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第42話「頼みごと」

 アルビダイアの一角、カスルアクバルバタル王宮内の通信室でオレたち5人とシャジェイアは円になって(たたず)む。

 彼らが神妙な面持ちで囲うのは、たった一つの水晶玉。



『……アサーラ姫の護衛を……なるほど……ウム……』



 水晶玉越しにムムムと低く唸るロレンツォ。

 眉間に深いシワが刻まれてハタから見ればご立腹のように見えるが、この場合は単に心配しているだけなので、さして問題はないだろう。



「大丈夫だよ兄さん、僕はみんなに認識阻害を(ほどこ)すだけの役目だから。護衛を請け負うのはケンゴと経津主(ふつぬし)だよ」


『ああ、わかった。しかしだな、こういった事は取り決めをする前に一度私へ連絡をして欲しい。何か起こった場合互いの国交に支障が出かねる』


「申し訳ありませんロレンツォ陛下。依頼を受け取った冒険者がジュリアーノ様や陛下のお知り合いとはつゆ知らず、急ぎの件ということもあり、こちらだけで話を進めてしまいました」


『ああ、そう謝らないでくれ、シャジェイア殿。弟の冒険者家業を認めたのはこの私だ。危険の(ともな)う依頼であっても、ジュリアーノ自身の選択ならば私が身勝手に口を出すのはお門違いというもの』



 ロレンツォ様……成長したなぁ。

 少し前まで過保護MAXだったのに、今は弟の成長を素直に喜ぶただただ良い兄さんになった。

 どんなに歳を食ったって、人は成長することができるんだ。

 実に素晴らしいことじゃないか。



「ごめんなさい、今度から気をつけるよ」



 まあ混雑が無くなって料金も低くなったとはいえ、外国への通信は1時間30万とかなり高価だ。

 王宮が通信室を使わせてくれなければこの会話だって叶わなかったわけで、とにかくシャジェイアには感謝しないといけないな。



『私も参加の予定を立てていたが、この砂嵐では祝辞のみか。まあしかし、王族の護衛とは実に名誉なことだ。皆くれぐれも粗相のないように、特に経津主殿は決して正体を明かさぬよう心がけ願いたい』


「わーってますよ公王サマ。つかさっきも聞いたし」


『重要なことなのだ。かつての領土とはいえ、文化や価値観は異なる。我が国では比較的受け入れられた君の姿も、亜人文化の控えめなミフターフでは奇異の感を抱かれてしまうのは必然。加えて今回の護衛は表立ったものではない、目立つこと自体が姫の身に危険を及ぼすのだ』


「斬っちまえばいい話だろンなもん」


「だがら、目立つなって言ってんの!」



 ロレンツォは呆れ果て、額に手を当てて『すまない…シャジェイア殿…』と苦い顔つきで小さくため息を吐く。

 これにはさすがのシャジェイアも苦笑いをするしかなく、24畳の部屋の中に微妙な空気が流れた。




 ロレンツォとの通話が終わると、時刻は午後2時半を回っていた。

 ずいぶん経ったな、1時間半も話してたのかよオレたち。

 真昼の陽光に照らされた地面が熱を発し、ジリジリと焼け付くような暑さが上からも下からも襲う中、近衛兵たちの指導のもと、オレたちは訓練を再開した。


 内容は今のところ、それぞれの武器を用いた組み手のみ。

 アイテールや経津主の修行となんら変わらないものに思えるが、ただ一つだけ違う箇所がある。

 それは、背後に設置された木の的を壊されないように守りながら戦わなければならないというもの。

 これが本当に難しくて、一つに集中しすぎるクセのあるオレには自分に降り注いだ攻撃を受け流すことすらも困難だった。

 またオレの相手であるシャジェイアの戦闘スタイルも厄介で、先端に鋼鉄の刃が備わった長く太い鎖をプロペラのようにブンブンと振り回すもんだから、威圧と風圧でその場から動くのも一苦労。

 おまけに遠隔武器であるので、一撃を入れようと近づこうもんなら瞬時に背後の的を破壊される。

 始まってまだ半日しか経っていないが、正直言ってもう心が折れそうだ。



「くたびれたか、ケンゴ」



 先ほど現役の近衛兵2人を片手剣一本で圧倒したばかりのサイファルが、皮の水筒を片手にオレの隣へ座った。



「ハァ……シャジェイアさん強いってレベルじゃないよ。マジで鎖がトラウマになりそう」


「団長は王宮に仕える兵士の中でも飛び抜けた実力を持っている。苦戦するのも無理は無い、むしろ勝てなくて当たり前だ」


「負け確定してるのぉ…?ああ〜やる気が……サイファル変わってくんない?」


「無茶言わないでくれ、僕だって敵わないさ」


「ええ……も〜デカいし強いし、何食ったらああなれるんだよ!!」



 情けない声で弱音を吐くオレに対し、ハハハと大笑いするサイファル。

 ハァ、アイテールといいシャジェイアといい、頭ひとつ抜けて強い人ってのは見た目も筋骨隆々で圧があるんだよな。

 経津主も大概筋肉あるしディファルトも腕とか結構太かったし、そう考えるとアイテールの『物理こそがこの世界における最強の戦法』という自論も、あながち間違いじゃないのかもしれない。



「何を食べて…か。ハハ、おそらく彼の場合は育った環境の影響だろうな」


「環境?なに、小さい頃から訓練受けてきたとかそんな感じ?」


「いいや、彼は元々盗賊だったんだ」


「えっ」



 一瞬オレは自分の耳を疑った。

 あまりの驚きにサイファルの方を振り返り「と、盗賊って……」と聞き返すが、彼は何気ない表情で水を一口飲む。

 そしてあぐらを解き壁にもたれかかりながら、ゆっくりと話し始めた。



「君も知っているだろうが、砂漠にはいくつかの盗賊集団が住んでいる。旅人を襲ったり貨物を盗んだり、まあとにかく長年手を焼いているわけだ」



 ミフターフは国土の8割を砂漠が占める乾燥地帯であり、皆オアシスのもとで生活を送るため必然的に居住区域が少ない。

 そのほかの土地は移動以外に使われることは滅多にないため、そういった地域に盗賊が住み着き、通りかかった商人や旅人を襲うのだ。



「一昔前まではアルビダイアの周りにも盗賊が住んでいたのだが、10年ほど前に王宮と冒険者ギルドの合同で撲滅作戦がとられて、組織がいくつか解体されたんだ。団長はそこの一つに所属していて、組織壊滅と同時に兵役として王宮へ引き取られたらしい」


「…ずいぶんと詳しいんだな」


「ああ、父づてに色々とな」



 そっか、コイツの親父さん冒険者ギルドのお偉いさんだった。



「詳細まではわからないが、おそらく当時子供だった彼に刑罰は酷だと無罪放免になったのだろう」


「確かに、子供を牢に閉じ込めるのはな……ってか、フツーに聴いてたけどそれ言っちゃっていいの?」


「まあ結構昔のことだし、本人も割り切ってるんじゃないか?大して気にしてるようなそぶりも見せないし」



 サイファル……これ大丈夫かな。

 真面目だし良いやつには変わりないんだけど、時々思ったことを馬鹿正直に口に出してしまう、ちょっとした悪癖がある。

 気になってそのまま聴いてしまったオレも悪いけれど、組織解体とか結構デリケートな話題だしなぁ。

 護衛のこととか、ほかの誰かにうっかり言ってしまってたりしないよな。



「……でも、あの人すごく従順だよな。普通なら敵の一つでも取りに行きそうなのに」


「生憎、私は恩を仇で返すほど捻くれてはいないのでな」


「うわあっ」



 突然真横から耳に入るシャジェイアの低い声に、ビクリと肩を揺らして反対側へのけぞるオレ。



「シャ、シャジェイア……さん、聞こえてたんですか…?」


「ああ。最初から」



 複雑な内情について訊いているところを目撃された後、こうして相見えた時の気まずさったら……。

 知ってしまった以上は仕方がないので、とりあえず当たり障りのないように細心の注意を払って接する。



「す、すごいですね、色々な荒波に揉まれた人生、オレ感動しましたよ。どうりであれだけ強いわけだ……」


「……まあ、並の幼少期ではなかったな」



 フウと小さく息を吐いてそう言って見せるシャジェイアの表情に不快の色はない。

 どうやら本当に気にしていないようだ。

 良かった、危うく出会って数日の人間相手に地雷を踏み抜くところだった。

 


「当時の私は盗賊団以外の世界を知らなかった。未熟で幼稚な盗人の餓鬼風情(ふぜい)放っておけば良いものを、カラマガフ様は身よりも財産も無く砂漠に放り出されそうになった私を庇い、軍人の道へ導いてくださったのだ。彼の方への忠義を尽くすことこそが、私の体を血が通う意味。故に、謀反(むほん)などは決して有り得ない」



 静かな物言いではあるものの、言葉の一つ一つに宿る熱意が黒曜石のように真っ黒な瞳の奥から湧き上がっている。

 カラマガフって確か、海外に留学してるアサーラ姫のお兄さんのことだよな。

 彼女からは「陣頭指揮を得意とし、人望に溢れ、次期国王として最も相応しい方」と聴いていたが、部下からこれほど深く慕われているなんて、いったいどんな素敵な人なのだろう。

 世界を回るついでに会えたら良いな。

 するとひとまずを話し終えたシャジェイアがふと、何かを思い出したようにオレを見た。



「そうだ、カサイケンゴ。姫様がお前をお呼びだ」


「え、オレですか!?」


「ああ、なんでも2人きりで話したいことがあるとのことだ、訓練が終わり次第 第3談話室へ参れと」


「談話室に……」



 な、なんだこの展開。

 部屋で?

 2人きり?

 話したいこと?

 思わず立ち上がるオレを「ケンゴ……?」と不思議そうな表情で見上げるサイファル。

 オレのラノベ脳が言っている、これは恋の方程式だと。

 あるあるの展開に則れば、この後に続く答えは愛の告白ただひとつ!

 ………いや、いやいやいやいやないないないない、天地がランバダを踊ってもない。

 よく考えてみろ、オレみたいなのが女の子に好意を寄せてもらえるだなんて、そんなことあるわけないだろ!



「ケンゴ、何をそんなに難しい顔をしているんだ?トイレか?」


「え?あ、いや、違うんだ。ちょっと考えごとしてて……」



 不思議そうであるが少し心配の混じったような表情で問うサイファル。

 慌てた笑顔で彼へ応えるオレに、シャジェイアはハァとため息を吐いた。



「思いに(ふけ)るのが随分好きなようだな。まあともかく、私は伝えたぞ。もう一度声がけはするが、くれぐれも忘れないように」


「は、はい!」



 意味のないことを考えすぎる、悪い癖だなぁ。




 ということなので護衛の訓練を終えた後、オレはアサーラのいる第3談話室へと向かった。

 メイドさんに案内されながら王宮内を歩くと、改めて驚くほど質素な内装に目を見張る。

 露店街や他オアシス近辺に建つような家とは比べ物にならないが、建物自体は練土や木なのどでできており、金銀や宝石も衣服の装飾程度にしか施されていない様子が、あれほどギラギラな豪華絢爛な外装とは似ても似つかないのだ。

 外装にばかりお金を使ってしまったのか、はたまた使われている木自体がとんでもなく高価なのか。

 真相はわからないけどそこまで興味のあることじゃないし、別にいいや。



 「遅くなりました、カサイケンゴです」



 焦げ茶色の扉を開けると、そこにはシャジェイアに面接を受けたものと同じような談話室があった。

 向かって左側のソファに座って優雅にお茶を嗜むアサーラが「どうぞ」と向かい側の同じソファを指すので、「失礼します」と言ってオレも座る。

 オレの分のお茶を持ってきてくれたメイドさんが部屋を出て行ったタイミングで、アサーラは話を切り出した。



「お忙しい中お越しくださり感謝申し上げます、ケンゴ様」


「いえいえ、姫様のご要望とあらば」


「ウフフ、そんなシャジェイアのようなことおっしゃらないでくださいまし。今日はケンゴ様に(わたくし)からひとつお願い申し上げたいことがあり、お呼びさせていただきました」 



 真剣な顔つきのアサーラは、昨日とはうって変わってシンプルな服装をしていた。

 アクセサリーはほとんど着けていない、カチューシャと耳飾りくらいか、王族にそぐわないこれまた質素な姿だ。

 そんな彼女を前に、オレの背筋がピンと伸びる。

 そして一拍の間をおいて、アサーラは話し始めた。



「お願いします。建国祭の当日、この(わたくし)をトト様の図書館へ連れて行ってくださいませんか」


「えっ」



 意外だ。

 この真剣な空気、もっと大それた要求をされると思っていたのだが。

 図書館ってまさか、そんなことで良いのか?



「もちろん、ただ図書館へ連れて行っていただきたい訳ではありません。トト様と私、そして貴方の3人だけでお話をしたいのです」


「ええっ!い、いや、それは難しいですよ!オレもシャジェイアさんもサイファル達も、姫様を守る使命の下で護衛についているんです。オレたちには、貴方のおそばについてお護りする義務がります」


「それは重々承知しています!でも……でも!みんながいちゃダメなんです!!」



 突然ソファを立ち上がり、柄でもなく興奮気味にそうアサーラは訴えた。

 勢いに押されて驚くオレの表情を見ると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめて席に戻る。



「も、申し訳ありません。(わたくし)ったらつい……」


「い、いえそんな…」


「……反対されるというのは初めからわかっていました。でも、貴方には(わたくし)の話を聞いて頂きたいのです」



 するとアサーラはテーブルの下から小さな箱を取り出した。

 見た感じではデッキがいくつか入りそうなくらいのカードケースに思える。

 しかし、蓋を開けて彼女が取り出したのはまた意外なものであった。



「……本?」



 中から出てきたのは手帳サイズの本が1冊、ただそれだけだった。

 赤い表紙に銅褐色の紋章がついている、何か重々しい内容そうな本。



「日記です。(わたくし)のものではなく、父の書斎で歴史書を拝借した際に、そこの分厚い板に埋め込まれ隠されていたのを偶然発見しました」



 アサーラは日記を手渡す。

 若干汚れている箇所が目立つけど傷はそこまでついてない。

 日焼けした様子はないけれど、中のページがだいぶ変色している様子から相当な年月が経っていることがうかがえる。



「どうぞ、読んでみてください」


「は、はい……」



 オレは表紙を開き、黄ばんだページの一枚目を黙読した。


 『神世暦26815年 11月27日 

 今朝、やっとミフターフへ帰って来ることができた。

 休んでいた分やることが山積みで、早いとこ片付けないといけないのだが、本音を言うと面倒臭い。

 しかしここ最近ずっと冥界と地上とを行き来していたせいでどうも体内時計が狂ったらしく、夜になっても全く寝付けないので、今日も公務は分身たちに任せて、時差に慣れるまではしばらく休みを取ることにしようと思う。

 旅人に扮して街を歩いてみたが、皆いつも通り幸せそうな笑顔を浮かべていて心から安心した。

 だがそんな民の顔を見ていると、気付かれていないとはいえ一月も玉座を開けてしまった罪悪感が襲ってくる。

 神王として国を背負い守ることは私の使命、しかし迷える死者の魂を冥府へ送り届けることもまた私の使命。

 王であるにもかかわらずこれらが両立ができないのは、私が未熟であるからだ。

 露店街の果物屋の息子は、アスガルトの学校へ進学するために剣と魔術と学問の勉強を昼夜問わずしているらしい。

 私も頑張らなくては。

 でないとまた昔みたく、トトに怒られてしまう。』


 内容はなんてことない、格調のある普通の日記だ。

 けれど、でてくる単語が普通じゃない。

 国王の書斎にあったというし、文中にも自分が王であると自負する描写があるので、書き手はおそらくかつてのこの国の王。

 神世暦はこの世界における西暦みたいなもんで、今は27314年の10月、つまりこの日記は今から約500年前に書かれたものだ。

 500年前、ミフターフの王、これらの情報からオレの中で推察される人物はただ1人だけ。



「これは……メルクリウスの…日記…?」


「…はい」



 今オレの手に持たれているのは、かつてこのミフターフを建国し、500年の昔にその生涯を終えた神、伝令神メルクリウスの直筆日記。

 驚いた、まさかこんなものが残っていようとは。

 まあこんな小さな本だし、隠されていたのであれば500年もの間見つからなかったのもなんとなく納得がいく。

 本棚の底に埋めて隠してあるとか、子供のワクワクする空想みたいな話だ。

 しかし……。



「意外…ですね。聞いた話じゃ愚王だなんて言われていたのに、この日記の内容はまるで違う。その、姫様の前でこんなことを言うのは失礼かもしれないですけど、とても悪いヒトには……」


「ええ、(わたくし)もそう思いますわ」



 下を見ながら手を差し出すアサーラに本を渡す。



(わたくし)は元々歴史が好きで、小さい頃は絵本に目もくれず毎日のように歴史書を読んでいましたわ。父上に無理を言って、週に何度もフォウスサピエンティア図書館へ通った時期もありますのよ」



 そんなある意味 (とが)った幼児いるんだ。

 


「メルクリウス神のことは授業の中で知りました。毒災が起こった当時、飢えに苦しむ国民には目もくれず豪勢の限りを尽くしたことで民からの怒りを買い、反乱の末にその首を落とされたと。なにせ父上も母上も兄上も家臣も召使も兵士も、皆口々に彼を愚王と称するものですから、(わたくし)もそれを信じていました。けれど、この日記を見つけてから認識が変わりましたの」



 アサーラは本を開き、幾重にも重なるページを一枚一枚ゆっくりめくった。



「この日記には、ミフターフに対する溢れんばかりの愛情と信頼と敬意が込められています。16年の人生の中で、未だかつてこれほどまでに国と民を愛した王は見たことがありません。(わたくし)、この本を読んで心から感動いたましたの……」



 本を閉じて膝の上に置き、右手で表紙を優しく撫でるアサーラ。

 彼女の顔に浮かぶ表情は今までにないほど穏やかで、まるであの日記に出会えた喜びを深く深く噛み締めているようだった。



「……ですが、数ある歴史書や今の民の中で彼が愚王として記憶されていることもまた事実。正直、(わたくし)(かたよ)った知識だけでは判断しかねます。なので、どこの誰よりも歴史に詳しいお方にお会いし、訊いてみることにしましたの」


「なるほど、それで生き字引のトトを」


「はい。時にケンゴ様はトト様を呼び捨てになさるほど仲がよろしいようで」


「えっ!!あ、ま、まあ……」



 ちょっと気まずいな……今後は呼び捨てを控えた方が良いのかもしれないな。

 そんなことを考えながら、言い訳でもするみたいな微妙な表情で顔を逸らしていたその時、アサーラはまるで何か引き金で身引かれたかのように突然バッとソファから立ち上がった。

 彼女は勢いのままにその身を乗り出すと、向かい側に座るオレの手を力強くギュッと握った。

 いきなりであったことと瞬く間に距離を詰められ、動揺し赤面するオレ。



「お願いします!ケンゴ様!もう貴方しかいないのです!他の誰にこのことを話しても、固定観念が邪魔をしてとりいってくれる様子すら見せません!」


「なっ!そ、そんな、その日記を見せてみれば良いじゃないですか!オレもすごく感動しましたし、きっとみんなもわかってくれますよ!」


「ダメです!人の頭に植え付けられた固定観念というのは、貴方が思う何倍も何倍も強いんです!(わたくし)はどんな内容でも中立の立場を徹する気持ちで学んでいたから受け入れられたけれど、もしこれをお父様方にチラリとでも見せようものなら、有害図書として没収され焼かれてしまいますわ!」


「わ、わかりましたから!一回落ち着いてください!」



 アサーラは自分の席に戻ると、胸に手を当てて大きく深呼吸をした。

 この人は……さては興奮すると自分の世界に入っちゃうタイプだな?

 姫としてちょっとどうかと思うけれど、親しみやすいって意味では庶民的で良いのかもな。

 オレにもそっちの()があるからとやかくは言えないけど。



「……貴方に出会えたこと、運命だと思いましたの」



 アサーラは本を箱の中しまい込み、パチンと蓋を閉めて言った。



「歴史に(うと)い人は沢山いても、貴方のようにメルクリウス神への印象が悪の概念で染まりきっていない方は、そうそういらっしゃいませんわ」


「ええまあ…異世界の住人ですから……」


「え?何と?」


「い、田舎住みだったからですかね!多分!」



 アサーラは口元を手で隠し、フフッと笑って見せる。

 それにつられてオレも少し笑ってしまった。



「とにかく、邪魔の入らない状況でトト様にことの真相をお伺いしたいのです」


「邪魔が入らない状況……無理…とまではいかないけど難しいと……って!ひ、姫様!?」



 一瞬目を逸らせ隙を見せてしまったオレ。

 再び視線を戻すと、そこには深々と頭を下げたアサーラの姿があった。

 驚いたオレはさっきの何倍も動揺し狼狽え、アワアワと行き場のない両手を右往左往させて言葉を詰まらせる。



「お願いしますケンゴ様。これ以上の我儘は申し上げません。一度でいいのです。この口で、この耳で、真実を知りたいのです。どうか、この(わたくし)めにチャンスを頂けないでしょうか」


「わ、わわわかりました!わかりましたからから!顔!かか顔を上げてください!!」



 動揺し過ぎてつっかえつっかえに言葉を発するオレを前に、ゆっくりと顔をあげたアサーラの表情は、幸せな笑顔で満たされていた。

 一瞬何が起こったか脳の処理が追いつかないオレであったが、落ち着いて数秒が経った頃、まだすこい残る困惑の中で「してやられた」と彼女の考えを理解してしまった。



「ありがとうございますケンゴ様!嬉しいですわ、まさかこんなお願いをお受けいただけるだなんて!」



 箱を抱きしめピョンピョンと小さく飛び跳ねながら喜ぶアサーラの前で、オレは頭を抱えて絶望した。

 この女ァ…!!

 自分の立場と話術を最大限利用して陥れてきやがった!!

 なんて頭のキレる……いや、幼少期から歴史書読んでる時点で地頭は良いよな。

 クッソ……いやまあ願いを受けること自体は大変ってだけでそこまで嫌に感じていないし、そもそもなるべくヒトの役に立つってのはオレの中のポリシーだしある意味の義務だしでむしろウェルカムまであるが、こうずる賢い手を使われるとちょこーっとむかついちゃうんだよな。

 ……いや、いやいやいや。

 よく考えてみなさいよ。

 お姫さんは周りに理解者が1人もいない中、知りたい欲求を抑えに押さえてやっと巡り会えた都合の良い人なんだぜ?

 そりゃお前、どんな手を使ってもゲットしたくなるのは当然の真理じゃないか。

 そうだ、そうだとも。

 彼女はいたって正しい。

 悪いことなんてのはひとっつもない!!


 改めてアサーラを見てみると、表情も動きも今まで見たことがないくらいに嬉しそうで、腕の中の箱をまるで我が子を可愛がるかのように穏やかな顔で抱きしめている。

 そんなに嬉しいことなのか。



「約束しましたからね?絶対ですからね?」


「わかりましたって……でもちゃんとオレの言うこと聞いてくださいね?」


「当たり前ですわ!(わたくし)、一度心に決めたことは決して曲げない主義ですの!」



 ほとんど一方的に決められてしまったけれど、まあ良いか。

 メルクリウスについてはオレ自身も気になっていたことだし、最近はトトも祭りの準備で忙しくてなかなか時間が取れなかったんだ、ちょうど良い。

 



 図書館に帰り、オレはアサーラのことをトトに話した。



「……なるほど。わかった、手配しておこう」


「ありがとう。悪いな、忙しいのに時間取らせちゃって」


「いいや、構わない。私も当日は図書館に籠っている予定だったからな」



 そうは言っているが、トトの表情は少し沈んでいる。

 ここ数日、彼はずっとこんな調子だ。

 建国祭が近づくにつれ、少しずつ少しずつ顔つきが浮かなくなっていっている。

 何かあったのだろうか。



「トトお茶飲む?オレ入れるよ」


「ああ、ありがとう」



 オレは棚の上の缶を取り、終わりかけの茶葉をティーポッドに入れて湯を注ぐ。

 ハタから見るだけじゃ全然わからないけれど、顔を合わせて話すとよくわかる。

 本人は隠しているつもりみたいだし、無闇に突くのは可哀想だよな。

 そっとしておこう。






 2日後、建国祭当日。

 サンサンと地上を照りつける陽光を乱反射して輝く宮殿の塀の影に見えるのは、数人の男女の姿。



「ったっっく、このっ!動きづらいったらありゃしねェ!」


「うるさいわねぇ。それぐらい我慢しなさいよ、あんた神でしょ?」


「前ぐらいなら開けても良いが、間違っても街中で半裸にはなるなよ……?」



 変装のためにミフターフの伝統衣装に着替えた経津主が、長い袖を鬱陶しそうな表情で引っ張る。

 いつも和風テイストの服を着ている姿しか見ていなかったからちょっと不安だったけど、案外似合っているじゃないか。

 馬子にも衣装ってやつ?

 額に青スジを浮かべ目に見えてイラついている経津主に、ガイアが「ガマンガマン」と若干からかいも入れつつなだめる。

 そのすぐ横ではアサーラが、別れ際に国王に頭を撫でられたせいで少し乱れてしまった髪の毛をコンパクト片手に手クシで整えていた。

 初めて会ったけど、結構良い人だったな。

 ザ・王様って感じの包容力のある髭の濃いおじさん、父方の親戚にあんなのいたなぁ…。



「皆さん、早く行きましょう!出店広場が混んでしまいますわ!」


「は、アサーラ様。直ちに」


「ちょっと“スライマーンさん”?今の私は“アサーラ”ではなくってよ?」


「も、申し訳ありません“シャーム様”……」


「もうっ!敬語もダメですって!」



 慣れない呼び名に戸惑いつつ頭を下げるシャジェイアもとい“スライマーン”に、ぷっくりと頬を膨らませるアサーラ。

 本人は上からマントを羽織っただけで特に大きな変化を加えたわけではらしいが、さすがはジュリアーノの認識阻害魔法。

 説明をされた今でも視界との錯誤に脳が未だ混乱している。

 加えて近衛兵団長にミフターフ一の冒険者と刀剣の神がそばにつく、これなら並大抵のヤツじゃあ(さら)うどころかスリも働けないだろう。

 


「全員揃ったな。ではジュリアーノ様、洋服屋の裏路地へ転送をお願いいたします」


「はい。では皆さん!魔法陣に集まってください!」



 掛け声を聞き、一箇所に集まる6人。

 ジュリアーノが彼らに杖を向けて詠唱を唱えると、地面にチョークで描かれた巨大な魔法陣が白く光り出す。

 光の柱に包まれて徐々に見えなくなっていく6人に、近衛兵は敬礼しメイドとオレたちは手を振った。

 光が完全に消えると、そこにはまるで初めから何もなかったかのような静けさだけが残る。



「……じゃ、オレたちも行くか」


「そうだね、では僕らはこれで」


「お疲れ様でした。我が国の建国祭を存分にお楽しみくださいませ」



 そう言って深々と頭を下げるメイドたちに、オレたちも会釈をした。



「よぉーっし、レッツゴー!!」


「おにく!おにく!」



 ピョンピョンと飛び跳ねながら先導する2人の少女の後を、2人の少年が追いかけて行く。

 日差しが皮膚を刺すような昼間のミフターフは、今日もカラリとした炎暑。

 だがすぐそこに待つ楽しいイベントを目前には、その辛さもあっという間に吹っ飛んでしまう。

 よーっし、目一杯楽しむぞ!!

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異世界転移
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