第31話「教団の刺客1」
夕方の砂漠、洞窟の入り口付近を囲む4人の少年少女たち。
パチパチと火の粉を飛ばす炎のように赤く燃える空。
はるか上空を悠々に飛ぶ数羽の鳥たちを眺めて、ふとガイアがため息をついた。
「賢吾遅いなぁ…大丈夫かなぁ…」
「出てから5分も経ってねぇだろ。さっきまでの威勢はどうした」
「ううう……」
砂に覆われた薄暗い洞窟の中をじっと見つめる4人。
すると闇の奥から何やら物音が響きだす。
いち早くそれに気付いたのはガイア。
「…!」
音が近付くに連れて黒洞洞の中から徐々に浮かび上がる、見覚えのあるシルエット。
日々聴き慣れたその足音にガイアは感極まり、思い切り飛びついた。
「賢吾ー!!!」
「…ガイア!!」
オレは小脇に抱えていた麻袋を地に置いて受け止める姿勢をとる。
…あ、ダメだ。
一瞬抱きつくのを許しそうになったが、自身の体が毒まみれであることを思い出したので、さっと身をそらしてよけた。
「ちょっとー!なんで避けちゃうのー!!」
「悪い、今オレ毒付いてるからさ」
「毒!?まずいよ早く洗い流さないと!!ジュリアーノー!!水かけてー!!」
ジュリアーノはガイアの声に慌てた様子で駆け寄り、詠唱をして杖を振るった。
「目は閉じててね」
「ああ、頭からバーっと…」
彼はせいぜい風呂のかけ湯程度の水圧想定したのであろう。
しかし実際に彼の杖から放たれたのは、山奥の滝のようにとんでもない勢いの水鉄砲。
オレは叫ぶ間もなく水圧をモロに受け、洞窟の奥まで吹き飛ばされた。
「賢吾ー!!」
「わああっ!ごめーん!!」
な、なんだ今のは…。
皆が慌ててオレの元へ駆け寄る。
「平気かケンゴ」
「ああ…一応…」
「ごめんね、こんなに出すつもりなかったんだけど…」
「やっぱもう寿命だね、この杖」
そう言いながらジュリアーノはヒビだらけの杖をさすった。
まあ高圧洗浄のおかげで血はすっかり落ちたけど、使い勝手が悪い。
こりゃ早いとこ材料集めて作ってもらわないとな。
毒を喰らったことについてガイアは激しく動揺していたが、桜の花びらを摂取したら問題なく治った旨を伝えると胸を撫で下ろしたようだった。
トトは効果が出るには少しかかると言っていたが、案外10分ちょいくらいで症状はすっかり治ってくれたので安心した。
まあオレの場合は不死身が少し関係してくるとは思うけども。
「もしかして、コレが例のアレ」
「ん?ああ、そうだぞ」
興味津々で地面に転がった麻袋をつつくガイア。
オレはそれを拾い上げ、紐を解いて中を皆に見せる。
そこにはエメラルドグリーンに輝く大きな結晶。
「おお〜、コレが飲魂晶石!」
「あれ、こんなに鮮やかだったっけ」
「そうだな、もっと毒々しかった記憶がある」
「ああ…」
言われてみれば確かにちょっと綺麗すぎる気がする。
もっと紫みがかっていたような……もしかして紫外線に触れて変色した?
「断面が空気に触れたからか?」
「標高の問題かもしれないよ」
3人が首を傾げながらそんなことを話していた矢先、突然経津主とベルが何かを察知して後方を振り返った。
「誰か来る」
彼らの目線の先には、天へ登るように大きな砂丘。
彼らに合わせてその頂点をじっと見つめていると、夕方の空に突如人影が現れた。
明らかにこちらへ向かっているヤツは遠くてよく見えないが、何やら黒いマントのようなものを羽織っている。
肩幅や歩き方からして女性だろうか、アレは…仮面?
「何者だ」
女は経津主の問いに答えることなく、長い足をクロスさせながら高いヒールで砂を踏み締め、ゆっくりと近付いてくる。
その怪しさに危機感を覚えた俺たちはそれぞれ武器に手をかける。
「本当嫌んなっちゃう。砂嵐の前で消えたと思ったらいきなり出てきて、でまた消えて出てきて。暑いんだから勘弁してほしいわ」
そう言いながら女は自分の顔を手で仰ぐ。
黒く長い髪の毛に紫色の仮面。
砂漠にそぐわないヒールを履いているにも関わらず、重心は至って安定している。
「誰だと訊いている」
キッと睨みつけ、経津主が問う。
女は少々驚いたような仕草をした後小さく笑った。
「フフフ、可愛らしい。そんなにおねえさんが気になるのかしら。良いわ、教えてあげましょう」
胸に手を当て、女は話し始める。
「私はギベオン教団十二公が1人スコーピオ。目的はお分かりね?」
ギベオン教団!!
まさか……砂嵐で安心していたが、ミフターフまで追いかけてくるとは。
しかも十二公。
なんとタイミングの悪いことか。
ジュリアーノは杖が故障しているし、オレはヴァリトラを相手にしていたせいで体力がだいぶ削られている。
経津主やベルは問題無さそうだが、相手は十二公。
前回は逃げられたから良いものを、オレたちだけで勝てるかどうか…。
「ガイアは渡さない…!」
「フフ、そう言うと思った」
スコーピオは懐から2本のナイフを取り出す。
妖艶な紫に光る刃先に金色の柄を携えた小さなナイフ。
それを指に通し、クルクルと回しながらヤツはまるでオレたちを見定めるかのように薄めた瞳で見やった。
「じゃあまず、ヒーラーちゃんから潰しちゃおうかしら」
言葉が終わると同時にスコーピオが消えた。
いや、消えたように見えたのだ。
ヤツは約15mの距離をたったひと蹴り、一瞬にしてジュリアーノの目の前ほんの十数cmまで距離を詰め、紫の刀身を彼の喉元に晒す。
ガキインッ
耳をつんざく金属音と共に回転し宙を舞うナイフ。
ジュリアーノの喉に届く数センチのところで、経津主がヤツのナイフを刀で弾いたのだ。
「あら」
経津主はそのまま刃を返してスコーピオへ振るうが、ヤツは素早く後ろへ跳び、空中でナイフをキャッチしてそのまま着地した。
「素早いのねぇ。さすが刀神」
一瞬の出来事で、何が起こったのかオレは瞬時に理解することができなかった。
ジュリアーノが、ほんの0.数秒のうちに殺されかけた。
もし経津主が反応していなかったら、今頃彼は切り裂かれた動脈から鮮血を噴き出して倒れていただろう。
たった今自分が殺されかけたということを時差を経て理解したジュリアーノはその場へへたり込み、槍を持つオレの手のひらには尋常じゃ無い量の汗が一気に押し寄せた。
タンっと地面を蹴り、スコーピオは再び攻撃を仕掛ける。
空中から経津主の脳天めがけてナイフを振るうが、彼は瞬時に反応してそれを弾いた。
柔軟かつ軽い身のこなしで素早く体制を立て直すスコーピオ。
間を挟まず、さまざまな角度から続け様に刃を向けるその姿は、さながらサソリの様。
「虫みてェにすばしっこいヤツだぜ!」
「あらありがとう」
経津主は反撃を仕掛けるが、ヤツは素早い動きで避けたのちにまた刃を飛ばしてくる。
彼が刃を弾きスコーピオの胴体へ蹴りを入れた時、ヤツは思い切り背後へのけぞって経津主の顎を蹴り上げた。
衝撃でよろける経津主の胸部を、ヤツの禍々しい刃が襲う。
させるか!
オレは槍を握りしめて刃を2人の間に入り込み、ヤツの刃を下から打ち上げた。
「おっと」
続けてヤツは反対のナイフをオレの胴へ突き立てようとするが、オレは槍の柄を蹴ってそれも弾いた。
だが、弾かれた勢いのままスコーピオはナイフをキャッチして切り掛かる。
クソッ、速い!
経津主が反対から刀を振るうが、やはり受け流される。
オレと経津主を同時に相手しているはずなのに、ヤツは全くと言って良いほど疲れを感じさせない。
最大限に槍を動かして応戦するが、オレではヤツのスピードについて行くことができず、頬や腕に切り傷が量産されていった。
辛うじて退けた左腕。
しかしヤツはナイフを弾かれた勢いで体を回転させ、低い姿勢でオレの脚を弾いた。
バランスを崩し、その場に倒れたオレの喉元へ容赦無く刃先を突き立てる。
「"凍砲"!」
ジュリアーノの放った球状の吹雪が見事スコーピオの右手に命中し、奴の右手は凍りついた。
(!…やっぱり威力が落ちてる)
「!」
スコーピオは凍った右手のせいで一瞬重心を崩し、よろける。
その隙に経津主は力一杯に刀を振るった。
ヤツは咄嗟に右手でガードを入れたが、経津主のパワーに押されてそのまま吹き飛んだ。
「ボク達、結構やるじゃない。おねえさん感心しちゃった」
ニコニコと微笑んでいそうな声色でスコーピオは言う。
経津主の攻撃で砕けた氷が、砂の上で水蒸気を上げながら溶けてゆく。
そうだ、ガイア!
ふとガイアの方を見れば、ベルが抱き寄せる様にして守ってくれていた。
ベルならとりあえず安心だ。
「随分と貧弱な斬撃だな、十二公が聞いて呆れるぜ。そんなちっこいナイフじゃオレ達は倒せねぇぞ」
嘲笑を浮かべながら経津主がそう言った。
しかしスコーピオがその挑発に乗ることはなく、口元に手を当てて小さく笑う。
「経津主ちゃんは脳筋ねぇ。戦いというのはパワーが全てじゃないのよ」
ヤツがそう言い終わると同時に、オレの膝がガクンと崩れた。
「!?」
一瞬穴にでも落ちたのかと思ったが、オレの脚はまるで数時間の間正座し続けたかの様に痺れ、砂の上にペッタリ座り込んだ状態。
なんだこれ、腰から下が痺れて上手く力が入らない!?
「効いてきたわね」
「効いてきた」?
まさか!
「毒か…!」
「正解♡」
紫の刀身を小指でなぞりながら、恍惚の声でスコーピオは言った。
打ち込まれたりはしなかったし、経津主には症状が出ていないので吸い込んだわけでもない。
だとすれば、あのナイフ。
おそらく斬り合いの時に斬られた太ももから毒が入ったのだ。
傷口を触れば、まるで虫に刺されたかのようにひどく腫れて熱を帯びている。
斬られたのは太ももだけではない。
腕や脇腹、頬までも浅く細かい傷をあのナイフでオレは受けている。
「ぐっ」
「賢吾!」
「フフ、大丈夫。死にはしないわ」
他の場所は擦り傷ほどに浅いので、まだ微量の毒が入っただけなのだろう。
しかし、時間が経てば徐々に効いてくるはず。
どれほどの強さを持つ毒なのか、はたまた成分はなんなのか。
何にしろ喰らったのがオレだけで良かった。
「立てるか、ケンゴ」
「ああ」
オレは槍を杖代わりにして立ち上がる。
地面を踏み締めると、脚全体を針で刺された様な痛みが走った。
このままじゃらちが開かない。
状況を打開する策を練らなければ。
「経津主…」
「お話の時間なんて無いわよ」
オレの言葉を遮ってスコーピオが再び斬りかかる。
オレは柄で刃を受け止め、槍を回転させて胴へ一撃を入れるが、ヤツは上へ飛びがる様に避けてまた刃を立てる。
経津主が攻撃を仕掛けるも、再びかわされた。
そこから斬って斬られての攻防戦が繰り広げられる。
2人がかりをものともせず、2本のナイフで攻撃を全て受け流すスコーピオ。
ジュリアーノが術で援護射撃をするが、正直効果は薄い。
(やっぱり壊れかけの杖じゃ威力も狙いもダメだ。でも、どうにかしないと…あの2人がこんなに弄ばれて、勝ち目なんて無い……そうだ!)
ジュリアーノは何かを思いつくと、ベルにこっそりと耳打ちをする。
「できそう?」
「わ、かんない……でも、やってみる」
「よし!」
器用にナイフを回して2人がかりの攻撃を受け流すスコーピオ。
戦い方から察するに、ヤツに大したパワーは無い。
攻撃が入りさえすれば倒すのはなんてことないだろうが、この素早さ。
まさしくサソリ。
「うぜってぇ!!」
攻撃を受け流されるたびにイラつきを募らせていく経津主。
目が慣れたのかある程度ヤツの攻撃をかわせているし、毒もアレ以降喰らっていない。
だが初めに入ったものがずいぶんと効いてきたようで、体の痺れがだいぶ増してきたし少し息苦しい。
好ましく無い状況だ。
どうにかしてコイツを退けなければ、どうにかして…。
「凍てつく純水の晶魔よ、我が命に応えたまえ。“冴虚”!」
後方から聞こえた詠唱。
再び援護射撃かと一瞬ジュリアーノを向いたのも束の間、突如彼の立っている地面に直径5メートルほどの魔法陣が現れた。
水色に輝く魔法陣は縁から強烈な光を発して3人を包み込み、氷のような角張った半球状のドームを形成する。
あれは、結界?
「あらあら。どうやらお友達は自分の安全を優先したようね」
そう言って小さく笑うスコーピオ。
ガイアを守ろうとしてくれているのだろうけど、ジュリアーノまで入る必要はあったのか…?
いや、オレに魔術の知識は乏しい。
きっと彼なりの考えがあるのだ。
「ククク…」
オレが改めてヤツへ槍を向けると、隣にいた経津主が突然不気味に笑い出した。
「ふ、経津主…?」
恐る恐る顔を覗けば、彼の顔に浮かぶのは歪んだ笑み。
「ジュリアーノの魔術はよォ、性能がケッコー良いんだぜ。魔術構築の腕が立つから中級でもしっかりした結界が張れる。俺様の流れ弾が当たったくらいじゃ滅多に壊れねぇほどのな」
経津主は右手に持った刀を顔の前に掲げ、スコーピオを睨みつける。
「ガキ共に配慮する必要が無くなったってこった、わかるよなァ毒虫」
「随分遠回しに話すのねぇ。格好良いと思っているのかしら」
経津主には戦闘狂の片鱗がある。
ゴブリンでもオルトロスでも、戦いにおいて全力で楽しんでいるのが通常運行。
だが、今回の敵はそれらを軽く凌ぐ圧倒的強者。
勝つためには相手以上の実力を出して戦わなければならないが、その場合どうしても激しさを増すために味方を巻き込む可能性がある。
基本的なことだが、あの経津主が…。
スコーピオは仮面越しに経津主を見やる。
「天下の経津主神様がお仲間を優先するだなんて、意外だわ。成長したのねぇ」
「喧しい、さっさと腹括れ」
「ウフフ、怖い怖い」
経津主はスコーピオの言葉を待つことなく、刀を振りかざしてヤツに切りかかる。
スコーピオは通常通りナイフで受け流そうとするが、予想外の重さに耐えきれずに吹き飛ばされた。
(何?今のは。さっきまでの比じゃない)
砂の中から起き上がり、仮面のうちに驚愕の表情を浮かべる。
経津主はそんなスコーピオにゆっくりと歩み寄り、ヤツの額に刀を突きつけてニヤリと笑って見せる。
「本気でこいよ、お前も」




