第29話「杖の素材」
「飲め、温まるぞ。まあもっとも、真昼の砂漠で体を冷やすことなんぞ滅多にないじゃろうがな」
がしゃどくろが出したお茶は特になんの変哲も無いよくある緑茶であったが、オレにとってはあまりにも懐かしすぎて、不意に涙が溢れそうになった。
前の世界と全く同じものではないものの、腐っても日本人なのでこの風味と苦味にはやはり本能的な落ち着きを覚えてしまう。
「美味しいお茶ですね、どこからお取り寄せに?」
「昔にもらった苗をここで育てておるのじゃ。本家には劣るが、なかなかの出来栄えじゃろう」
「お茶を育ててるんですか?ここで?」
「そうじゃ、茶だけではない。野菜は勿論のこと果物や魚、獣もおるぞ」
生態系が完成している!?
砂漠も端の方とはいえ、毒が広がるせいで安全な水源の少ないこの地域で…。
入り方とかからして亜空間の一種だよな。
外界とは隔離されているから成されているといったところか、便利なもんだよな。
「にが…」
「おや、お主にはまだ早かったかの」
茶を一口含んだベルが顔をしかめる。
あれだけクセの強い魔物肉はパクパク食べるのに、苦いものは苦手なんだな。
そんなベルをがしゃどくろはケラケラと笑いからかうも、すぐに新しくホットミルクを注いでくれた。
意外と優しい。
「さてと、本題に入ろうか。主らはこの儂に特注で杖を作って欲しいとのことじゃったな、どんな杖がご所望じゃ?」
机の向かい側へ正座したがしゃどくろが、茶を一口飲んでから言った。
ジュリアーノはキリッとした顔立ちで、緊張したかのように背筋をピンと伸ばす。
「できれば氷もしくは水属性の強化、あるいは魔力量の節約のできるものをお願いしたいです。サイズは両手で持てるくらいのもので、できれば上級魔術に耐えられるものを…」
「なんじゃお主、随分と恬淡よのう。それら全てつければ良いものを」
「で、できるんですか!?」
目を輝かせて身を乗り出すジュリアーノ。
がしゃどくろはのけ反り、また茶を一口飲む。
「可能じゃ。儂を誰だと思うておる」
ニヤリと不敵に笑うがしゃどくろを見てジュリアーノは我に帰り、そそくさと自分の席へ戻る。
彼は再び正座をし直すと、とても申し訳なさそうな表情でオレや経津主の方に一瞬、チラリと目をやった。
「で、でも僕たち…その、手持ちがあまり無くて……ちなみにそれだとおいくらぐらいかかりますか?」
「そうじゃな、今の時期は他国から取り寄せることは困難を極める故、この砂漠を血眼で駆け回って探すしかないの。加えて全て希少価値の高い素材じゃ。それ等を考慮するなら……ウム、ざっと1000万ほどじゃな」
「「1000万!?」」
予想はしていたがやはり高い、いや果てしなく高い。
手持ちの約25倍って、もっと気を張って金を貯めるべきだったな…。
「ど、どうしようケンゴ…」
「1000万はさすがに…ぶ、分割とかは…」
「一括じゃ」
「うそぉ…」
借金でもしない限り1000万ルベルなんて大金払えるわけがない。
確かギルド銀行が貸出をしていたはずだが、こんなことなら借りてくるんだった。
いや、彼の性分なら自分のための借金なんて許さないだろう。
「仕方ないジュリアーノ、今回は…」
「ううん、心配しないで。大丈夫だよ」
「やけに食い下がるじゃねぇか、図書館での勢いはどうしたよ」
納得のいかない様子で腕を組みながら経津主が言った。
ちょっとデリカシーの足りない物言いだが、二つ返事ですぐに諦めたのはオレも少し気になる。
自分がどんな表情をしていたのかはわからなかったけれど、オレと経津主の顔を見たジュリアーノは頬を人差し指で掻きながら苦い笑いを浮かべていた。
「そりゃ杖は欲しいけど、沢山借金なんかしてみんなに迷惑をかけるよりずっと良いよ。それに僕、ミフターフに来てから魔力量がすごく増えたんだよ?今までは魔力節約だけでやっていけていたわけだし、無理して良い杖を買う必要なんてないさ」
なんとできた子だろうか。
こんなに仲間のことを考えて精一杯に気を使える子なのに、期待させて申し訳ないことをしてしまった…。
帰ったら彼の好物を、オーロラジェノベーゼのニョッキを作ってあげよう。
卵もオーロラバジルも高いなんて知ったことか、全身全霊を持って愛情を注いであげなくては。
すると、こちらの沈んだ空気を察知したがしゃどくろが何かを思ったようで、一つため息を吐いて口を開いた。
「金が無いからなんじゃ。儂は素材の希少価値が高い故採集に苦労するために値段が高くなると言うておるのじゃ。見たところに、お主らは冒険者じゃろう?杖の素材くらい自分達で調達してくればよいではないか」
「あ、なるほど!!」
その手があったか!
確かに、彼女の物言いから察するに素材価値が値段の大半を占めているように聞こえる。
バフが3つもついてるんだもんな。
その素材料を抑えることができればきっと手が届く!
「でも素材のありかがどこか僕達には見当も…」
「それは儂が教えてやろう」
「ええっ良いんですかそんな!?」
目を輝かせて再び身を乗り出すジュリアーノ。
「そんな、良いんですか本当に。同業者に漏れたりしたら…」
「構わん構わん。知られたとて奴等に調達できるほどの代物ではないわ」
手をヒラヒラさせながら得意げにそう言ってみせるがしゃどくろ。
そんな素材がオレたちに調達できるだろうか…。
いや、前向きに考えるんだ。
オレたちは最上級魔物バジリスクを一撃で倒した、アウローラギルドじゃ名を馳せた冒険者。
本来Bランク相当の実力が備わっているのだ。
そう考えれば問題など無いに等しい。
「ちなみにそうなるとお値段はどれくらいになりますか?」
「ウム、もし主らが希少素材全てを調達することができれば、儂は加工して組み立てるのみじゃ。となるとまあ、50万ほどで請け負ってやっても良いぞ」
「本当ですか!…でも、その…」
「なんじゃ、それでも足りんのか?これだけの慈悲をかけてやっているというのに、呆れた者たちじゃのう」
慈悲なのか?
いやいや、希少な素材のありかを教えてくれるなんて言っているんだ、十分相手には恵まれている。
だがしかし、それでも今の手持ちじゃあと10万ルベルも足りない。
どうしたものか…。
ふとジュリアーノの方を見てみると、彼もどうしようかと悩んでいる様子。
ここまで来て「やっぱ無しで」なんて言うのは可哀想すぎる。
かと言って、これ以上「値段を負けてくれ」なんてのも言えないし…。
「俺様を使え」
頭を抱えて悩んでいた矢先、突然経津主が口を開いた。
「掃除でも洗濯でも仕事の手伝いでも、出来ることなら何だってやってやる。その働き分を足りない金に当ててくれ」
「ほう」
「ふ、経津主!?」
彼の口から飛び出した意外な言葉に、オレとジュリアーノ含め一同目を丸くした。
「どうしたんだよ、君もっと高慢だろ!」
「シメるぞ」
しかし、ジュリアーノの言うことはもっとも。
自分勝手でやたらプライドの高い彼の言葉とは到底思えない。
一体どうしたというんだ。
経津主は目を丸くしたオレたちを一度チラッと見ると、深く息を吐いて話し始めた。
「パーティーってのは1人じゃどうにもならん強大な魔物を退治するためにあるもんだ。仲間が困っている時にゃ、手を差し伸べるのが当然だろ」
さも当たり前かのようにそう言ってのける経津主。
いや、その心得はとても素晴らしいし大切なものではあるのだが、彼の性格上、そんな言葉が口から出てくるだなんて思いもしなかった。
優しいところもあるんじゃないか、見直したぞ経津主。
そうとくれば。
「オレもやります。料理とか家事系統の仕事ならだいぶ自信ありますよ」
「て、てつだう」
「ボクもやるよー!できることだいぶ少ないけどね〜」
オレをはじめとして、ガイアとベルも続けて手を上げる。
ジュリアーノは驚いたような表情を浮かべたが、すぐに「ぼ、僕も!」と自分も手を上げた。
そんな様子を見ていたがしゃどくろはフッと笑い、湯呑みの茶を一口含んで卓上で手を組んだ。
「うーむ、正直5人も要らんが…長らく他人の手料理は口にしておらんかったからの。まあ良かろう」
「やった!」
思わずガッツポーズをするジュリアーノ。
どうやらがしゃどくろは喜んでくれたのが割と満更でも無い様子。
少々ニヒルじみた笑みを浮かべながら、細く白い人差し指をピンと立てた。
「ただし、儂の言うことには逆らわぬように。茶の温度も料理の味も全て儂好みに合わせるのじゃ。洗濯は必ず手洗いの上、裏の川でやること。他にも指定はあるがその都度言おう」
ち、注文が多いな……だが働けば足りない分の金を免除してくれると言ってくれているんだ、わがままは言ってられない。
「因みに、お主らの手持ちはいくらじゃ?」
「40万ほどです」
「なるほど」
それを聞いたがしゃどくろは何かを企んだかのように、一瞬ニヤリと不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
そしてす⚪︎ざんまいのように手を大きく広げ
「ヨシ、決まりじゃな。借金70万ルベル、完済に向けて精一杯尽力せよ」
「頑張りま……てええっ!?70万!?」
輝くような満面の笑みが一瞬にして驚愕の表情へと変貌した。
ジュリアーノはあたふたしながら何故かと説明を求める。
そんな彼を見て再び席につき、ニヤニヤと頬杖をつきながらがしゃどくろは話し始めた。
「まさか、タダで素材の在処を教えてもらえるとでも思うたのか?当然情報料は取るに決まっておるじゃろ」
「で、でもさすがにボ…」
「はぁ〜?利息が無いだけ感謝して欲しいものじゃの〜。それとも付けて欲しいのかマゾヒストめ。トゴなら構わんぞ」
「い、いえ!大丈夫です!」
トゴて!闇金じゃねぇか!!
けど、そうだよな。
あれだけの希少素材だ、タダで教えてもらえるなんてそんな都合のいいことあるはずがない。
「性悪な女だぜ」
「フフ、若さの秘訣じゃ」
「まあまあ、材料費を取らないって言ってくれてるだけいいじゃない」
「そうだよね…呑みます…それでお願いします…」
「良いじゃろう」
がしゃどくろは再び立ち上がると、満面の笑みで高笑いをした。
「素材集めに家事全般、麗しきこの餓者髑髏様のために喜んで励みたまえ若者よ!」
完全にやられた。
ヤツの手のひらの上でまんまと転がされてしまっていた。
70万か…時給が900ルベルだとすると1日8時間5人で働いて一月108万。
だが、素材集めの時間を考えればそんなに家には居れないし、だいたい3、4時間くらいだろうか。
そうすると……70万へ届くには一月半は働かなきゃいけないのか。
まあ、制作期間を考えれば終わるまでには完済できそうだ。
しかし、これは時給制であった場合の話。
もし「一食3000ルベル」「洗濯一回5000ルベル」とかの場合であれば話は別だ。
クソ〜なんで確認してこなかったんだよオレ。
テンションが上がっていたせいでそれらが完全に吹っ飛んでいた。
「ケンゴ大丈夫?顔色悪いよ?」
「ずいぶん奥まで来たからねぇ」
「大丈夫だ、ありがとう」
オレたちはまず第一の素材を手に入れるため、ある洞窟に来ていた。
砂漠オオサソリの巣穴ほど湿ってはいないが地表ほど乾いてもいない、たまに頭上から降ってくる砂が少々不快ではあるが、寝泊まりをするにはちょうどいいと言えるだろう。
がしゃどくろいわくこの洞窟には“ヴァリトラ”という魔物が住み着いており、ヤツの巣に発生する“飲魂晶石”という石が必要なんだとか。
「巣の周りの石を持って帰れば良いだけだから、戦わないでも良いんだよね」
「そう、だが慎重にな。万が一気付かれでもしたら、侵入者だと思われてそのまま胃袋の中だ」
「もしそうなったら俺様が腹掻っ捌いて助け出してやんよ」
「そうならないために慎重に行くんでしょ!それに、ヴァリトラはただの魔物じゃないんだからね!」
ガイアの言う通り、ヴァリトラはそこいらのボスとは訳が違う。
がしゃどくろいわく、ヤツは大昔にシャンバラという国からミフターフへとやって来て、この土地へ住み着いているらしい。
しかしヴァリトラは水が無くては生きられず、この土地の水を含んだヤツの体は毒に侵され、その毒を制御するために体液ごと体外へ放出し、それが結晶化したものがその飲魂晶石なんだとか。
体内に毒を宿しているので血を浴びるのは非常に危険な上にヤツはシャンバラの神獣、弱い訳がないのだ。
ちなみに神獣とは世界に1体しかいない魔獣のこと。
そのほとんどは神格化され、一部地域じゃ守神として信仰もされている。
基本的に意思疎通のできる連中らしいのだが、ヴァリトラの場合は毒で頭がやられているので難しいと言っていた。
「なんか、ずいぶん湿ってきたね」
「巣に近づいて来たってことだな」
奥へ向かうにつれて湿度が上がり、気温が下がる。
周りの壁も泥岩から溶岩へと変わり、たまに小さな穴からチョロチョロと透明な水が流れている。
地下水だろうか。
これだけの透明度なのに猛毒。
未だに信じられないな。
更に奥へと進むと、ある場所へ差し掛かったところで突然、ベルが地面へうずくまってしまった。
「ううう」と小さく呻き声をあげてその場にしゃがみ込むベル。
「どうした、どこか痛いのか?」
「…あたま…が…いたい」
「頭が痛い……大丈夫か?歩けそうか?」
「ううう…」
脱水症状か?
いや、水分は十分取っているはずだ。
ならば何故…。
「ハァ…クソ、嫌な感じだぜ」
「本当〜なんかぐらぐらするぅ〜」
そう言い、経津主とガイアまでもがその場へ座り込んでしまった。
「まさか2人まで」
「僕らなんともないのに…何が原因なんだろう」
「さあ。だが、あるとしたら毒か…」
「だとしたら、何故僕らは大丈夫なの?」
「そうだよな…」
今は調べる術もない。
原因がわからない以上下手に動くのは良くないだろう。
「仕方ない、オレたちだけで行こう。3人はここで待っていてくれ」
オレはカバンから水筒とタオルを取り出す。
とりあえず飲み水と汗を拭くタオルと…食べ物も一応置いておくか。
「ジュリアーノ、干し肉と乾パンを少し……てあっ、経津主!」
オレがカバンをあさっていると、経津主が頭を抱えながらヨロヨロと立ち上がった。
「あまり無理するな!今回は戦闘がある訳じゃない。後のこともあるし、今は休んだ方がいい」
「要らん、平気だ」
そうは言っても、彼の足は見るからにおぼつかない。
神といえどやはり生き物。
これ以上悪化すれば何が起こるか分かったもんじゃない。
「大丈夫だよ経津主。晶石取ってくるだけだから、ここで休んでいてよ」
「万が一がある、お前らじゃ圧倒的に戦力不足だ」
「でも…」
「構うな。行くぞ」
そう言って1人で歩き出してしまった。
大丈夫なのだろうか。
ジュリアーノは不安そうにため息を吐くと、彼の後を追って歩き出した。
仕方ないヤツだなぁ。
ガイアとベルを道中へ残し、先へと進む。
2人と経津主には一応トトからもらった花びらを接種させたが、経津主は未だに苦しそうだ。
本当に大丈夫なのだろうか。
額を垂れる脂汗から伝わる彼の苦しみ。
なるべく早く終わらせて早急にここを離れなければ。
数分ほど歩くと、オレたちはついにヴァリトラの巣へとたどり着いた。
洞窟内に広がる、底の見えないほどに深い紺碧の池。
その周りにはターコイズブルーに輝く半透明の巨大な水晶が無数に生えている。
あれががしゃどくろの言っていた飲魂晶石だろうか。
当目ではすごく綺麗だけれど、近くで見ると緑やら紫やらが混ざり合って何とも毒々しい。
「コレって体液ごと放出された毒の結晶なんだよな、触って大丈夫なのか?」
「特に何も言われなかったよね」
「触ってみろよ。不死身だろ」
「ええ……まあ、何かあっても削ればいいか…」
でもなぁ、炎症でも起こしたら痛いだろうしなぁ。
恐る恐る指先でつついてみる。
……おや?
「どうやら平気みたいだな」
「よし、静かに割ろう」
がしゃどくろから受け取った楔と石頭を手に、いざ採集。
広い洞窟の中、金属同士のぶつかり合う音がカンカンと鳴り響く。
「ずいぶん怖いなコレ…」
「仕方ないさ、ゆっくりそっとやれば多分見つからない」
「焦ってぇな…」
十数分かけて楔を打ち続けるとようやく真っ二つにヒビが入った。
ヨシ、あとはコレを袋の中に入れて持ち帰るだけだ。
「そっと入れるぞ」
直径50cmほどの晶石を3人でゆっくりと持ち上げる。
密度が大きいのか、見た目よりも少々重い。
「こんなに必要なのかなあ」
「貯蔵しといたりするんじゃないか?希少素材だし」
「良いように使いやがって…下卑た女だぜ」
そっと麻袋の中心へ置き、口を紐でしめればひとまずは依頼完了。
あとはコレを持って帰れば良いだけだ。
ふと池の方を見てみる。
直径20mはあるだろうか、だいぶ地下に来ているはずなのにさらに深い。
コレだけ澄んだ色をしているのに底が見えないだなんて、どれだけの深さなのだろう。
そんなふうに考えながら池を覗き込んだその時、今までガラスを浮かべたかのように静まり返っていた水面に、突如として小さく波紋が浮かび上がりだした。
最初は弱かった波紋はみるみるうちに強く激しいものとなっていき、池の底に映る黒い影がだんだんと濃くなる。
ま、まさか…!
「みんな!水晶の裏に隠れろ!」
「何!?何があったの!?」
「良いから早く!」
オレの声に2人は素早く水晶の裏へ駆ける。
オレがとった硝石を抱えて水晶の影に隠れた瞬間、ドドオォッという音と共にまるで爆発でもしたかのように水面が盛り上がり、そこから巨大な龍が現れた。
鮫に長い胴を生やしたようなシルエットに竜胆色の鱗、翼のように大きなヒレを携えたそれは、がしゃどくろの言っていた猛毒に蝕まれしシャンバラの龍。
神獣ヴァリトラだ。
「な、なんで…大きな音は立てなかったはずなのに…」
「いや、見るからにはこちらへ気付いていなさそうだ」
「…潜るまでやり過ごすっきゃねぇな」
ヴァリトラは岸辺へ前足をつき、ズリズリと胴体を引きずりながら水面から這い出す。
そしてある程度池から離れた場所まで来ると、洞窟の壁面めがけて勢いよく吐瀉物を吐きかけた。
「ゲェ……晶石ってゲロの塊だったのか…」
「ま、まあ…細菌とかは死んじゃってるだろうから…」
多量の血が含まれているのか、吐瀉物が妙に赤黒い。
可哀想に、体も傷だらけだしずいぶんと辛そうだ。
胃の中を空にせんとばかりに、なおも吐き続けるヴァリトラ。
すると、隣で覗いていた経津主が突然地面へ膝をつき、頭を抱えて唸り出した。
「…!経津主!」
苦しそうに呻きながら地面へ爪を立てる経津主。
うなじから垂れる大量の脂汗が、並々ならぬ彼の苦痛を物語っている。
「まさか毒が…」
「ど、どうしようケンゴ…!」
何故だ、花びらを呑ませたはずなのにこの苦しみよう。
今すぐここを立ち去るべきだが、今動くとヴァリトラに見つかってしまう。
病人がいながら神獣をたった2人で相手をするのはさすがに現実的じゃない。
「…奴が去るまで待つしかない」
「そんな…!」
苦しそうに呻き声を上げる経津主を見守るしかできないなんて。
ヴァリトラの方を見てみると、ヤツは何やらあたりの匂いを嗅いでいる。
な、何だ?何かを探している?
まさか、存在を勘付かれたか!?
オレはジュリアーノへ目配せをし、声を押し殺して息を潜める。
ズンズンと地面を揺らしながら岸辺を動き回るヴァリトラは、地面へ鼻を押し当てながらこちらへ近づいてくる。
頼むからさっさと帰ってくれ…!
「…うっ…ぐあああっ!」
経津主の発した叫びが、ヤツの耳へと届いてしまった。
こちらの居場所が知れたと共に、ヤツは猛スピードで迫ってくる。
「まずい、逃げろ!!」
そのままの勢いでヴァリトラは突進し、あたりの水晶に体当たりをして砕き散らせた。
あ、危ない…。
間一髪巻き込まれずに澄んだが、とんでもない状況になってしまった。
逃げたせいで入り口からも遠ざかってしまったし、どうしたことか…。
「どうしよう…見つかっちゃったよ…」
「仕方ない…」
オレは背中から槍を抜き、ヴァリトラへ向けて構える。
「少し、無茶することになりそうだな」




