第20話「氷漬けの女神」
グライアイはオレを咥えたまま、四つん這いで穴の中を走る。
奥は急な坂になっていたようで、下へ下へと降りるにつれて気圧で耳鳴りがした。
どこまで行く気だろう。
こんな深いところに巣があるのか?
死なないとわかっているからなのだろうか、オレの頭はいたって冷静だった。
しばらく走ると、ずっと奥の方に青白い光が見えた。
巣穴か?だけど、ここまで深いところがあんなに明るいだなんて、なんだか妙だ。
長い長いトンネルを抜けた瞬間、グライアイは首を振り回してオレを放り出した。
オレの体は勢いよく宙を舞って床に叩きつけられ、6、7メートルほど滑って壁へぶつかった。
いきなり放されたのと床へ叩きつけられた衝撃で、傷の痛みがぶり返す。
「いっっってぇえ……って、冷たっ!!」
手のひらから伝わるひんやりとした感覚。
オレが横たわっていたのは、分厚い氷の上だった。
どうりで滑りが良いわけだ。
しかし、ここまで分厚い氷が……まさか、永久凍土にでも到達してしまったのだろうか。
アウローラは大陸の北に位置する国、可能性が無いわけじゃない。
でもあれだけの過ごしやすい気候なのになぁ……。
オレは滑らないように細心の注意を払って立ち上がる。
見ればここは、氷の部屋。
四方八方が氷で包まれ、どうやらオレのぶつかった壁も氷でできていたようだ。
……いや、コレは壁じゃない。
「柱…?」
直径2メートルほどの円柱が地面に根を張るようにそびえ立っていた。
しかも内部には人影のようなものが見える。
斜め背後からしか見えないが、おそらく女性だろうか。
前方へ回り込み顔を覗き込んだ瞬間、その光景にオレは衝撃を受けた。
「……ジュリアーノ…?」
なんと、氷に閉じ込められた女性の顔はジュリアーノと瓜二つ、まるでドッペルゲンガーかのように似通っていたのだ。
しかし体のラインからわかる、確かにこの人は女性。
オレンジ?色のウェーブのかかった長髪に、オリーブらしき葉で作られた冠のようなものを被っている。
一体誰なんだろう。
オレが氷漬けの女性を観察していると、後ろから突如、カツカツという誰かの足音がした。
振り返ると、こちらへ向かいゆっくりと歩く男の姿があった。
「やあ、待っていたぜ。カサイケンゴ」
「…?」
見覚えは無い。
何故コイツはオレの名前を知っている?
戸惑った様子のオレを見て男はフッと鼻で笑い、髪の毛を手櫛に通す。
「まあ、普通の反応だよな。俺の魔術はどっかの緑の坊ちゃんほど惰弱じゃない」
緑の坊ちゃん…ジュリアーノのことか?
ずいぶんと鼻につくことを言うじゃないか。
「お前、何者だ。」
オレがそう訊くと、男は得意げに首を斜めに傾け、ニヤニヤとしながら答えた。
「ギベオン教団十二公が1人、アクエリアス!」
ギベオン教団、まさかガイアを狙ってきたのか?
だが、十二公……オレとしては全く聞き馴染みのない言葉だ。
アクエリアスは腕を組んで爪先から頭まで、オレの全身を見渡す。
「しっかし、見る目が無ぇなぁ公王の氏族ってのは。こんな凡夫の小僧に何の魅力があるんだか」
ヤツの見下すような瞳には光が無く、常にオレを嘲ていた。
「きっとだ〜いちゅきなオニータンに大事に大事に育てられたんで、生ぬるぅ〜い感覚しか持ってないんだろうなぁ」
「おい」
ニヤニヤと嘲笑うかのような声色で話すアクエリアス。
見下した瞳を、オレはキッと睨む。
「あまり馬鹿にするなよ。ジュリアーノは優しいし賢い、お前よりもずっとできた人間だ」
「ハッ、言うねぇ」
人の仲間を馬鹿にし、挙句嘲笑う。
コイツに敵対心があるのは明確だろう。
何がしたいんだ……。
「まあまあ、そんなのは今どうでも良い。本題の方がもっと重要だ」
そう言うとアクエリアスはおもむろに前髪をかきあげ、突如として真顔になった。
「さて、命の神はどこだ?」
その瞬間、オレの額から噴き出す脂汗。
やっぱり、コイツの狙いはガイアだ。
どうする?
この場で倒すか知らないふりをするか。
コイツの実力がはっきりしない以上、前者はやめておいた方がいいだろう。
ならば後者。
「…知らない」
できるだけ震えを抑えた落ち着きのある声を出す。
しかし、ヤツはオレの焦りを意図も容易く見抜いた。
「ハハハッ!隠さなくったって良いんだぜケンゴくん?直で対面した今、プンプン臭うんだよ」
ヤツはゆっくりと歩き出す。
まさかコイツ、魔力を感知できるのか?
オレの知っている中で魔力を感知できるのは経津主とガイア、そしてアイテールだけ。
つまりコイツは人間じゃない…?
いや、その前にこの状況をどう切り抜けるかだ。
オレがガイアの眷族であることは魔力でバレている。
なら実力行使か…いや、魔力を感知できるようなヤツだ、たとえ人間だったとしても相当の手練れだろう。
「早く吐いちまえよ」
オレが必死に考えている間も、アクエリアスはニヤニヤと嗤いながら近付いてくる。
オレは一歩後ろへ下がった。
コイツはオレがガイアの眷族だってことをどこで知ったんだ?
思い当たる節など見当たらない。
……いや待てよ、命の神の眷族であるオレは不死身。
だったら拷問でもなんでもして無理矢理に吐かせればいいじゃないか。
なのに何故、コイツはそれをしない?
もしかして、オレが眷族であるということを知らないんじゃないか?
もしくは不確定の状態で、オレの口から直接確信を得ようとしているのかもしれない。
そうだとすれば、シラを切り通せる。
もしジュリアーノたちがガイアを連れてここへ合流しても、今のガイアは魔封じの状態だ。
確率は低いが、試すほか無い。
「……命の神は知らない…」
「ハァ、頑固だねぇ。じゃあその傷はどう説明つけるんだ?んなデカい傷負って正常に立ってられる人間なんざ聞いたこともないがなぁ」
どう誤魔化す?この不死身を。
考えろ、あるだけの知識を絞り出して。
「コレは………薬の効果だ」
「ほーん、じゃあ見せてみろよ。その薬とやらを」
アクエリアスはオレの顔を近くで覗き込んで右手を差し出す。
薬なんて言ったけれど、そんな物は持っていない。
どうする、どうする。
「どうしたよケンゴくん。なぁ〜、薬なんてハナから無いんじゃねぇの?」
「こ、高価な薬だ、出した瞬間にお前が盗むかもしれないだろ!」
ドクドクと高速で脈打つ心臓を抑え、必死に冷静を装う。
ヤツの顔をまともに見るなんてできない。
焦りで全く頭が回らない。
クソっクソっクソ!!早く考えろ!早……
ドスッ
突如、オレの腹部が強く圧迫された。
突然の激痛に苛まれたオレは、胃から込み上げるもの抑え、膝をついてうずくまる。
そして続け様、背中を走る衝撃。
「さっさと出せよクソガキがっ!!」
アクエリアスがオレの背中を蹴り飛ばし、鬼の形相で怒号を発する。
転がり、仰向けになったオレの襟をヤツは掴み、無理矢理に起こして宙吊りにした。
「ナメてんじゃねぇぞ。手前ぇに拒否権なんざ存在しねぇんだよ。俺が出せと言ったら出せや!!」
次々と放たれる拳が、オレの顔へ痣を増やしていく。
一通り殴り終えると、ヤツは腰に付いたオレのカバンをひったくって、オレを投げ飛ばした。
力無く宙を舞うオレの体は女性が氷漬けにされた柱に激突し、その場にうつ伏せとなった。
「か…えせ…」
「やかましい、お前は黙っとけ」
アクエリアスはカバンの中を漁る。
そして、一枚の布に包まれた何かをとった。
それは、宝箱の部屋で切り落としたガイアの髪の毛だった。
「これは…命の神の髪の毛か。微かに感じる、間違いない…」
アクエリアスは数本を掴み、じっと観察する。
あれは、ガイアの髪の毛!
そうだ、あれがあるじゃないか。
神の体の一部は取り込めば簡単に加護を受けることができる。
髪の毛とはいえど、原初神の魔力はきっと絶大。
生命力が著しく上がると言ったって、オレならきっと信じる。
「お前、どこで手に入れた」
アクエリアスがオレの方を振り返る。
どう答えよう。
なるべく足跡をたどれない相手。
「…祖父がくれた。オレが死なないようにって」
「じゃ、その爺さんは今どこだ」
「2年前に死んだ。家族もいない」
ごめん爺ちゃん、きっとまだピンピンしてNINJA乗り回してるよな。
だが、これなら足跡はたどれない。
コイツを完全に出し抜けただろう。
すると、アクエリアスは「ハァ〜」と大きなため息を吐いてしゃがみ込んだ。
「んなクソカスのためにこんな面倒なことしたってのか?まーたジェミニにドヤされるぜ〜。まあ、クソカスはクソカスなりに役に立つか」
アクエリアスはガイアの髪を懐へしまい、カバンをオレへ投げた。
そしてオレへ右手のひらをかざす。
「じゃあなボウズ。爺さんには悪いが、あの世でよろしく言っといてくれ」
ヤツの手のひらで徐々に水の玉が生成されていく。
アイツ、詠唱をしていない。
あんなことを言うくらいだから、おそらくは中級以上の魔術か。
やはり相当の手練れ。
死ぬことはないけれど、もしバラバラになったらパーツを集めるのが大変だな。
ジュリアーノたちがアイツと出くわさなければいいのだが…。
その時、柱の後ろで足音がした。
足音はオレの通ってきた穴から聞こえ徐々に大きくなっていく。
「クソ…まずい…な…」
恐れていたことが起きてしまった。
徐々に近づく2つの足音、誰のものかは明確だ。
「なんだこの部屋は」
「水晶?いや、全部氷でできてる。……!!ケンゴ!!」
ガイアを抱えたジュリアーノたちが慌てた様子でオレへ駆け寄る。
「なんだなんだワラワラと。ゲェ、公王氏族…」
アクエリアスはそう言い、めんどくさそうな顔をして頭を抱えた。
ジュリアーノはガイアをオレへ無言で託すと、立ち上がってアクエリアスへ杖を向けた。
「お前か…!」
「だったら何だよ王子様。出てこなきゃ良かったのに、お前が死ぬと色々面倒なんだよ」
ヤツは髪をクシャクシャと掻きむしり、イライラしたような仕草をする。
だが、すぐにまた嘲るような顔で手をかざした。
「ま、どっちにしろ聖帝のお叱りは避けらんねぇしな。悪く思うなよ」
「聖帝…!?」
ヤツの”聖帝”という言葉に経津主が反応し、ジュリアーノ駆け寄って彼の肩を掴んでこちらへ引き寄せた。
「来いジュリアーノ!逃げるぞ!」
「なっ!どうしたんだよ経津主!君らしくないじゃないか!!」
「いいから来いっ!!」
彼は無理矢理にジュリアーノを担ぎ、オレのカバンを必死の形相で漁り出す。
「離して!経津主はアイツが許せるの?!」
「黙ってろ!!ケンゴ!ワープボールどこやった!」
「あ…それならここに…」
オレがカバンの内ポケットからワープボールを取り出すと、経津主はそれをひったくって体を寄せた。
そして、ワープボールを掲げて叫ぶ。
「お前ら、しっかり捕まってろ!!」
「なんだありゃ?魔法石か?」
オレがガイアを強く抱きかかえて経津主の腕を掴むと、彼はワープボールを思い切り地面へと叩きつけた。
その瞬間、破片の中から飛び出した毒々しい3色の液体が俺たちの体を包み込むように広がり、神々しい閃光を放つ。
「ああっ!!クソっ魔具か!!」
あまりの眩しさにアクエリアスは咄嗟に手で顔を覆うが、それでも光はヤツの皮膚を貫通して輝く。
ヤツは仕方なく背中を向けてうずくまった。
しばらくして光が消えるとそこに賢吾たちの姿は無く、滴り落ちた血痕だけが残っていた。
「チッ、逃げられたな」
(ワープボール、あの様子じゃ最上級か。まさかガキどもがあんなに高等な魔具を持っているとは…市場で売ってるような品じゃねぇ。ジュリアーノのヤツが?もしくはダンジョンで見つけたか……)
先ほどまでの騒ぎが一変、寂寥に包まれた氷の部屋でアクエリアスは顎に手をやって考え込む。
「まあ居場所だけは分かる。誰か差し向けりゃいいか」
ヤツはため息を吐き、柱に閉じ込められた女性に目をやる。
瞳を閉じ、静かに眠る姿はまさに美女のそれ。
反射した光が髪やまつ毛を照らしてキラキラと輝いている。
「そういや、お前とはウン百年ぶりだったか」
沈黙だけが響く部屋、気泡の一切ない純水から成された密度の高い氷は、辺りの空気を氷点下まで下げ、アクエリアスの吐息を白く凍らせる。
ヤツはまたニヤリと嗤い、氷柱へ背を向けて歩き出した。
「チョコっと嬉しかったんじゃねぇの?可愛い孫に会えてさ。そうだろ?」
ヤツは振り返り、再び嘲るような表情で言う。
「“アウローラ”」
女神の眠る氷の部屋には、ただ静寂だけがあった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
今回で第1章アウローラ公国編は終わりとなります。
次回から新章に入るわけですが、お休みなどは挟まないでこのまま執筆していく予定です。
皆様の日頃の応援、とても励みになっています。
今後とも『モータルエデン〜天国は俺が思うよりも異世界でした〜』をよろしくお願いいたします。
ほざけ三下