俺は、小窓から顔を出して風の具合を確かめると、木の戸を開けて甲板へ出た。
穏やかな夜風に髪を揺らされながらふと船尾の方を覗くと、船首にかき分けられた白波が海蛇のように波打って消えていく。
そんな様子に若干の寂しさを覚えながらも船端に腰掛け、鞄からトトからもらった羊皮紙を取り出し、広げた。
「『ワームホールの発生記録や所持者の予測などを鑑みた結果、パーツがカノン大陸へ流れている可能性は限りなく低い』……か」
カノン大陸は渡航がほぼ不可能なほど中央大陸や魔界と深く別たれているらしいし、これが本当なら助かるな。
魔界にアスガルドに……うーん、結構バラけてるな。
残すところあと5つだというのに、候補の地域が十数個もある。
描かれている根拠は全て信憑性があるけれど、こうも色々あると……。
「まあ、ゆっくり行こう。時間はいくらでもあるわけだ」
羊皮紙を丸めてカバンにしまい、星空を眺めた。
あれは……ええっと……確か、琴座だったかな。
不思議なことだが、この世界と俺の住んでいた世界とでは、夜空に浮かぶ星の配置がほとんど同じなのだ。
夏の星座なのに、10月でもまだ見えるもんなんだな……アレ?
星空を見上げた時、ふと目に映った帆柱の先端に人影が見えた。
暗くてよく見えないが、ぶら下がっている足が揺れる様はまさしく人間のそれ。
誰だ……?船長さん……?
いやでも、あんなに小さかったっけか。
はるか上で風に当たる人影は不思議そうに見つめる俺の姿を見つけると、スクっと立ち上がって甲板へ飛び降りた。
高さが高さなので驚いた俺は受け止めようと走ったが、人影は地面に着地する寸前、まるで動画を一時停止したかのように一瞬浮き、つま先からゆっくりと着地した。
そして口を開けたまま唖然と立ち尽くす俺を見やると、「やあ」と、まるで古くからの友人に呼びかけるような気軽さで言った。
「君は……一体どこから……」
乗客の定員は6人。
うちの5人は俺たちが占め、あと1人は里帰りの青年が1人。
だが目の前に立つ少年の姿は、中肉中背でパッとしない彼とは年頃も人相も似ても似つかないものだった。
肩まで伸びた髪は夜空の下でもはっきりとわかるほど鮮やかなナイトブルーで、瞳も同じく。
纏う衣服はこの世界では今まで見たことない文化色で、どことなくギリシャを思わせるような造形と、ところどころに施されている金色の装飾が言われもない高貴さを漂わせる。
「警戒しているのか?」
少年は少し笑みの浮く真顔でこちらへゆっくりと歩み寄る。
「君が好きだと思ってこの服を着てきたんだが、やはりそれでもダメか」
少年はそう言い、裾を引っ張ってみたりして自身の纏う服を見る。
「まあいいか。さ、こっちへおいで。少し話そうじゃないか」
彼の物言いは言葉遣いやニュアンスこそ爽やかだがどこか奥が見えず、色々書き連ねたノートの表面をペンキで塗りつぶして、上から短い文を書き足したような、そんなえも言えぬ所感がした。
言いたいことを上手く言えないのか、意図的に隠しているのか、はたまた深い意味は無いのか。
手招きをしても警戒しその場から動こうとしない俺に、少年はクスッと笑って見せた。
「そんなに緊張しないでくれ。何も君に危害を加えようと訪れたわけじゃない、直接会って話したいだけだ。本当さ。それともなんだ?」
『こっちで話した方が安心できるか?』
「!?」
あまりに驚きすぎて、理解ができなかった。
彼の発した言語、耳馴染みがあるにも関わらずここ2年以上耳にすることのなかったもの。
ありえない、トトがいなくなった今、この世界で出会うことなどほとんど不可能なはずなのに。
信じられないことに、目の前の少年の口から飛び出したのは紛れもない、“日本語”であった。
「な……なん……なんで……ありえない……まさか……君は……俺と同じ、異世界の住人……?」
『さあな』
少年は船首近くの船端に腰掛け、俺を手招く。
彼の導く通りに隣へ腰掛けると、少し身をのけ反って見定めるような瞳で俺の様子を伺い、そんな彼の姿に俺は眉を顰めた。
『どうやら信じてくれたみたいだな。うん、やはり君は変わらない』
『変わらないって、初対面だろう』
『いやまあそうなんだがな。けど懐かしいよ、星の綺麗な夜、よくこんな様子で語り合った』
『だから、俺は君のこと知らないって』
『友人の話さ。もう、随分と会っていないがな』
言葉のニュアンスというか声のトーンというか、不思議な喋り方だ。
どことなくアイテールに似ている気がする。
彼は日本語を話すことはできなかったけれど、俺が異世界の住人であることは知っていた。
もしかすると、彼の知り合いかもしれない。
『もしかして、アイテールの知り合いだったりする?』
『アイテール……何故?』
『いや、なんかこう、喋り方の雰囲気が似てるっていうか……』
先ほどまで笑っていた少年の表情は一瞬で消え失せた。
何を考えているのかわからないほど冷たい瞳で水平線の向こうを黙って見つめ、ナイトブルーの髪を夜風に揺らす。
月が出ているからだろうか、暗い色であるはずなのにキラキラと星屑のように一瞬輝いて見えた。
『気のせいだろう。しかし心外だな、天空神などと同じようなものに見られてしまうとは』
明らかに彼を良く思っていないような物言い。
一つの事柄に対し、誰しもが同じ印象を持つということはありえないとは分かっていつつも、今まで肯定的な言葉だけを聞いてきたからか、少しだけ違和感を感じる。
『確か君の師であったか。全く、厚顔無恥という言葉がここまでピッタリな男がいようとは。裏切り者の分際でよくものうのうと』
そう呟く少年の額には深い皺が刻まれていた。
アイテールへの毒を吐くと同時に思い出の奥底の何かを噛み締めるような、苛立ちを見せつつも哀愁を漂わせる顔。
そして、それを聞いていた当の俺自身にも少しの苛立ちがあった。
自分の師をこうも悪く言われると良い気はしないもんだ。
『そんなふうに言うことないだろ。何があったかは知らないけど、俺が知る限りじゃ人間性こそ欠如してるが、そこまで悪いヒトじゃない』
『……』
少年は黙り込み、目を閉じた。
『……予想通りだ。……いいかい、原初神というものは、君が思うほどに良い者たちではないんだよ』
瞳を開けて船端から立ち上がると甲板を歩き、空を見上げた。
宝石箱のように煌びやかであり、夜の海に映るほどの輝きを放つ星空の下、少年は夜風に吹かれて実に爽やかに髪をなびかせる。
そして
『……この世界は崩壊の危機に瀕している』
はるか上空の星を見つめ、唐突にそう言った。
いきなり何を言い出すんだと思いつつ、俺は相槌を打って耳を傾ける。
『500年前には原因不明の毒災で1つの種族と国が滅び、また5000年前には原初神自身が起こした戦争で、神も他種族も多くの命を落とした。歴史に深く刻まれなくとも、その他にも多くの厄災が繰り返されている。君のように本来100年程度しか生きることの叶わない短命な種族にとってはとんでもなく長い時間に思えるかもしれないが、この星、ひいては原初神共の過ごしてきた時間から考えてみれば、これら厄災の起こる間隔は瞬きの間にも満たない』
『これだけ多くの厄災を前に、何故原初神たちはいつも自ら動こうとしないのか。彼らが世界の存続に力を貸したことは、5000年前のアスラ大戦以来一度も無い。奴らは元同族の尻拭いには立ち上がり、自身らを支持する多くの民の危機には知らぬふり。それは何故か、答えは至って簡単』
少年は再び眉を顰め、言う。
『奴らはこの世界に、愛着など無いからさ』
憤怒に溢れた低く重厚な声は暗い空気を揺らし、俺の背筋に冷たく響く。
彼の言っていることはおおむね事実。
星の生まれたその時から存在し、この世界を創造した偉大なる神々の頂点としてさまざまな人々に慕われ崇められているが、トトから話された範囲では、5000年前のアスラ大戦以来起きた厄災の中で原初神の名前を全く聞いていない。
だが、それでもこの世界に愛着が無いなんていうのは、とても理解できない。
ガイアもアイテールも、人並みに優しい上にどちらも俺の大切な仲間だ。
少なくとも、初対面の相手にこんなことを言われる筋合いなんてない。
『そんなことはないだろ。だって、自分たちで作り出したものなんて我が子も同然だろ?それこそさっき君が言ったように、俺たちじゃ考えられないほどの時間を過ごしてきたのなら尚更だよ。それに俺は原初神と直接会って話している。だから愛着が無いっていう君の言い分は、さすがに信じられないな』
少年は初めのうちこそ驚いていたが、言葉が終わると大きくため息を吐いて不機嫌そうに腕を組んだ。
『どうしてそこまで他人をホイホイと信じられるのか、相変わらずのお人好しだな君は』
『お人好しって……』
『君は彼らの本性を一度でも見たことがあるのか』
『そりゃ……俺が大怪我をした時も誘拐された時も、ガイアは本気で俺のことを心配してくれたぞ』
『演技だったらどうする』
『演技……?』
『君を元の世界から許可無く連れて来て、何が何だか分からないままに重い使命を無理くり押し付けるような身勝手極まりない奴を、何故そうも簡単に信じられるんだ』
『それは……助けてもらったし、何より一回死んでたし……』
『命を管轄する神だ、生き物を生み出す得体の知れない魔だ。生命に関わることならいくらだって繕える。君の死だって偶然じゃないかもしれないだろう』
そう言われてみればそうだ。
俺を元の世界から連れて来たと言うのなら、ガイア自身も元の世界に干渉する何らかの方法を知っているということ。
もしあの事故が、俺をこちらの世界に連れてくるための口実として仕組まれたものだったら?
……いや、待てよ。
そもそも俺は本当にあちらの世界で死んだのか?
もし死んだのなら、何故俺は俺のままの姿でこの世界に降り立つことができたのか。
今まで生命神の超常的な力で生き帰らされたものだと思っていたけれど、ガイアがその類の力を使ったところを見たことはない。
目の前で怪我人や死人が出ても、ガイアは治療も何もしようとしなかった。
いくら身体を無くして力を失っているからって、俺を生かしたのなら何もできないわけはないはず。
狼狽えたり、助けを呼ぼうとしたり、大声を上げて泣き喚いたり、一般人となんら変わりないじゃないか。
……アイツは、本当に神なのか?
困惑して俯き考え込む俺を見て、少年はフッと笑うとカツカツと甲板を闊歩し近付く。
『俺の言うこと全て信じろとは言わない。ただ、君には知っていて欲しい』
俺の横を通り過ぎたその時、彼は前触れもなくジャンプするように浮かび上がり、客室の屋根にカツンとヒールを鳴らして跳び乗った。
『また、いつか話そう』
そう言う少年に、疑問の解けきれていない俺は若干怪訝そうに首を傾げるが、ふと名前を訊いていないことを思い出し、『ねぇ!君、名前は……』と慌てて問うた。
彼はその声に振り返ると少し困ったような顔で唸った。
『……”ライラ“。今はそう呼んでくれ』
そう言うと、突然屋根の上から向こう側へ飛び降りた。
船尾の甲板はこちらよりもずっと狭く、いくら投錨されているといえど、あの勢いで飛び降りれば着地するのは暗い海の上。
慌てて向こうへ駆けってみるも、彼の姿は跡形もなく消えていた。
そこにはただ静かな青黒い波が揺れるだけで、飛び込んだ形跡も飛んでいった様子も無い。
あまりに呆気なく消えていったものだから、俺は一瞬夢かと疑って頬をつねってみた。
だが、夢じゃない。
「……」
夜の風に吹かれる波はそよ風に揺れる草むらのように穏やかで、叶うことなら上に乗って眠りたいほどに気持ちが良い。
日が上り朝になれば、この風が俺たちを鎧銭へ連れていってくれる。
新たな地での新たな出会いに胸を膨らませていたら、まさか道中で出会うとは予想もしなかった。
本当に不思議な雰囲気の少年だった。
人の姿をしているのに人じゃない、そんな怪しさを醸し出しつつも、何故かどこか、懐かしい感じがしたんだ。
ここまで呼んでいただきありがとうございました。
第2章もこれにて完結となります。
6ヶ月という短い間に経験した大きな出会いと別れ、それは賢吾の中に深く刻まれることとなります。
彼がこれから歩んでゆく長い道のりにどんな影響を及ぼしてゆくのか、今後も目が離せない展開を執筆してゆきますのでどうか応援よろしくお願いします。
次回はいよいよ鎧銭編へ突入!
経津主の目的とは一体何なのか、大陸南西に浮かぶ小さな島国で主人公を待ち受ける運命とは……?
和風ファンタジーな世界観で織りなす新章にこうご期待!!……と言いたいところですが、新章突入につき設定や物語の整理に1ヶ月ほどお休みをさせていただきます。
第3章第1話の投稿は1月1日午後22:00半を予定しておりますので、それまで楽しみにお待ちください!
また、X(旧Twitter)の方でとある企画を開催中なので、そちらも要チェックです!
改めて、ここまで呼んでくださり本当にありがとうございました!
ほざけ三下