第41話「姫と大戦」
「シャジェイア、その方々は客人ですか?何故謝罪をなされているのです?」
「はい姫様。取るに足らぬことです、さほど重要な事柄ではありませんのでご安心を」
少女に向かって跪いたシャジェイアに慌ててオレたちも跪く。
だが、経津主だけは腕を組んだ仁王立ちのまま。
姫様と言ったか?
じゃあこの子が、噂のアサーラ姫。
鮮やかで美しいアバーヤと金銀宝石の散りばめられた輝かしいアクセサリーが彼女の高貴さをより引き立たせている……が、ところどころ泥がついているのが少し気になるな。
軍手とスコップ、花壇でもいじっていたのかな?
アサーラは「そうですか」とひとこと発すると、オレたちの様子を少し観察する。
「見たところ冒険者のようですわね。もしや護衛の……あら、ジュリアーノ様?」
いきなり名前を呼ばれたことに驚きの表情を見せるジュリアーノだったが、退魔の煌光のせいで自分の正体があらわになっていたことを悟ると、苦笑いで顔を上げた。
「お、お久しぶりですアサーラ姫」
「ええ、本当にお久しぶりですわ。その格好……まさか、ジュリアーノ様が私の護衛を!?ちょっとシャジェイア、一体どういうこと!?」
「ご安心くださいアサーラ様、ジュリアーノ様がご協力なされるのは魔術の面のみです。姫の護衛はこの2人が」
シャジェイアから目配せを受け、オレと経津主はそれぞれ名を名乗る。
「経津主神、鎧銭の有名な刀神様でしたわね。ケンゴさんは存じ上げませんでしたけど、シャジェイアが許可を出したということはそれだけ頼りになるお方と見ました。危険の伴う父の我儘をきいていただき、私からも感謝いたしますわ」
そう言うとアサーラは片手の軍手を取って胸の辺りに当て、にっこりと微笑んだ。
キツそうなお姫様だと思ったけど、案外優しいし振る舞いの一つ一つに品性が宿っていてとても美しい。
アラビアのドレスであるアバーヤと、古代エジプト風なシースドレスを合わせたような服装。
金や銀、色とりどりの宝石が散りばめられたアクセサリーで着飾っているのにケバケバしい雰囲気を感じられないのは、きっと彼女が礼儀と品性をしっかりとあわせ持っている堅実な女性であるからだろう。
「姫様、護衛をつけるのは国王様の我儘というわけではなく、貴方様の身を案じてのことでして」
「だからって5人もつける必要なんてないでしょう?私何度も申し上げましたわ、それなのに意地を張って聞き入れてくださらなかったのはお父様の方よ」
「い、いえ、ですのでそれは……」
いや、やっぱりちょっと子供っぽいかも。
年齢も結構若そうだし、オレと同い年くらいかな。
「シャジェイア、本当にあなたはお父様の味方しかしませんね。でも、使命感を持った殿方に護衛をしていただけることは私としても光栄に思いますわ。全く、サイファルの人脈も努努侮れないわね」
「い、いえこちらこそ!姫様の護衛を担わせていただけるなど光栄のいたり、精一杯 努めさせていただきます」
「まあ俺様がいりゃ心配ねぇよ」
シャジェイアが真っ黒な瞳で経津主を睨み「敬語を使え」と注意するが、アサーラが「構いません」と窘める。
そんな様子に苦笑いをするオレたちだったが、当の本人は全くもって気にしていない様子だ。
経津主に然りガイアやアイテール、なぜ神はヒトに対し敬語を使わないのだろうか。
敬意を表に示す意思がないのか、はたまた単純に自分たちが生物における頂点の存在と心底自覚しているからなのか、そこら辺の価値観はまだよく理解できんなぁ。
「この後はどうされますのシャジェイア。この方達に指導でもなさるのかしら」
「いえ、それは明日からにございます。今日は私に仕事が入っておりますゆえ、顔合わせのみでこの後はすぐに解散となります」
「まあ、それなら良かった。お父様もお母様もお昼を食べないで出てしまうから、私この後1人でお食事ですの。良ければご一緒にいかが?」
アサーラの発した「お食事」という言葉に真っ先に飛びついたのはガイア。
無い目をまるで動物園に訪れた幼子のごとくキラキラと輝かせ、飛び上がるように立ち上がってアサーラに近寄った。
「あ、お前!」とシャジェイアが止めようとするが、アサーラが一瞬 不機嫌そうな顔をしたので、勢いを押し殺しその場で止まる。
一方、食事の誘いに誰よりも興味を示しそうなベルはまたもや「お食事」の意味がわからず、ジュリアーノに意味を問うていた。
「良いんですか、オレたちがそんな……」
「何を言ってらっしゃるの?あなた方は私の護衛を務めると同時に、私のお友達の役割も果たしてもらわなくてはならないのよ?そのためにもお互いを知っておくべきだと考えたのだけど、お気に召さなかったかしら」
「い、いえ!そんなことは!」
「むしろすっっごーく嬉しいよ!ちょうどお昼時だし、お腹空いてたんだー。ね〜ベル〜」
「おしろのごはん、たべたいです!」
本当、この2人は食べ物のことになると手が負えない。
2人の勢いに身を逸らすアサーラだが、その表情はとても嬉しそうだ。
「決まりですわね。では私は着替えてから参りますので、30分ほど待っていてくださいまし。その間はそちらのメイドが宮殿を案内いたしますわ」
かくして招かれた宮殿内。
オレたちはまず中庭の花壇を見回って、その後はバルコニーを少し覗き、トイレを借りてから食卓へと向かった。
今までは手作りだったりその辺の屋台やカフェで食べていたため、高級なミフターフ料理というのは口にしたことがなく、個人的にもどんなものかとワクワクしていた。
しかし部屋へ入って1番最初に目に入ったのは巨大なサンドクラブ。
案の定 食卓にテーブルなどは無く、ピカピカに輝く大理石に大きな絨毯が1枚と、その上に豪華な料理が乗った銀色の大皿がいくつか乗せられているという風景。
「いらっしゃいませ。さ、どうぞ好きなクッションへお座りになって」
「おじゃまします。相変わらずここの料理は迫力がすごいですね。ご丁寧にフォークとスプーンまで」
「お気になさらないで、食卓は来客に合わせるのが我が家のしきたりですから。しかし急遽ゆえテーブルは用意が間に合わなくて、そこばかりはご勘弁くださいまし」
「いえいえ、お気遣いありがとうございます」
さも日常のように涼しい顔でクッションへあぐらをかくジュリアーノ。
さすが公王氏族。
国交のときに覚えたのだろうか、他の王宮文化を涼しい顔で難なくこなすとは。
だが心配は無用。
床に座しての食事ならば図書館に住み込んだ今、バッチリ経験しておるわ!
でも礼儀作法とかはイマイチ覚えきれてないんだよな……ジュリアーノの真似をしときゃ良いか。
「わー良い匂い!しっつれいしまーす!」
「あ、こら!ジャンプすんな」
「良いのですよ。私も食事は読書と調べ物の次に大好きですわ。さ、遠慮なく沢山食べてくださいまし」
各々が大皿から料理をを小皿へ摂り、各々のペースで食べていく。
どれから食べようか。
このデッカいサンドクラブは後々にとして、このファラフェル(潰した豆に香辛料を混ぜて揚げたコロッケのようなもの)ずいぶんと綺麗な狐色だな。
ムスフ(豆をペスト状にして調味料を混ぜたもの)は馴染みがあって最初に手をつけるには丁度良い、いやしかしケバブも捨て難いなぁ……。
「賢吾!カニと野菜と、あと何か美味しそうなのとって!」
「あーはいはい」
銀色の取り皿に野菜とケバブ、サンドクラブの足2本を盛り付けてガイアに渡した。
「ここにサラダでこっちにケバブ、これカニの足な。殼付いてるのが2本あるから気をつけろよ」
「はーい!うわぁ……美味しそう…!」
ガイアは器用にフォークを使ってレタスを刺し取り口へ運ぶ。
コイツに手足ができたおかげで食事がだいぶ楽になった。
前まではとった上にオレが口まで運ばなきゃいけなかったけど、両腕を得てからはちゃんと自分で食べられるようになったので、オレの仕事は食べ物を小皿に取ってやるだけ。
世話の手間が少し省けたおかげで自分のペースで食事を楽しめるようになり、オレとしてはだいぶ気楽になったのだが、心の奥底ではちょっぴり寂しいなんて感じることもある。
今までずっと「めんどくさい」と言いつつ手を焼いてきたのに、いざこの手から離れてみると少し恋しくなってしまうんだ。
人間って不思議だよな。
慣れきらない手つきでフォークを持ち、ケバブを頬張るベルの表情は終始 朗らかで、いつもの屋台とは比べ物にならないほど高貴な絶品さに舌鼓を打つ。
そんな彼女を微笑ましい顔つきで見守るアサーラ。
「貴方ほど幸せそうに食されるお方は初めてお会いしましたわ。お料理がお気に召したようで何よりです。そういえば、皆様どのようなご用でミフターフへ?少なくとも半年以上は滞在なされていると思うのですが、お恥ずかしながらこの私、ジュリアーノ様が我が国にいらっしゃるということは今日初めて知りましたの」
「ああそれは、お話にすると長くなりまして……」
ジュリアーノはオレたちはミフターフへ訪れた経緯を話した。
色々なことがあったせいでだいぶ長くなってしまったが、アサーラは終始 興味津々な様子で話へ食らいつき合図を打っている。
「まあ、そのようなことが。アウローラのような大自然の中からいきなり慣れない地へ飛ばされて、さぞ心細かったでしょう?」
「いやまあ。確かに初めは節約だのなんだので大変でしたけど、大きな苦労はしませんでしたよ。ミフターフの人たちみんな優しいですしね。それこそ詐欺に引っかかりそうになった時なんか、通りすがりの人に助けてもらっちゃって」
ここら辺でオレも流暢に話せるようになってきた。
数分で自然と緊張がほぐれてくれるこの精神に育ててくれた親に感謝だな。
「それはそれは、この国の姫としてとても光栄なことですわ。お住まいはいかがなさっていますの?やはり冒険者ギルドに?」
「いえ、今はトト神の元で居候させていただいています」
「まあ、フォウスサピエンティア図書館に!?皆様は、それほどトト様と仲がよろしいのですか!?」
「僕たちというより、ケンゴが。鎧銭へ行く渡航代を貯めないといけないので」
「まあ……」
豆鉄砲でも撃たれたかのような表情でフリーズするアサーラ。
まあ割と妥当な反応だよな。
あれだけ人に慕われている神がこんな普通にいち冒険者と親しいだなんて。
……いや、ジュリアーノとつるんでる時点で普通ではないのか。
「しかし、ギベオン教団十二公が1人アクエリアス……教団関係の事件でよく聞く名ですわね。眉唾物の話しですが、500年前の毒災も彼に関係があると何処かで聴いたことがあります」
「毒災……ですか?」
聞き慣れない言葉をマヌケに復唱をするオレに、珍しいものでも見たかのような表情のアサーラとジュリアーノ。
「あらケンゴ様、ご存知なくて?ここより北のシャンバラ龍王国を中心とした原因不明の大規模な災害ですわ。巨大水源から突如発生した毒によりシャンバラは滅亡。大量の毒は国内にとどまることはなく、隣国にまで甚大な被害をもたらしました。アウローラ公国では当時の公王が亡くなり、外交に居合わせたアトランティスのトリトン王子が意識不明の重体、当時の凱藍付近では木花之咲耶姫がその身を犠牲に浄化結界を張ったとのこと」
トリトン、木花之咲耶姫、どちらも前に世界の神話で耳にしたことのある名前。
話し方と名前の出し方からして相当な重要人物と見た。
「もちろんこのミフターフも、大きな山脈を挟んでいるとはいえ、たった一本の国境線で隔たれた隣国。呪いの侵食を受けた上に、地下水脈が完全に毒に犯されてしまいました」
なるほど。
それが現在、北西の汚染区域になっているということか。
一国を滅ぼした毒素が自分の国の地下水脈にまで侵食している。
水源の乏しいこの砂漠のど真ん中でそれがどれほど恐ろしいものなのか、恵まれた環境でのびのびと生きてきたオレには見当もつかないが、きっと形容し難い恐怖に襲われるのだろう。
「なんだか、ボクには想像もできないな。でもいきなり『地下水が毒になったー!』なんて言われちゃったら、きっと樽の中の安全な水でも怖くて飲めなくなっちゃうと思う」
「そうですわね。実際当時のミフターフでは自然水を口に含むこと自体が自殺行為とされており、民は皆 王宮から支給されたミルクと長期保存の効くパンだけで生活していたとの記録がございましたわ」
「500年前っつったら俺様 生まれてすらいねぇけどよ、そんだけ時間があったのにまだ毒を消しきれてねぇのか?」
「あ、こら、経津主!」
突発的すぎるノンデリ発言に、オレは茶を吹き出しそうになりつつ経津主を制止しようとする。
「うるせぇ黙っとけ。訊いた話だけど、今で言う凱藍のほうはシャンバラと国境が繋がってる上に馬鹿デカい河と湖があって、毒災当時は水も絶たれて完全に封鎖されたらしい。けど今は咲耶姫の結界のおかげで完全に浄化されて、水蠆や山椒魚だって住んでるんだぜ。咲耶姫の浄化術が目を見張るもんだってのは俺様だって知っている、けどお前らの国にはかのトト神がいるんだ。あのヒトが一国が滅亡するほどの危機に何もしないなんてのはありえねぇし、お前らにも何か問題があるんじゃねぇの?」
……コイツは本当に……。
思っていなかったかと言えば嘘になる、だがわざわざ口に出すようなことじゃないだろ!
やけに苦い表情をする女中たちの視線が痛い。
落ち込み俯くように見えるアサーラ……しかし深呼吸を経て再び前を向いた彼女の表情は、気高くもどこか悲しみをはらんだ様子であった。
「ええ経津主神様。その意見ごもっともですわ。当時の民は水も作物も自分たちで手に入れることが叶わなかったゆえ、身も心も飢えていました。皆が自分たちの事情に精一杯で、毒の解決に手を回せるほどの余裕が無かったのです」
ポツリポツリ、アサーラはゆっくりと話していく。
「実際のところ、毒災における我々の成果などは本当に微々たるもの、今のミフターフがあるのは全てトト様のお蔭と言えましょう。彼は当時図書館に篭り尽くし、毒素についての研究を昼夜問わずに重ね続けてくださったそうです。トト様の作り出した解毒薬は多くの水源を復活させたと同時に多くの汚染地帯を浄化し、水不足と食糧難を一気に解決へと導きました。本当に、感謝という言葉だけでこの御恩は言い表すことはできませんわ」
アサーラの言葉に周りの女中もうんうんと静かに頷く。
これがミフターフの民たちがトトを無条件に慕う理由。
なるほど、心底納得がいく。
500年も昔のこととはいえど、何千万という民の命を生かし救った功績は多大なものだ。
厄災の伝承というのは、皆が意識せずとも人の口を伝って長く残るもの。
それが一国の存亡を揺るがせた災害ともあれば、もはや伝説級の昔話だ。
周りの反応からして結構有名な話っぽいし、それでいて国を救った偉大なる神というなんとも子供の興味をそそりそうな内容。
英雄があんなに身近にいてあの人柄じゃ、ここまで多大な尊敬を集めるのも別に不思議な話じゃないよな。
けど、やっぱり気になるのがメルクリウス神の存在だ。
彼を「愚王」と呼んだシャジェイアの目は、今でもオレの脳裏に焼き付いている。
シャンバラで毒災が起こったのは500年前、かつてこの国を治めたという彼が亡くなったのも同じ500年前。
関係性を疑わない方がおかしい。
先ほどアサーラは毒災の影響で木花之咲耶姫が我が身を犠牲に浄化結界を張ったと話していた。
木花之咲耶姫とは日本神話に登場する花の女神と同じ呼び名、神であると考えて申し分ない彼女が我が身を犠牲した、つまり亡くなったというのであれば、シャンバラの毒は神の命をも奪うほどに強力なものであったと考えられる。
となればやはり毒死?
愚王なんて呼ばれていたくらいだから、事に乗じて毒殺されたなんてことも考えられる。
ただでさえガードの硬い王が自然に毒を摂取するとは思えないもんな。
けど世界規模で大騒ぎになるような事態の中でそんなに頭が回るものだろうか。
でも普段から恨みを募らせていれば、そんな発想も瞬時に浮かぶものなのかもしれないよな。
いやいや、乏しい知識でいくら考えたってわかるわけがないんだ。
今この話を切り出したら空気を壊すし、時間がある時にトトへ訊いてみよう。
1時間ほど豪華な昼食とおしゃべりを堪能した後、オレたちは宮殿を後にした。
わざわざ食事の席へ招いてくれたということで色々と話が弾んでしまった結果、今度 手料理をご馳走することになってしまったけれど、大丈夫だろうか。
オレとしては緊張するだけで作ること自体は全くもって構わないけれど、さすがにシャジェイアのストップが入りそうだな。
また短い時間ではあったものの、本物のプリンセスのお上品な振る舞いに感化されたのか、あの1時間でベルの行儀がとても良くなった。
フォークの持ち方も食べ物の口への運び方も前よりずっとキレイになって、食べるペースもゆっくりになったから溢すことも無くなったし、親みたいな言い方をするけれどなんというか、また一本成長したのがとても微笑ましかった。
小さい子が素敵なお姉さんに影響を受けるのと似たようなものだろうか。
最近では言葉もだいぶ流暢になったし、もうそろそろ面倒も手放しで良いのかもしれないな。
「明日から宮殿で訓練か。当分冒険者はお休みってなっても、やっぱり忙しくなりそうだね」
「だな。朝8時から夜5時まで一日中、一体何を叩き込まれるか……」
「でも経津主の特訓よりは楽なんじゃない?」
「あはは、一理あるなあ」
図書館に帰ってからはオレとガイアとジュリアーノに3人で一つの仮眠室に集まり、そんなことを談笑していた。
ちなみに、ベルと経津主は今日の晩御飯の買い出しに露店外へ行ってもらっている。
なぜこんなにも余裕なのか気になるところだと思うが、祭りまでに大きな怪我をされると困るとのことで依頼にも行けないので、正直今日の午後はやることがないのだ。
「まさかケンゴが毒災のことを知らないでいただなんて。今思えば片鱗みたいなのはちょくちょく出てたけど、さすがに気が付かなかったな」
「そんなに有名な話なのか?全く聞いた事なかったぞ」
「まあ育った環境が違うからなんとも言えないけれど、僕らぐらいの歳ならほとんど知ってると思うよ」
「一般教養に近いかもねぇ」
なるほど、まあこの世界の歴史とかちゃんと学んだ事がないからな。
会話のズレを予防するためにも少し知っておいた方が良さそうだ。
「歴史的に大きな出来事って他にもあったりしないか?オレそういうの疎くってさ」
「あ〜、そうだな。毒災くらい大きいのだと他には……アスラ大戦とかかな」
「アスラ大戦?」
アスラ……白光の?それとも尻怪獣?
いや、インド神話の方だろうか。
どちらにしても耳馴染みのある音には違いないが。
「5千年前に勃発したアスラ族と世界全土の大戦争だよ。名のある神々が一斉に集結して、星空神ウラノス率いるアスラ族と真正面でぶつかりあったんだ」
「え、ウラノスって原初神の?原初神一柱対その他の神?」
「まあそうだね。でもアスラ族もずっと厄介だったそうだよ?彼ら身体能力と生命力が桁違いな上に団結力と仲間意識がすごく強かったらしくて、原初神やディーコンセンテス十二神が束になってかかっても苦戦を強いられたんだって。最後の方には八大龍王や九柱神までが参戦して、やっとおさまったんだ」
「へぇ〜。神々が束になっても敵わないって、なんていうかすごいなアスラ族」
「すごいなんてもんじゃないよ。昔読んだ本には『脚が飛ぼうと腹が抉られようとも立ち上がり猛進せんとするその姿、さながら樹々を薙ぎ倒す土砂の激流。一日も足らず二つの山と一つの谷を越え、城をも凌ぐ高き崖を一跳びで登る。まさに神に最も近き一族なり』なんて書いてあったほどだもの。幻惑系の魔術が効かなかったなんて話もあるし、現代にまだ残っていたら一体どんな……」
「まだ残ってたらって、もういないのか?」
「うん。大戦でほぼ全滅しちゃったからね。生き残った人たちも住処が無くなったり差別だったりでどんどん数が減っていっちゃったらしくて」
「そうなんだ。なんか少し可哀想だな、みんながみんな戦いに賛成してたわけじゃないだろうに」
「そうだね。けど、高い知恵と理性を持った生き物なら誰だって先入観を持つものだから。世界を巻き込んだ戦争を起こした種族を仲間として受け入れろなんて、当事者には難しすぎるよ」
5千年前の大戦争か。
神々が集結だなんて、ロマンの塊じゃないか。
ディーコンセンテス十二神はオリュンポス十二神だろ?
八大龍王はおそらく仏教の龍の王たちか、九柱神の方はエジプトの創世に関わったと謳われる特に重要な神々の総称、確かトト神もその一柱だった気がする。
神話オタクのオレとしては是非その場に立ち会いたかった……いや、その地に降り立った時点でいつのまにか死んでそうだな。
「そうだ、ガイアは原初神なんだよね!もしかして、その場に居合わせてたりした?」
ジュリアーノが思い付いたように言った。
あ、そっか。
そういえばコイツも原初の生命神だったんだ。
あまりにも身近すぎるもんで、すっかり頭からぬけ落ちてたよ。
「あ〜まあねぇ。ボクも生命神として命が蔑ろにされるのは見逃せることじゃないから匿ったりなんだりしていたんだけど、元々地下で暮らしていたアスラ族に地上の生活はなかなか慣れないものだったよ。それに、彼ら見た目もわかりやすかったからね。姿を消した後でもしばらくは灰色の髪や赤い瞳への差別はなかなか無くならなかったよ」
灰色の髪に赤い瞳の戦闘民族……想像すると更に厨二心をくすぐられるな。
アスラといえばインド神話における神々の敵対種族。
この世界の神々と全土を巻き込む大戦争を起こした民族としては、ピッタリの呼び名と言えるだろう。
しかし、『星空神ウラノス率いる』か。
前の世界の神話でも暴君的な振る舞いをしてクロノスに追放を受けていた、あまり良いイメージの無い神だ。
全土の神々に喧嘩を売るなんて、なんて血気盛んな人物だろう。
「その、アスラ族を統率してたウラノスってヤツはどうなったの?」
「淵獄牢で幽閉されているよ。今のところはね」
「え、淵獄牢!?うそ、本当にあったの!?てっきり架空の監獄だと僕は……」
「えん、ごくろう……?」
なんだ、また別の単語が出てきたぞ。
瞳を輝かせ身を乗り出すジュリアーノの横で、オレの頭上に浮かぶハテナマーク。
響きからして何かとても重要な場所であることだけはわかるか。
「奈落の神タルタロスが治める異次元の牢獄だよ。何年か前に本で読んだことがあるけど、無限の空間を有するだとか、管理人であるタルタロスすらも絶対に壊すことのできない無敵の監獄だとか、書かれている情報が全部ファンタジックすぎて正直信じてなかったっていうか……」
「ああ……ハイハイ」
彼らにとってのファンタジーの基準がよくわからん。
ぶっちゃけオレにとっちゃこの世界で目にするもの全てが信じられないような事柄なんだけどな。
まあそこは潜在的な価値観とか固定観念の違いってやつか。
「実際に見ないと想像つかないよねぇ。まあ彼らと顔を合わせることなんて無いだろうから、そんなに深く考えなくて良いよ。ボクもあんまり関わりたく無いからね」
「ええ、でも気になるよ。一生に読める本の数なんて限りがあるし、載ってないことだってあるんだから。ねぇガイア、ウラノスってどんなヒトだったの?」
「ええ〜……気になるぅ?」
今日のジュリアーノはグイグイ行くな。
まあ元々物語の好きなヤツだからな、歴史に興味を持つのは意外な話じゃない。
ジュリアーノは興味津々といった様子だが、ガイアはちょっと嫌そうに身を逸らししかめっ面を見せる。
「なんていうかまあ、個性的な子だったよ。群れるのが好きじゃないんだかわからないけど、いつも1人で夜空を眺めてたっけか。とにかく関心が極端で強い感じだね、興味のあることにはとことん熱中するけど、他はちょっとおろそか気味になっちゃってた。そういうのもあってか、世界に国が出来始めた時期からほとんど音沙汰が無かったんだよね。久々に会ったら随分と人相が変わってて、初めは彼だって気が付かなかったよ」
星空神だし、夜とか星とかが好きなのは当然か。
関心が極端で強いってことは、けっこうオタク気質なヒトだったのだろうか。
今オレの中で生成されるているウラノスの姿は、クラスの端っこで背中を丸めるオタク少年。
なんか、話を聞いたヒトによっちゃ熱烈なオタクは犯罪者予備軍ってなイメージが付きそうで嫌だな。
世界を揺るがす大戦争を起こしたのは事実であるが、それが一極集中の興味関心と結びつくのかと言えば違う気がする。
いや、心理学者でもないオレが知識も無くどうこう言うのは良くないか。
「……でも、ずっと放っておいたボクたちが悪いのかもしれない。原初神11柱 長い間みんなで支え合ってきたつもりだったけど、よくよく思い返してみれば、彼を気にかけたことはほとんどなかったよ。戦争の時だって、もっと彼と親身に接していたら何か違かったのかもしれない。少なくとも、あんなことには……」
ガイアの声は言葉を発するごとに沈んでいった。
ジュリアーノから聞いた話によれば、原初神は世界が創造されたと同時に生まれた存在だという。
何十億年もの時を共に過ごしてきた仲間に裏切られるのがどれだけ辛いことか、「気にかけたことはほとんどない」だなんて言っているけれど、ここまでの落ち込みようを見るに、何かしら原初神であること以上の関係があったのではないだろうか。
根拠があるわけではないが、経験上なんとなくそんな気がしてしまう。
……やめよう。
コイツに必要なのは、何も知らない勝手な価値観での過去の推測じゃない。
今そばにいる仲間の寄り添いなんだ。
「……ごめんね、嫌なこと思い出させちゃって…………でも、起こってしまったことはもう仕方がないよ。他の原初神たちがどんな考えを持っているかはわからないけれど、少なくともガイアは彼のことを気にかけてあげてるじゃない。そんなに気を落とさないで、僕はガイアのこと、とても優しい子だと思うよ」
ジュリアーノは座ったまま少し姿勢を屈め、ガイアに寄り添う形で慰めた。
「そうだぞ。もう過ぎたことなんだ、過去を掘り返して嫌なこと多い出すより、今日の晩飯を思い浮かべた方がよぽど楽しいだろ?ほら、何食べたい?」
そういって優しく頭を撫でてやると、いつになく沈んでいたガイアの表情はパアッと明るくなった。
そしていつものようなにっこり笑顔で肩をすくめ、見えない瞳でオレの顔を覗き込む。
「ふふ、迷うなぁ。選択肢が欲しい!」
「そうだな、経津主たちには色々買ってきてもらってるから、スパイシーな豆料理か肉、もしくは野菜中心の健康的なヤツだな」
「うえー、野菜は当分良いよ。ボクお肉食べたいな!」
「よっし、任せろ!……って言っても結局全部作るけどな」
「んな!?初めっから選択肢なんてないじゃん!」
「仕方ないだろー?大喰らいが1人増えたもんで、それくらい作らないと足りないんだよ」
「もー!騙したなあああ!」
先ほどの雰囲気が嘘だったかのように、辺りを包む和やかな空気。
口先をキツネのようにとんがらせてブーイングをするガイアの隣で、「意外と食べるんだよね、トト神」とジュリアーノが小さく苦笑をこぼした。
自然光の一切届かない亜空間の6畳一間には、少年少女の他愛もない団欒の声が明るく響く。
いつもは経津主とベルもいるけれど、この3人ど集まると最初の頃を思い出して懐かしい気持ちになるから好きだ。
別に2人が邪魔だと言いたいわけじゃない。
ただ、この2人と過ごしている時間には、他の誰からも味わうことのできない確かな“安心感”があるんだ。




