第19話「決戦・グライアイ」
扉を開けると、そこは大広間だった。
小学校のグラウンドほどはあるだろうか、砂を被った石畳の並ぶ部屋の壁には2メートル間隔で松明が並べられ、あり得ないほどの火力で部屋全体を照らす。
その部屋の最奥、壁の穴からズシリズシリと何か重いものが地面を踏みしめる音が響く。
経津主とジュリアーノはそれぞれ武器を構え、オレはガイアを扉の前に座らせて槍を握る。
黒洞洞とした穴から見える一つの黄色い光。
音が大きくなると共にあらわになっていくその姿。
ボサボサの長い白髪に、深い皺の刻まれた燻んだ薄橙の肌。
ボロ布を被った体は痩せこけて肋骨や背骨の形がよくわかり、顔には巨大な目玉が一つ。
そしてその両脇には同じ姿でも瞳を持たずに、顔の上半分がのっぺらぼうのようなヤツが2体。
本の通り、3体1組の老婆の姿をした魔物、グライアイだ。
2、3メートルはあるだろうか、ヤツらはまるで地響きのように低い唸り声を上げてこちらを威嚇する。
「1人1体ってところかな」
「切り身にしてやるぜ」
ギルドでオレたちの名は「バジリスクを一撃で倒した新人冒険者」として知れ渡っている。
ボス級を一撃で倒すような輩の昇級試験に、生ぬるい魔物を試練を用意するほどギルドも優しくはないだろう。
油断はできない。
「気を抜くなよ。何をしてくるかわからない」
武器を構え、ゆっくりと距離を詰めて行く。
一歩、二歩、三歩…ゆっくりゆっくりと歩みを進める。
すると、傍の2体がこちらへ突進してきた。
それに応じて経津主とジュリアーノは走り出す。
2体はほぼ同時に腕を振り上げて長い爪でこちらに切り掛かり経津主は刀で弾いた。
ジュリアーノは即席の氷のシールドを作り、それが割られると同時に身をかわした。
「オ”ア”ア”ァ!」
経津主は猛ダッシュでグライアイへ斬り掛かっていった。
飛び上がり、ヤツの首元を狙うも、長い白髪がグライアイの体に巻き付き、彼の刃を阻んだ。
その瞬間、辺りに響くガキィンという、まるで金属同士がぶつかり合ったかのような音。
「硬ェなぁ!鋼鉄かよ!!」
しかし、それでも経津主はお構い無しに次々と斬撃を入れていく。
止まらない攻撃に怯んだグライアイは後退りをするが、なおも斬撃は止むことを知らない。
無数の刃を必死に髪の毛で弾くヤツの顔には、瞳が無くともわかる焦りの形相が張り付いていた。
楽しそうな表情で鋭く長い刀を振り回す経津主の姿は、さながら悪魔のよう。
今の姿なら邪神が濡れ衣であろうと、誰もが納得できてしまうだろう。
「オラオラァ!もう息が上がってんのかァ?!」
「ァ”ア”ア”!!」
しゃがれた咆哮と共に繰り出された鋭い爪の斬撃を経津主は体を回転させながら軽々と避け、その勢いのままにグライアイの顔面を深く斬りつけた。
ヤツはあまりの痛みに悶絶し、膝をついて片手で顔を抑える。
吹き出した鮮血が経津主の顔半分に付着し、風圧で横へ長く伸びる。
「つまらんぜ婆さんよぉ」
経津主はざくりと、地面に着いたグライアイの手を問答無用に串刺しにした。
「孫だと思ってよォ、全力で遊んでくれや」
その一方で、ジュリアーノは苦戦気味であった。
ヤツの爪や髪を防ぎ避けるだけが手一杯で、未だに攻撃を放つことすらできていない。
(攻撃の隙が無い…!)
両手の長い爪から繰り出される斬撃は、一定のテンポでジュリアーノへ降り注ぐ。
それを防ぐためにジュリアーノの出す氷塊は、彼にとっては詠唱を挟む必要の無い程に魔力操作が容易な魔術。
故にアブラムシの出産の如く反射的に次々と生産することが可能であるが、攻撃魔法を繰り出すにはさすがに詠唱を挟まねば難儀。
(攻撃のテンポは掴んできた、唱える時間はつくれる!)
ジュリアーノはタイミングを見計らい、しゃがみ込んでグライアイの懐へ入った。
そのまま股下をくぐり抜け、ヤツの背へ杖を向ける。
「大地を浄化せし清らかなる水よ、我が命に応えたまえ!”水弾”!」
彼がそう唱えた瞬間、杖の先に出現した渦の中から5つの水の弾が発射された。
弾は全てグライアイに当たったがしかし、ヤツの全身を濡らしただけでダメージはさほど入っていない。
…だが、彼の狙いは違った。
ジュリアーノはヤツの全身が水気に包まれたことを視認すると、すぐさまに次の詠唱を始める。
「凍てつく純水の晶魔よ、我が命に応えたまえ!”凍砲”!」
彼の杖から放たれた吹雪はまっすぐグライアイの顔面にヒットし、破裂すると同時にヤツの全身を包み込んで凍結させた。
「やった!」
(ボス級の魔物に中級魔術が通じるか不安だったけど、組み合わせればどうにかいけそうだ!)
しかし、グライアイはバリバリと音を立てて、自身の身を覆った氷を砕き去ってしまった。
「やっぱり、中級じゃダメージは少ないか…でも、」
杖を構え、額に汗を垂れるジュリアーノの口角は確かに上がっていた。
「効いてないことはなさそうだね」
ギョロリとした黄色い目玉がオレをまっすぐ見つめ、左胸を目掛けて放たれた斬撃は身をよじったオレの頬を掠めた。
さっきからコイツ、胸や頭やら人体の中枢めがけて攻撃をしてくる。
アイテールほどでは無いが攻撃も早いし、老婆の姿の割にすばしっこいというか、こちらの攻撃をかわしてくる。
胴体を串刺しにしようと挟み込んできたグライアイの爪を、オレはバク宙でかわす。
「おっと」
バク宙で頭が下に向いた瞬間に首のペンダントを落としそうになり、槍を持っていない左手でキャッチした。
危ない危ない、コレが無いとオレたちの活躍がギベルティに伝わらない。
ふうと息をついた瞬間、頭上から降り注ぐ4本の鋭い刃。
寸手で横へ転げてかわすと、ヤツの爪は地面に5センチほど突き刺さった。
「おいおい、石畳だぞ…」
ヤツは素早く爪を引き抜くと、またすかさず上から振り下ろした。
連続的に繰り出されるそれを、オレは後ろへ飛んで避ける。
劣化して砂埃の舞う石畳に、均等な幅で生成される穴たち。
オレはその場から飛び上がってヤツへ風刃をお見舞いするが、雄叫びでいとも容易くかき消される。
それに加えて続け様に飛んできた斬撃をオレは避けきれず、太ももを深く斬られてしまった。
「ぐっ」
痛みでうまく着地ができずに背中から転げ落ちたため、オレは咄嗟に受け身を取った。
幅10センチほどの傷口から湧き上がる鮮血が、オレのズボンを赤黒く染め上げる。
だいぶ血が出てるな。
失血で死ぬことは無いが、血が足りないと頭が回らなくなるので、それは避けたい。
縛って止血する暇は無いが、さっきのことで移動したために幸い壁が近い。
オレはヤツの斬撃を避けると同時に走って、壁にかけてあった松明の一つを取り、傷口に押し当てた。
「ぐううっ」
ジュウウウという音を立て、炎がオレの傷を焼いていく。
痛みと皮膚の焼けるニオイで相当キツイが、この方が手っ取り早い。
これで血は止まった。
見れば、グライアイがオレの体を切り裂こうと腕を大きく振りかぶっていた。
「さて、再開しようか!」
言葉と同時にヤツの爪を槍で受ける。
ヤツは反対の腕でガードできていないオレの下半身を狙うが、オレは地面を蹴って上へ回るように跳び出した。
そしてその勢いのままヤツの背中へ風刃を放つ。
「ウバアア」という唸り声と共に振り返ったヤツの爪を弾き、再び風刃を放つ。
グライアイは爪でそれを弾き、今度は鋼鉄のような髪の毛で串刺しを試みた。
凄まじい突きが雨のように降り注ぎオレは走ってそれをかわす。
雨が止むとヤツはオレを仕留めようと突進し、鬼の形相で鋭い髪を振りかぶった。
オレもそれに応戦し、そこから髪と槍との激しい打ち合いが始まる。
ついていけてる!
バジリスクを倒せたのはマグレだったが、運が無くてもヤツに勝てたポテンシャルをオレは持っている!
アイテールとの打ち合いに比べれば何とタイミングの読みやすいことか。
貰い物ばかりで自分で得た力なんて微々たるものだとばかり思い込んでいたが、思っていたよりも……
オレって強い!
オレはヤツの髪を掴み、振り上げられる力に引っ張られて飛び上がった。
そしてヤツの頭上から槍を振り下ろす。
刃は爪で弾かれたが、そのおかげでヤツの胴に隙ができた。
オレは着地と同時に地面を蹴り、空いたヤツの腹部に目一杯の蹴りを入れた。
「どうだ!」
大ダメージとまではいかないものの、それなりに効いたようで、グライアイはバランスを崩して地面に手をついた。
良い。良いぞ。
オレは続けて槍を振り上げ、ヤツめがけて風刃を飛ばす。
それに応戦しようとヤツは腕を振り上げたが、時すでに遅し。
グライアイが斬撃を飛ばす前に、オレの風刃はヤツの左腕を切り落とした。
「グオオオオっ」と苦痛に満ちた雄叫びに、オレは吹き飛ぶ寸前で槍を地面に突き 刺して耐えた。
どうやら怒り心頭の様子。
「厄介なんでな、封じさせてもらったぞ」
額に青筋を走らせ、血走った眼でオレを睨みつける。
コレでだいぶ動きやすくなるはずだ。
狙うはあの眼。
グライアイは一つの眼を3体で共有するとが、今はその様子が見られない。
おそらく、それぞれがそれぞれの敵と相対しているこの時、違うヤツの視界が共有されたら混乱するのだろう。
ならばこちらとしては好都合。
コイツはさっきから執拗に体の中枢を狙ってきたし、オレの姿を眼で追う様子も見られた。
唯一の目玉持ちであるコイツは相当視界に頼っているはず。
だったらあの目玉をこの槍で潰してやれば…
「!!」
………アレ?眼は?
オレがグライアイから眼を離した一瞬、顔を向けると、ヤツの顔に存在していたはずのあの黄色く大きい目玉が無くなっていた。
なんだ、入れ替わった?オレが眼を離…
「ケンゴ!!」
ザクッ
オレの名を呼ぶジュリアーノの声が聞こえた瞬間、突如として胸が前へ押し出され、焼けるように熱くなった。
何故か足が地面に付かず、宙ぶらりんの状態でいるオレにはその場で何が起こったのかを瞬時に理解できなかった。
炎を飲み込んだかのように熱い胸からは4本の鋭い突起が跳び出し、根本から服がジワリジワリと赤黒く染まっていく。
「なん…で…」
さっきまで目の前にいたじゃないか。
なんで、なんでヤツが……目玉の個体が、オレの背後に!!
先ほどまで目の前でオレを睨みつけていたはずの目玉を持った個体が、いつの間にかオレの背後に周り、胸を爪で串刺しにした。
…だが、目玉の個体がいたはずのの場所には、目玉を持たぬ個体が今は居座っている。
それが示すのは
「わからない…いきなり、目玉が生えたんだ……。それで、すぐにケンゴの方に…」
同一種内での目玉の移動が可能
本には「1つしかない眼を3体で共有する」と書いてあった。
オレとしたことが、自分解釈で本の文を理解した気になっていた。
“視界を共有”だなんて書いていなかったじゃないかクソっ!!
きっとヤツは、目玉を受け取った瞬間に与えた側の考えを察知してオレを攻撃したのだろう。
なるほど、なんて厄介極まりないモンスターだろう。
オレは爪から抜け出そうともがくが、更に奥へと刺さるだけで、全く抜け出すことができない。
「動くんじゃねぇっ!」
経津主がそう言って刀を振るう。が、
グライアイは彼の刃をいとも容易く髪の毛で弾いてしまった。
「ア”ァ!?コノヤロっ!」
経津主神は何度も何度も刀を振るうが、斬撃は全て防がれてしまう。
「待っててケンゴ!今助け…うわっ!」
ジュリアーノがオレを助けようと杖を振り上げた瞬間、別の1体が彼を襲った。
すんでのところで避けたが、オレを助けるために魔術を使う余裕はなさそうだ。
経津主も同様、元々相手をしていたヤツが彼を妨害する。
クソっ!早く抜け出さないと、次に何が来るかわからない。
もし頭を破壊されればまずいことになるだろう。
どうにか槍で腕を!
オレは身をよじり、腕がある方を見た。
「!!」
なんだ…コイツ。
ギョロリとした目玉は相変わらずオレを見ていたが、何か違う。
殺気が感じられない?
そういえば、オレをこうして捕まえてからトドメを刺す時間はいくらでもあったはず。
即死だと思ったのか?
いや、これだけ動いているのにそれはないだろう。
しかし、なんというかこれは…上の空?……!!
その時、オレはあることに気付いた。
グライアイの、ヤツの大きな瞳の奥、黄色く光る瞳孔が徐々に濃い赤へと濁っていく。
そして瞳孔内がすっかり真っ赤に染まった瞬間、ヤツは「ヴウウアアアっ」と吠え、オレの右肩に噛み付いてきた。
「うぐぅっ!!」
一本だけ生えた歯が肩の骨に食い込み、激痛が走る。
ヤツはオレの肩に強く噛みついたまま、ブンブンと振り回して胸から爪を引き抜いた。
そしてそのまま獣のように四つん這いになり、いきなり駆け出す。
グライアイの目指す先には、始めにヤツら現れた黒洞洞とした壁の穴。
巣穴へ引き摺り込む気か!
「このっ!」
苦し紛れに槍を振るうが、体勢が悪い上に右肩を負傷して上手く力が入らない。
そうこうしているうちに、ヤツはオレごと穴の中に入ってしまった。
途端に暗くなる視界、遠ざかる光。
「ケンゴー!!」
ジュリアーノが走って後を追う。
「待て!追うんじゃねぇ!!」
経津主が打ち合いながらジュリアーノを声で制止した。
「でもケンゴが!」
「アイツなら平気だ!少なくとも死ぬことはねぇ!」
「でもっ…!」
「親友っつったろうがっ!!」
経津主は目一杯の力を込めてグライアイの斬撃を弾き返し、両足で蹴って壁へ吹き飛ばした。
そして、真剣な瞳ででジュリアーノを見つめる。
「だったら信じろ、アイツを。それにこの2体を放っておく方が厄介なことになる」
ジュリアーノは少し考えた。
しかし、すぐに決意に満ちた表情で振り返り、グライアイへと杖を向ける。
それを見た経津主はフッと笑い、彼の隣へと立って同じくグライアイを睨みつけた。
「早めに終わらせるぞ」
「もちろん」
互いに睨み合う2組。
部屋の端、扉の前でひっそりとぬいぐるみのフリを続けるガイアは、音と声からわかる状況に脂汗を流す。
“賢吾が連れ去られてしまった”
今にも飛び出して後を追いたい気持ちを必死に堪え、罠にかかり何もできない自分への悔しさで溢れた胸中を抑える。
(賢吾…無事でいてね…)